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溺れる日記  作者: 揺蕩う夜
第六部 底の名
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第四章 名のしずく

私は町の管理窓口に連絡を入れ、あの家への立ち入り許可を正式に得た。


床下の井戸跡に、再び踏み込むためだ。


鍵を受け取って現地へ向かい、扉を開けた瞬間、空気が変わった。


前よりも湿気が濃く、何かが呼吸しているような気配があった。


リビングの補修板を外し、私は慎重に、床下の空間を覗き込んだ。


石を組んだ縁が、丸く、深く、静かに闇を囲っていた。

その中心に、木の板がある。


手袋をして、それをゆっくり持ち上げる。表面は湿っていて、指先にぬめるような感触が残る。

裏返すと、板の裏には染みのような文字があった。


“ヒナ”


それは墨ではなく、インクでもなかった。木の繊維に染み込んだ、にじんだような痕跡だった。


私はしばらく見つめていた。


なぜか、それを自分が書いた気がした。


けれど、その記憶はどこにもなかった。


そのとき、板の下から、ぴちゃりと音がした。


水が、静かに湛えられている。


透明なはずなのに、その奥行きだけが異様に深く感じられた。


光を当てても反射せず、ただその表面に、“何か”の気配だけが揺れている。


私は手帳を取り出し、メモを書こうとした。

だが、その瞬間、ペン先からインクが滲み、紙にしみ広がっていく。

書こうとした文字が、書く前からにじんでいた。


“ヒナ”——そう書こうとしたはずの一文字が、紙の上にすでに現れていた。



私は手を止めた。


水の中に、誰かがこちらを見ている気がした。

その目は、まっすぐに、名を問うていた。


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