第四章 書いた私が消えていく
名前が出てこない。
自分の娘の、じゃない。自分の名前。
ふとした拍子に「私」と口に出してみると、その先にあるべき“誰か”の輪郭が曖昧になっていた。
日記を読み返す。
最初の頃は、たしかに“母親”として書いていたはずだった。
娘の言葉を代弁し、娘の一日を記録し、娘の未来を夢見るために。
けれど、いつからか日記の中での「私」が、“ヒナ”になっていた。
記録をつけるたびに、「私」はヒナのふりをしていた。
最初は演じていた。
でも次第に、演じているのが私なのか、ヒナなのか、わからなくなっていった。
日記の文章を読んでいると、確かに“私”がここにいると感じられる。
けれど、それが今の私なのか、書いた時の私なのか、あるいは書かせた“何か”なのか——。
記憶の方が間違っていて、日記に書いたことだけが“真実”に見えてくる。
私は、自分のことを日記に確認しなければならなくなっていた。
今朝は何を食べた?
昨日は何を話した?
ヒナは何を言っていた?
ページをめくれば、書いてある。
だから、それが現実だったのだと、自分に言い聞かせる。
けれど、一つだけ書いていないことがあった。
私の名前。
ヒナの名前は何度も記されていた。
けれど、私自身の名は、一度も書かれていなかった。
——じゃあ私は、誰?
私はまた今日も、ヒナの声のようなものを聞きながら、ノートにペンを走らせる。
書いているのは私のはずなのに、文末の語尾がどこか違う。
ページの隅に書かれたひとことに、私は見覚えがなかった。
> お母さん、きっと、もうすぐ。
その文字は私の筆跡に似ていた。でも、私の書いたものではなかった。
どこか、幼く、優しすぎる文字だった。
まるで、私のことを“娘の目”で見ていたような。
私はその文字を撫でながら、ふと、もう何年も前にヒナが亡くなったことを、まるで初めて知ったかのような気持ちになっていた。
あのときのことを、私は、いつ書いたんだろう?
いや、私は本当に、それを——覚えていたのだろうか?