第三章 笑っていた顔は、誰?
日記のページをめくるたびに、ヒナの声が頭の奥に響くような気がする。
けれどその声は、思い出の中のヒナの声とは、少し違っていた。
静かすぎる。感情がない。けれど、私の言葉をなぞるように、確かに響く。
> 4月23日
> 学校のトイレで鏡を見たら、水の中みたいだった。
> 自分の顔が揺れて、違う人みたいで、
> でもその顔、笑ってた。私じゃないのに。
> あれは、私の“ふりをした何か”だった。
> 笑ってる意味が、わからなかった。
> 怖かった。
これは、私が書いたものだ。
ヒナが鏡の前で怖がっていた場面を想像し、そこに浮かんだ言葉をそのまま書いた。
けれど、なぜか、あとから読み返すと、これは“ヒナが書いた”ようにしか見えなかった。
書いた本人であるはずの私ですら、そう錯覚する。
……なぜだろう。
日記の筆跡が、少しずつ変わっている気がした。
最初の数ページは確かに私の文字だった。
けれど、いつの間にか、少しずつ角度や筆圧が変わっている。
誰かが私の手を借りて、書いているような——そんな感覚。
私は鏡の前に立ってみた。
そこに映る自分の顔は、たしかに私だった。
けれど、その目の奥で、誰かがこちらを見返している気がした。
ヒナだろうか。
私は目を逸らし、ページを閉じた。
けれど、すぐにまた、次のページが勝手にめくられていた。
私はその日、自分の名前を声に出してみた。
言い慣れたはずの音が、舌の上で少し引っかかった。
私はまだ、私だろうか?
それとも、ヒナの“ふりをした何か”が、今、私の中で笑っているのだろうか?