『オオオオオオオ』で憤死する楓花ちゃん
追試組には、大きく分けて二パターンが存在している。
・勉強なんか端からしてねーよ!
・頑張ったけれどギリギリ届かねー!
この二つだ。
今、公園のベンチで答案用紙を悲しげに見つめる楓花の傍に、制服姿のカラス天狗が歩み寄った。
「何してるの?」
「それ、私のセリフ」
カラス天狗の面を着けたクラスメイトの尊に向かって、楓花は失笑を漏らした。
「ふざけて着けたら接着剤が塗られてて、ぶっちゃけ取れない」
「それ、演劇部のじゃ……」
「そう。接着剤を塗って田中に着けさせようとしたんだけど、間違って俺が着けちゃった」
「アホがいますね、うん」
楓花は静かに物を言った。
笑い話をする気分では無かったが、目の前にいるドアホがいると、自分はまだ真面目なのではないかという気分になった。
「何か見てたみたいだけど……困りごとなら、このカラス天狗様に言うてみなさい」
「今日の英語のテスト」
ああ。と、尊は手を打った。
「尊はどうだった」
「点数忘れた」
正確には見ていない、である。
尊は返ってきた答案用紙をそのまま見ずに机の中へねじ込んだのだ。今頃はクシャクシャとなって隅の方へと追いやられている事であろう。
「選択問題だったから、楽だったのは覚えてる」
「うん。五択」
楓花は答案用紙を尊に見せた。赤いピンが至る所に付いていた。
「五択なんだから、五分の一は当たるんじゃない?」
「うん」
楓花は静かに頷いた。ベンチに下から猫じゃらしの草がぴこんと伸びていた。
「でもさ」
「うん?」
「アエアエとか、ウイイウみたいに変な答えになると、逆に外れてる気がしない?」
「分かる」
尊は首をカクンカクンさせて大きく頷いた。
「五分の一なんだから、もっとばらけてないとダメな気がして……」
「分かる」
カラス天狗の面を引っ張りながら、尊は激しく同意した。
「だよね。だよね」
ここにきて、楓花に初めて笑顔が咲いた。
「俺なんか鉛筆転がして決めたんだけど、昨日1000回くらい試したら、一度もアが出なかったんだぜ?」
「それ多分鉛筆のせいじゃ……」
「やっぱり?」
二人の笑い声に呼応するように、風に揺られた猫じゃらしの草が、そっと二人の間でゆらゆらと動いた。
「突然だが、昨日校長に怒られた」
担任が朝から不機嫌な声でホームルームを始めた。とても嫌な予感がした。
「英語のテストが難しすぎて、ウチの子どもの内申点がダダ下がりザマス! どうしてくれるザマスか!」
まるで真似るように、無い眼鏡を上げるフリをする担任を見て、尊は『大人って面倒だな』とあくびをかみ殺した。
「てな訳で、英語の先生から伝言だ」
尊は机の中に手を入れた。ガサッとした先に触れた紙切れを指で挟み、千切れるのも構わず強く引き抜いた。
「追試は楽にしたからとりあえず頑張れ……だそうだ」
クシャクシャのビリビリの英語の答案用紙を開く。
「マジか。ギリギリ追試だ……」
尊は更にクシャクシャにした答案用紙を再び机の奥底へと押し込んだ。
「気を抜かずちゃんと勉強して来いよ? 特にカラス天狗」
「はーい」
尊は未だカラス天狗の面が着いたままだった。
再追試を避けるべく、尊は帰宅後に教科書を開いた。開いたは良いが直ぐに飽きた。そして自転車にまたがり出かけてしまった。
「尊! アンタ勉強なんかしなくていいから、その面で出掛けるのだけは止めてくれ!」
後ろで母親がすがるように声をあげた。しかし既にカラス天狗馴れした尊は、それが普通となっていた。
「楓花~」
「あ、カラス天狗……」
公園のベンチに座り、単語帳を開く楓花を見つけた尊。すぐさま自転車を降りて傍へと駆けた。
「まだ取れないの?」
「いや、思い切り引っ張るか壊せば取れそうだけど、このお面さ、人間国宝から譲り受けた物らしくてさ。壊せないんだよね」
「なんでそんなお面に接着剤着けたの」
「人間国宝って知ったのその後だったから」
尊はポケットから鉛筆を取り出した。勉強しようとして準備していた、三角形の鉛筆だ。
「五択から消去法で三択まで減らして、後はこの三角形鉛筆をふる。これで三分の一は取れるぜ?」
「尊ってポジティブよね……羨ましい」
「今はしがないカラス天狗だけどね。これあげるよ」
黄色の三角形鉛筆を受け取り、少し困惑気味の楓花。犬の散歩をしていた老人が、不思議そうに尊の方を見た。
「じゃね」
「……うん」
ベンチの下から伸びた、猫じゃらしの草を引き抜き、柔らかい先っぽをクルクルと回す尊は、そのまま自転車で駅前へとこぎ始めた。
「えー、尊くんのご自宅ですか?」
そして警察に補導され、家へと強制送還された。
「英語の先生から伝言だ」
追試直前。担任からの一言。
「再追試の日は私用で居ないから、絶対に追試に受かるように……だってよバーカ! 私だって彼氏と映画行きてーよ!」
私憤が漏れ出た担任に軽く引き気味の生徒達。
「赤点の教科だけやれよー。じゃ、始め」
椅子にふんぞり返り、担任は寝た。
「──!?」
事件は直ぐに起きた。
英語の追試。尊は、すぐさま異変に気がつき楓花の方を見た。
英語の問題は全てが選択問題であり、五択。
しかし問題はそこではない。
問題の答え。その全てが『オ』なのだ!
(再追試したくねぇから全部オにしやがったな!?)
正確に言うならば、回答欄に書くのは記号ではなくその単語。流石に全ての欄に『オ』と書かせてしまったら、それはそれで問題だ。
(and……every……picture……全部オだぞ大丈夫か!?)
尊は楓花を見た。楓花は頻りに首をひねっている。そして黄色の三角形鉛筆を転がし始めた。
尊は焦った。全部オならば、明らかに楓花は怪しみ、逆に均等に散らしてしまうだろう、と。
「……よし」
尊は消しゴムのカバーを外し、生身の部分に『オ』と書いた。後はそれを楓花の席の傍に転がすだけである。
──行け。
狙いを定め、右斜め前の席に向かって消しゴムを転がす尊。
「カラス天狗何してるー?」
「いえ、消しゴムが落ちました」
「てかそれで問題見えてるか?」
「見えてまーす。あ、楓花消しゴム取ってくれ」
「え? うん……」
楓花が床へと手を伸ばす。
後は消しゴムに書かれた『オ』を見るのを祈るだけ。
尊は消しゴムを受け取ると、早々に追試を終えた。
「追試、ありがとう……」
「ん」
公園のベンチ。
楓花の奢りでアイスを食べる事になった。
「消しゴムのお陰で再追試受けずに済んだ」
「いや、それが楓花の実力だ」
淡い色の棒アイスを頬張る尊。カラス天狗の面がようやく取れ、久々に正面から食物を摂取している。実に喜ばしい顔をしていた。
間違いが三つだけの答案用紙を手に、楓花は機嫌良くアイスをかじった。
楓花は『オ』を見ていなかったが、実は『オ』の裏には違う事が書いてあった。
『選択肢を見るな。自分を信じろ』
答案用紙を小さく貼り付けたその紙に、楓花は自らの進む道を確信した。
「今度の期末テスト……頑張ろうね」
「ああ」
尊は激しく頷いたが、勉強をする気は微塵も無かった。