小石だと思っていた妻が、実は宝石だった。〜ある伯爵夫の自滅
「スザンナはどこだ!」
凄まじい剣幕で帰宅した主人に、ロッキム伯爵邸の召使いたちは震えあがった。
「旦那様、いかがなさいましたか?」
主人の外套を受け取りながら、執事が恐る恐る尋ねる。
「あの悪妻め、俺との契約を破りやがった! 嫁いで一年で浮気とは呆れる」
「う、浮気でございますか。まさか」
思わぬ言葉を聞いたように、執事が目を白黒させる。その態度もアーノルドの癇に障った。
「お前の把握不足だぞ! 馴染みの酒場で友人から聞いた。"スザンナ・ロッキム伯爵夫人は夫ではない、若い男を連れ歩いている。行く先々でふたりを見かける"とな! すでに貴族間に広まっているらしい。俺の顔に泥を塗りやがって」
伯爵家当主とは思えぬ口の悪さで、アーノルド・ロッキムは猛り狂っている。
「で、どこだ!」
「奥様なら、いつも通り"離れ"にいらっしゃいますが……」
「すぐに呼──。いや、俺が行こう。下手に言い訳を用意されると面倒だ」
鼻息荒く、アーノルドは離れへと向かう。
伯爵家の脇にある離れは、こじんまりとした家屋だ。
伯爵夫人の住まいとしては格式が足りないが、それも契約結婚の条項に含まれているため、文句は言わせない。
アーノルド・ロッキム伯爵は一年前に妻を迎えた。
男盛りの三十歳。まだまだ遊び足りないのに、引退した両親が「早く身を固めろ」とうるさいため、形だけの結婚をしたのだ。彼らを黙らせるのが目的で。
──逆らわないお飾りの妻を置こう。
実家の力は弱い方が良い。妻の支援がなくても、豊かな伯爵家は困らない。
格下の家から、大人しく従順な若い娘を選ぶぞ。──
そんな条件を美辞麗句で包み、両親にも話すと、ほどなくマーレ子爵家の娘を勧められた。
子爵家は新商品を開発し、それに伴う事業の出資者を求めているらしい。
婚家として多額の資金を融通すれば、大きな権利を得られるだろうという話だ。
(ふっ、父上も耄碌されたな。下位貴族の事業如き、たかが知れている。やはり田舎暮らしが続くと、勘が鈍るものらしい)
取り立てて興味はないが、子爵の娘は"美人"だと伝え聞く。
辺境の領地のゆえ、王都には滅多に顔を見せず、アーノルド自身も会ったことがないが。花盛りの適齢期だという。
弱小貴族の、若い娘。条件に合う。
(たまには親の機嫌も取っておくか。自分で言うのも何だが俺はモテる。マーレ家は、この縁談を光栄に思うはずだ)
確固たる自信を持ち、アーノルドは子爵家に釣書を送り、娘を寄こしたら事業にも金を出すと言い添えた。
目論見通り、あっという間に話がまとまり、子爵家からは新婦が到着する。
期待の美女に胸躍らせたアーノルドだったが、屋敷に来た新妻をひとめ見て、途端に興味を失った。
やってきた子爵家のスザンナは、ろくにオシャレも知らない田舎娘で、ぱっとしない容姿に、焼けた肌。頬には雀斑が散る芋臭で、色気とは無縁。
全く掻き立てられない。詐欺と言って良いレベルだ。
(噂を盛りまくったな……)
大方、娘の縁談をよくするため、子爵家が美貌の嘘をでっち上げたのだろう。絵姿とも全然違っている。
王都の美女たちを見慣れたアーノルドの目には、"外れクジ"にしか映らなかった。
騙された、という気持ちが先に立ち、苛立つままに契約結婚を突き付けた。
「お前を愛するつもりはない。三年経ったら離婚だ。俺の遊びに口出しは無用。だがもし"独り寝が寂しいから"と言って浮気をしたら、即座に身ひとつで放り出す。離れを与えてやるから、目立たぬようにそこで暮らせ」
一方的に宣言して、その場で強引に魔法契約を成立させた。
娘が何か言っていたが、耳を貸す気はない。
三年の猶予を設けたのは、血統を維持するための制度に基づく。この国では、三年経っても妊娠しなかった場合、なんの支障なく離縁が出来た。その間に、別の妻を見繕うことも可能だろう。
(すぐ返品しないだけマシだと感謝して貰いたいくらいだ。大人しくしていれば、三年は食わせてやるのだから)
即刻送り返したいのは山々だが、そんなことをしたら父親がまたうるさい。引退したとはいえ、ロッキム前伯爵は国王とも旧知の仲。厄介な影響力が残っている。
形式上は娶ったが。
子爵家に約束の資金を出す気が失せたアーノルドは、勝手に話を反故にした。時々届く手紙は、完全に無視している。
向こうが先に嘘をついたのだから、応じる必要はないだろう。
(ちっ。あんな女を妻として連れ歩いたら、色男の名折れだ)
アーノルドは、新妻を離れに押し込み、世間には病気だと言い訳して、挙式も披露宴もないまま一年を過ごした。
そんな状態での浮気発覚。相手の男とやらは、間違いなく自分ではない。
慰謝料を請求し、スザンナは家から叩き出してやる。
アーノルドは乱暴にドアを開け、妻の部屋に怒鳴り込んだ。
「おい! 浮気とはどういうつもりだ! よくも俺に恥をかかせたな! 離縁確定だ。今すぐ出ていけ!」
開口一番そう叫ぶと、魔力の結びつきが外れた。その感覚が、身体に響く。
魔法契約での結婚が、解除されたのだろう。
が、部屋にいる相手に目を止め驚いた。
「カール? なぜお前がここに? それにそのご令嬢は?」
アーノルドがスザンナの部屋で見たのは、弟のカール。そして、初めて見る美しい女性だった。
ふたりは入室したアーノルドに対し、礼を示す。
女性の所作は優雅で気品に満ちていた。ドレスこそシンプルだが、流行にとらわれないデザインを見事に着こなしている。
年の離れた弟と、同年代くらいの貴族令嬢。
(カールの交際相手か? すごい美人だな。羨ましい)
弟は数年間、隣国に留学していた。その間に商団を作ったらしく、仕事であちこち飛び回っていると聞く。
(家を継げないと、あくせくと大変なことだ)
帰国したとは聞いていたが、大抵は自領か両親のもとに身を寄せていたので、王都に出てくるのは珍しい。
仕事か観光、それとも引っ越しか。結婚の挨拶ではない筈だ。婚約すら聞いてないのだから。
いずれにせよ、当主である自分に挨拶に来たのだろうと頷いた。
その弟が口を開く。
「兄上、お久しぶりです。ですが、いきなりではありませんか。兄上がご不在だったので、義姉上のもとに伺ったのに」
「そ、そうか」
乱暴にドアを開けたことを非難してきた。
声に滲む不満が、その件だけではなさそうなのは、離れに案内された苦情か。もしくは。
カールの連れに、見惚れてしまった牽制か。
何にせよ、スザンナの部屋は質素だ。"品格維持費など不要"と奢侈を禁止したため、粗末な家具が、申し訳程度にしかない。
(よくもこんな部屋に通したものだ。あとで使用人を罰しなくては)
そう思っていると、同席している美人からも、冷ややかな目を向けられている事に気づく。
「初めましてレディ。突然驚かせてしまい失礼しました。カールの兄、アーノルド・ロッキム伯爵と申します。妻がいるだけだと思い、つい」
「…………」
アーノルドは咄嗟に紳士の礼で謝罪するも、女性の目は冷たいまま。
確かに咎められても仕方がない無礼だが、せっかくの美女に悪印象を与えてしまった己の失態をアーノルドは深く悔いた。
それもこれも、部屋にいないスザンナのせいだ。ここはあの女の部屋であるのに。
「スザンナは何をしているんだ。客人をこんな離れの、しかも自室で応対するなど。非常識にも程がある」
「お言葉ですが兄上。義姉上を離れに押し込め、ずっと家を空けたままお戻りにならなかったのは、どなたでしょう。非常識は兄上のほうでは」
「夫婦間のことを、お前に言われる筋合いはない」
(しばらく会わないうちに、ずいぶん生意気な口を聞く。あんな女をを押し付けられた、俺の身にもなってみろ。カールはスザンナを見ていないから、言えるのだ)
アーノルドの中では、妻の記憶はいっそう醜悪に誇張されていた。
苛立つ感情のまま吐き捨てたくなったが、この場には令嬢もいる。今後のために過度な発言は控え、後ろについてきた執事をハケ口にした。
「おい、さっさとスザンナを呼んで来い」
この言葉に、執事は気まずそうに目を逸らした。小さな声で何事か答えるが、聞こえない。
「なんだ? 聞こえんぞ!」
「兄上……。まさかとは思っていましたが、本当に? 話に聞いた通り、いえ、それ以上とは……」
意味深に言葉を濁す弟に、「なんのことだ」と聞き返すと、カールは同室の美女を示して言った。
「だって義姉上ならここに。目の前にいらっしゃるではありませんか」
「……は?」
間抜けな声が、アーノルドから漏れた。
追いかけるように美女が言う。
「ね。お話しした通りだったでしょう? 旦那様は私の顔を知らないのです。初夜すらなかったのですから」
「レディ?」
思わず聞き返したアーノルドに対し、カールが呆れたような視線を向ける。
美女から涼やかな声が、流麗に紡がれた。
「改めまして旦那様。お久しゅうございます。あなた様に忘れ去られた妻、スザンナでございます」
「え……、いや、え? どういう、ことだ? スザンナ? 貴女が?」
戸惑うアーノルドに、スザンナが冷静な声で返す。
「初めてお会いした時の私の姿は、旅の途中で襲われないための変装だと申し上げました。予定より早く旦那様がいらしたため、身を整える間もなくご対面することになりましたが……。
あなた様はすさまじい剣幕で私を罵倒なさり、一方的に条件を叩きつけて契約を交わした後、私を離れに捨て置かれました。ずっと」
「なっ……?」
彼女はそのまま語り続ける。
「初日は、見苦しい旅姿のままお会いした私も悪かったのだと、引き下がりました。
きちんとお話が出来たら、きっと夫婦として向き合える。そう信じてお待ちしましたが、その後あなた様が離れにいらっしゃることはなく。
聞けば日頃より色町に繰り出され、屋敷に戻られる日も、まちまちだとか。
何度も、召使いを介してご連絡いたしました。
しかし終ぞ、私に会ってくださることはありませんでした。
私は元々、子爵家の事業に投資していただくため参りました身。愛がなくとも、実家との約束を守っていただければと思い直し、境遇を受け入れました。
ですが、旦那様はマーレ家との約束も全て無視。
これではお話が違います。
そこで私は、あなた様のご両親に状況をお伝えしたのです」
話を聞きながら百面相を繰り返していたアーノルドは、夫婦の過去を熟知する女性を"スザンナ"だと確信した。考えてみれば、先ほど離婚完了の魔力が発動した。あれは、当人同士がいないと作動しない。
相手が格下のスザンナだと認めるや否や、責められている状況に腹を立て、アーノルドは先ほどまでの外面を投げ捨て怒鳴った。
「なんとみっともない真似を! 俺の両親に訴えただと?! 嫁の分際で、貴様は恥を知らんのか!」
「すり替えないでください。恥ずかしいのは私ではなく、当主としての責任感がない、あなた様です」
毅然としたスザンナの物言いに、アーノルドはたじろぐ。
まともに話をしたのは今回が初めてだが、彼女からは鋭い気迫が感じられる。
アーノルドが今までに遊んだ、男に媚びる女とも、従順に従う女とも違う。
(なんだこの女。怯えもせず、俺に言い返してくるなんて……)
大抵の人間は、アーノルドが怒鳴れば委縮した。
例外は家族や高位貴族のみ。もっとも、そんな相手に横柄な態度をとったことはなかったが。
アーノルドは相手を見て、接し方を変えるタイプだった。
そして予想外の反応は苦手だった。とっさに言葉が出てこない。
対するスザンナは、しっかりとアーノルドの目を見ながら、淡々と続ける。
「旦那様のご両親は、大層驚いてらっしゃいました。マーレ子爵家との約束は果たしたと、ご報告されていたようですね。伯爵家の金庫からも、大金を出した記録があります。しかしマーレ家では支援金を受け取っていない。これは何らかの事件が起こったのではと、お義父様のもと、密かに調査が始まりました」
「な!」
「あちらに送られた収支と、この屋敷の家計簿。そして旦那様の動向。いろいろをすり合わせた結果……。驚きました。湯水のように使われた巨額のすべてが、旦那様の交友関係に当てられていたのですから」
自身の豪遊が親に知られたことを、アーノルドは悟った。
ただでさえ、うるさい親たちなのに、また何を言われることか。
「っつ。執事! 俺に報告もなく、よくも!」
「申し訳ありません、ご主人様。私は先代伯爵様に仕える身。大旦那様のご命令こそが、最優先でございます」
「ちっ。これだから、執事をかえたかったんだ!」
(こいつを留任させなければ、跡は取らせぬなどと、父上に脅されたせいで)
「とんだ裏切り行為だ。父上が何と言おうと、信頼できぬ家人を傍には置けぬ。貴様は今日限り解雇だ!」
「いいえ。兄上」
横合いから、カールが兄を見据えた。
「兄上にはもう、その権限はありません。兄上には伯爵位を退いていただきます。父上が国王陛下に申し出、すでにご承認が下りました。私が王都に来たのは、父上の付き添いと爵位引き継ぎの手続きのため、です」
「はああ? 何を突然、馬鹿なことを──!」
「馬鹿なこと、ではありません、兄上。
そもそも今回の縁談がロッキム家に回ってきたのは、国王陛下のご提案だったのです。陛下が見て、マーレ子爵家の新規事業は、大きな利を生むものでした。それゆえ陛下が親友である父上に、話しを回された。
新事業に対する優位をロッキム家に持たせることで、他家を抑え、のちに国に貢献した功績として伯爵家を格上げする……。
ゆくゆくはロッキム伯爵家を、王家の強力な味方に育てるための布石だったのです。けれど兄上は、子爵家の事業を無視なされた。つまり、陛下と父上のご意志に反したことになります。王意に背くは、家門の危機」
「そんな話、俺は聞いていない。一言父上が、俺を呼んで下されば……」
「父上が兄上を呼び出さなかったのは、兄上の態度を見極めるためです。父上とて、いつまでもご存命ではない。ロッキム伯爵家を安心して任せられるかどうか。兄上は試されていたのです」
前伯爵の思惑はこうだ。
長子だからと優遇して育てたアーノルドは、奔放に育ち過ぎた。
代替わりすれば家長としての責任が芽生えるかと思いきや、タガが外れたように好き放題。
このままロッキム家の舵取りを任せていたら、遠からず暗礁に乗り上げてしまいそうだ。
忠告したところで、その場しのぎの返事で終わらせるに違いない。
伯爵家の息子はふたり。
幼い頃から独り立ちを目指していた次男は、自ら商団を設立するほど、しっかりしている。
家督を譲る相手を間違えたのでは。
家は、次男に任せた方が良いのではないか。
長男を当主にしたままで大丈夫か。
兄弟の父親は、引退後、そんな思いに駆られながら、息子たちの動向を見ていたらしい。
「カール貴様! そこまで知っていて、なぜ教えなかった! 家督を得るために、わざと俺を陥れたな!」
「義姉上が何度も、兄上の外泊先に使者を送ったはずです。父上の手前、僕からはご連絡を控え、義姉上にお願いした時もあったのに」
「スザンナからのくだらない連絡など、俺が取りあうはずがなかろう!」
「なぜ、くだらないとご判断を? そこが根底から間違っていると思われませんか? 経緯や事情はどうあれ、義姉上は兄上の正式な奥方なのに、会話はおろか、お姿まで知らなかったなんて……」
「くっ、お前からの説教など要らん!」
スザンナのドレス姿を見て、"勿体ないことをしていた"と思っているのはアーノルド自身だ。
痛いところを突かれ、粗末に言い返すアーノルドに対し、カールの目がそっと伏せられた。
「それに母上も──」
郷里に残る母親、ロッキム前伯爵夫人。
「母上こそ、父上の目を盗んで、兄上にお報せしようとしていましたよ?」
"手ずから育てた果実が、立派に実ったから"。
"上手く刺繍が刺せたから。歌を作ったから"。
母からは折に触れ、便りが届いていた。まさかその中に、何か忍ばせてあった?
父が動向を見ているという、その旨を?
届く品々をうっとうしいと鼻で笑い、捨て置いたのは自分だ。
執事が敵に回っていた以上、そこにこそ起死回生の手段があったのに。
「……」
無言になった兄を見て、切り替えるようにカールが声を張った。
「ご安心ください、兄上。僕が留学中に立ち上げた商団を通じて、マーレ子爵家への支援は完了しています。僕が伯爵家に戻れば、陛下との密約も守られたことになるでしょう。速やかに引退くだされば、兄上にはこの先も、穏やかな生活を保障します」
アーノルドの当主就任に先駆け、父親はロッキム家が持つ複数の爵位をひとつ分け、弟に男爵位を与えていた。
分家というカタチで独立させていたが、今後はその弟を本家当主として呼び戻すわけだ。
「もっとも、子爵家の信頼を失った以上、義姉上との婚姻が続くことはありませんが」
はっとしたように、アーノルドが顔をあげる。
「そうだ。そのアバズレは浮気をしていた。慰謝料を──」
「浮気ではありません。ともに行動していた相手の男とは、僕のことです」
「何?」
「様々な手続きのため、義姉上に同伴いただいていたのを、口さがない連中が勘違いしたのでしょう。僕の顔は、王都でまだ知られてませんから」
「お前……っ、いつから王都に来ていたんだ」
「数週間ほど前、でしょうか。父上とともに、王宮に滞在しておりました。にしても、何度ご連絡してもお帰りにならなかったのに、噂が耳に入るほうが早かったとは」
"兄上、本当に今まで何をされていたのです"。
ため息交じりのカールの声。
厳しいまなざしのスザンナ。
そして気の毒そうな執事の表情。
孤立したアーノルドは、事態の展開に追いつけず、無様に放心したのだった。
◇
ロッキム伯爵家の当主が、兄から弟に代わったと、発表された。
兄は病気により引退、とされているが、様々な憶測が社交界を巡る。
妻スザンナがアーノルドと離婚した後、彼の弟と結ばれたからだ。
アーノルド・ロッキムには遊びが派手なことで知られていたため、病気とは子孫に関する下の問題がアーノルドに起こったのでは、という推測。
また、アーノルドが公の場に一度も妻を伴わなかったことから、スザンナとの不仲説や虐待説。結果、揉め事に発展したのではという推測。
弟が兄嫁に横恋慕して、下剋上を成功させたという推測。
真相を的中させた噂があったかどうかは、誰にもわからない。
確かなのは、ロッキム伯爵家の新当主カールが、大商団を率いる遣り手であり、マーレ子爵家の新事業を発展させて、市場が大いに賑わったこと。
その新事業の根幹──、食品の長期保存と携帯を可能にした"缶詰"を開発したのが、スザンナだったという事実。
人々には、その結果だけで十分だった。
ロッキム伯爵家は昇爵し、カールとスザンナは仲睦まじい夫婦として王国史に名を残すことになる。
◇
◇
◇
【一年前】
「近々、兄上がご結婚? スザンナ・マーレ子爵令嬢と?!」
帰国したカール・ロッキムを待っていたのは、彼の心を打ち砕く報せだった。
兄の結婚相手の名が、カールの意中の令嬢だったからだ。
カールがスザンナと出会ったのは、留学先の隣国。
開発中の商品のため、隣国に素材探しに来ていた彼女と偶然出会い、その品ある仕草や知的な話題に惹かれた。
元気いっぱいの笑顔。健康的な肌に添えられた雀斑も愛らしく、とても魅力的な女の子。
商団を設立したばかりのカールは、金属類も商品として扱っていた。
スザンナは開発した"缶詰"の、食材ごとにあう様々な金属を探すため。そして安く安定して確保するため奔走していたから、カールと何度も顔を合わせ……、その度にカールの思いは募っていった。
聞けば、子爵家の娘だという。
現在は男爵である自分が、子爵令嬢を迎えることは難しい。だが、不可能ではない。
彼女に見合う財力や人脈を作り、スザンナが展望する事業も後押しすることが出来たら。
彼女の見る未来を共に見、傍で支えることが出来たら。
どんなにか素晴らしい、豊かな人生になることだろう。
スザンナに求婚出来るよう、彼女に相応しい男になろう。そして結婚を申し込もう。
懸命な努力の結果、商団も軌道に乗り、いざ、と意気込んだ途端、夢が崩れ去る絶望を味わった。
それでも彼女が、兄の元で幸せになるのであれば。
兄と義姉の門出を祝おう。
花嫁姿のスザンナを見て平常を保てる自信がないが、参列して「おめでとう」と伝えなくては。
──けれど、覚悟していた結婚式は行われなかった。
不審に思っていると、その後もスザンナが公の場に出る様子がない。
病気、という噂を聞いて、心配になった。隣国で会ったスザンナは、健康そのものだったのに。
結婚式もままならない程の病気ならば、相当辛いはず。治療を手伝いたい。もし珍しい薬が必要でも、商団を通じたら手に入るかもしれない。
スザンナの病気について、伯爵家の使用人を通じて探ったところ。
どうやら彼女は病気ではなく、兄に冷遇されているということが分かった。
それだけでも容認出来ないのに、兄はスザンナを顧みることなく、離れに押し込み遊び歩いているらしい。
自分が切望した、何よりも代えがたい宝を手に入れておきながら。
気持ちを押し殺し、何か、彼女の力になれることはないかと思い切って、スザンナに会いに行けば。
かつての溌剌さは翳り、スザンナは自分を"価値のない人間だ"と思い込みはじめていた。
実家との約束も叶えて貰えず、資金が足らず、心血注いだ商品が市場に広がることもない。
がっくりと肩を落とすスザンナを前に、呆然とした。
スザンナの作った商品は素晴らしく、世に出れば間違いなく世界を変える。
スザンナ自身の価値と、商品の価値を再認識して貰いたくて、支援を申し出た。
商団としても価値ある投資だと確信して。
スザンナがカールの申し出に感涙する。
同時に、疑問が過る。
アーノルドとカールの父は、約束を違えることを嫌う。
しかし兄の行いに、父が何も言っていないということは……?
スザンナに確認を促すと、父の、前伯爵との話と食い違いが出て来た。
支援は完了していると、父は聞いていたという。
ではマーレ子爵家に、送金が届いていない?
銀行を辿り、様々な調査の結果、引き出された支援金は、兄が日々の放蕩に散財していたことが判明した。
「兄上を呼び出して叱責を──」
スザンナの待遇改善も含めて。
カールの訴えに、父親は首を振った。
そこで父の口から、家督を譲る相手を間違えたという後悔と、王の密命の存在を知った。
ロッキム伯爵家は、大きく名を売り、実をとる機会だったのだという。スザンナの発明品を密かに認めていた、国王の采配により。
そういえばかつてスザンナから、"王都の社交界で商品を売り込もうとした"と、聞いたことがある。
彼女は華々しい王都でのデビュタントで、事業の展望を熱く語ったらしい。
場違いな話題のおかげで、結婚相手が見つからなかったと苦笑していたが。
もし、彼女の事業に興味を持った国王が、周囲を牽制したのだとしたら。
そしてその役割を、ロッキム家に回して来たのだとしたら。
カールは父親を見つめて、口を開いた。
事業支援は自分の商団が請け負っている。
スザンナとは以前から面識があり、恋焦がれていた。
彼女以外の妻は、迎えたくないと思う程に。
父親は、次男の熱い胸の内に「スザンナ嬢が了承するならば。それで我が家の過失が許されるのなら」と頷いた。
カールは義弟という立場を使い、何度もスザンナに会いに行った。
ロッキム家からの仕打ちに対し、許しを乞うため。
何より、傷ついたスザンナの心を慰めるため。
誠心誠意、スザンナと接した。
兄嫁に懸想していると気づかれると、スザンナに軽蔑されるかもしれない。
身構えもしたが、スザンナは彼に優しかった。
そして二人の時間を重ねるうちに、若さと快活さを取り戻した彼女は、見る見るうちに美しくなる。
再会した時は、顔色の悪さとやつれた様子に目がいき、気づいてなかった。
彼女の肌は抜けるように白く、雀斑もない。
不思議がるカールに、スザンナは笑って言った。「あれは外歩き用の化粧です」と。
納得がいった。
偽りないスザンナは、隠さなければ危険なほどの美貌の持ち主だった。
"子爵令嬢は美人だ"という噂通りで、もしこの姿を兄が見ていたら、きっと片時も放さなかっただろう。
スザンナには悲しい不運だったが、彼女の素晴らしさは外見だけではない。
自分にとっては、外歩き用のスザンナも愛おしい。
それにしても兄は一体どうしたのか。
何度連絡を送っても、一向に屋敷で出会わない。スザンナの居る離れはともかく、本邸にも滅多に帰らない。
やがて。
父親が、兄アーノルドを見限った。
王都に足を運んだ父の手足として、いろいろな手続きを進めるため、スザンナと行動を共にしていたら、あちこちで目撃されるようになった。カールが護衛も兼ねたので、外歩き用の化粧ではなく、貴婦人として装っている。そんな彼女はとても美しく、人の目をひいた。
手続きの際、身元が判るものだから、"あの美人は誰だ"と傍で聞き耳を立てていた人々に、スザンナのことが知れ渡る。
「ロッキム伯爵夫人が、見知らぬ男と連れ立っている」
即座に話題となった。
スザンナの貴族姿は、一度見たら忘れられないほど際立っているため、噂になるのも早い。
彼女の名誉に関わることだ。義弟なのだから、明らかにすれば醜聞にはならない。
(だが、別の憶測を呼ばないか?)
悩んでいると、スザンナが笑った。
「ふふっ。アーノルド様が課した離婚の条件は、浮気です。彼が誤解すれば、きっと私たちの契約結婚は切れますわ」
「……貴女は、それで良いのですか?」
「だってこの結婚は、続ける意味がありませんもの」
"ごねられる前に、魔法契約を断ち切りたいの"。
はっきりと言い切るスザンナは、すっかり以前通りの、いや、以前以上の輝きを放っている。
「巻き込んでしまって、カール様には申し訳ないのですが……」
「そんなことはない! 僕はずっと──! …………恥知らずだと思われそうですが、ずっと貴女に懸想していました。隣国で初めて会った時から、貴女に恋をしていたのです。そしてその思いは今でも変わっていません。貴女を傷つけた男の弟として、とてもこんなことを言えた義理ではないのですが……」
勢いで口走ってしまった心情に、カール自身戸惑い、目の前のスザンナも大きく目を見開いている。
ぽつりと、スザンナが打ち明けた。
「私も……。はじめ、ロッキム家からの縁談とお聞きした時、とても心躍らせたのです。カール様だと……思ったから……」
「!!」
「お相手が兄君だと知らされた時は、内心がっかりしました。けれど心を込めてしっかりとお仕えしようと、気持ちを切り替え、そのつもりで嫁いだのです。だってカール様のお兄様だから。理想のカタチではなかったけれど、貴方と家族になれるから。でも……私に魅力が足りなくて……」
「まさか! 貴女は魅力に溢れている! 自分を卑下する言い方はやめると約束してくださったではありませんか」
気がつくと、カールはスザンナの手に触れ、愛を告げていた。
自分との未来を、考えて欲しいと。
兄は間抜けだった。
せっかく手に入れた至宝を、それと気づかずに粗末にした。
こんなにも価値ある彼女。
決して飼い殺して良い女性ではなかったのに。
カールはいま、もっとも近いところで、愛するスザンナの眩しさに微笑む。
燦然とした煌めきに、目を細めながら。
彼女が幸せなら、自分はこんなにも満たされるのだと、心底驚きながら。
宝石とか、小石とかではなく。スザンナはそのままで尊くて。
そんな彼女を大切にしたいと、心から誓うカールだった。
お読みいただき有難うございました!(誤字報告も有難うございました!(^v^*))
最初想定したのと全然違うお話になった…(゜д゜lll) なぜ…!
スザンナに暗躍させるか、弟君かで迷いまして、スザンナ視点も入れるべきかどうか悩んだのですが、対照的な兄弟の視点でお届けしました(;´∀`); スザンナが…良かったでしょうか…?!
恋愛要素が薄めですみません。前半・兄、後半・弟で構成しています。
さて缶詰。リアルでは、ナポレオンの時代、賞金つきで募集されたアイディアから端を発したアイテム。それまでは瓶だったということで。缶になり、いっきに持ち運びが楽になりました!
缶も中にスズを塗る果物用とか、いろいろあるようです。全体的にゆるい設定ですが、そこは軽く流してくださいね。
楽しんでいただけましたら嬉しいです♪
下の☆を★にて応援いただけましたら、私の気持ちも喜びに輝きますので、ぜひぜひよろしくお願いします!(∩´∀`*)∩