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溺れる日記  作者: 揺蕩う夜
第五部 母の頁(はしら)
17/50

第四章 書いた私が消えていく

名前が出てこない。


自分の娘の、じゃない。自分の名前。


ふとした拍子に「私」と口に出してみると、その先にあるべき“誰か”の輪郭が曖昧になっていた。


日記を読み返す。


最初の頃は、たしかに“母親”として書いていたはずだった。

娘の言葉を代弁し、娘の一日を記録し、娘の未来を夢見るために。


けれど、いつからか日記の中での「私」が、“ヒナ”になっていた。


記録をつけるたびに、「私」はヒナのふりをしていた。

最初は演じていた。

でも次第に、演じているのが私なのか、ヒナなのか、わからなくなっていった。


日記の文章を読んでいると、確かに“私”がここにいると感じられる。


けれど、それが今の私なのか、書いた時の私なのか、あるいは書かせた“何か”なのか——。


記憶の方が間違っていて、日記に書いたことだけが“真実”に見えてくる。


私は、自分のことを日記に確認しなければならなくなっていた。


今朝は何を食べた? 

昨日は何を話した? 

ヒナは何を言っていた?


ページをめくれば、書いてある。

だから、それが現実だったのだと、自分に言い聞かせる。

けれど、一つだけ書いていないことがあった。


私の名前。


ヒナの名前は何度も記されていた。

けれど、私自身の名は、一度も書かれていなかった。


——じゃあ私は、誰?


私はまた今日も、ヒナの声のようなものを聞きながら、ノートにペンを走らせる。

書いているのは私のはずなのに、文末の語尾がどこか違う。

ページの隅に書かれたひとことに、私は見覚えがなかった。


> お母さん、きっと、もうすぐ。


その文字は私の筆跡に似ていた。でも、私の書いたものではなかった。


どこか、幼く、優しすぎる文字だった。


まるで、私のことを“娘の目”で見ていたような。


私はその文字を撫でながら、ふと、もう何年も前にヒナが亡くなったことを、まるで初めて知ったかのような気持ちになっていた。


あのときのことを、私は、いつ書いたんだろう?


いや、私は本当に、それを——覚えていたのだろうか?


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