ブライトン魔術学院編1
見上げると吸い込まれそうなほど高い天井の下には、濃紺色の制服に包まれた生徒達が静かに開会の挨拶を待っていた。
そんな中、そわそわと落ち着きのない生徒が一人。
少しクセのあるテラコッタのような色をした髪を、母の作ってくれた制服とお揃いの濃紺色のリボンで一つに束ねた、平民出身のリディ・エルランジェである。
(どどど……どうしよう、緊張してきて手から汗がすごい……)
(まさか、私が新入生代表の挨拶をすることになるなんて……)
入学式を二週間後に控えたある日、エルランジェ家に一通の書簡が届いた。
送り主は、ブライトン魔術学院院長からであり、学力試験で首席だったリディに新入生代表の挨拶をという内容であった。首席という事実をこの時知ったリディは、大喜びでソフィアとドミニクに報告し、喜びのまま承諾の返信をした。
しかし、深く考えぬまま迎えた入学式で目の当たりにした、この厳粛な雰囲気。
(むむむむ無理無理…!こんなにたくさんの人前で話したことなんかないし、何言うかなんて考えてこなかったよ…助けておじいちゃん……!!)
「生徒代表、リディ・エルランジェ」
「はははははい!」
学院長に呼ばれ、笑いだか返事だか判断のつかない返答をしたリディは、手汗びしょびしょのまま前へ進む。静かに座っていた生徒も、カクカクとぎこちなく歩くリディを見てクスクス笑っている。講師陣はそんなリディを微笑ましく見つめている。
事前の挨拶も考えなかったリディは手ぶらで壇上に上がり、ホールを見渡す余裕もなく口を開いた。
「えっと……リディ・エルランジェです!」
(((…………うん、知ってる)))
先ほど学院長に呼ばれた生徒代表の名を、今更自己紹介せずとも全員が知っていた。
そんなホールの空気を読むことなく、リディは続ける。
「王立ブライトン魔術学院に入るのは、私の小さい頃からの目標でした。おじいちゃんに教わりながら一生懸命勉強して、入学できたことが本当に嬉しいです。
私は、魔力がぽんこつ……すごく少ないのですが、頑張ってこの学院で学んで色んな魔術が使えるようになりたいです。そして、仲の良いお友達ができるといいなと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。」
あろうことか制服で手汗を拭き、ぺこりとお辞儀をして壇上を足早に降り自分の席へ戻る。
もはやクラスで行う自己紹介でしかない挨拶をしたリディは、一仕事終えたという満足気な表情で入学式を終えた。
今年の新入生は六十五人。クラスは成績順で三クラスに分けられる。
リディは、首席だったのでAクラスの教室に入ろうとしたところで後ろから声を掛けられる。
「リディ・エルランジェ!」
振り返るとにこにこと笑顔を向けてくる、ダークブラウンの色をした短髪の男の子。
人懐っこそうに話しかけてきたその姿に、リディは好感を持った。
「こんにちは。あなたは?」
「オレはジャン・マルセル!噂で、今年は首席の生徒が平民だって聞いてたから楽しみにしてたんだ!オレも平民出身だから仲良くなれるかなって。」
何もせずにさっそく友達候補が声を掛けてきてくれた。
「ジャンね。よろしく!私は、リディ・エルランジェよ。」
「ははは!!何回自己紹介するんだよ!さっきオレ名前呼んだじゃん!」
と腹を抱えて笑うジャン。
「そ、そうだったね。席はどこかな?」
顔を赤くしたリディが事前に配布された座席表を確認すると、偶然にもジャンと隣同士の席だった。
席に着いて、お互いの出身地や好きな食べ物など他愛もない話をしていると、教室が突然騒がしくなる。特に女子生徒の声が高くなり、みんな入口に視線を向けている。
「アルフレッド様とクロヴィス様だわ…」
「いつ見ても素敵!お二人が同じクラスに居るなんて、天国だわ」
女子生徒の感嘆の声があちこちから聞こえる。
ふと見ると教室の入り口にも他のクラスの女子生徒が集まってきている。
アルフレッドとクロヴィスと呼ばれた男子生徒二人を見てみると、確かに平民にはいないような整った容姿をしている。
リディが彼らを見てポカンとしていると、隣からジャンがこっそり教えてくれた。
「金髪のほうがアルフレッド様で、黒髪のほうがクロヴィス様だよ。どちらもこの国を支える五大侯爵のご子息なんだ。」
「そうなんだ。ジャン詳しいんだね。」
「オレんち、そこそこ大きな商会だからさ。貴族の人たちとのお付き合いもあって詳しいんだ。」
もう一度彼らを見ようと振り返ると、何故かアルフレッドがこちらを見ていた。
暖かみのあるブロンドの髪に、アクアマリン色の瞳が真っすぐと視線を向けてくる。
きれいな色だな、などと考えながらリディも彼をぼーっと見ていると、こちらに向かって歩いてくる。
どんどんと近づいてくる彼に、さすがのリディも驚きを隠せない。
(え??私なんかしたっけ?っていうかなんか、全体的にまぶしい人だな…)
思わず目を細めると、アルフレッドはリディに声を掛けた。
「こんにちは、リディ・エルランジェ嬢。」
「こ・・・こんにちは??」
何故声を掛けられたのか分からないまま挨拶をしたので、語尾までもが疑問形になる。
未だ真っすぐと向けられる視線に、動揺を隠せないリディは思わず視線を下げる。
するとその後ろから別の声が聞こえた。
「あっ!さっきのポンコツちゃんだ!」
リディが再び視線を上げると、アルフレッドの後ろから少しウェーブがかかった黒髪にエメラルド色の瞳のクロヴィスが顔を出していた。
確かにリディの魔力はポンコツだが、ちょっと軽薄そうなこの男の子に言われるとムッとする。その気持ちがそのまま顔に表れてリディは口を尖らせた。
「ちょっとクロヴィス、女の子に向かってそんな失礼なこと言うなよ。」
「え?あ、ごめんごめん。」
ちっとも悪いと思っていない彼を見て、最初の印象通り軽薄なんだなとリディは思った。
いくらクロヴィスを窘めたからと言って、そんな彼を友人に持つアルフレッドに対しても、いい印象は持てなかった。
「いいわよ、別に。ぽんこつなのは自分でわかってるし。これから頑張るから。」
貴族には心ないことを言う人間もいるというドミニクの言葉を、入学早々身をもって体験したリディは、絶対に誰よりも魔術がうまくなってやると決意を新たにした。
そんな挑むような強気の視線を向けられたにもかかわらず、アルフレッドは何故か嬉しそうな微笑みを浮かべてリディを見つめていた。