【番外編1 王族毒殺未遂事件】
完結からしばらく経ちましたが、番外編書きました。
ある晴れた穏やかな陽気のこと。
それとは対照的に豪奢な建物の一室で国を揺るがす事件が起こっていた。
「誰か…!!早く宮廷医師を呼んで来い!すぐにだ!!」
普段は鉄仮面と呼ばれるこの宰相が額に汗を浮かべ、王宮内の人々に声を張り上げて指示を出している。侍女たちは慌ただしく王宮内を行き来し、騎士たちは王宮のあちこちに鋭い視線を向けている。
「……ぐっ…!!」
「けほっ!けほっ!」
うめき声や息苦しさから咳を出す音が部屋に響く。中には声の出せない者もおり、喉を押さえてテーブルに突っ伏している。
「陛下!!今すぐに医師が参りますから!!」
宰相はこの国の王のそばに寄り添い背中をさする。他の者たちも王妃、王太子、第二王子のそばで様子を確認し、少しでも症状が和らぐようにと手を尽くす。
宰相は国王に寄り添いながら、その聡明な頭の中で王族に害意のありそうな貴族の名前を頭に浮かべた。しかし、あまり大きくないこの国は貴族の大きな派閥もなく長らく平和な国として知られている。実情も同じことで、今の王族に対して反発心を持つ貴族が思い至らないことに気づき、今度は近隣諸国に思考を拡げた。ここ数十年は近隣諸国とも友好関係が築けている。それではと各国の歴史まで遡ってみる。
そのときだ。金属の落ちる甲高い音が、美しく磨かれた大理石の床に響いた。
「――――――― お父様!!」
悲鳴のようなその声に目を向けると、それまでこの場にいなかったこの国の第二王女がこの惨状を目にして悲痛な表情で立ち竦んでいた。
――――――――――― さかのぼること一週間ほど前。
「リディ先輩!」
ふわふわのブロンドヘアをなびかせ、かつて魔術学院に通っていた尊敬すべき先輩に声をかけた。
「あ、セシル王女」
この建物の常連となったリディ・エルランジェは今日も魔術特許申請のために訪れていた。そしてそこで働くこの国の第二王女のセシルとは顔なじみだ。
「お会いしたかったんです!」
「なにかあった?」
リディは特許申請の内容に問題があったのかと考えたが、即座に首を横にふるふると振ったセシルを見て首をかしげた。
「……実はお願いがありまして」
そう言って両手を前で組む姿はとても可愛らしい。やる人がやれば、あざとくなりがちなこのポーズも彼女がやるとただただ可愛いと思えるのは王族ならではの気品も兼ね備えているからなのだろう。
「……それで、どうして僕とリディの時間がセシルに奪われなければならないのかな?」
笑顔を浮かべながらも背中に黒いオーラを纏ったアルフレッドは頬杖をつきながら、キッチンに並ぶ二人の姿を見ている。
「アル、ごめんね。今の特許申請も大詰めのところだし、セシル王女との予定が今日しか合わなくて…」
久しぶりに二人の休みが合ったところなのに、なぜ自分よりセシルを優先するのか。せっかくイチャイチャして過ごす予定がつぶれてしまったアルフレッドは大きくため息をついた。
「えぇっとレシピはこれ。手順はとりあえず一緒にやってみようか」
「はい!」
「セシル王女はお料理したことある?」
「あります!でも昔、お姉さまに王女なのだから料理はもうしなくていいと言われてしまってそれからは…」
そう言って寂しそうな顔をするセシル。確かに一国の王女が料理をするのは珍しいことだ。一度は断ったリディも、どうしてもと目を潤ませながら可愛らしい顔で縋られてしまっては、断ることができなかった。
「お肉は前日からタレを作って漬け込んであるから、あとは焼いてはさむだけだよ」
「簡単ですね!」
「うん。パンは特にこだわりがないみたいだから、セシル王女が美味しいと思うやつで良いと思う」
そういってフライパンで肉を焼き始めると食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。だが、いまだアルフレッドの機嫌は直らない。
「なんであんなヤツのために…」
「心のせまい男は嫌われますわよ」
頬を膨らましてむくれるアルフレッドに向かってセシルが言う。
「だいたいアイツのためにリディがご飯を作る必要がないだろう?」
「だからこそ、わたくしがここでレシピを覚えれば、リディ先輩に代わってノエル様にお作りすることができますわ!」
握りこぶしを作って気合いを入れるセシル。確かに言われてみればそうだと考え直したアルフレッドはそれ以降、不満を訴えることはなくなった。
「ほら、できたよ。午後は時間があるから魔術書見に行こう?このまえ新しいのが入ったって言ってたでしょ」
そう言ってアルフレッドの目の前に置かれたのは、『お肉たっぷりホットサンド』だ。アイツの好物だと知っているので面白くないが、アルフレッドもリディが作るこのサンドイッチは大好きだった。
「リディ先輩ありがとうございました!お家で練習してみます!」
お家って言うけど王宮だよね…と思いながら見送るリディ。
気がつくと背中にはアルフレッドがくっついて肩に顎を乗せている。
「…そういえば、前にセシルがお姉さんのせいで王宮の厨房に出入り禁止にされたって騒いでたけど、もう大丈夫なのかな」
「そうなの?使わせてもらえるかな。ダメだったらうちのキッチン貸してあげようかな…」
「そこまでしなくていい!僕との時間がもっと減るだろう」
そう言ってギュッと抱きしめるとリディの頬にキスをする。そして向かい合わせにすると唇に。午後は予定通り魔術書を見に行けるだろうかと、リディは少し心配になった。
―――――――――― そして王宮では。
「み……水を……」
やっとのことで声を絞り出したのは、さすが一国の主。
「こちらに!」
後ろに控えていた侍女頭がすぐさま水を差し出し、宰相が香りを確認あと陛下に渡す。
受け取った水をすぐさま飲み干した王は軽く咳ばらいをするが、まだ痛みがあるのだろう。喉を抑えながらも何とかして声を出す。
「……ゴホッ。毒ではないから案ずるな」
その言葉に傍で支えていた宰相をはじめ、この部屋にいる一同が安堵のため息を漏らした。
「毒!?お父様たちが毒に…!?」
両手で口を押さえて再び悲鳴のような声を上げたのはセシル第二王女。
「…ぐふっ…セシル…だから毒ではない」
「では何があったのですか!?」
顔を青白くして詰め寄るセシル王女に向けて、陛下の隣で同じく水を飲み干し持ち直した王妃が言う。
「……セシル。あなたこれに何を入れたのかしら」
そう言って、この惨状の中でも指をきれいにそろえて手のひらを上に向け、目の前に置かれた皿を指す。そこには、王宮ではあまり見られない食べ物が置かれていた。
「え?えっと、リディ先輩に教えてもらったレシピに書かれていた材料が足りなかったので、厨房にある材料で代わりになるものを入れましたわ」
「…何を入れたの?」
「えぇっと…?甘辛くなるやつですわ」
その言葉を聞いた王妃は大きくため息をつくと、額に手をついて俯いた。
「セシル、これの味見をしたか?」
そう言ったのは、この国の王太子であるアベル。
「味見は、リディ先輩の家で作ったときにしていますわ」
その答えに隣に座る王妃と同じポーズをとる。国王をはじめとした王族四名が俯いて葬式のような空気になってしまった。王宮の者たちは、つまり何があったのか分からないと所在なく視線を彷徨わせる。
「陛下…どうされたのでしょうか」
未だ全貌が見えない宰相は毒物でなかったことに安堵するも、代表してこの原因を究明する必要がある。
すると国王は彼に向かって皿に乗っていた食べ物を差し出した。食べてみろということだろう。それで原因がわかるのだと理解した宰相は、迷わずそれを口にする。
「……!? ぐふっ!ごほっごほっ……!!」
鉄仮面と呼ばれる宰相が、目に涙を浮かべながら先ほど陛下たちと同じく苦しそうに喉を押さえて強く咳き込み始めた。再びこの部屋にざわめきが広がる。
その時、廊下から一人の人物がこの部屋に向かって駆け寄ってくる音がした。
「……こ、こちらに宰相様はいらっしゃいますか!?」
宰相が苦しむ中、再度張り詰めてしまったこの部屋の空気を割るかのようにその人物の声が響く。
「……料理長か。どうした」
陛下が何かを察したように問いかける。その横でいまだに悶え苦しむ宰相を見て、侍女頭が心得たように水を差し出す。
「先ほど、わたくしが不在のときにセシル王女が厨房にいらっしゃったと報告を受けました。以前第一王女のエステル様から出入りを禁じられていたのですが、それを知らずに入れてしまったと……」
そこまで言って、この部屋にセシル王女がいることに気づき顔が青くなる料理長。
「なぜエステルがセシルの出入りを禁じたのかは知っているのか?」
「あ、えぇと……それは…」
汗を額からだらだらと流しながら、視線を彷徨わせて言うべきか言わざるべきかを決めかねているのだろう。長年勤めてくれている料理長のそんな様子を見て陛下は続けた。
「いや、いい。料理長はきちんと責任者として情報は周知させておくように」
これ以上の報告は不要だと、陛下は料理長を下がらせる。王妃と王太子、第二王子のジェラルドは同情的な視線で彼の背中を見送った。
「お父様、わたくしの作ったものに問題があったのでしょうか」
さすがにここまでくれば、今の状況を理解しているセシル王女は問いかけた。とはいえ可愛い娘にどう伝えればいいのかと考えを巡らす国王を見た王太子が代わりに答えた。
「問題だらけだよ。そもそも自分が何を入れたのか分からない料理を出すな」
「びっくりして思わずぺって出しそうになったけれど、何とか堪えたよ…」
それまで沈黙していたジェラルド第二王子もやっと喋れるようになったようだ。だがその目には涙が浮かんでいる。
「見た目はとても良かったですよ。でも料理はレシピ通り作りなさいね。そして味見は絶対にすること」
「……はい」
王妃に優しくそう言われたセシル王女の瞳からは、涙がひと粒こぼれ落ちた。
「料理を作ってくれたことは嬉しいが、王女であるお前がどうして急に作ろうと思ったのだ」
しかもわざわざ、学院時代の尊敬する先輩に教わったというのだから何か理由があるのだろう。
「……ノエル様に食べてもらおうと思ったんです」
「………!!?」
感情のコントロールを完璧にこなす国王が思わず動揺を見せたことに、王宮の者たちにも同じく動揺が走る。
「……ノエルとは、隣国の筆頭魔術師であったよな」
「そうです。リディ先輩の作るホットサンドをノエル様が大好きだと聞いて、わたくしも作って差し上げようと思ったのです!」
嬉しそうに話す愛娘を前に、王家毒殺未遂事件ではなく隣国との紛争に発展しかねない事態であったと頭を抱えたこの国の王の横で王家一族と宰相は死んだ魚の目をしていた。
陛下がドSな件。




