ブライトン魔術学院編4
『子犬みたい』
彼女に抱いた最初の印象は、ぴょこぴょこと野原を駆け回り、くりっとした瞳で色んなことに興味を示す可愛らしい子犬。
アルフレッド・オリオールは、五年前に祖父のジスランに連れられて、王都から少し離れたこの村に遊びに来ていた。貴族としての英才教育の合間の気分転換にと、学院時代の旧友の元へ連れてきてくれたのだ。
同い年の女の子がいると聞いていたが、なんというか、これまで見たこともないタイプの子だった。
アルフレッドの周りは貴族の令嬢ばかりで、話し方や所作など幼いながらも雅やかであった。たまに王都にある孤児院の子どもたちと交流することもあったが、貴族だからと気を遣われ、彼らとの間には大きな壁があるのを感じていた。
リディという赤茶色でクセのある髪の毛をした女の子は、アルフレッドの手を引くと家の近くの野原へ連れ出した。スカートの汚れなど気にせずしゃがんでは花を摘んだり、虫を追いかけたりしていた。そんな彼女の自由さと、太陽のような明るさにアルフレッド一緒になって野原を駆け回った。
「ルー!!こっちに来て!きれいな小川があるの!」
「まって、リディ!!」
リディが両手を振ってアルフレッドを呼ぶ。
最初にアルフレッドは名前を教えたが、難しくてわからなかったのかアルではなくルーと呼ばれた。
そして外でひとしきり遊んだ後は、リディの家に戻りソフィアの作ったお菓子をご馳走になった。
「ルー、私の部屋に来ない?大好きな“まずちゅしょ”があるから見てほしいの!」
魔術書のことを言っているのだと分かるが、その後何度もその言葉を口にする彼女の言葉をよく聞くと、“まずちゅしょ”と発音していることに気づいた時、思わずクスリと笑ってしまった。
しかし、彼女の部屋で見た魔術書は決して五歳の子どもが読むような内容ではなかった。
まだ文字もきちんと理解していないにもかかわらず、リディは難解な術式を理解し、記憶していた。
「このずちゅ式はね、火を起こしてその中に風を巻き起こすことで火の大きさが三倍になるんだって。だからこれを利用して…」
と、さらに自分なりに応用した術式を書いていたりする。
アルフレッドの家系は代々魔力が強く、小さなころから専任の家庭教師についてもらい学んでいたが、まだ五歳なので、本に書かれている基本的なことを学ぶ段階であり、自分で考えて術式を書くなどということはしたこともなかった。
何よりも、それを楽しそうに話すリディを見て彼女を見て驚きを隠せない。自分なんて、決められた時間に決められたことを学び、決められた道を進むのが当たり前で、楽しいとか嬉しいとかそんな感情を持つこともなかった。
自分の置かれた環境は、自由にできないことも多いことは理解している。
でも、そんな彼女を見ていると自分ももっと嬉しいとか楽しいと感じたいと思った。
それから王都に戻った彼は、彼女が祖父と同じ王立ブライトン魔術学院に入学するために勉強を頑張ると言っていたのを聞き、自分も同じ学院に入ることを決めた。
アルフレッドは、王都にある侯爵邸の自室でお茶を飲みながら、リディとの出会いを思い出していた。
入学式の壇上でリディの姿を目にしたとき、変わっていない彼女の瞳に安堵したのを憶えている。五年という年月で人は変わってしまうということがあるという事を、アルフレッドは自身の経験から知っている。
でも彼女は出会った頃と変わっていない。
さすがに子犬ではないが、名前を呼んで傍に行って構いたくなるような、心がムズムズとする、あの懐かしい感覚が蘇った。
教室に入って彼女を見つけた瞬間、思わず声を掛けてしまったが、彼女はキョトンとした顔をして自分のことを全く憶えていないようだった。
自分にとっては忘れられない出会いであったが、彼女にとってはたまたま遊びに来た子どもくらいにしか思われていなかったのだろうと、少し寂しく感じたが、変わらない紫水晶のような澄んだ瞳で見つめてくれると、心が温かくなった。
「よぅ、アル。」
ノックもせず、自分の部屋に入ってくるのは彼くらいのものだ。
クロヴィス・レスタンクール。レスタンクール家の嫡男でアルフレッドの幼い頃からの唯一の友人と呼べる存在だ。
「夏休みだっていうのに、領地の運営に関する勉強やらお茶会やらで、対して休めなくてやんなっちゃうよなぁ、まったく。」
「今年から学院に入って、休み中にやることが増えてしまったしね。」
「お忍びで王都のお祭りにも行けなそうだし、つまんねぇなー。」
夏休みの終わりごろには、毎年王都でお祭りが開催される。去年まで、ほぼ毎年アルフレッドとクロヴィスはお忍びで遊びに行っていたのだが、今年は忙しくて行けそうもない。
「せめて、なんか気分転換にどっか行きたいよなぁ……ってあれ??」
クロヴィスは机の上に置かれた一枚の紙を手に取る。
それは王立図書館への入館申請許可証。
「おまえがあそこに行くのは不思議じゃないけど……これって……」
入館申請には、申請者のほかに同行者がいる場合にはそれも記入しなければならない。
その欄には、リディ・エルランジェの名前。
「うん。一緒に行くことになったんだ。」
「は!? …………え!?」
「彼女、夏休み中に行ってみたいって言ってたからさ。」
「いやいやいやいや。そういうことじゃなくてさ。」
クロヴィスは紅茶が入ったカップをソーサーに戻し、机に前のめりになる。
「アルが彼女にたまに話しかけてるのは知ってたよ?それに、最初にオレが彼女に失礼なこと言っちゃったとき、おまえあの後すげー怖かったしな。
にしても、平民の子を王立図書館に一緒に連れてくなんてどうしたんだよ?
ましてや、愛想がいいクセに目に見えないバリア張って、女の子を自分のテリトリーに一切入れないアルフレッド・オリオールが!」
目を見開いて驚愕の表情を浮かべるクロヴィスをよそに、微笑みながらゆっくりと紅茶を飲み干すアルフレッドだった。