お仕事編19
遅くなりました。
魔術特許機関から呼び出しを受けた翌週、発動試験を行うという事で魔術省のとある建物に呼び出されていた。石造りの建物は華美な装飾は施されていないが、古の魔力が染みついていることから、この建物の歴史を肌でひしひしと感じる。大理石で敷き詰められた床は、少しの穢れも赦されないかのように美しく磨かれているため、うっかりすると滑ってしまいそうなリディは荷物を抱えながら慎重にすり足で建物内に入った。
「こちらになります。」
先日話をした魔術特許担当の偉い人が先導し、建物の中央に案内されたリディはそこに施されている魔術を見て目が輝いた。
「……これ、結界の魔術ですか?」
古代魔術であることは一目でわかったが、緻密で複雑に組み込まれた術式はひとつの芸術作品のような美しさで、リディは思わずため息が漏れた。
「おっしゃる通りです。見ただけで結界だとお分かりになるのは、さすがですね。」
確かにリディの国には古代魔術に関する資料は文献があまり多く残されていない。しかし、隣国では古代魔術の解読がかなり進んでいて、ノエルの所で魔術特許の勉強を始める前は古代魔術について勉強することが多かったのだ。学院時代もほとんど学ぶことのなかった古代魔術は、最初の頃こそ慣れなくて解読に多くの時間を費やしたが、今では簡単な古代魔術であればすぐに解読できるようになった。しかし、目の前の結界魔術は一朝一夕では到底解読し得ない。
「これを解読したいということですね。」
目の前の人物はその通りだと頷く。
そして、自分が今日ここに呼ばれた理由を理解した。リディはさっそく持ってきた荷物を降ろして取り出した。
「そちらが例の特許出願されたものですね?」
「はい。」
それは黒い箱型のもので女性でも簡単に運べるほどの大きさだ。その側面の一部は丸くくり抜かれており、水晶のようなものが嵌め込まれている。箱の天板部分には魔力を流し込む場所であろう。そこには、この国では希少な魔石が八角形の頂点に嵌め込まれている。
リディは建物の端の魔術が組み込まれていない場所に移動し、屈んで準備をしていると、扉が開き中に人が入ってくるのがわかった。チラリとそちらを見ると魔術師のローブを着た人たちで、ずいぶんと大勢いる。ざっと十人くらいだろうか。そんなに見学されるようなものでもないのだけれどと思ったが、これから行う発動試験にはそれくらいの人数が必要になるかと納得した。
「リディ!?」
魔術師の一団の後方から声が響いた。もう何度も自分の名前を呼んでくれた彼の声だ。
「アル?」
立ち上がると、他の魔術師たちが気を遣ってアルフレッドを前方へ出してくれた。彼は速足でリディの所へ来ると、きれいなアクアマリン色の目を丸くしてリディを見る。そして彼の後ろからゆっくりと向かってくる人物は、見たところリディの祖父ドミニクと同じくらいの年齢だろうか。微笑みを浮かべながらアルフレッドの隣に立った。
「いやぁ、リディちゃんか!美人さんになったなぁ。」
目尻の皺をさらに深くして笑う姿は、隣に並ぶアルフレッドがその面影を受け継いでいることがわかる。彼もまた魔術師のローブを身に着け、胸元にはいくつものバッヂがつけられていることから、魔術省でもトップクラスの魔術師であることが見て取れるが、あまりの気安さにリディはポカンとしてしまった。
「こんにちは。えっと、アルの…?」
「あぁ、アルフレッドの祖父のジスランだよ。久しぶりだね。ドミニクは元気にしてるか?今度また酒を飲もうと伝えてくれ。」
「はい。」
素敵な笑顔につられてリディも笑顔を浮かべると、その横でアルフレッドは少し面白くなさそうな顔をしている。たくさんの人がいる前でそんな姿は珍しいなと思っていると、彼は祖父に向かって言った。
「お祖父様、本日はこの結界の魔術についてと伺って我々は来たのですが。」
即座に姿勢を正し、先ほどの表情とは打って変わって貴族然とした態度でアルフレッドは尋ねる。それを面白そうに見やったジスランは、後ろにいる魔術師たちを自分たちの元へ呼び寄せた。
「今日ここに来てもらったのは、君たちが今、行っているこの神殿の結界魔術の解読について彼女がその手助けをしてくれるだろうと思ったからだ。本来、国家機密に当たる事項ではあるが魔術特許機関としても精査した結果問題ないであろうと結論付けたため、これから発動試験を行う。」
その瞬間、そこに居た魔術師たちがざわついた。自分たちが年単位でやっと解読の道筋が少し見えただろうと思っていたところに、魔術師でもない女の子が一体何の役に立つのだろうかといった雰囲気だ。だが、この国の筆頭魔術師であったジスランが言っているのだ。孫であるアルフレッドも驚きはしているものの、疑っている様子がないことから彼らのそんな空気はすぐに引き、目の前の彼女に注目していた。
そんなジスランの背中を見ていたリディは、国家機密という言葉に思わずヒッと声が出そうになったのを慌てて堪えた。薄々は気づいていた。魔術省の一角に呼ばれたことも、この建物が国にとって重要な役割を担っていることも。だが、こうして国の重要な任務の一端を担うことになろうとは、少し前までのリディは想像もしていなかった。
「ではリディ嬢、先に説明してもらえるかな?」
いきなり水を向けられたリディは、きゅっと肩を上げた後に姿勢を正す。迷っていても仕方がない。ちゃっちゃと説明してしまおうと、持ってきた魔道具を持ち上げた。
「えっと、これで古代魔術を変換して可視化します。」
ずいっと両手で目の前に差し出すリディ。
その瞬間、「えっ…」と何人かの声が漏れたあと、しぃんと静まり返った。アルフレッドも目を見開いて固まっている。ジスランは何やら楽しくて仕方がないようだ。
「これだけの結界魔術を変換して可視化するとなると、かなりの魔力が必要になるのでみなさんのご協力が必要になるかと思いますが、よろしくお願いします。」
一息で説明し、魔道具を持ち上げたままペコリと腰を折ったリディを前に、言葉を失う魔術師たち。神殿内に静寂が訪れた後、一人の魔術師が我に返った。
「い……いやいやいやいや!……えっ!?」
その声を皮切りに、彼らは現実を受け入れられず混乱し始めた。
「古代魔術を変換って……!」
「オレら最近やっと解読し始められるかなってところに来たんだぞ!?」
「しかも可視化って???」
「わかんない、わかんない。オレわかんない!」
頭を抱える者、現実逃避を始める者、現実を受け入れられず遠くを見つめる者など様々だ。そんな彼らをよそに、アルフレッドはやたら冷静だった。
「リディ、そこに魔力を流せばいいんだね?」
「うん!」
そしてリディはアルフレッドに満面の笑みで答えた。




