ゴブリン王国3
「……不味い」
吐き出された肉片は粘り気のある音を立てて地面に落ちた。周囲に散らばるゴブリンの死体の山をふらふらと歩き抜けながらハレンは二人のもとへと向かう。自分達のボスが殺されたのを見たのか、あるいは単純に戦闘の音に恐れをなして逃げたのか、その道中で他のゴブリンに出会うことはなく、すぐに戻ることが出来た。建物に仕掛けたトラップを一つ一つ解除し、最上階に行けばライルとミアは短剣を抜いて部屋のすみにいた。しかし、ハレンが戻ってきたのを確認すると短剣は手から滑り落ち二人はハレンに駆け寄る。
「「師匠っ!!」」
「二人とも無事でよかった」
「……それはこっちのセリフだっての!」
「血がっ!すぐに手当てしないと」
「大丈夫。見た目よりも軽傷だ」
「とにかく、すぐに横になって下さい!ライルも肩を貸して」
「……おっ、おう!」
二人の掛け合いを見て自然と表情は柔らいだ。いつだってそうだ。なにかを守れた時は気分がよかった。……だからだろう、ハレンの緊張が解け警戒が緩んだ。普段なら見逃さない一分の隙。
反応は遅れたがその耳は聞き逃さなかった。なにかが羽ばたき、バキバキと鳴る建物の壊れる音、そして近づく劫火の燃え盛る音に。
「伏せろっ!」
ハレンは小さくなる二人を投げながら自身も窓から飛び出した。背後では建物が炎に呑まれ、一瞬で跡形もなくなる。その炎は街を縦断するだけに留まらず、近くの山に当たりその一面を禿げ山にした。
その余波を背に受けたハレンも無事では無かった。服の一部が焼け落ち焼けただれた背中が見える。この炎の出所は竜だった。羽根は小さく退化し四つの太い脚で身体を支える砦のような大きさの紅い竜。ハレンは明滅する意識の中、必死に手繰り寄せた記憶の中にその姿の見覚えがあった。
(……アレは赤熱洞窟の紅竜!そうかあのゴブリンもそこのか)
『赤熱洞窟』それはかつて開催されたイベントの一つ、洞窟に棲む竜の討伐を目指すもの、この竜は竜の中でも地竜の一種でそのイベントのラスボスであり。あのゴブリンパーティーはその洞窟に元々棲んでいたゴブリンが棲み家を追われたという設定の小ボス。あの紅い大剣はゴブリンヒーローが命からがらに盗み出した竜の秘宝の一つとして討伐後のドロップアイテムであった。
(通りでそこそこ強かったハズだ。あのイベントの推奨レベルは80だったか)
投げ出した二人を空中でキャッチして勢いを殺し着地する。二人は状況をよく理解出来ていなかった。
「俺、外に居る……」
「今何が……?」
混乱する二人を置いてハレンは紅竜に向き直る。よく観察すれば紅竜の身体には迸る熱気の他にもゴブリンヒーローと同じ魔力を纏っていることが見て取れた。
(あの魔力による強化はゴブリンも含めイベントでは見たことがない、世界が本物になった影響で新しい術を覚えたのかと思ったが……。糸を引く存在でもいるのか?……勇者か、だいぶ大事になりそうだ)
ハレンの体力もだいぶ限界が近かった。開拓都市から此処まで休憩という休憩を取らず、道中のゴブリン狩りや館、広場での戦闘は想定よりハレンの体力を削り、今も肩で息をする有り様だ。
再び紅竜が魔力を溜めて炎を放つ、ハレンは二人を抱え逃げ回る。多少の熱気であればハレンだけなら耐火装備のない状態でも耐えられるが、二人はそうはいかない、通常よりもさらに大きく安全性を重視し余分に回避する。
(……ここに来て竜は面倒だ)
何発も避けられ業を煮やしたのは紅竜の方だった。口を大きく開け息を吸い込む、それはブレスの予備動作だ。
本来ならば発射の前に妨害し不発に終わらせるのがブレス対策の鉄板だが、この状況ではそうにもいかない、二人を置いて突撃をかけても手元の武器では、ゲルティスであっても火力が足りない。だからといって紅竜のブレスから安全圏まで逃げるには時間が足りない。
(黒幕が居るとするのならば、……あまり使いたくは無かったな)
ハレンは二人を背後に息を整え、集中する。自身の身体のさらに奥、魂を感じとる。
ハレンの切り札の一つ、かつて実装されたイベントの中でも最難関、『神への試練』 のクリア報酬。それは特殊な職業の解放だ。
「……神器……解放……っ」
神への試練を乗り越えたものは神へと成る。ゲールが最強と呼ばれる由縁にして二つ名。『戦神』その神たる権能の一つ神器の使用。ゲールの身体から抑えきれずに魔力が溢れる。大気が振動し、地面が割れる。たまらず紅竜にも躊躇いが生まれるが竜のプライドと奪われた意識がそれを許さなかった。
紅竜の口から放出されるブレスはその直線上にあるものを蒸発させハレンへと突き進む。一拍遅れてハレンの手に集まり、不定形な光の槍のような形で魔力が固まるとハレンはそれを紅竜に投げつける。
投げられた光槍はその軌道上に魔力の輝きを残しながらブレスとぶつかり轟音と共にその熱線を掻き散らす。神器による魔力の奔流は威力を落とすこと無く紅竜の身体を消し飛ばしそのまま進み山の一部を削り、雲を裂いて空へと消える。
「っ……あっ……!」
ハレンの身体が魔力の流れに耐えられず激痛が走る。それでも膝をつかずに油断すること無く周囲を睨みながら警戒し、全力で気配を感じとるも何もいないことを確認するとその場に座りこんだ。ミアとライルはその一撃を見て少し呆けていたが、ハレンが座り込むのを見るとすぐに駆け出し、できる限りの治療を施した。
しかし、その神々しさを感じさせる一撃に目を焼かれたのはミアとライルの二人だけではなかった。
「………………見たか」
「やべぇなぁ……旦那」
「今の技、いや、魔術か?見たことも聞いたこともない」
「へぇ、旦那が知らねぇとは珍しいこともあるもんだ……。…………増援は?」
「……無理だ。近くに戦力はいない、もとよりあの紅竜がいれば開拓都市の全戦力を相手にしても問題無く殲滅出来たハズなのだ。監視用の魔物もあの魔力の奔流に巻き込まれて今も映像が届いていない、既に監視は途切れた」
割れた水晶玉を睨み付けるフードの男とそれにふざけた態度で聞く影。ゴブリンヒーローと話をしていた二人だ。彼らの役目は勇者の可能性があると言われた幾つかの候補の内、開拓地にいる子供二人の確認とその処分だった。しかし、少なくとも今、この瞬間にそれは失敗した。本拠地から戦力を持ってきていれば後詰めとして配置できたが、それでは最悪の場合、組織自体が露見すると、各地に居る仲間も多くが戦力を現地確保することとなり、巷ではモンスターパニックと呼ばれる事件の一端を彼らは握っていた。
「あの二人のどちらかが勇者の可能性はどうなんだ?」
「限りなく高い、他の候補者は既に職についている。その中に勇者はいなかった」
「そーかい、他の候補者の襲撃は失敗した所もあんだっけ?」
「ああ」
「よかった!なら旦那だけのミスじゃねぇんだ!」
「……喜ぶな」
腹を抱えて笑う影は本当に喜んでいるのかからかっているのか不明だが、ローブの男の神経を苛立たせた。彼らの関係は不思議だ。主従のようで、友人のようで、仇のようで、影がローブの男で遊んでいるようで。ひとまずの認識としてはローブの男にとってはウザったいが使える部下であった。
「この場は引く、あの技を含めハレンという女について情報が必要だ」
「俺が監視につくかい?」
「……絶対に露見しない自信は?」
「……やめとこ」
「遠距離からの監視に留める。それも直接でなく間接的にだ。……それ以上は本拠地に帰ってからだ。他の候補の襲撃失敗も気がかりだな」
「旦那は考えることが多そうで大変だねぇ」
割れた水晶玉を置いて彼らが立ち去ったあとゆっくりと部屋は自壊していき、地下深く、闇に消えるのだった。
――――――
ハレン達は開拓都市は帰らず要塞化した建物で一泊すごし、明朝帰ることにした。これはハレンの傷を気にしてのことだが他にも、二人の精神面での落ち着きを取り戻すためでもあった。
家族やそれに近しい村人達を目の前で殺された彼らの衝撃は並大抵のものではなかったがその後の状況がそれを上手く処理するだけの時間を与えず、無理矢理飲み込むしかなかった。それをハレンが嫌ったのだ。前の世界の経験を踏まえ嫌でも考える時間を作った。
「明日は朝早くに出る。村によって彼らの墓を作ろう。……疲れているだろう、もう寝るといい」
彼らがハレンに返事することはなかったがおとなしく横にると目をつぶる。その背中は時折震え、何を思い出しているのか想像に難くない、レンガを底に置いた簡易の焚き火に廃材を追加して火を強くする。部屋はますます暖かくなり震える体を強制的に暖める。ハレンは二人に近付くと背中を擦ってやり、人肌の温もりも感じて安心したのか二人は暫くしてから寝息を立てた。
「……アイツらも元気にやっているだろうか、国民の被害が少ないといいが」
思い起こすのは前の世界とこの世界の二つの祖国のこと、両方の国でそれなりの地位にあるハレンの不在は少なくない影響となる。特に半ば引退していた前の世界とは異なりここでは現役、ログインできないと気を考えて不在でも仕事は回るような仕組みにしているがそれでも数ヵ月単位の不在を想定したものではない、一刻でも速い帰還が求められる。
「この地で二人の成長を待つ余裕はない……か。村長の頼みもある。……いや、連れていくか?」
成人するのを待つのは不可能。しかし、捨て置けるわけもなく、ハレンに残された選択肢は少なかった。
(二人の意見を聞かないとな)
祖国のこと、この世界のこと、二人のこと、考えなければいけないことは数多い、これから帰還するに当たって最善手を打ち続ける必用がある。
(まずは連絡手段の確保か……通信機器はマゼンカ王国ならば使えるハズ、モンスターパニックが起きても一番近い国の中で最も安全だろう。国も滅んでいないと聞いた)
マゼンカ王国はプレイヤーが建国した国の一つで魔術大国。ハレンの所属するバルトリア王国とは技術交流が盛んで大使館も置かれている。国王エジテスとは個人的な付き合いもあるため、正体を明かしても問題がない。まさに理想的な条件が整っている。
(渡航制限はなんとかなる、後は二人の希望しだいだな、出来ればフロット王国の学園に入れたいな……勇者ならばそれが最善だろう)
フロット王国はこの世界に古くからある国の一つで歴史と伝統のある国だ。ここの学園は実践を重視し貴族から平民まで幅広く受け入れており、特に英雄を育てる特別クラスには世界各国から留学生が来るほどだ。入学出来ただけでもその人物には箔がつく、勇者であれば入学は容易であるし、フロット王国にはハレンの知り合いも多い、その上バルトリア王国と距離が近い、フロット王国との国境沿いにバルトリア王国の飛び地がありそこならば行き来がしやすくいざというときにはそれこそバルトリア王国として介入出来る。勿論バルトリア王国にも学校はあるがどうしても軍事に偏りがあり、勇者には適さない、各国の将来が約束された人々とのコネ作りの助けにもなるため、ハレンは二人を学園に通わせたかった。
(理想を言うなら一週間以内にこの大陸から出て東大陸に行き同じく一週間でマゼンカ王国へ……。そこから陸路か海路か要検討だな)
東大陸をひたすら北上し帝国を越え北極海峡を渡る大陸ルート、マゼンカ王国から東に進み、旭列島から船で外海を渡り西大陸へ向かう船旅ルート。どちらも一長一短あるが、最も確実なのはこのどちらかだ。
(半年以内の帰国、これが私のひとまずの目標だ)
ゲームであれば容易く達成できた目標だが、今では確証の無い、ある種、賭けのような挑戦となる。それでもハレンは達成しなければならない、帰還が遅れて国が滅んでしまったとなればどの様な言い訳も出来やしないからだ。
果たしてハレンは二人を連れて帰国出来るのか、そもそもこの大陸を脱出出来るのか、バルトリア王国は無事なのか、ハレン達の長く険しい旅が今始まる。