第二章 異常の進行
> 4月18日 曇り
> 今日も夢を見た。
> 深いところに、何かがいる。私を呼んでいた。
> 起きたとき、布団が湿ってた。なんで?
ぞっとした。
この部屋は1階で、雨漏りなんてありえない。
それなのに、日記を読んだあと、俺の指先までじんわりと濡れていた。
気のせいかと思った。だが、読み進めるにつれ、湿り気は確実に増していた。
> 4月20日 雨
> 水道の音が止まらない。
> ちゃんと閉めたのに、蛇口の奥で水が回ってる。
> 夜中に起きたら、足が冷たくて……
> 私、どこで寝てるんだろう?
顔を上げると、キッチンの蛇口がぽたぽたと水を垂らしていた。
さっきまで止まっていたはずだ。
蛇口をひねる。止まった。
……と思った矢先、今度は風呂場から、ぴちゃん、と音がする。
覗くと、風呂の中に、薄く水が張られていた。
「空にしたはずだろ……」
吐き捨てるように言いながら、俺は風呂の栓を確かめた。
抜けている。それでも、底のほうに水が溜まっているのはどう考えてもおかしい。
その水面に――
一瞬だけ、顔が浮かんだ。
濡れた長い髪。
笑っているような、でも目が死んだままの少女の顔。
瞬きをしたときには、もう何もなかった。
けれど、心臓が、氷のように冷えたまま鼓動を止めない。
> 4月23日
> 学校のトイレで鏡を見たら、水の中みたいだった。
> 自分の顔が揺れて、違う人みたいで、
> でもその顔、笑ってた。私じゃないのに。
> あれは、私の“ふりをした何か”だった。
> 笑ってる意味が、わからなかった。
> 怖かった。
次の瞬間、自分のスマホに映る自分の顔が、ほんの一瞬だけ、歪んだ気がした。
震える手でスマホを伏せた。
この日記はただの日記じゃない。
読み進めるたびに、現実が引きずられている。
そして、部屋の床に目をやったとき――
「……濡れてる……」
確かに、フローリングの隙間から、水がにじんでいる。
歩いた足跡が残るほど、うっすらと濡れている。
天井を見上げる。染みはない。
壁紙も乾いている。
なのに、床だけが、湿っていく。
それは、日記のページと同じだ。
何もしていないのに、じわじわと湿って、にじんで、染み込んでいく。
「やめた方が……いいのか?」
そう思った。
だが、ページを閉じようとした瞬間、日記がぱたり、と勝手にめくれた。
そのページには、大きく、太く、筆跡が震えたままの文字でこう記されていた。
>やめないで
>最後まで、読んで
空気が、冷えた。
そして俺は――読むのを、やめられなくなった。