のどが美しくなるアメ
のどかな村に住むエマは、村一番の歌声の持ち主と言われていました。
村のお祭りでも、それはそれは見事な歌を歌い上げ、村人たちから大変喜ばれました。
エマは病気の母親と二人だけで貧しい暮らしをしていましたが、歌声のおかげもあって村人たちはエマと母親の事をいつも気にかけてくれていました。
決して豊かではないけれども平和な村で、平和な暮らしを送っていました。
エマには一つだけ秘密がありました。
実は、エマの歌声は、生まれ持った才能によるものではありません。
村からはなれた森の中に住んでいる魔法使いのおばあさんがくれた、『のどが美しくなるアメ』の力によるものでした。
エマは、毎日必ずこのアメをなめるようにしていました。
すると、本当のエマの歌声とはまるで違う、とても美しい声が出せるようになるのです。
魔法使いにアメを作ってもらう代価を用意するために、エマは毎日働きました。
最初は母親の病気を和らげる薬を作ってもらうために魔法使いのもとを訪ねたのですが、彼女の気まぐれで『お前の歌で、村人がお前やお前の親を大事にするように仕向ければいい』と言われてからは、ほとんどアメのために通っているようなものでした。
歌にしろ何にしろ、人にはできない事が出来るというのは素晴らしいことです。
エマはもともと力や頭も人並みですし、特別器量よしというわけでもありません。
もしエマが普通の仕事しか出来ないとしたら、エマや母親を助けてくれるような人が果たしているでしょうか。
せいぜい、下心のある年増男が寄ってくるぐらいのものでしょう。
エマの歌があるおかげで、村の人達はエマや母親の事を大切にしてくれています。
以前のように、食べるものに困るような事もありません。
母親の病気はまだ治っていませんが、以前より良くなっているようにも感じます。
エマは、魔法使いにアメをもらったことは正しい事だったと考えていました。
ある時、エマの歌を聞くために王都の物好きな貴族がやってくるといううわさが流れました。
エマは高貴な方の前で歌うのは気が引けると困惑しました。
しかし、上手くいけばエマの名前を王都に知らしめる好機だと周りの人に言われました。
もしかすると、王都の腕のいい医者を紹介してくれるかもしれないと言う人もいます。
一方で、心ない事を言う村人もいました。
王都には楽団や芸人たちがたくさんいるので、そういったものに親しんでいる貴族がエマの歌声くらいで満足するわけがないという事でした。
笑われて終わるのがオチだろうと言う人もいます。
エマは考えた末、魔法使いのもとを訪れました。
今の歌のままでは、王都の人間を満足させる事は出来ないかもしれない。
もっと美しく、聞いた人間を魅了するような歌でなくてはならない。
自分の歌が印象に残れば、村にとっても自分や母親にとってもいい結果になるはずだ。
そのように魔法使いに話して、より効果の高いアメを求めました。
魔法使いはしばらく考えたのち、エマに答えました。
人を魅了するのはいいが、人の欲望にはきりがない。
いいものを出されればもっといいものを、もっといいものを出されればもっともっといいものを、となるのが人間というものだ。
それに、一旦いいものに慣れてしまうと、それより劣ったものが出てくればすぐに去ってしまう。
それでも、今より美しい歌が歌いたいというのかと、魔法使いは問いかけました。
エマは迷いませんでした。
魔法使いの言葉はもっともですが、少なくとも今回上手くいけばそれなりの利益はあるはずです。
母親の病気も治せるかもしれません。
貴族が村を訪れるまでに、アメを準備してほしいと魔法使いにお願いをしました。
魔法使いは、アメを作るために必要な材料をエマに求めました。
ハチミツやめずらしい薬草、あやしげなキノコ、鉱石なども材料として必要でした。
エマは魔法使いに言われた通り、森や山をかけずり回って材料を集めました。
最後の材料として魔法使いが求めたのは、エマの長い髪でした。
さすがのエマも、この時はためらいました。
女性が髪を短く切るというのは、少なくともこの村ではあまり一般的ではなかったからです。
でも、歌声のためなら仕方ありません。
ナイフで自分の髪を切ると、それを魔法使いに差し出しました。
貴族の男が村に到着し、村長の家でもてなしをうけています。
そこにエマが呼ばれて、歌を歌うように言われました。
しかし、エマの姿を見た村長や貴族の男、また周りにいた村人たちもおどろきました。
手足はすり傷だらけで、おまけに髪はばっさりと切り落とされています。
エマ自身は多少は身ぎれいにしていますし、彼らの目的はあくまで歌ですが、それでもこの外見はいただけないと感じる人が多いものです。
すすり笑いも聞こえてきました。
それでもエマは気にすることなく、予定されていた歌を歌い始めました。
歌を聞いた瞬間、誰もが言葉を失いました。
魂をつかんではなさないような美しい声。
身体全体をふるわせるような調べ。
すすり笑いは消え、誰もがエマの歌に魅了されています。
歌い終わると拍手が起き、続けて二曲目、三曲目と歌うごとに人々の熱狂は激しくなります。
最後の歌を歌い終わると、村長の家は割れんばかりの拍手に包まれました。
貴族の男も感激しました。
王都でもここまでの歌い手は見た事がない、これこそが生まれながらの才能というものであり、神がもたらした奇跡であるとほめたたえました。
エマは王都で歌う機会を与えられ、母親のために医者を紹介してもらうことも出来ました。
貴族の男は村にもお金をもたらし、村人たちもエマの事を誇りに思いました。
母親の病気は、王都の高名な医者にかかったことで大分よくなりました。
しかし、母親はエマの事が心配でなりませんでした。
すり傷をたくさん作ったり、髪の毛を短く切ったりしたことも心配でしたが、娘は気にしないでとしか言いませんでした。
常に歌の美しさにこだわる娘も、母親の心にはなにか空恐ろしいものを感じさせました。
それでも母親は娘の事を気にかけていましたが、王都にいる機会が多くなったエマの心は徐々に母親からはなれていきました。
エマのうわさは、ついに王様の耳にも入るところとなりました。
王様の家来がエマのもとにやってきて、晩さん会で歌うように命じられました。
これは大変名誉な事であり、村は歓喜に包まれました。
しかし、エマだけはこの事を心の底から喜ぶ事は出来ませんでした。
その理由の一つは、エマの母親が自分の成功をあまり喜んでくれない事でした。
今のエマの家は決して貧しくはありません。
母親の病気もだいぶ落ち着いています。
ただ、エマと母親は以前のように仲睦まじい親子ではなくなっていました。
エマは、せっかく自分の歌のおかげでここまでになったのにと思う事も増えていました。
また、エマの歌を悪く言う人も、王都には大勢いました。
しょせんは音楽についての教育を受けた経験も無い、育ちも良くない村娘。
才能だ何だともてはやされても、長く豊かな音楽と芸術の歴史を血肉にしていない賎しい人間。
彼女の歌が王様の耳に適うはずもない。
そのような声も、エマにとっては気がかりなものでした。
エマは王都で歌う日々の合間をぬって、また魔法使いの元をたずねました。
手持ちのアメがもうほとんど残っていなかったのもありますが、王様の前で歌うためにはより効果が高いアメが必要だと考えたからです。
魔法使いは、またもエマをいさめました。
今以上に歌で人を魅了したり、夢中にさせたりするのは、もはや人間のなせる業ではない。
これ以上は、悪魔の領域に立ち入ることになる。
私も魔法使いの端くれである以上、そのような術が存在することは知っているが、実際に行ったことは無い。
場合によっては、お前自身の魂が呪われるような事もありうるが、それでもやるのかと魔法使いは問いかけました。
エマがどうしてもやってくれと言うと、魔法使いは材料を持ってくるように言いつけました。
エマの髪はもう長く伸びており、アメの材料として差し出すつもりでいたのですが、それは要求されませんでした。
ハチミツや薬草なども必要ないとの事でした。
今回は、自分を生んだ母親の生き血を大びん一本分と、肉をひと固まり用意するようにと言われました。
その日の夜、エマは村に戻って母親と食事をとっていました。
以前のような粗末な食事ではなく、ちゃんと栄養のあるものを食べています。
家の中は温かく、明るく、とても快適です。
ただ、エマと母親の間に、あまり会話はありませんでした。
「……お母さん」
エマが口を開きます。
「何かしら」
「こうやって久しぶりに村に帰ってきて、こんな事を言うのもおかしいのかもしれないけど……」
エマは口ごもりました。
今日、この瞬間が、母親とかわす最後の会話になるかもしれないのです。
エマは、王様の前で歌うために、母親を殺すことを選びました。
袖の中には、心臓を貫けるような細長いナイフを隠し持っています。
「私が王様の前で歌える事を、母さんは誇らしいと思う?」
エマの言葉を聞いた母親は、しばらく黙りこんで考え始めました。
「あの貴族の男に私の歌声を見出されて、以前では考えられなくらい生活も楽になって。私も王都にいる事が多くなって。私の事を自慢の娘だと思うでしょう?」
沈黙を怖いと感じたエマが、言葉を続けます。
「お医者様にかかる事が出来て、お母さんの病気もだいぶ良くなったし。これも私の歌のおかげだって言っても間違っていないよね?」
しばらくエマの話を聞いていた母親は、ゆっくりと顔を上げるとエマの方を見つめました。
「確かに。あなたは私の自慢の娘よ。でもそれは決して歌がうまいからとか、他の村人や王都の人間がほめるからとかではないわ」
エマにとって、その答えは予想していないものでした。
娘の成功を素直に喜べないのかとも考えて、この後の行動への決意を新たにしようとしたその時でした。
「私はね、エマ。あなたが生きていてくれる事、あなたが幸せでいてくれる事こそが一番誇らしいと思っているの。でも今のあなたはどうなの? まるで何かに追い立てられているみたいで、幸せそうには見えないわ」
エマははっとしました。
一緒に過ごすことも少なくなっていた母親でしたが、エマの様子がおかしい事にはちゃんと気が付いていたのです。
「村の連中やあの貴族の男があなたの歌声に寄せている期待が、あなたを苦しめているというのなら、私はもうあなたに歌ってほしくない。きっとみんな失望するでしょうけど、もういいじゃない。私も病気が治ったし、働くことだって出来る。二人で支えあって生きていければ、それでいいでしょう?」
母親は、エマの顔をじっと見つめながら続けました。
「王様の前で歌わなくてもいい。私はあなたを失いたくないの。このままではあなたが、どこか手の届かない遠い所へ行ってしまいそうで私は怖いのよ」
エマは母親の言葉に返事をせず、そのまま席を立ちました。
自分の部屋に戻ってドアを閉めたエマは、独りで泣いていました。
ついさっきまで歌声のために母親の命をうばおうとしていたのに、もうそんな事は考えられなくなってしまいました。
病弱でずっと自分の助けを必要としていた母親が、だれよりも自分の事を考えていてくれたことを知って、エマの心はいっぱいになりました。
王様の前で歌うために、より多くの人にほめてもらうために、自分や村の名声のために美しい歌声を求めていたエマですが、そのような自分の考えが誤っていることに気づかされたのです。
翌朝、エマは魔法使いの元をたずねました。
材料となる母親の血と肉を集めることが出来なかったこと、もう自分は王様の前で歌えないという事を伝えました。
魔法使いはそれを聞くと、エマを責めたりすることも無く、一つのアメを渡しました。
「これは声枯れのアメだ。なめれば身体からアメの成分が消えて声は元に戻る。王様もお前の歌声の事は諦めるだろう」
手渡されたアメをなめたエマは、その日から体の具合が悪くなりました。
熱が出て、三日三晩寝込み、熱が下がった時にはもうあの美しい歌声は出せなくなっていました。
エマが病気のために歌えなくなった、という話は村中に広まり、貴族の男や王様の耳にも届きました。
だれもが『病気なら仕方がない』と言いましたが、本音ではそんな風に思っていないことはエマには良く分かりました。
貴族の男はエマの所にたずねて来ることはありませんでした。
腹を立てているのか、完全に興味を失ってしまったのかまでは分かりませんでした。
村人たちはエマが王様の前で歌えなくなったことに失望しています。
中には、今までエマや母親は調子に乗っていたから罰があたったのだとうわさする人もいました。
そういううわさは村人たちにとっては楽しいものだったようで、エマと母親は村でとても肩身の狭い思いをすることになりました。
ある日の夜、エマの元にあの魔法使いがたずねてきました。
人目に触れないように生きている彼女が村までやってくるのはとてもめずらしい事でした。
エマと母親はおどろきましたが、特に母親は、娘があやしげな魔法使いと関りがあるという事に強い衝撃を受けたようでした。
しかし、エマの歌声が急に美しくなったことや、エマの様子がおかしかったことを知っていた母親は、何かを悟った様子で魔法使いを家に招き入れました。
魔法使いは、エマの母親にいままでのいきさつを話しました。
母親はだまって聞いていましたが、エマに歌声を授けてくれたおかげで自分の病気が治ったことについては感謝を伝えました。
魔法使いはエマの方に向き直って、彼女の事をほめました。
エマが『材料集め』をしなかったおかげで、自分も悪魔の術に手を染めずに済んだ。
美しい歌声を追い求めるのを諦めたエマの決断は、勇気のある行いだったと語りました。
エマは自分がしたことを母親に謝りました。
歌声のおかげで一時は生活に困らないようにもなり、母親の病気も治りましたが、歌声のせいで村に居づらくなってしまっているのです。
母親は静かにうなずきました。
その様子を見ていた魔法使いも語ります。
魔法使いは、元々は王都で生まれた人間だったという事。
彼女もまた、過去には稀代の歌姫と呼ばれるほど自分の歌声を評価されていたという事。
しかし、自分の力を過信した彼女は、周りが見えなくなって大切な存在を失ってしまい、今のように人里はなれた場所で独りで暮らすようになったという事。
「歌にしろ芸術と言われるものにしろ、何かを究めようとすると魔の領域にふみこんでしまう事はある。ただ、それは必ずしも幸せにはつながらないし、自分が本当は何を大切にしていたかを見失ってしまう事もある」
魔法使いは何かを思い出すようにしながら、静かに答えました。
エマはじっと魔法使いを見ています。
魔法使いは身体も小さく弱々しく、独りで生きていくのはとても難しそうに見えます。
それでも過去の出来事から、人を避けるのが当たり前になっているのでしょう。
「お前は魔の領域にふみこむ前に引き返すことが出来た。心の弱い者だと、欲に目がくらんで引き返せなくなることも多い。ふみとどまったお前は本当に立派だと思う」
そう答えると、魔法使いはエマと母親を見比べてから静かに告げました。
「つらい事は多いだろうが、これからもおたがいを大切にして生きていきなさい。お前達は私がどんなにうらやんでも、もう手に入らない物を持っている。その事を忘れないように」
「待ってください」
帰ろうとした魔法使いに、エマが声をかけます。
「私たちも、あなたと一緒に暮らさせてください」
エマの思わぬ提案に、魔法使いは少しおどろいた様子でした。
「悪いが私は独りが好きなんだよ。確かに私はいい年だが、大抵の事は独りで出来るし、困る事も無いよ」
「私からも、お願いいたします」
エマの母親もそのように答えました。
「私たちは二人だけでこの村に暮らしていますので、身寄りもありません。村で生きてくのも難しくなった今、ここに未練はありません」
「魔法使いさんには本当にお世話になりました。母の病気が治ったのも、あなたが私に歌声を授けてくれたおかげです。恩返しと言うのは厚かましいですが、私たちで助け合って生きていければと思います」
エマもそのように続けたので、魔法使いはしばらく考えこんでしまいました。
「はみ出し者同士で助け合って生きていく、というのも一つの道かね。好きにするがいいさ」
魔法使いの言葉に、二人は感謝を伝えました。
「お母さん、私の言う通りにしてくれて、本当にありがとう。ごめんなさい」
「あなたは私の大切な娘よ。あなたに私がどれだけ助けられたことか。私はあなたについていくわ」
二人は家の中を片付けて、夜明け前に魔法使いと一緒に森へと向かっていきました。
こうして三人の生活が始まりました。
魔法使いの家を片付けたり、古くなっているところは手直ししたりして、三人が暮らせる場所は確保できました。
森の中に畑を作ったり、生活に必要なものを確保したりするのはエマの役目でした。
家の中の事は、エマの母親が担当していました。
最初は慣れないことも多かったですが、時間が経つにつれてエマも母親も森での暮らしになじんでいきました。
魔法使いも徐々にエマ達に心を開いてくれるようになりました。
アメに頼らない歌の歌い方や、様々な薬の作り方をエマに教えてくれたりもします。
村の事や、王都での生活を懐かしむときもありますが、今の生活もエマ達にとってかけがえのないものになっていました。
魔法使いの身体は日に日に衰えていきますが、三人で助け合いながら暮らしていく事は出来ています。
大切なものを失わずに済んだエマは、また新たな大切なものを手に入れて、静かな生活を送るのでした。