自分というヒトの始まり
あなたは「物語」をどう思っていますか?
昔から僕は誰かが作った物語をただの「作品」として見ることが出来なかった。
どうしてもそれが作られたニセモノの世界なんて信じたくなかったからだ。
子供じみた言い訳だった。そう思うことが「現実を見ていない子供」と、自覚できていた。
それでも信じたくなかった。作られた世界にいた人々が流した涙が、笑顔が、憎しみが、幸せが、ニセモノなんてそんな寂しいことがあっていいのだろうか。彼らが感じたものは、時代が過ぎ去り本物の人々が忘れてしまうだけで跡形もなく消えてしまう。
近代化にともなって世界がめまぐるしく進んでいく中で、様々な世界が作られ、忘れられる。
僕が子供の頃感動した世界は「もうその先に行くことが出来なくなった世界」になって、時間が止まったままになってしまった。もうその世界では何も生まれなくなってしまった。感動も興奮も後悔も。
主人公が命と引き換えに救った世界は、忘れ去られることで消えてしまった。この先、楽しいことや幸せなことがたくさんあっただろうに。
それでも現実は進んで行く。次から次へと作られる「いずれ忘れられる世界」。
それらが過去になってしまった「僕を感動させてくれた世界」と同じように心を踊らせてくれるとは限らない。
これからやってくることはまだ誰にもわからない。わからないからとても怖い。
だからこそ僕はこう思う。
今まで作られてきた「世界」たちは「作品」ではなく
きっと今も進み続けてる、この世界じゃないどこかの「ないことが証明できない世界」があるのだと。
だから、僕はあるかもしれない世界を想像して紡ぐ。
次回から多分、世界を書きますね。