5W1H
5年前
最後から二番目の転校の時に
クラスメイトの皆からプレゼントされたコップ
机の上に置いておいたそれが昨日割れた
なんの脈絡もなく突然に 静かにヒビが入って
住んでるここら辺 何もないから
バスで1時間ちょっとかけて
一番近場の都会にまで行った
新しいコップを買った
安くていいや、と思って無地のやつにした
すこし意外だった
使ってる時は 沢山の思い出が詰まってるものだと思っていたのに
いざ壊れてみたら 大して心が痛まない
でも5年前の出来事なんて所詮はそんなものか
むしろなくなってくれてせいせいしたような
そんな感じ
過去の自分が今の自分を形作っていると言われると
妙な納得感があって
やっぱりそれは正しいんだろうと思わざるを得ない
けれど
今の自分が駄目なら
というか、実際自分は今ゴミみたいなものだから
それはつまり過去も何もかもが駄目ってことなんだと思うと
やっぱり嫌だ 嫌だな と感じるみたいだ
想像より我が儘だ 私は
帰りのバス停
プラスチック製の薄茶色の屋根があって
暖かみのない弱々しい日差しを受けて膨張して
耐えきれずパリパリと
まばらな拍手みたいな音を立てている
一人で座っていた
本当はコップを買う以外になにかするつもりだった
けれどなぜか疲れてしまって
なにもしたくなくなったから帰ることにした
自分のどの部分が一番疲れているのかは判らない
もう満遍なく、やけに重たい
幸せになれるなら別に
今ここで終わってしまってもいい
最終回をくれよ、と内心では思っている
でも、そうじゃなさそうだから
日々をうじうじ過ごすしかない
いつからか、どの方面への感動も生まれなくなった
一人でいるからなのか
誰かと語り合えないせいか
日常に嬉しい裏切りがないのは
自分に他人が憧れるような要素がもうちっとも残っていないせいで
誰かが私を騙そうとすることがなくなってしまったから
魅力がない空のペットボトルに誰も近寄らないのと
それはだいたい同じだ
余計なことを考えたな
バスは予定より20分も遅れている
誰か人でも轢いたのかもしれない
それって
ひどく面白いことだなと感じた
大声で笑いたい気分だ
そのまま予定がひび割れてくれたら
少しは幸福になれるかもしれない