第一章 封じられた水
数ヶ月ぶりに、あの町を訪れた。
理由はひとつだった。
図書館で偶然目にした、郷土資料の記述。
『白浜集落周辺 井戸跡地調査報告(昭和33年)』
——その末尾に、小さくこう書かれていた。
第七区画(旧宗村宅):井戸基礎部未調査、地表住宅整備により確認困難。
宗村、という名に引っかかった。
私は一度その家を取材したことがある。
二度の失踪事件と、奇妙に曖昧な周辺住人の証言。まるで誰もその家に住んでいたことを覚えていないようだった。
だが、記録は残っていた。
資料館に保管された過去の町地図には、昭和初期までそこに井戸があったことが示されている。
“封井”とだけ書かれた赤鉛筆の線。
それは、私が調べていた家の、まさに真下だった。
資料館の職員によると、その井戸は古くから水量が豊かで、「かつては村中の水を支えた」とまで言われていたそうだ。
けれどある時期を境に、突然地図から姿を消している。
埋められた理由の記録はなかった。
ただ、別の資料——『白浜口伝抄』という民間収集文書には、こんな記述がある。
「誰が水を占ったか、名はもう言うな」
「水を分けずにいた家は、口を閉じた」
「名前の落ちた井戸は、蓋して忘れろ」
私は資料を閉じた。
ヒナという名前が最初に書かれた場所を、私はまだ知らない。
けれど、その名が“水の底”から浮かんできたのだとしたら。
その水が、今もあの家の床下に染みているのだとしたら。
——もう一度、調べる必要がある。
私はメモをまとめ、図書館を出た。
午後の空気が、妙に湿っていた。