冬の七夕
「死者に対する最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ」
アメリカの劇作家、小説家であるレーントン・ワイルダーの言葉です。
感謝とともに、生きていた時間には祝福も同時に捧げたい。思い出を抱きしめながら、二人の間に確かにあった、幸せな時間に感謝と祝福を。
2025年2月11日、夜明け前 大雪ために乗車していた列車が止まってしまった岩手県北部の、とある小さな駅のそばにある、これまた小さな神社へと続く雪の道を、東京の出版社に勤める編集者・福原里衣が歩いている。
里衣が、今ここにいるのは仕事ではなく、いくつか重なった偶然によるものだった。
元婚約者の、一周忌法要へ出席するため北岩手の町へ向かうことにしていたこの日が、大雪になって東北新幹線が運休となったことも、帰宅しようとした自宅最寄りの駅のホームで出会うはずもなかった夜汽車に出会ってしまったことも、すべて偶然のなせるできごとだった。
その列車が止まっているこの小さな駅の名前は北御堂駅というらしい。今、この駅にこの夜汽車が臨時停車したことばかりは必然であったかもしれない。臨時停車が必然だったというのはちょっとおかしいけれど、里衣は後刻、この列車は実はこの駅を目指すために運行されたのだったというということを知る。臨時停車したこの駅で里衣が途中下車して
小さな神社へと続く雪の道を歩いていたのは車掌の計らいによるものだった。
臨時停車は路線の除雪作業が終わるまでのあくまでも臨時の措置だったが車掌は、駅近くの神社で「冬の七夕」というささやかな雪まつりが行われいるので駅の外へ出て祭り会場へ行くもの許可いたします、とのことだった。臨時停車した駅で途中下車することなど通常は認められていない。けれどもこの列車の車掌さんのアナウンスはまるで当列車は祭りのためこの駅に停車しました、ぜひ会場へお出かけくださいと言った感じで、途中下車をむしろ積極的に勧めるようなニュアンスすら感じられた。除雪作業が終了して運行を再開する時は発車10分前に長めの汽笛を鳴らすという。時計を見ると午前4時30分を過ぎていた。まだまだ窓外は真っ暗だったが東北地方の夜明けは早いはずだ。と考え、朝日が昇ってくるまではもうあまり遠くない時間だと里衣は思った。そろそろ夜の闇が融け始めるころだという妙な安心感もあって里衣は列車を降りて祭り会場へ向かってみることにしたのだった。
「冬の七夕」というお祭りは、会場にやって来た人々が短冊にそれぞれの思いや願い事を記し、それを笹の葉ではなく一抱え以上ある大型の紙風船に結び付けて冬の銀河へと舞い上がらせるという冬の夜の火祭りだった。
会場で里衣が短冊に記した願い事は「悠の笑顔にもう一度会いたい」というシンプルな文言だった。紙風船は竹ひごの骨組みを和紙で丸く包み、上部は熱気が逃げないようにしっかりと和紙で封が施されている。揚力を生むために紙風船下部にはタンポと呼ばれるアルコールが浸された綿に火が取り付けられていて、タンポに着火されると紙風船の内部の温度は上昇し、風船はふわりと空へ上っていく。熱気球の原理の応用である。風船は静かに地上を離れて冬の夜空を目指してゆっくりと浮かび上がって行く。世界最大のランタン祭りと言われるタイ・チェンマイのイーペン祭り(コムローイ祭り)や、中国や台湾における「天灯」ななど、主にアジア各地で同様の祝祭行事が見られる。
里衣が短冊に記した「悠」というのは、里衣の元婚約者の名前だった。前年冬に起きたスマトラ島沖の大地震に伴って発生した大津波で、梨衣は現地で取材中だった婚約者でカメラマンの宮澤悠を亡くした。悠は地球温暖化をテーマに東南アジアのジャングルや海岸線の変化などを取材していたときマレー半島をマグニチュード8,8という巨大地震に襲った。スマトラ島西岸の小さな島嶼で取材中だった悠は押し寄せてきた巨大な津波に飲まれて死亡した、現地大使館による検死報告書には胸部への強い圧迫と打撲が死因だったと記されていた。外務省を通じて連絡を受けた悠の父・篤、悠の弟である瞬と婚約者だった里衣の三人はマレーシアへ飛び、遺体を確認し、現地で荼毘に付された悠の遺骨を引きとって帰国した。
お骨は悠と里衣のふたりの新婚ホームになるはず里衣の大宮のマンションにいったん安置されていたが、春になり悠の岩手の実家から篤と瞬が上京し、故郷に葬ることになったからと言って、悠のお骨は彼の故郷である岩手へ帰って行った。
悠は今、故郷の山なみと森に降る雨の音に包まれて静かに眠っている。2月10日、祝日前のこの夜、里衣は岩手のご実家を訪ねようとしていた。篤と瞬は、悠がいなくなったことで里衣と悠二人の婚約も自然解消されることとなり、里衣との縁がなくなってしまうことをひどく残念に思っていた。それは里衣自身も同じ気持ちだった。
里衣は里衣で、悠の命日である2月11日に行われる法要に合わせて悠とそのご両親にきちんと別れを告げて自身も新しい道を歩き始めなければ思ったのだった。その新しい道というものがどんな道なのかということは里衣自身にも分かってるわけではなかったが。
思い描いていた未来へともに歩んでいくはずだった悠というパートナーを失い、あり得たかもしれない未来が描けなくなってしまったという現実とはしっかりと折り合いをつけなければならならなかった。
悲しさと寂しさ。心にぽっかりと空いてしまった穴。その穴は朝、目が覚めてから夜眠るまで、通勤電車の車内でもオフィスで仕事をしているときも、食事をしているときも胸の中にあり続け、なにをしてもなにを見ても涙ぐんでしまう。悲しみ一色の世界で、道を見いだすことは容易ではない。自分の人生からこの悲しみの色がすっかり消えてしまうこととはないのかもしれないと思っていた。
里衣は今夜2月10日の東北新幹線の夕方の便で岩手入りするつもりだった。ところが夕刻より早い時間にニュースは岩手県内の大雪のために東北新幹線は運休すると伝えていた。 里衣は大急ぎで旅行会社に勤めている友人へ、高速バスの空席を問い合わせた。満席になっていない便もあるという。高速バスは夜遅い時間に出発する便がほとんどだ。それでも里衣は天候が回復すれ交通の大動脈である新幹線などはまっ先に運行されるだろという期待はすてきれていなかった。だが盛岡以北へ向かうはやぶさ号の最終便が上野駅を出発するのは20時20分発だった。もう望み薄いことを察した。
いずれ京浜東北線ユーザーである里衣は会社の定時を過ぎた19時30分、自身のオフィスである上野の杜の近くにある出版社をあとにして上野駅へ向かった。
旅行会社の友人からは池袋が始発の高速バスの席が確保できたから経由地である大宮駅前から乗ってねという連絡が来た。高速バスは運行されるというが、そちらも降雪の状況次第では運休されるかもしれない。最悪の場合、翌日朝の新幹線に切り替えようかと思った里衣は岩手へ向かうつもりで用意していたキャリーバッグ転がしながらオフィスからいったん大宮のマンションへ帰ることにした。
里衣の旅の目的地は悠のふるさとだ。二戸駅でIGRいわて銀河鉄道という第三セクター方式の路線に乗りかえ二つ目の駅で降車し今度はバスに乗り換え奥羽山脈に分け入り、山並みに沿う麓の道を北へ向かった峯沢村という里だった。
本当は今日中に村に着いて明日の朝は、法事の支度の手伝いをするつもりだっだのだが。新幹線の運休でそれは叶わなくなった。
梨衣は大宮へ帰る途中、上野駅で東北新幹線の運行状況を改めて確認したが運休が続いている状況は変わっておらず、運行が再開される時間はもちろん見通しもわからないとのことだった。里衣は窓口に向かい新幹線のチケットを払い戻した。そしてそのあと高速バスが停車するという大宮へいったん帰ることにした。
旅行代理店の友人は里衣の旅の荷物は大宮のマンションにきっと置いているのだろう考えたらしく、わざわざ気を利かせくれて大宮から乗車できる高速バスを手配してくれたのだった。
里衣自身、岩手が大雪である情報を得たことで、時間が許すならいったんマンションへ戻り、今履いているブーツよりももっと降雪に強い防水タイプのブーツに履き替えようかな、とも思った。里衣のマンションは(そこは里衣とが悠と一緒に新婚家庭を築く予定だったマンションだ)大宮駅から徒歩で15分ほどだった。普段は上野駅から大宮駅まで、京浜東北線を使う里衣がこの日上野駅から宇都宮線=東北本線を使ってみようと思ったのはほんの気紛れだった。岩手へ続くレールの上を走る列車に乗ってみようと思ったのかもしれない。
里衣の乗った宇都宮行各駅停車の列車が大宮駅9番線に着いたとき、里衣は、ふと、ホームの電光掲示板を見上げた。そこには青森行きの夜行臨時列急行列車が運行されるという案内が表示されていた。
列車名は北斗51号という列車名であるらしかった。里衣の乗った列車が9番線に到着すると、隣の8番ホームには北斗51号の青色の客車がすでに停車していた。里衣はその列車名に旅愁を感じその列車で北へ向かう夜汽車の旅に魅かれた。でもバスのチケットも確保してある。梨衣は北斗51号に乗ってみたいと思った。
鉄道写真撮影が趣味のひとつだった里衣の父がブルートレインと呼んでいた寝台列車によく似た青色の客車列車。青い車両の横に横一文字にまっすぐ引かれた白色の帯が品のよさとスピード感を演出している。今目の前にある車両はところどころ少し色褪せていたり、車両の下部の方には汚れがあったりと古めかしい印象の車両だった。いつものように京浜東北線で帰ってきたら到着番線が違うからこの列車には気づかなかっただろう。
その列車内からホームへ降りてきた車掌をつかまえて運行時間を確認すると21時28分発だという。まだ1時間もあとの時間だ。車掌さんに二戸駅には停車するのかを確認した。二戸駅には明朝5時30分に到着するという。里衣はいったんマンションへ戻り、今履いているブーツを、もっと降雪に強そうな厚地タイプのブーツに履き替えようかなとも思ったが、面倒くさくなり、それは断念することにした
一方、高速バスの発車時間はバスの席をとってくれた旅行会社の友人からのLINEによると東北地方の大雪による遅延を見越していつもより早い時間に出発するという。バスの発車時刻は21時20分と列車とほぼ同じ時間だった。里衣は疲れてもいた。早く座席に座ってシートに身を委ねてしまいたいと思った。
バスにするか列車にするか。里衣は少し考えた。
夜汽車なんて乗ったことがない。今や全国津々浦々、各地の街々を網羅する高速バスは取材などでもよく使っている。里衣自身はバスのシートの方が列車のボックス席よりも個別感があり安心だと思った。乗りなれてもいた。そうして里衣は改札口を出て、大宮駅前に止まっていた盛岡駅前経由二戸駅前行きの高速バスに乗りこんで、席に着くなり眠ってしまった。
しばらくまどろんだあと、里衣はガタゴトという心地よいリズムの中で目を覚ました
あれ?私は確か高速バスに乗り込んだはずじゃなかったっけ。バスってガタンゴトン言う? いや違う。この音は夢の中のどこかとても深いところから湧き上がってきている。私は確かに大宮駅から高速バスに乗り込んだ。けれども夢の中の私は夜汽車に乗っているらしい。里衣はまどろみの中で現在の自分の状況を思い出しそうした。けれども、だんだんバスだったか列車だったかなんてどっちでもよくなって来た。今座っているシートの前の席の背もたれには北岩手交通バスという表示が見えた。私は高速バスに乗って北へ向かっていることは間違っていないという確信を得て里衣は再び目を閉じた。とにかく眠い。もう眠らせて。
里衣の夢の入り口付近では、数時間前の行動が映像となって浮かんで来ていた。
その映像の中で、里衣は大宮駅のホームで列車の車掌さんに客席は指定席よりも自由席が中心だときかされ、ならば早めに乗り込んで客席を確保しなくちゃと、思った。そうして里衣は車掌に乗車の意志を伝え、切符はいったん改札口を出て窓口で買わなければならないのかを問うたりもした。車掌は乗車のあとでも切符は購入できることを教えてくれた。同時に車掌さんは里衣に対して「お客様のご乗車のご意志承りました。当列車はお客様の大切な思いを運ばせていただきます、といった内容のことを小声でつぶやいた。その言葉には、何か深い意味が込められている気がしたけれど、そういうやりとりがあって、夢の中の里衣はなぜか急行北斗51号に飛び乗っていたらしい。
夢の中で夜汽車の旅をしている里衣の下車駅は二戸駅。
夢の中の里衣はスマホを取り出し瞬に電話をかけ、新幹線は止まったが臨時夜行急行列車が運行されるというのでそれで岩手へ向かいます。と改めて訪問の意志を伝えた。
瞬は里衣が兄である悠の嫁になること、つまり里衣が義姉になってくれるということをひどく喜んでいた。悠が里衣を初めて瞬に紹介したときから「兄貴、こんなステキな人をどうやって見つけたんだ」と、兄である悠に対して嫉妬の炎を燃え上がらせるような勢いでうらやんでいた。
瞬は里衣のことを一目で気に入った。瞬は今は、二戸市の北にある青森県八戸市内のIT関連会社へIGRいわて銀河鉄道で片道30分かけて通勤している。そのIT関連会社は東京に本社があるのだが、瞬は20代の若さで八戸支社長を任されている。峯沢村の自宅から最寄りの北金田一温泉駅までは自家用車での移動だという。岩手県人だから冬道の運転は慣れなれているさ、と瞬は語る。
現実に乗車している方のこの高速バスの車内アナウンスによると、二戸駅前到着予定時間は明朝7時00分だという。東北自動車道が降雪のため早めに都内を出発。ゆったりした運行予定で岩手到着時間にも余裕をもって運行計画が組まれているらしいと梨衣は思った。
現実にはバスに乗っている方の梨衣もまた、スマホを取り出し、LINEで瞬にバスの到着予定時間を伝えた。
瞬は到着予定時刻を確認したあと梨衣に対して明日の朝は7時に二戸駅前まで迎えに行くよと言ってくれた。朝が早いから北金田一駅から峯沢村へ向かうバスもまだ動いていないよ。だから二戸駅前まで迎えに行くよとの申し出だった。雪? もちろんたっぷり積もってるよ、村役場のあたりで1m以上積もっている。「義姉さん気を付けて来てね」と言ってくれたことも嬉しかった。兄である悠が亡くなったことでもう私は瞬の義姉になることはなくなってしまうのだけれど、そんなふうに言ってくれる瞬の言葉が嬉しかった。 末っ子で育ってきた里衣は年下の弟妹がほしいと思っていたから、瞬が、自分のことを慕うように話しかけてくれる「義姉さん」という言葉が、くすぐったく嬉しかった。 里衣は里衣で周囲をいつだって明るく照らすような陽気な性格の瞬が義弟になって家族になるのだということを楽しみにしていた。結婚って不思議だ。結婚した当人同士以外にも家族になる人がいるのだから。今となってはもう叶わないことなのだけれど・・・。
北金田一駅は峯沢村の入り口の駅だった。二戸駅まで迎えに行くという瞬の申し出は里衣にとってありがたいものだった。北金田一駅から宮澤家のある峯沢集落まで雪深い道をバスで向かうことは正直心理的な負担もあった。
夢の中の列車はゆっくりと大宮駅のホームから滑り出した。車内アナウンスがあった。
『のための『これから先の停車駅と到着時間を御案内致します。この列車は青森行き北斗51号です。21時28分予定通り大宮駅を発車いたしました。次は小山駅着22時05分、宇都宮駅着22時34分、西那須野着23時04分、黒磯駅着0時24分、郡山駅着01時29分、福島駅着2時03分、仙台駅着3時14分、一ノ関駅着2時50分、水沢駅着3時13分、北上3時26分、花巻3時47分、盛岡4時20分到着です・・・』と続き、二戸駅の到着時間もアナウンスされた。それによると5時30分だという。『私は、この列車の車掌を担当致します上野車掌区の星川です。終点の青森まで乗車致します』『東北本線は盛岡以北で、積雪が深くなっていますが、現在、除雪車が出動し、線路上の雪を排除しています。多少遅れることも予想されますが、ご了承ください』とも付け替えられた。途中の停車駅が多いことに里衣は結構こまめに停車する列車なのだなと知って少し驚いいた。こんな夜中でも途中駅で、乗り降りする人はいるのかしら?そう思って車内を見渡した。乗っている人は20人に満たないほどだった。どういうわけかお年寄り、それもひどく高齢そうなおばあちゃんが多かった。高齢のおばあちゃんと60代ぐらいの男性との二人連れという乗客が目立つ。
「この列車は特別なのよ」梨衣の隣りのボックス席に座った品のよさそうなおばあちゃん唐突に、梨衣に話しかけてきてくれた。この女性もかなりの高齢に見えた。夜行列車の旅なんてとても似合わないと思った。
「特別・・・ですか?」
「そう、毎年2月の雪夜にだけ開催される特別なお祭りへと連れて行ってくれる特別な列車なの。でもそのことを知っていて乗る人もいるけれど、とても大切な思いを、抱いた人だけが偶然乗ってしまう。そんな列車なのよ。会いたい人に会わせてくれる列車なのよ」
「とても大切な思いを、抱いた人が駅に来たからこの列車は編成されたのよ。大切な思いを、抱いた人というのはそれは私のこと。そして、きっとあなたもそうなのね。私はもう何度かこの列車に乗っているわ。たしか5年ぶりだわ。今夜私は会いたい人に会えるのよ」「だけどもう私は年をとりすぎたわ。もうきっと今年が最後かな
「おいくつでいらっしゃるのですか」里衣はつい訊いてしまった。
「えっ私の歳?いくつに見える? 80歳?まあいい線いってるわ実はね、もう97歳なのよ、昭和2年生まれなのよ。」
「会いたい人っていうのは、遠い昔1ヵ月間だけ私の夫だった人よ。」
おばあちゃんは初老の男性と、まだお若いご夫婦連れらしき二人組と、あたたかそうな真っ白なおくるみに包まれてお母さん腕の中すやすや眠っている赤ちゃんといっしょだった。どう見ても夜汽車の乗客として似つかわしくないおばあちゃんたち一行のことを、梨衣が不思議そうに見つめていると、その視線に気づいたおばあちゃんは自分たち家族連れのことを説明してくれた。「私の長男と孫夫婦よ。チビちゃんは昨年授かった初ひ孫よ。あの人にひ孫の顔を見せたくて、さっき夕食の時間だったけど大急ぎで大宮駅へ来なさいって集合をかけたの。私にはこの列車が運行されるという確信があったわ。長男は私といっしょになんどかこの列車に乗ったことがあったから、説明は不要だったけど孫夫婦には唐突過ぎたみたいね」
「でもばあちゃん。オレも女房もオヤジから何度か聞かされてことがあったからいつかは乗ってみたいって思っていたんだ。確かに急だったけど、今夜乗れることになってうれしいよ。明日は建国記念日で休日だしね。盛岡にある婆ちゃんの実家も訪ねてみようか。そうすれば大伯父さんに会うのも久しぶりだし」孫夫婦だと紹介された二人のうち旦那様らしい人がが、そう話す。
里衣にはおばあさんたちが言っていることの意味がよくわからなかった。大切な思いを抱いた人だけが乗れる列車? 確かに私は今、すごく大切な思いと気持ちを持って今北へ向かおうとしているわ。「――会いたい人に会わせてくれる特別な祭りって何のことかしら?わからないけど、おばあさんはもう何度もこの列車に乗っているって?
里衣は考え込んでしまった。ヘンな列車に乗ってしまったのかしら? 異世界のおかしな駅に連れて行かれてしまったとか、この世にはありそうにない駅へ連れて行かれた恐怖の終電車なんていうネットの恐い話は読んだことがあるけれど、まさかね?
そんなことを思い出したりもしたけれど、列車の中はあたたかく明るく嫌な気持ちを抱かせるような要素も気配も何もなかった。もちろんおばあさん一行が実は異界の住人だ、なんてことも思えなかった。
里衣が見ている夢の中を、北へ向かって走る夜汽車は、ゴトンゴトンという心地よい音を響かせ、里衣はその音とリズムに気持ちがほぐされ胸の中を移ろい流れていく風景にあたたかい色が浮かびはじめていることに気付いた。
窓の外を流れていくのは踏切の点滅や街灯ばかりだったが時折、雪面にぽつりと点った家の灯りのあたたかさは早春に野に雪を割って咲いた福寿草のようにも見えた。雪に映える暖色の光は春から夏へと路傍に咲き代わるスイセンやタンポポやキンポウゲといった明色の花を想像させたりした。少し遠くの方に固まって咲いている家々の灯りはミモザの花かな?なんて、夜の電車なんて毎日乗っているのに車窓の光を花になぞらえるなんてこれまで一度もなかった。
そんなことができてしまうのは、今いる場所が。雪景色の中を走る夜汽車の車内といういつもと全く違う空間にいるからなんだろうか。
午前2時、里衣が乗っている高速バスはサービスエリアに着いて減速した。その気配を感じて里衣は目を覚ました。現実の里衣は高速バスの車中の人だったが夢の中では里衣は夜汽車で旅をしていたらしい
。高速バスは今は福島県と宮城県の県境にあるサービスエリアに停車するところだった。カーテンを少しだけ開けて見た窓の外は雪が降っていた。ここは、まだ、東北南部だけに積雪は多くなかった。降る雪が、自分の東北入りを喜んで迎えてくれているように感じた。
このサービスエリアで、ここまで運転していた運転手さんは、それまで仮眠していたもう一人の運転手さんとここで交代するらしかった。積雪は多くないとはいえ、厳冬期の高速道路を運転手さんもハンドル操作に気を遣って疲れるだろう。
里衣は短い覚醒のあと再び眠りに落ちた。列車に乗って移動しているという夢の続きがすぐ始まった。列車はどこか小さな駅を通過して、街のはずれの住宅街っぽい場所を過ぎようとしていた。宮澤賢治が描いた銀河鉄道のレールの横には蒼い光を灯したリンドウがたくさん咲いていて、ジョバンニはその花色に心惹かれて、カンパネルラに向かって「ねえ僕、飛び降りて摘んでこようか」なんて言ったりもしていた。
里衣もまた、車窓を流れる街の灯火が雪面に咲いた福寿草やタンポポの花色のようだと感じ揺らめきながら過ぎて行く光に、気持ちがあたためられていた。
里衣が乗った夢の中の夜汽車は、新しい朝を目指して、旅という時間を運んで闇の中を駆けていた。
一年前に行われた悠の葬儀のとき悠の菩提寺の和尚さんは、アメリカの劇作家が残した有名な言葉ですが、と前置きして「死者への最高の手向けは悲しみではなく感謝です」という言葉を紹介してくれた。夜汽車の窓外に揺れる光を花になぞらえ想像しているうちに梨衣は、明日は悠に手向ける花束を買わなくては、ということを思い出していた。同時に、それに添えるカードには「感謝」という言葉を書かなくちゃ、とまどろみながら一人思っていた。
感謝とは祝福をも意味する。『確かな思い出としての残っている二人の時間を抱きしめあう。それが感謝でありいっしょに過ごした時間や、想いを祝い合うこと』でもある。
誰かが亡くなったときは、祝うなんていう言葉は普通、誰の口からも出てこない。祝うというのはもちろんん亡くなったことや死んだことを祝うのではないし、苦しみ多い現世から旅立ったことを祝おうとのでもない。
でも里衣は、悠は亡くなってしまったけれども、悠の人生は祝福されるべきだと思い始めていた。フォトグラファーだった悠はいつだって、美しい瞬間を大切にしていた。だからこそ悠と共有した美しい思い出を今一度、抱きしめて、二人の時間があったことに感謝すると同時に、何より彼の人生が確かに私や友人たちや家族とともに、この世にあったのだということを祝福したい。
里衣は悠のどんなところが大好きだったのかを出会いのころまで逆戻って改めて、思い出していた。
普段の暮らしの中でふと思い出すエピソードとは違って、自分が彼の大好きだったところという条件を付けて改めて思い出そうとすることは、あんがいたいへんなことだと感じた。それをいちいち言葉にしようと考えたかもしれない。大好きだった悠は心の中にたくさんいるはずなのに。。。
初めて会ったとき悠は、私の言葉遣いがきれいだと言ってくれた。私は言葉遣いというものが対人接触の基本と考え、普段から気を付けていた。この人は私の内面の部分を感じてくれたと思えてうれしかった。初対面だったけれど彼の存在感が一気に大きく膨らんだ。
あるときは、仕事上のことでちょっと落ち込んでたときは、面白い話をしてくれた。二人で大笑いできたことで半年分ぐらい溜まっていた疲れが吹き飛んで元気が出た
編集部のオフィスにひとり残って企画書づくりをしていたらまだ仕事してるのっ?て遅い時間まで会社にいるのが心配だって連絡をくれたっけ。
お台場の海浜公園でデートしたとき、お互いに無言でも居心地がいいね~ って言い合いながら、ただ隣にお前がいるだけで居心地のいい空間になるんだよねって言ってくれたこと忘れられない。
そのあとベンチに座っていたとき悠は、肩にもたれかかって来て「里衣といっしょだとなんだか眠くなるって言ってくれたのって、「あたしといっしょだと気持ちが安らぐいうことだよね」
いつだったか、ちょっと言い合いの喧嘩っぽくなった時もあったね。でもお互いひとしきり言ったかなっていうとこで「これで終わりにしよう」って話をまとめてくれて、上手に許してくれたの、カッコよかった。
一緒に居るときに、なんとなくちょっと言ってみたかっただけなんて言いながらあたしの名前を呼んでくれたり、好きだよって言ってくれたりもした。そういうことを言葉に出してくれるのはすごく嬉しかった。私は照れくさくてなにも言わなかったけれど。
「里衣、お前ってすぐしがみついたり抱き着いてきたり、背中を叩いて来たりするよね」って言いながらも、悠は嬉しそうだったよね。
あたしは、満員電車で悠にしがみつくのが大好きだった。
悠の身長は175㎝だったけど、それ以上に、なんとなく大きさを感じさせてくれて安心感があった。
都内に珍しく雪が降った日には、手を繋いで歩いてくれた。濡れた舗道で足を滑らせて転びそうになったときは、次の瞬間、とっさに、悠の腕が里衣の背後にまで伸びてきて真正面から腕を回して抱きしめるように支えてくれた。
そうやって悠の好きだったところや嬉しかったことを思い出しながら、里衣の目には涙があふれてきた。
思い出を抱きしめようとするほど「会いたい」「悠を抱きしめたい」「抱きしめられたい」という気持ちが大きくなっていった。
男性の多くは女性のことを「抱きたい」と思うのかもかもしれない。悠にも抱かれたことは、あるけれど、悠は「抱きしめたいんだ」と言っていつも私を包むようにやさしく抱きしめて頭をなでて、髪の毛や首筋にもそっとベーゼしてくれたくれた。
それが私にとっては一番心地よくて安心できる時間だった。抱きしめられながら、私もきっと悠の気持ちぐるみ彼のことを抱きしめていたのだと思う。悠は「抱きたくなるような女性がいる、っていう言い方は、性的に抱きたいと思うだけだろう。抱きしめたいし、男だって同時に抱きしめられたいと思う。そんなふうに思える女性は里衣だけなんだ」
なんて言っていたこともあったけれど、よくよく思い返してみれば、それって好きですという告白の、究極の言葉じゃない?
うれしかったり楽しかった思い出には感謝もだけど祝福も与えたい。一つひとつを思い出して抱きしめよう。里衣はそう考え、それが故人への感謝と供養と、故人と共有できた時間への感謝と、二人の間に確かにあった楽しかった時間のへの祝福になるだろうと思った。
いまは亡き人となってしまった悠。けれども里衣は、恋人同士であった二人の間には共に喜びも悲しみわかちあったという人生の豊かだった時間や瞬間が消えることなく確かな思い出のあたたかな光として、心の中に灯されていることを確かめていた。誰かを好きだと思う瞬間は心の中に永久に残る。今はまだ私の悲しみは癒しきれず色濃く残っているけれど、彼のやさしさや大好きだったところを何度でも思い出し、濃密で幸せだった時間を、今一度手ごたえがあったものとして思い浮かべ抱きしめるべきなのだ。抱きしめるということは、祝うことであり、悠に伝えるべき感謝なのだ。
悠のやさしささを思い出しながら、幸せをもう一度共有し、感謝する。
大切だった人がいつまでも見守ってくれている、と信じながら何度でも感謝し二人の時間を思い出して抱きしめよう。感謝を伝えられたなら、希望を抱いて未来を目指すたくましさ(強さ)が、必ず自分の足元から立ち昇って来て全身を包んでくれるはずだ。それが里衣自身が、今はまだ、想い描きかねている未来への道を歩み始める力になるだろう。
別れと喪失はあまりにも突然だった。受け入れがたい現実との折り合いを里衣は仕事の忙しさにかこつけてどこかで逃げていた。その悲しみを真正面から受け止めてこなかった。けれども、どこかで決着というのか折り合いなのか、ともあれ一区切りを付けなければいけないということは分かっていたし、悠がいなくなってからずっと思い続けていたことだ。
波のように何度も押し寄せてくる痛いほどの胸の苦しみ。「あなたがいない世界で、私は、途方に暮れている。これから私はどう生きていけばいいの?」その一区切りきかっけを得ようと里衣は、悠の故郷で行われる彼の一周忌法要への参列と実家訪問することにしたのだった。
里衣はやがて悠が東京を引き払い岩手へ帰るつもりだということを、本人から聞かされていた。そのときは妻となる里衣もいっしょに岩手へ行くことになるはずだった。里衣はそのことを悠から聞かされ、そのうえでプロポーズを受け入れた。だからいずれは岩北手の奥羽山脈のふもとの村に暮らすことになるであることは、織り込み済みだった。
初めて悠の故郷を訪ねたとき、里衣はここで、イヌやネコ ヤギやウサギなども飼って子どもをのびのびと育てられそうだ・・・なんてのどか過ぎることを思ったりもした。東京の友人たちは田舎暮らしは、たいへんよ、日用品や食料品が買える大きなお店はあるの? などと余計な心配する向きも少なくなかった。都会暮らしの便利さと膨大な物量の中で暮らしている人にとっては、選択肢が狭められと感じるだろうし、不安なのだろう。不安というか、きっとそれは寂しさなんだろう。
悠の実家には機織り機もあった。古着を裂いて新しい布を織りあげる「裂き織り」は悠の母・由里子の特技でもあった。里衣もその技術を習得し、できれば地域で地域の子どもたちとも共有できたらきっと楽しいだろう、なんて想像していた。田舎暮らしは寂しいんだろう、なんて想像は一度もしなかった。何よりも私が愛し信じた悠が人生のパートナーなのだから。いっしょになにかをつくっていけたら、それは楽しい時間になるのだという想いはいつも思っていたし、胸の中で、どんどん大きく膨らんでいた。
何に価値を置くかで人生は、暮らしは、まるで違うものになる。初めて峯沢村村を訪問したのはときは春だった、悠は里衣を、カタクリの森の散策に誘った。小川が流れる桜の木々の足元にカタクリの花たちが淡紅紫色の花びらを、羽のように広げていた。飛び立とうする小さな妖精たちのような姿のようだと想像して、里衣は子どもっぽいことを思える自分がおかしかった。いっしょに咲いていた真っ白なニリンソウの花たちとパレードを共演しているかような、春の林間の風景に心奪われた。
この花畑はかつて悠がフォトグラファーとして最初の写真集を刊行したとき、その撮影地として彼が選んだ場所であり、その写真集を見た里衣が悠に撮影をオファーしたことで、里衣と悠は出会ったのだった。真冬の峯沢村を初めてたずねたときも、村の西に連なる真っ白な山なみが星明りに照らし出された風景は特に里衣の心をとらえて離さなかった。
里衣自身も南信伊那谷の小さな集落の静かな環境の中で育ってきた娘だった。田舎暮らしの少しの不便さなんて、実は心地よい不便さなのだということも知っていたし、都会暮らしの、ときに過剰とも思えるほどの便利さも知っている。里衣は悠と共に生きていく峯沢村での暮らしを楽しみにしていた。それゆえに峯沢村との縁や瞬、篤、由里子との交誼までもが切れてしまうことは寂しかった。
悠はいなくなってしまったけれど峯沢村に住むという二拠点生活というのは、それはそれで選択肢かもしれないとも考えてみた。里衣が務めている編集者という仕事は、リモートワークで進めることちょっと難しいとは思うけれど、悠のように撮影と執筆を同時にこなす例えば、カメライターとして、地方の情報を取材し発信するという仕事はがんばりようでは、ありうるかもしれない。
現に梨衣は東京の編集部に勤めながら地方在住で活躍している何人かのカメライターとの仕事のお付き合いをしているではないか。原稿テキストはもちろん写真撮影データも瞬時に送れるなんてよくよくよく考えたらなんてすごい時代なんだろう。
編集という仕事は大好きだった。里衣は子どものころから本好きだった。活字の周辺にいられる、ということが、梨衣が編集者になったいちばんの理由だった。編集者になったからこそ悠というフォトグラファーにも会えたのだった。時代はまたどんどん変わっている。二拠点生活というスタイルも現実の選択肢としてありうるかもしれない。コロナウイルが流行したことは災禍だったけれども、その一方でリモートワークやZOOMという通信の手段や方法が定着し、必ずしもオフィスという場で働くばかりが勤務ではなくなった。ダブルワークダブルライフ(二か所に住んで二つ以上の仕事に就く)なんていう人もいる珍しくなくなってきている。今や、人々のくらしのスタイルも大きく変わってしまっている。
なんなら里衣は、博物館学芸員の資格も持っていた。いくつかの大規模縄文遺跡などを擁する二戸市や峯沢村などとその周辺市町村は、共同で歴史と民俗をテーマにした県立の博物館を誘致したいという計画もあるということを瞬に聞かされたここともあった。もしもそこで働けたなら、自分一人だけの峯沢村への移住も叶うかもしれない。悠はもういなくなってしまったけれど、大好きになった北岩手の風にくるまれて暮らすことは魅力的だと感じていた。
東北地方が本当に東北らしい表情を見せてくれるのは盛岡以北なのさ、と、あるとき悠は誇らしげに語っていたこともあった。フォトグラファー悠が二冊目に刊行した写真集は二戸市街地の東側に峩々とそびえる折爪岳という山の森に棲むヒメボタルの群舞を撮影した写真集だった。
悠は自分の故郷が大好きだった。いつか故郷のためになることがしたいというのが悠の希望だった。
列車の中の里衣は揺れが心地よく、しばらくは車窓を流れていく町の灯などを眺めていたが郡山駅を過ぎたあたりで再び眠ってしまった。ふと目を覚ますと、時刻は朝の4時を過ぎていた。盛岡駅さえももう過ぎていた。里衣はだいぶぐっすりと眠っていたらしい。列車が構内に灯もない小さな駅に停車した。すると、お客様にお知らせいたしますという車掌のアナウンスが聞こえて来た。
「本日、岩手県内大雪の影響で線路上の除雪作業が遅れております。当列車はただ今一戸駅の手前を走行中でしたが、これより先にあります十三峰峠という場所が急こう配になっておりまして、除雪作業が難航しております。除雪作業が終了いたしますまで本列車は当駅・北御堂駅で時間調整のため臨時停車いたします」
「この辺りは西岳と言う山があって冬になるとこの山から吹き下ろす北西風に雪に激しく混じり、それでなくても急こう配で古くから難所とされてきた十三峰峠付近のレールはすぐ雪に埋もれてしまうんだ」
「鉄道が敷設されるはるか前にも、ここで吹雪に巻かれて亡くなった女性が雪女になってよく旅人を迷わせていたという昔ばなしもあるんだ」と、以前、里衣は悠が自身の故郷を案内してくれ時に語ってくれた十三峰峠についてのエピソードを思い出した。
列車は北御堂駅に臨時停車した。車掌による車内放送によると運行再開時間は不明という。車掌からはもうひとつアナウンスがあった。なんでも今夜は、駅前の小丘山の上にある藤源神社という神社で「冬の七夕・北斗の雪灯篭祭り」というまつりが開催されていて、停車時間が長くなりそうなので祭り会場へ行きつぃかたは、駅の外へ出ていただくこともできますというガイドだった。飲食店の出店もあるという。通常であれば臨時停車した駅で途中下車することなどは、認められない。だけどもこの列車の車掌さんのアナウンスはまるで当列車は祭りのために停車しました、ぜひ会場へお出かけくださいと言わんばかりに祭り会場がある駅に着いたということ強調するような感じで、途中下車をむしろ積極的に勧めるようなニュアンスさえ感じさせた。除雪作業が終了して運行を再開する時は発車10分前に長めの汽笛を鳴らすという。時計を見ると午前5時の少し前だった。この列車の二戸駅到着予定時間は午前5時31分だったはずだ。窓の外はまだまだ真っ暗だったが東北地方の夜明けは早いはずだ、と考え、目的駅が近いこと、朝日が昇ってくるまで、もうあまり遠くない時間だと里衣は思った。 そろそろ夜の闇が融け始めるころだという妙な安心感もあって、里衣は列車を降りて祭り会場へ向かってみるにした。このお祭りと、ここへ連れて来てくれたこの列車が、大宮駅でおばあちゃんが言っていた「毎年2月の雪夜にだけ開催される特別なお祭り」なのだろうか。すると、この駅へ到着したこの列車は、臨時停車などではなく、初めから、このお祭りへ連れて行ってくれるための特別な列車だったのかしら?
大宮駅で梨衣に話しかけてきた、その高齢のおばあちゃんもコートの上から、さらに真っ赤なストールを肩にまとい、息子さんやお孫さん夫婦といっしょに列車を降りて行った。
里衣は「冬の七夕・北斗の雪灯篭祭り」というロマンチックな祭りの名前に魅かれ会場へ行ってみることにした。改札口で臨時の駅員役となった車掌から、切符にスタンプもらって改札をくぐった。
小さな地方駅の雪の夜だったが、祭りが行われているからか駅前の道は、街灯がこの時価にも灯されて、誰かが歩いたあとも、雪の上にたくさんあった。
この祭りは大平洋戦争戦争末期。この地域から招集徴兵された人たちが中心となって編成された部隊が東南アジアの密林で遂行された無謀な作戦のせいで渇きと飢えの中、全滅したという悲惨な出来事を忘れないためために、そして炎暑の森で渇いて飢えて死んでいった人たちの思い――、亡くなった人たちはみんなはきっと故郷の雪原や、オリオンや北斗七星が東から昇って来る、澄み渡った冬空が恋しかったに違いな――そう考えたこの地域の人たちが、雪の夜の神社境内に、美しくも幽玄な雪灯篭の灯と祭りの庭を設えて、亡くなった人たちの思いや魂を迎え、彼らの魂に、雪の夜に、美しく揺れるの灯火を見せてあげたい、慰めたい、とおもって始めれられたお祭りなのだという。冬の夜の、小さな地域の祭りであるためか、観覧者は多くなさそうだったったが、祭りの由来をおしえてくれた出店のおじさんによると、会いたい人のことを強く想う人々の願いと、大雪のあとの清澄な星夜が重なったとときにだけ、叶えられる特別なお祭りなのだよと、車内で会ったおばあさんと同様のことを言う。日にちが決められているお祭ではなく、人々の大切な思いと雪と星の光が重なったときにだけ成立するのだという。だから列車は臨時運行なのであり、北御堂駅停車は実は「予定されていた臨時停車」なのだろうか。たまたまそんな人になった今夜、未明のころからどこからともなく灯火たちが集まって来て会場の雪が踏み固められて、気づけば小さいながらも雪灯篭がたくさん並び始めて行くのだという。
思いと雪と星の光が重なったときが叶ったときだけのに開場するこの祭りのことを知る人は少ないが、知る人たちの間では祭りが行われることを察したり予感することもできるのだという。開催の日にはほくと51号のような、臨時列車も運行され、その列車に乗って何年も何回もやってくる人もいるという。まさに戦地で亡くなった人の奥さんなどは、今日は冬の七夕というあのお祭りが行われそうだということを誰かに知らされたかのように駅へ向かう。するとホームには不思議な夜汽車が待っているのだという――雪の予報と、そのあとの雪晴れを予想できた(感じられた)人だけが臨時運行をも、知ることが(感じる)ことができて、大急ぎで旅支度を済ませ、家を飛び出したりするのだという。この祭りの庭で会うことができるのは、必ずしもこの地方に所縁がある人たちだけに限られるのではなく、大切な人を亡くしてしまい、その人にどうしても伝えたかった思いや言葉を持っている人ならば誰でもこの場に来ることができるという。そんな不思議なことが21世紀のこの世に起こるものかしら?と思う里衣自身が今、現に岩手へやって来て、その不思議な祭りの会場にいるではないか。「この時代に夜汽車なんて珍しいものね」と、里衣の背後から声がして振り向くと列車でいっしょっだったあのおばあちゃんが立っていた。里衣は夜汽車というものが、とっくの昔に廃止されていたということも、今初めて知った。私たちは、たまたま大宮駅からからご一緒してきたけれど、あの列車の本当の始発駅は誰も知らないのよ。
日本の、どの駅のホームで、あの列車に出会えるもわからない。祭りに参加することは誰にでもできるけれど、ここまでたどりつける人は限られているわ。
あの不思議な夜汽車はこの地方の降雪とその後雪晴れの空が現れるという見通しが重なってそして何よりも会いたいと誰かを想う人たちの願いが天に届いたときにだけ運行されることが決まるのだと言われているわ。ピーという機関車の汽笛の音に誘われて列車の飛び乗る人もいるという。と、おばあちゃんが物語ってくれた。お祭り会場の前に私は現に立っている。説明をきかされれば今夜の出来事は「物語」として一定のつじつまが合っていることと分かった。
でも、こんなこともあるのだな・・・とは思えても、飲みこむことはすぐにはできなかった。成立してしまっている物語世界に私は迷い込んでしまったのかな?それなら、抗うよりもその時間の中に身を委ねてしまうというのもひとつだと思った。ここは、うさぎに連れられてきた世界でもないし、ハートの女王様と王さまが玉座に座った法廷に引きだされることもなさそうだし、森の中で山猫が経営する「山猫軒」という名のレストランに迷い込んで顔や手にクリームを塗れと、多くのしつこい注文を言われることもなさそうだ。
こんな祭りがあったのか。思えばここは、詩人で童話作家だった宮澤賢治が。林や野はらや鉄道線路やらで虹や月あかりがからお話しを語って聞かられせたという岩手の大地なのだ。二戸市には座敷わらし棲むという温泉旅館もあったはずだ。岩手はカッパや雪女や天狗たちなど、異界の住民たちの息遣いが今なお暮らしの傍らに感じられるといった不思議憚がいっぱいの国でもある。悠の生まれた場所でなら何が起きても驚きはしない。私は今、雪の夜いくつかの偶然が重ならなければ成立しないという祭りの会場にいることができている。ひとつだけ必然だったのは列車が臨時停車するということだけだった。臨時停車することが出発前からの運行計画上の必然だったというはおかしな話だけれど。北都51号は出発前の予定通り、臨時停車したようである。
駅前の道には雪が降り積もってはいたが、降雪はもう止んでいて、バケツに雪を入れてひっくり返してつくった小さなかまくらにロウソクを灯した、かわいらしい雪燈篭が神社へと続く道をぼんやりと照らし出す。
光に照らし出された白い道は、まるで天の川のようだと里衣は思った。頭上にはオリオンのほか春の星座の代表格・北斗七星が高く歌っていた。
「冬の七夕・北斗の雪灯篭祭り」。亡くなった人を弔うと同時に自分が今生きていることに感謝を捧げる。南方で戦死した兵士たちの魂を慰める祭り。この祭りがはじまったのは昭和20年代の終わりごろだという。
祭りが行われたことで、亡くなった兵隊さんたちの多くはこの岩手の県土のてっぺんにあるこの里へ帰って来たと信じられてている。だが、戦後80年が過ぎた今でも、土地の人たちは、これまで帰ってこられないで、まだ南の島に取り残されている魂たちも、無窮の標・天空の羅針盤・北斗七星の針に導かれて、この岩手の県土のてっぺんの里へ帰って来るだろうと語る。戦死した人たちは北斗七星も見られなかったかもしれない。美しい北の冬空の下に、魂や思いたちは帰って来ただろうか。二月中旬の夜明けの空に北斗の針はマレー半島やフィリピンがある南の空を指して高く輝いていた。
風が止んだのに、雪燈篭のロウソクの灯火たちの揺らめきが大きく広がって見えた。冬の七夕ではササの葉に短冊を吊るして飾るのではなく、紙風船に吊るして空へ放つのだという。里衣は小屋掛けされた祈祷所へ行き短冊を購入し、一年間誰にも吐き出すことがなかった「悠の笑顔にもう一度会いたい」というシンプルな思いを墨で綴った。風船は下部に取り付けられたられたアルコールをひたしたタンポと呼ばれる綿に火がつけられると、冊を吊るした風船はゆっくりと、北斗七星が輝く2月早朝のまだ暗い星空へゆっくりと浮かび上って行った。
奇跡が起きる雪夜の火祭りでもあった。里衣が、もう一度飛ばせた紙風船を見ようと空を探し始めたとき、兵士たちの魂に連れられていっしょに帰って来たのだろうか、マレー半島を襲った大津波で亡くなった里衣の婚約者であるカメラマン・宮澤悠が、里衣の目の前に今、里衣がもう一度会いたかった笑顔を、浮かべて立っていた。
夜汽車でいっしょだったおばあちゃんも、若い男性と仲睦まじく見つめ合っていた。出征前、1カ月だけご夫婦だという旦那様なのだろう。おばあちゃんのお連れさんである息子さんは、その1ヵ月の結婚生活の中結ばれて生まれたということになるのだろう。息子さんは見た目は自分よりはるかに若い男性に「父さん」と話しかけている今宵、。会場に集った多くの若い男性たちの人影は、やはり魂ということになるのだろうか。どこかぼんやりとにじんで透き通った影のように見える人も多かった。
そんな若い男性たちは軍服姿ばかりだった。里衣には軍服についての知識はなかったが熱帯のジャングルで行動していた兵士たち皆長袖シャツ姿ではあったが、北岩手のこんなに冷たい夜ではそんな薄い生地の長そでシャツじゃあ寒いだろうな、なんて思ったりもした。目に前に立っている悠はTシャツ姿だった。2月の雪景色の中で悠のTシャツ姿は異質過ぎる。もっともそんなことを気にしている人なんて誰もいないようだったけれど。
里衣は、自分が首に巻いていたとマフラーを悠の首に巻いてやった。こんなに奇妙なことが起きているのに自分はどうしてこんなに冷静に受け止められているのだろう。
悠も、それをじっとして受け入れてくれた。里衣は悠にたくさんの感謝を伝え、ともに過ごした時間があったことをいっしょに語り合い、私たち二人が出会ったという事実と手ごたえをいっしょに想いあって、私たちの間にあった時間を、祝い合いたいと思ったのだけれど、ずっと考え続けてきた言葉が出てこない。
いざこうして、本当に悠が目に前に現れると言葉が出てこない。発する言葉がなんだか言いつくろいのようになりそうだと思った。「ありがとう」も「ごめんなさい」も、いつも言葉を大事にしてきた二人だったが、言葉がいらない瞬問というものも、愛し合う男女の間には訪れるものだ。その瞬間が今、夜明け間近の空気の中で凍り付いてしまっていた。最初に言葉を放ったのは悠の方だった。
「里衣ありがとう。生前の僕は君に会えたからこそ、僕の人生は喜びと感謝にあふれていった。本当ならそれこそ気が遠くなるほど長い時間を夫婦としていっしょに過ごしていくはずだったんだけれどね」。そう語るセロのようなやさしい声は、まごうことのない悠の声だった。
里衣は両方の手のひらで悠のほほに触れてみた。
感触があった。あたたかいという感覚もあった。
会場のそこかしこで老婦人と戦士姿の青年が互いの手を取りながら見つめ合っている。戦前はご夫婦だったのか恋人同士だったのか。
里衣は悠のほほから手を離した。そうして悠の首に飛び付いて腕を回し悠の頬に自分の頬を寄せて、悠の耳元でやっと言葉をつぶやいた。
「悠、私の方こそありがとう。あなたといっしょに過ごせた時間は幸せだったわ」
そして里衣は自分の唇を悠の唇に重ねた。
「唇で触れる唇ほどやさしいものはない」と言ったのは悠が亡くなったマレー半島やインドネシアを放浪した詩人・金子光春だったか。梨衣がそんな詩編の一節を思い出したのは。梨衣の唇に触れた悠の唇が確かにやさしく温かかだったからだ。
「日本へ帰りたい、とずっと願い思いつ続けていたんだ。昨夜、密林の上の山に登ったと、き、北斗七星の柄の部分らしい星の並びが見えたんだ。
それだけじゃ北斗七星かどうかは自信が持てなかったけどそこから柄の部分のカーブに沿って南たどったら明るい星があった。うしかい座のアークトゥルスがあってそこからに南にはおとめ座のスピカも見えた。じゃあやっぱりあれが北斗の針なんだなと確信して、その北斗七星の尾っぽをしばらく見ていたら、オレを呼ぶ里衣の思いが、北斗七星の方からオレの方へ流れ込んでくるのを感じたんだ」
「そして同時に自分の周囲がざわめき始めるのも感じた。誰かの帰ろう、帰りたいという願いや思いが周囲にあふれて出てくるのを感じた」
「オレはそれらに連れられてきたんだ」
だからこういうお祭りがあってよかった。
人々が、お互いを想い合う力って、遥かな南の島と日本とをつなぐほどの強大なエネルギーすら帯びるんだなということを知った。
お前の想いが、僕がいた島にまで流れ込んでくるのを感じたんだ。
そして自分の思いも、お前に届いたんだな。呼び合ったから今夜こうして会うことができたんだ」
ふたりは拝殿の前につくられた、少し大きめの雪灯籠前に、雪をかためてその上に板を渡して設えられたベンチに腰を下ろして、身体を寄せて語り合った。
「やっと日本に帰って来られたんだ。もうマレーへは戻らない。戻る理由もない。
ここは帰ってきたかった場所なんだ。この神社は生まれ育った場所にも近い。
風になって空を吹き渡るのもいい。それがきっと俺にとっての冥福なんだ。死者の幸せを祈っておくれ。ずっとお前のそばにいるよ。
見守ることしかできないけれどね」悠が言った。
里衣もまた、悠の命日である今日2月11日宮澤家で行われる法要に合わせて悠とご両親と弟の瞬にきちんとお別れを告げて、自身も新しい道を歩き始めなければ思っているということを悠に伝えた。その新しい道というものがどんなふうなのかということは、里衣自身にも分からなかったっけれども。
「そのことだけど、里衣、お前、瞬のことはどう思ってる?あいつのこと嫌いか?」悠の唐突な質問だった。
「瞬がお前のことを好きだってことはお前だってうすうす気付いているだろう。
オレはお前の幸せも瞬の幸せもオヤジやおふくろのこれからの幸せも全部願っている。お前は峯沢村のことを気に入ってくれていた。オヤジとおふくろも里衣のことが大好きなんだ。元婚約者のオレが言うのは、おかしいことだし、こんな祭りの夜に言うのも、しかも自分の一周忌法要の日の明け方に言うなんてことも変かもしれない。だけど今だから伝えなければいけないとも思う。魂になったしまったオレから、生きている梨衣と言葉を伝えることができるのはこの「冬の七夕」の日だけなんだ。今、伝えられなければ、次は一年後とか数年後だ。雪晴れの夜が毎年巡ってくるとは限らない。この祭りが成るには、雪や時やいろんな人たちの思いが重ならなければこの祭りが成ることは叶わない。また妙なウイルスなんか流行したら誰も外出できなったりする。なあ里衣どうだろう。瞬の気持ちを受け止められるか、考えてみてくれないか。この先お前が、知らない誰かにさらわれるぐらいなら、瞬と結ばれてほしい」
里衣は黙って聞いていたが、悠が言う通り瞬が私のことを好きらしいということには正直うすうすは気づいていた。
今、里衣のあたまの中にはいろんな思いが一気に同時に駆け巡っていた。私だって、悠がいなくってからのこの一年、陰に陽に自分をいちばん励ましてくれた瞬くんに心惹かれていったということは正直な感情だった。
だからと言ってそんなことを例えば私の東京の友人の前でだって、口にしたことはなかった。瞬は里衣のひとつ年下に当たる。瞬くんと創って行く北岩手峯沢村での暮らし――。でも亡くなった婚約者の弟と結婚するなんて、村の人たちはどう思うだろう、なんてことにも思いがめぐり、里衣の頭の中は一気にbusyだ。
里衣が悠への返事に困っていると遠くから機関車が鳴らした「ピー」という警笛が聞こえてきた。除雪待ちをしていた夜汽車北斗51号の運転が再開されるらしかった。
「ごめんなさい。もう行かなくちゃいけない時間だわ」もうお別れに時間なのかという気持ちの一方で、上手な返事を考えあぐねていた里衣にとって、汽笛に少し助けられたという気持ちもあった。
「瞬くんとのことは、お互いの気持ちで収まるところへ、きっと収まっていくわ。きっとあなたが望むようなところへ落ち着いていく予感がするわ」
真正面からの返事ではなかったけれどいま伝えられる精一杯前向きの答えだと思った。
今日の祭りはいくつもの偶然が重なってこうしてここに来られたけれど、来年や再来年また来られるかどうかはわからない。
「死者と生者が言葉を交わせられるのはこの冬の七夕の祭り会場でだけだけれど。通常、送る側(生者)は別れの言葉を告げられるけれど、見送られる側(死者)は言葉を発することもできないまま旅立って行くんだ。たくさん伝えたいのは亡くなる側も同じなのに。今日は里衣に伝えたかったことを伝えられた。だからこの祭りは奇跡の祭りなのさ。こんなお祭りがあってよかった」
けれども、と、悠は言う
「けれども本当は奇跡は、何度も起こってはいけないし起こしてもいけない。もう違う世界の住民となった亡くなった人と何度も会うという奇跡を繰り返すことは自分自身をすり減らすことにもなる。奇跡は何度も起こってはいけないし起こしてもいけない」
確かにそうかもしれない。死者にいつでも会えるなんていうことはあってはいけないことだと思う。黄泉の国へイザナミを訪ねたイザナギの逸話も、結局は、別れのサッドエンドを迎える。イザナミに「見ないで」と言われたイザナミの変わり果てた姿を見たイザナギは逃げ出してしまう。
世界には人が踏みこんではいけない場所や領域というものがある。それは死者と生者のあいだにばかりでなく、日常の暮らしと自然界との間にもある。先人はそれをタブ―(禁忌)という言葉で伝え合い共有してきた。それでもなお、会いたい人ともう一度会いたいというと願う気持ちを人は自然に抱き、強い想いは時にはこんな祭りのような奇跡を起こすのかもしれない。
北御堂駅では乗客たちも続々と車内に帰って来ていた。大宮からいっしょだったおばあちゃんは息子さんに肩を抱かれて小さく震えている。さすがに夜明けの風は97歳だと言っていたおばあちゃんには、堪える冷たさだったろう。さっきは兵士姿の男性と見つめ合っていたから、会いたいと願っていた元旦那さまとはきっと会えたのだろう。でもなんだか元気がないのは、悠が言うみたいに何度も奇跡を繰り返してきたからなのだろうか?
息子さんは落ち着いた様子だったけれど、お孫さんご夫妻は戸惑いの表情だった。無理もない、たった今、いわば幽霊に会って来たのだから。ひ孫ちゃんはすやすやと眠っているようようだった。もしも来年、おばあちゃんが来られなくても、息子さんやお孫さん夫妻は、雪晴れの北星51号の運行を予感できたり感じたりできたなら、このご遺族たちは、また奇跡に出会えるのかもしれない。それは私も同じなのだけれど。来年のことは来年の偶然に任せよう。
列車は短い汽笛を北御堂駅に残してゆっくりとホームを離れた。時刻はもう二戸駅到着予定時刻だった5時31分を過ぎていた。窓の外には夜明けの兆しも現れ初めていた。空高いところに浮かんだ雲には朝日が投げかけられて赤い光がににじみ始めていた。
改めて車掌からアナウンスがあった。この列車はおおむね90分の遅れで運行されているという。お急ぎのところご迷惑をおかけしておりますという定型文のようなひと言のあと停車駅と到着時間を伝えるアナウンスがあった。次は二戸駅に止まります。到着時刻は6時50分の予定です――。
里衣は二戸駅前まで迎えに行くよと言って言ってくれていた瞬へ連絡しようとスマホを取り出して瞬に電話した。電話の向こうでは瞬がちょっとだけあわてていた「もしもし?続けて電話くれるなんてどうかしたの?えっ? 6時50分に列車が着く?つい3分前には、7時に二戸駅前に高速バスが着くからよろしくねって電話くれたじゃん。義姉さんバスでくるんだよね? 列車が到着するなんていうことは駅では、何も案内も放送もされてないよ。第一、夜行列車なんて昨夜運行されてた? 今の時代に夜行急行列車なんてないんじゃないかな?
里衣はバスの冷たい窓ガラスにオデコをくっつけながら、バスの中で見続けていた列車に乗っていた夢のあとをたどり始めていた。私の本体は大宮からずっとバスに乗っていたのに北御堂駅で列車を降りて藤源神社の祭り会場にいたのはなぜなんだろう。気持ちだけが夜汽車に揺られて運ばれてきたのかな。身体は高速バスの中で夢を見続けていたらしい。何しろ列車は特別な運行だったのだし、祭りは奇跡の祭りだったのだ、私がいくら詮索しても答えには至らないだろう。
私が夢の中で見ていた自分の姿は、生体から離脱した幽体か何かだったのかな? でも悠と交わした会話の内容も声も覚えているし、頬の抜くもしも悠の唇のやさしい感触だって残っている。でも、大宮駅で、あの列車に実際に乗っていたらどうなっていただろう。二戸駅に着く前に消えてしまう列車なんて、私は峯沢村にたどりつけないということになる。
なんて、そもそもどうしてあたしは大宮駅で列車に乗りたいと思ったのに、結局バスに乗ってしまったんだっけ?
今、列車の到着予定時刻の6時50分も過ぎた。二戸駅に列車が到着した気配も様子もなかった。列車が来ないのだから、乗降する人もいなさそうだった。役目を果たした列車はどこかへ消えてしまったのだろうか。乗っていた人たちも、もうそれぞれの夢の中で帰宅の途に就いたのだろうか。乗りたいと思って気持ちけが列車に乗り込んでしまったのかしら? 身体がバスで、気持ちは列車だったにのな? 実際には乗車できない列車に大宮駅で会ったのかかしら? あの時乗ってみたいと思ったけれど、実際には誰も乗車なんて、できなかったのかもしれない・・・。
本当、不思議な列車だったわ。列車内で会ったおばあちゃんのセリフを思い出した。「毎年2月の雪夜にだけ開催される特別なお祭りへと連れて行ってくれる特別な列車なの。でもそのことを知っていて乗る人は少ないわ、とても大切な思いを、抱いた人だけが偶然乗ってしまう。そんな列車なのよ。会いたい人に会わせてくれる列車なのよ」
「とても大切な思いを、抱いた人が駅に来たから列車は編成されたのよ」。
「大切な思いを抱いた人というのはそれは私のこと。そしてきっとあなたもそうなのね」――。
列車が運ぶのはその、それぞれの人が抱いている大切な思いだけなのかもしれない。思いだけを、あの、お祭会場まで連れて行ってくれる。あのおばあちゃんたちも、実際には自宅にいて、大切な思いだけを列車で北御堂駅まで運んでもらったのかもしれないし、本体はどこにいても、夢の中でなら会いたい人に会えるし、触れることもできるのかもしれない。夢の中の感触もリアルに残る。
いずれにしても、北斗51号は、あたしの夢の中を走った列車であり、雪晴れの明るい夜にだけに現れた不思議で特別な列車とお祭りだったのだ。
思いと雪晴れの夜が重ならないと、北斗51号は、誰の夢にも現れないし、祭りも成立しなのだろう。
来年もこの祭りが開催されたり、列車が運行されるかなんてわからない、大雪が降ってそのあと雪晴れの空に北斗の針が浮かぶかどうかも分からない。それに悠が言っていたように、違う世界に暮らすことになった亡くなった人と何度も会っちゃいけないのかもしれない。奇跡は何度も起こってはいけないし起こしてもいけない。本当はもう違う世界に暮らしている亡くなった人と会うという奇跡を繰り返すことは自分自身をすり減らすことにもなる。という悠の言葉にも妙なリアリティがあって、里衣は小さく身震いした。
大切な思いや感謝は一度だけ叶ったあの再会の時間の中にだけ凝縮させて、文字通り全身全霊で伝えるべきものなのだ、きっと。一期一会という言葉のように。
7時00分、高速バスが二戸駅前に横着した。バスのステップの下には降りてくる里衣を抱きしめようと待ち構えてかのような様子で瞬が立っている。
目線が合ってしまった。悠に言われたことはやっぱり意識してしまう。雪道に降りた瞬間、里衣は凍った舗装で足を滑らせてしまい、ステップに尻もちをつきそうになって転びかけたが、次の瞬間やや横のいてヘ移動していた瞬の腕が里衣の背後にまで伸びてきて、上半身に腕を回して抱きしめるように支えてくれた。その状態からへたに動こうとするとまた滑ってしまいそうだった。瞬は里衣をまっすぐに立たせようと両手で梨衣を抱きかかえようとしていた。里衣はその瞬の左腕をと腕組するように自分の右腕で抱きしめながら瞬の支えに身を委ねていた。「義姉さん、両足の裏に地球を感じながらまっすぐに立って」
やっと雪道の上にすっと立つことができたが里衣だったが抱きつき、包まれていた腕がなくなったことに心もとなさと寂しさ感じていた。
瞬はバスのトランクルームから取り出した里衣のキャリーバックを転がすのではなく抱き替えて歩き始めた。こっちこっちと案内されていった駐車場には瞬の4WDが停まっていた。とりあえず家へ行こう。おふくろが朝食を支度して待ってるって。義姉さんお腹空いてない? そういわれた思い出した。朝食どころか昨夜は晩ごはんも食べずに高速バスに乗り込んだのだった。夢の中では列車が走り出す前にサンドイッチを食べていたような気もするけれど。「瞬くん。あとでもう一度街に出てこられる?お花屋さんへ行きたいのよ」「花屋さんが開くのって早くても9時ごろかな。いいよ。もう一度街へ出て来ても」
よく晴れたに日になった。陽射しは温かさを届け、雪晴れの庭は明るさを跳ね返してまぶしかたた。
「死んじまったあいつの明るさと温かさを思い出させるような日だね」と、悠の同級生だという参列者の軽口さえ、うれしかった。春がやってくるのももう遠くないと思わせる気持ちいい日になった。
悠の一周忌法要は、そんな晴れ上がった青空を頂いて午前11時から宮澤家の前座敷と奥座敷との間の襖をあけ放って続きの間を作り、親族・故人の友人・知人など、ごく親しい約30人ほどの参列のもと厳かに行われた。あいさつにだけ訪れ、すぐ辞去する人たちも多かった。昔は、法事の日には朝早くからご近所のお母さん方が炊き出しやお料理作りをしていたという。今では葬祭会社が仕切りに入ってくれて、お料理なども仕出し屋さんから届けられるように変わった。悠の母・由里子も「この方が楽でいい」とほっとしている様子だった。
悠の父・篤が里衣の膳の前にお酒を注ぎに来た。「里衣さん今日はありがとうね。」「もうこれで宮澤の家とのお付き合いは終わってしまうのかもしれないけれど、一度は結ばれてた縁だ。これからもいつでも訪ねてきておくれ」と目に涙を浮かべながら里衣にあいさつした。里衣もまた目を潤ませんがら「きっと、お父さんとお母さんを訪ねて参ります。瞬君もいますしね」と篤に応じた。晴れ渡った空と温かな陽射しとは裏腹の感情が沸き上がる。これは仕方ないことだ。瞬はふと席を立ち、座敷を出て行った。里衣がちらっと瞬の顔を見ると目に光るものがあった。昨夜の特別な「冬の七夕」の祭りの庭で、あたしは悠に伝えたかった感謝と二人の間にあった幸せな時間をいっしょに抱きしめて祝うことができたと思っている。そして悠は、私と瞬くんがいっしょに過ごす未来の時間を提案してくれた。それが、悠が、私に対して伝えたかった彼の思いのひとつだったとしたら、私はそれを受け止めたい。私も瞬君のことが好きだ。瞬くんのやさしさは、悠がいなくなった後の一年間を励まし支えてくれた。いちばんうれしかったのは、瞬君が勤務する八戸のIT企業の東京本社を訪ねて来た昨秋11月の寒い日、彼の本社がある神宮外苑で待ち合わせたとき、私が巻いていたショールが風に飛ばされそうなって肩からズレかけたとき、両手を添えて肩に巻きなおしてくれたことだった。そしてそのときわざわざ二戸から持ってきてくれた村のオリジナル品種で、瞬の父が栽培いているという峯沢ブルーというリンドウの鉢植えを金色の落ち葉に埋もれた外苑前のイチョウ並木の真ん中に飾って見せてくれたことだった。兄貴がいちばん好きな花だったんだと言いながら「一度、この場所に兄貴がいちばん好きだったこの峯沢ブルーの花を置いてみたいと思ってたんだ。この場所はおれが都内でいちばん好きな場所でもあるし赤坂御用地をはさんで向こう側にはオレの母校もある。学生時代の散歩コースだったのさ」なんて瞬くんは言っていたけれど、本当は悠が死んでずっと沈みっぱなしだった私を元気づけようとしてくれたのだということは分かっていた。
リンドウの花は、宮澤賢治の童話『銀河鉄道の夜』の中で、鉄道の沿線に揺れ咲いていた花だ。外苑前の金色の落ち葉の上に置かれたリンドウの青い灯火は、道行く人たちの目もひいて、青き衣をまといて金色の野に降り立ったナウシカってあんな感じじゃない?とアニメ映画の一場面を思いだして写真を撮っていく人もいた。
瞬くんが私のことをどう思っているのか、瞬くんの気持ちは、まだはっきりと言葉や態度に示されてないから分からないけれど、冬の七夕の昨夜、私は悠に、瞬くんの気持ちはうすうす感じている、と、言ったけれど、今日のこの法事の場で互いの想いを訊ね合うなんていうことはできるはずがない。
昨夜、悠に会ったから・・・なんて言うことだってもちろん、できない。
昼食を兼ねた供養膳が終わって、参列者たちは三々五々帰り始めた。里衣と瞬は玄関先に並んで参列者たちにお礼の花束をいっしょに渡した。それが済むとこの日の法要は終了した。
里衣は今夜は、宮澤家に宿泊し、翌朝の新幹線で帰京することにした。峯沢村へ訪ね来た用事が終わってしまった。里衣の胸に安堵と同時に、死者を弔うときお感じるそれとは違う寂しさが胸いっぱいにこみあげてきた。
もう本当に宮澤のお父さんやお母さんに会う機会は無くなってしまうの?この大好きな北岩手の風景や地上に樹木の影を降らせるほど明るく澄み切った月の光や星明りとも、もういっしょに過ごせなくなるのかな?とはいえ命日に訪ねてくることはできるし、きっとお父さんもやお母さんもあたたかく迎えてくれるに違いないけれど。
その日の夜、里衣は瞬に声掛けされて、宮澤家から数軒分だけ離れて建つ村の共同浴場「鹿の湯」へ連れだって出かけた。室町時代開湯で盛岡藩の隠し湯だったと伝えられ、湯冷めしにくく肌がつるつるになると評判の名湯で、村の森林組合が運営する入浴施設だ。朝は7時から夜も10時過ぎまでオープンしている村の社交場だったった。湯の心地よさと、みんなと語り合える社交場として大人気のお風呂場なのだった、里衣が初めて峯沢村を訪れたときも入浴した。そのときは、地域のお母さんたちには「この子って宮澤さんちのお嫁さんなんだってー」と大歓迎されたりもした。湯も人も心地よく、里衣はこの温泉場が大好きになった。その鹿の湯までは雪道を歩いて5分ほどだった。瞬は車を出すよと言ってくれたけれど、昨夜に続いて冬の星座たちが空に明るく粒立っているのを知った里衣は、星降る村の雪道を歩きたいと思った。少しでも多く峯沢村を感じておきたいと思ったのだ。
里衣が脱衣所へ入ると、以前にも、里衣と言葉を交わした村のお母さんが里衣に気付いて話しかけてきた。「あれ、中岳の由里子さんちのお嫁ちゃんだよね」。中岳とは宮澤家の屋号である。田舎では名前で呼ぶよりも屋号が代名詞になることがよくある。
「はい、そうです。他しかみ千絵さんでしたよね?お久しぶりです」
「ダメダよ、みっちゃん、はるちゃんは亡くなったんだから。今日はるちゃんの一周忌なんだよね。それで峯沢に来てくれたんだね。確か里衣ちゃんだっただよね」
「はい、そうです」
「はるちゃんいなくなっちゃったからもう峯沢との縁も切れちゃうのかな?」
「はるちゃんの弟の瞬ちゃんがまだ独身だよ」
「里衣ちゃん、瞬くんどう?」
「こらこら、しいちゃん一周忌の日になに言ってんの?」
「逆に今日しか言えないじゃない。今日が過ぎたら里衣ちゃんもう峯沢に来ることもなくなっちゃうかもしれないじゃない」しいちゃんのおしゃべりは止まらない。
「瞬くんってさ、ゼッタイ里衣ちゃんのこと好きだよ。以前にうちの店に飲みにきたときも兄貴の嫁さん美人だし、気もきくし、やさしいし、あんないい人と結婚できる兄貴がうらやましいなんてって管巻いてたもん」
「こんなこと言っちゃなんだけど、去年の、はるちゃんのお葬式のあとから、村の婦人部のみんなは、里衣ちゃんは瞬ちゃんのお嫁さんになって峯沢に来てくれることにならないかなーなんて、婦人部のみんながそう願ってたんだよ」
「ごめんよ里衣ちゃん。うちの婦人部が好き勝手言ってさ」婦人部長のテコちゃんが里衣に、みんなの非礼を詫びた。
「みんな里衣ちゃんのことも瞬ちゃんのことも大好きなんだよ」
里衣はこんなふうに瞬とのことをすすめてくれるみんなの気持ちが嬉しかった。
里衣は感じていたことを、つい口にしてしまった。
「でも元婚約者が亡くなったからって、その弟と結婚するんなんてことになったらまわりの人たちはみんなはどんなふうに想うんでしょう」
「好き同士が結婚すんのを邪魔する奴は南部駒に蹴られて死んじまえってね」
「そんなふうになったって、このへんじゃ誰も気にしないよ」
「倉沢の源蔵さんのおじいちゃんなんて略奪婚だし」「笊森の宗吉さんのお兄さんなんてさ、大学出て隣村の高校に赴任したんだけど生徒と駆け落ちしたんだよ、しかもそれが村長のムスメでさぁ大騒ぎだったさ」
「このへんって田舎だけど、そんなふうに濃い恋バナならいっぱいあるのよ。里衣ちゃんと瞬君が結婚して峯沢にきてくれるってことになったってことをとやかく言うやつがいたら、婦人部はそいつに村八分を突きつけるわ。村八分って知ってる?お葬式と火事の二分だけはお手伝いやお見舞するけど、ほかの八分はお付き合いしないっていことよ」
「怖いわよ~」
何もそこまでと思いながらも里衣は村の女性たちが、私と瞬くんのことを応援してくれるのだということを知って、入浴前だったけれど心が温かくなった。
浴室でも、里衣はどのお母さんからも、里衣ちゃんが村にお嫁にくることを望んでいるということを、まるで念を押されるように言い募られた。
湯あがり後、里衣が「湯上り処」という畳敷のスペースへ行くと、瞬が村の青年たちに取り囲まれていた。瞬が里衣に気付いたことを察した青年たちは、順番に立ち上がり、里衣に会釈しながら出口へ向かって行った。中には里衣を値踏みするかのような視線を向けながら、瞬をお願いします、なんて言う青年もいた。
囲みから解かれた旬の顔は、真っ赤だった。「あいつらさ、幼馴染連中なんだけどさ」と語り始めた瞬の表情と、立ち去り際に見せた青年たちの表情やふるまいから、里衣は瞬を囲んで語られていたこの座の話題を察した。
「男湯の話題もきっと女湯と同じだったのね」
里衣も瞬も、村人たちからいわば外堀を埋められたような格好だった。恋バナが大好きなのは婦人部も青年部も同じだった。
「思い切って私から告白してみようかしら」里衣はそんなふうにも思った。悠の気持ちは、未だかすかに残る悠の唇の感触と同じく、悠のやさしかったセロのような声の響きととともに耳奥に残っていた。
鹿の湯からの帰り道は結局二人とも会話はなく、帰宅後、里衣は由里子が延べてくれたあたたかな布団に潜り込んだ。身体は温かかったが眠れない夜だった。
東京へ戻った編集者・里衣のは日々の忙しい出版スケジュールの中に埋もれて行った。峯沢村から帰って来て以来、悠から預かった瞬との関係についての「宿題」に答えが出せずにいることにも心の中には靄が漂ったままだった。
一周忌法要から1ヵ月と少しが過ぎた3月下旬。瞬から電話があった。「年度末の会議に出席するため東京本社へ来ています。ニュースで見た上野公園の桜があまりにもキレイなので、夕方上野公園の桜通りでお会いしませんか?」という誘いだった。里衣は瞬のその言葉に、胸が震えた。
里衣は、ぜひ一緒にお花見しましょうと答えたあと、心の中に漂っていた霧が晴れて行く思いがした。今日は金曜日だった。金曜日はスカート姿の女性が多い、と書いていたある女性作家のエッセイを思い出した。
里衣はデートの予定があったわけではなかったが、この日はたまたまスカート姿だった。オフィスの玄関に置いてある姿見で自分の姿を映してみたとき、里衣は急に胸騒ぎを感じてドキドキしてくるのを感じた。
里衣はオフィスのホワイトボードに「打ち合わせ→直帰」と書いて夕方5時に上野の杜の近くにあるオフィスを出た。瞬とは国立博物館前で待ち合わせたあと、花びらがはらはら舞う並木道を桜通りの方へ歩いて行った。瞬は三月の東京はあたたかいし夕方6時でも空はまだまだ明るいんだね、と言いながら、里衣の髪の毛に手を伸ばし、髪の毛についていた桜の花びらをつまみ上げた。そして、そのまま瞬の右手は、里衣の後頭部へ添えられ、瞬の顔は、里衣の正面に回り込んだ。里衣はそのまま瞬の唇を受け入れた。そのあと瞬の唇からはプロポーズの言葉が告げられ、里衣は、自分の腕を、瞬の両腕を外側ぐるりと抱きしめるように瞬に巻き付けた。そのまま二人のシルエットは、中空に浮かぶ花の雲が淡紅色の中にとどまったまましばし動かなかった。
そんな春の日から3年が過ぎ、二人は峯沢村のヤマザクラの花影の下にいた。二人のシルエットの間には、ひとつの小さな影があって左右の大きなシルエットと手を繋いでいた。ヤマザクラ咲く足元はカタクリとニリンソウの群生地でもあった。紅紫色の花びらを羽のように広げていたカタクリと真っ白な花色の首をもたげるニリンソウが共演するこの花畑は、かつて悠がフォトグラファーとして最初の写真集を刊行したとき、その撮影地として彼が選んだ場所であり、その写真集を見た里衣が悠に撮影をオファーしたことで、里衣と悠は出会い、その後、悠のプロポーズを受け入れた里衣が初めて春の峯沢村を訪れたときあたたかな南風にこそがれて可憐に揺れる花影に心をさらわれた場所でもある。
悠がこの場所の写真集を刊行していなかったら悠と私は出会わなかったかもしれないし、悠との死別による婚約解消などいろいろあったけれど、いまこうして瞬と結婚し、カタクリとニリンソウの花園を、幼子といっしょに歩くこともなかった。
峯沢村の遅い春、花色に包まれながら里衣はあの雪の七夕祭りの夜に悠に伝えた「感謝」や「祝福」の気持ちを今一度思い出して、瞬の両腕ぐるみ抱え込むようにして、瞬を抱きしめた。ふと、林の中を、あたたかな南風が吹き抜けて、桜の花の匂いを、3人ふ吹き付けるようにして、通り過ぎて行った。
あの冬の日の夜、悠は「もうマレーへは戻らない。ここは帰ってきたかった場所なんだ。この神社は生まれ育った場所にも近い。風になって空を吹き渡るのもいい」と言っていたことを思い出して、里衣は「悠が祝福してくれている」と里衣は感じて、子どもといっしょにその風を捕まえようとして、小径の上でつま先立ちになり、空に向かって手を伸ばして、大きく背伸びした。