第九話 試験問題盗難事件
「山城先生いらっしゃいますかぁ?」
職員室の入り口で私が声を上げると、部屋の中ほどで手が上がる。
「今、手はなせないから入ってきて」
「あなたたち、相変わらず仲いいわね」
振り返ると、郵便物らしき書類の束を抱えた事務の香苗さんが立っていた。今年大学を卒業して蒼波高校の事務に入ったばかりのきれいでおっとりしたひとだ。
「姉妹なんだから家で話せばいいじゃない。小雨ちゃんだって、中間考査前の職員室は入りづらいでしょう?」
「ははは……そうなんですけど、これはさすがに学校じゃないと……」
香苗さんと並んで職員室に足を踏み入れた私は、体に隠すようにして持っていた大きな包みを示した。
「お姉ちゃん、今朝早かったんで、お母さんが作るの間に合わなくて」
「お弁当? 確かにそれはここまで持ってくる必要があるわね。それにしても……」
香苗さんが私の持つお弁当箱をまじまじと見て絶句している。そりゃそうだ。平均的女子のお弁当箱と比べたら倍以上はあるからね。
「大きすぎますよねぇ?」
「やっぱり、たくさん食べるから胸も大き……」
「こらこら、そこ! 職員室でガールズトーク始めない!」
いっこうに席までたどり着かない私に業を煮やしたのか(それともお腹が減ったのか)、山城先生こと私のお姉ちゃん山城五月が近寄ってきた。
「あ、山城先生。ちょっと教えてください。教育委員会からの……」香苗さんが即座にお仕事モードに移行して何やら話し始める。こういう話は生徒はあんまり聞いちゃいけないような気がするので、私は少しの間そっぽを向いた。「それは池田先生に」とか「そっちはむしろ事務局長が」とか、お姉ちゃんが仕事をしている様子がちょっと不思議。
「お待たせ」
「はい。今日はお母さん特製のハンバーグ弁当」
「ばっ……そんな大きな声出すな」
「……重かったのに……」
「わかったわよ、今度なんか埋め合わせするから」
「期待してるー」
職員室の中ではまだ香苗さんがあっち行ったりこっち行ったりしている。池田先生の机の上に書類の束を置いたとたん、「それは私じゃなくて金田先生のところに」とか言われて、慌ててこんどは金田先生のところに行ってみたり。香苗さん綺麗だから、先生方もチョイチョイちょっかいだしてみたくなるみたい。むう、働くってたいへんだ。
お姉ちゃんにお弁当のデリバリーを終えた私は、失礼しました、と一声かけて職員室を出る。入れ違いに大きな紙袋を持った男子生徒が職員室に入っていったけど、あれも誰かのお弁当……なんてことは、もちろんないよね。
私の名前は山城小雨。私立蒼波高等学校の一年生で性別は女子。部活動はやってないけど、生徒会のお手伝いをしている。役職は――マスコット……って、これ自分で言うの死ぬほど恥ずかしいんですけど。会計補佐でも事務局員とでも適当に銘打ってくれればいいのに、生徒会長の忠海さんが私につけた肩書きはマスコット。むぅぅぅ、とどのつまりがミソッカスってことだ。確かに背は低いけどさっ。
今は十月。中間考査前で放課後の課外活動はない時期なのにもかかわらず、生徒会室には生徒会のメンバー全員が集まっていた。私を含めた生徒七人。それに加えて生徒会副顧問の山城五月先生――私の実のお姉ちゃんで蒼波高校の体育教師でもある。ちなみに、私がお姉ちゃんにハンバーグ弁当を届けたのは一昨日の話ね。
「学校側はどんな対応を考えているんですか?」
三年生で生徒会副会長の湯由子先輩の言葉に、五月お姉ちゃんが苦い顔をした。
「そうね……事態が決着するまで中間考査は延期かしら」
「そんなことできるんですか?」と、今度は二年生で書記のあずささん。
「日程的にはとても厳しい。でも、このまま中間考査は実施できないわ」
生徒会室に沈黙が降りる。
そう。いま、蒼波高校では事件が起きているのだ。
事件は職員室で起こった。
考査の一週間前になると職員室は生徒立ち入り禁止になる。先生方はその期間を使って職員室で試験問題を用意する。各科の先生が用意した試験問題を学年ごとに集めて、学年の教務担当が事務に必要枚数のコピーをお願いする、というのが試験問題作成の手順らしいのだけど……今回、一年生の教務担当池田先生の机の上から、コピーをする前の試験問題がごっそりなくなったというのだ。
「池田先生が間違って捨ててしまったのならいいのよ」と五月お姉ちゃん。「でも……」
「なくなったのはいつなんですか?」
三年生で会計の小越先輩が訊く。
「事務へ試験問題の束を渡す期限は今日のお昼までだった。池田先生が試験問題がなくなったことに気づいたのは今朝」
「探したんですよね?」と、これは二年生で生徒会副会長の片熊先輩。
「もちろんよ。私たちも池田先生の机の周りをずいぶん探したわ。でも、見つからなかった」
試験問題自体はパソコンで作っているものだから、必要なら新たに印刷することができる。けれど、問題の本質はそこにはない。
――試験問題はどこにいってしまったのか?
「……生徒が盗んだ可能性がある。そう言うことですね?」
言いづらいことを宮根先輩が無表情でずばりと言った。三年生で書記。
五月お姉ちゃんが沈黙している。お姉ちゃんは一度だって、盗まれたとは言っていない。
「中間考査は来週の月曜日からだよね」私は指を折る。「今日は水曜日だから……」
「明日までに試験問題の行方が判らなければ、全校集会を開いた上で中間考査を遅らせるしかない。一年生の試験問題を全部作り直さなければならいからね。でも……」
「でも、その事態は避けたい、と?」最後まで黙って聞いていた生徒会長の忠海先輩がようやく口を開いた。「俺らに探偵役をやれっていうんですか?」
「いや、そんな事は期待してないわ。ただ、手伝って欲しいのよ」
「手伝う?」
「そう。申し訳ないけど、一般生徒の手は借りづらいからね」
「……小雨ちゃんなにやってるの?」
秋の夕暮れに染まった校舎裏で声をかけられて、私は動きが固まった。声の主はクラスメイトの竹澤絵里さんだった。ときどき話はするけど、そんなに仲良しでもない。
「えっと……生徒会全員で奉仕活動……かな?」
「中間考査前なのに?」
「……先生に頼まれちゃって」
五月お姉ちゃんのいうお手伝いとは、学校中から出たゴミの仕分けだった。事態を重く見た教頭先生から、校内のゴミというゴミをもう一度確認しろ、というお達しがあったらしい。ここ蒼波高校へゴミの収集車が来るのは月曜日の朝と木曜日の朝。運良く(?)水曜日の今日時点で三日分のゴミが校舎裏に溜まっている訳だ。現在、生徒会メンバー全員と五月お姉ちゃん、加えて先生あとふたりで丁寧にゴミを選り分けている。
「ふうん、なんだか大変だね」
「そ、そういう絵里さんはどうしたの?」
絵里さんは私たちの奉仕活動にはさして興味を示さず、それよりも私の質問に待ってましたとばかりに食いついてきた。
「そうそう、小雨ちゃんを捜していたのよ!」
「私?」
「そう。名探偵小雨ちゃんにお願いがあるんだけど……」
「名探偵? え、でも……」
私は、黙々と作業をしている生徒会の面々を見回した。
「小雨はもういいよ」と、忠海会長が作業を続けながら声をあげた。「なんか用があるんだろ? こっちは人数足りてるからさ」
「わあ、助かります!」
絵里さんが両手を胸の前で結んで忠海会長の方を向く。会長はひらひらと手を振った。
つまり、試験問題を探しているこの現場に、部外者に長居されてはかなわないということですね。見れば、お姉ちゃんも、早く行け、って顔をしている。
「ええと、お役に立てるかわかんないけど……」
私は絵里さんを促して、そそくさと校舎裏を後にした。
「木崎くんの様子がおかしいの」
「……木崎くんて誰?」
「隆史くんよ」
「だから、隆史くんてだぁれ?」
「だーかーら、私の……」
「私の?」
昇降口で上履きに履き替えながら、私と絵里さんは漫才みたいな会話するはめになっていた。
突然もじもじし始めた絵里さんを落ちつかせ、なんとか聞き出した話を総合すると、最近絵里さんがおつきあいを始めた木崎隆史くんなる男子が、何やら絵里さんに隠し事をしているらしい。そのことがショックで、何を隠しているのかさぐって欲しいとか何とか……
正直、どうでもいい話よね? その木崎くんにだって隠し事のひとつやふたつあるでしょうに。でも、彼氏ができたことでテンションが上がりまくっている絵里さんは、ちょっとしたことで情緒不安定になってしまっているのだ。
「ね? お願い。名探偵の小雨ちゃんなら……」
「それ、やめて」
「?」
絵里さんが私のことを名探偵なんて不穏当な敬称で呼ぶのは、高校生になったこの半年で、ちょっとした謎(というほどのものでもないけど)を、私がいくどか解いたことがあるからだ。でも、それを誇る気もないし、あんまり嬉しくもない。それでも、頼ってこられたら無下にはできない訳で。
「で、何か手がかりはないの?」
「来て」
絵里さんが先に立って私を導いてきたのは美術室だった。木崎くんは美術部らしい。
「あれを見て」
絵里さんは、美術室のドアにはめられた小さな窓から中を指さした。もちろん、中間考査前のこの時期、放課後の美術室は鍵がかかっていて入ることができない。
「紙袋?」
美術室の隅に大きな紙袋が放り出してある。中に何が入っているのかは判らない。
「あれを私の目から隠す様にして逃げたの。ね? 何かわかる?」
……絵里さん、いったい私をなんだと思っているのだろう。部屋の外から紙袋を見ただけで何かが判ったら、私はもう超能力者じゃなかろうか。
「ええと……そうだね、ちょっと考えてみるよ。今日は遅いから、また明日でもいいかな?」
「本当? お願いしていい?」
何をお願いされているの? 私は……と、心の中で叫びつつ、私は引きつった笑いを顔に張り付かせたまま美術室を後にする。
まあ、おおかた彼氏が隠したのは絵里さんへのプレゼントとか、きっとそんなものだろう。私がどうこうしなくても、いずれ決着がつくでしょう。
うんうん、きっとそう。
でもなんだろう……あの紙袋、どこかで見たことがあるような……
「じゃあ、結局何も見つからなかったんですね」
『そうよぅ。もうくたくた』
電話の向こうから湯由子先輩の気だるげな声が聞こえる。時刻は夜の九時半。私と先輩はお互いの首尾を報告しあっていた。
『もうね、紙くずひとつひとつを全部広げて確認するなんてあり得ないでしょう? 一種の拷問よ。たった三日でゴミ多すぎ。もうちょっとゴミを減らすようなキャンペーンを生徒会で考えた方がいいわね』
「ははは……」
『で、小雨ちゃんの方は何だったの?』
「実は……」
私は事の顛末を手短に報告する。
「まあ、ほっといても問題ないかと。むしろ私が介入するのはおかしいですよね?」
『そうねぇ。その彼氏くんが試験問題を隠したりしていなければね』
「まさかぁ」
私と湯由子先輩はひとしきり笑いあったあと、おやすみを言って電話を切った。
木崎君が犯人? そんなご都合主義な展開があるだろうか。そもそも、考査前は職員室は生徒立ち入り禁止なのだから。
うん、考えてもわからない。
とりあえず……
お風呂入って寝よう。
「木崎隆史? 1年A組の?」
頭を泡立てながら五月お姉ちゃんが答える。ここは山城家のお風呂場。脱衣所でばったりはち合わせた私とお姉ちゃんは、成り行きで一緒にお風呂に入っている。
「五月お姉ちゃん、その子のこと知ってるの?」
「授業で教えてるからね」
「私は会ったことないなあ」
「一昨日すれ違っているじゃないか?」
え?
「どこで?」
「小雨が職員室を出るとき、入れ違いで入ってきたのが木崎だよ。美術の仲里先生のところに用があったみたいだった」
「ああ!」
わたしはチャポンとお湯の中で手を打った。あれも誰かのお弁当だったりして、とか考えてた時の。
「……ていうか、お姉ちゃん」
「ん?」
「生徒立ち入り禁止なのに、結構入ってるね。試験問題を持っていけるひとってたくさんいるんじゃない?」
考査前の職員室へは生徒は立ち入り禁止なのだけれど、もちろん先生の許可があれば許される。
むう、思考が完全に犯人探しになってるなぁ。いかんいかん。
私は、お姉ちゃんから聞いた事件(これを事件と呼ぶならばだけど)のあらましをもう一度整理してみることにした。
まずは月曜日。
職員室の朝礼で、お昼前までに各科の試験問題を各学年の教務担当の先生に提出するように指示があった。一年生の教務担当は国語科の池田先生で、二限目の終わりまでには必要な試験問題は集まったらしい。池田先生がその存在を間違いなく確認した最後の時間は月曜日の午前11時。
事件とは関係ないけど、その後12時半頃に私がお姉ちゃんにお弁当を届けに行った。事務の香苗さんと一緒に職員室に入って、出るときに木崎くんとすれ違った、と。
で、池田先生は午後は忙しくて試験問題には触れていない。先生曰く、机の上に置いておいたままにしてあった。
そして火曜日。池田先生は授業やなんやかんやで出たり入ったり。自分の机の上に試験の束が間違いなくあったどうかは、正直なところ自信がないらしい。
池田先生は未処理の書類は机の左側に積み上げておくことにしているらしく、てっきりそこにあると思っていて、今朝それを事務にまわそうとしてないことに気がついた。しばらくひとりでドタバタ探したあげく、にっちもさっちも行かなくなって他の先生方に声をかけた。そうこうして、私たち生徒会に話があったのが今日の放課後だ。
「実際問題さ、先生たちはどういう結論に達しているの?」
「結論ねぇ……」
髪を洗い終わったお姉ちゃんが、私が入っている湯船に押し入ってくる。狭い!
「生徒が犯人だと主張する先生もたしかにいるわ。生徒集会で徹底糾明するべきだって。でも、月火で職員室に入った生徒はたかがしれているし、それぞれ教員の誰かに用があってきたわけだから目的もはっきりしているのよ。普段なら掃除当番の生徒たちとか、目の届かないこともあるけれど、考査前は職員室掃除もないわけだし」
たしかに試験問題の束なんて抱えてたら目立って仕方がない。
「だから、池田先生がなにかの拍子に何処かに紛れ込ませたんだろう、ってのがおおかたの見方なの」
「でも、そうなると池田先生怒られちゃうんでしょ?」
「まあね。で、池田先生は本当に自分がなくしたなんてことはありえないって、主張しているのよ」
うちの学校は私立高校で夜間の警備なんかは充実している。夜中に不法侵入なんかしようものなら、あっという間に警備会社と警察が飛んでくる。
「ともかく……このままだと、明日の午後には臨時の全校集会になるわね」
湯気の向こうで五月お姉ちゃんの眉間に皺が寄る。お姉ちゃんがこんな顔をするのは珍しい。
「お姉ちゃんは池田先生がなくしたとは思ってないのね?」
「私が通ってた頃からのベテラン先生だからね」
五月お姉ちゃんも蒼波高校の卒業生なのだ。
「でも、生徒達も疑いたくない。他の先生方が何かするってことも考えたくない」
「以前……先生が犯人だった事件あったよね」
それは、春頃に生徒会がかかわったちょっとした事件のこと。生徒会が設置したアンケート箱が先生の手で壊されたことがあった。
「あれは特殊な例よ。今回は、試験問題を隠したりして得するひとなんて誰もいない」
「……」
誰も得をしないのに試験問題が消えた。
ということは、私たちが気づいていないだけで、得をするひとがやっぱりいるってことだろうか?
いや……事件はなにも損得勘定ばかりで起きるとは限らない。出来心ってのはままある話だ。
私の脳裏に木崎くんが持っていた紙袋が浮かぶ。あれなら、試験問題の束を入れてもちあるくことができる。目の前にあった試験問題を、つい滑り込ませてしまったとしたら――
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「明日のさ、午前中までならまだなんとかなる?」
答えはなかった。
とにかく、明日一番で紙袋の中を確認してみなければ。
翌朝。
私は、お母さんがお弁当を作ってくれるのを待たずに家を飛び出した。
学校に着くと、急いで事務室に駆け込む。
「美術室の鍵をかしてください」
「小雨ちゃん? 今日は早いのね?」事務室の中で香苗さんが目をまるくした。「でも、いまは考査前だから生徒だけでの立ち入りは禁止よ?」
「山城先生のお遣いなの。じゃあ、香苗さんも一緒ならいい?」
「んー、それって時間かかる?」
「すぐだから!」
なんというか、香苗さんは本当におっとりしている。職員室を騒がせている事件のことは知らないのだろうか。
わたしは香苗さんを強引に特別棟4階の美術室までひっぱっていった。
「早くあけて!」
「一体何があるの?」
はてなマークを顔中に浮かべた香苗さんを尻目に、私は早朝の美術室に踏み込む。昨日絵里さんが指さした紙袋は、昨日と同じ所においてある。この中に、もしかしたら試験問題の束が――
「……」
私は紙袋を開いて中のモノを取り出して、そして絶句した。「なっ……」
「あら、裸婦のポーズ集ね。デッサンの練習用ね」
……そう、紙袋の中にあったのはヌード写真集――と見紛うばかりの、ポーズカタログと銘打った本だった。これはつまり、その、木崎くんが絵里さんから隠したっていうのは……
「これが山城先生のお遣いなの?」
「ち……ちがいますっ!」
私はあわてて本を紙袋に戻すと、あたふたと美術室の外に出た。
なんと、なんとまあ……あれはおそらく美術の仲里先生のもので、木崎くんが月曜日に借りた、とそんな事情に違いない。
まぎらわしい、まぎらわしい。なんて紛らわしいの!
「今日は山城先生のお弁当は?」美術室の外で頭を掻きむしる私に、香苗さん美術室を施錠しながら声をかける。「また、あの大きなお弁当箱なのかしら」
ふふふ、と笑う香苗さんの言葉に、私はなにかが引っかかった。
――月曜日。香苗さんは池田先生に用がなかったっけ? あれ? でも……
「ねえ、香苗さん。月曜日に職員室で会ったとき、池田先生にお届け物してたよね?」
「ああ、教育委員会からの封書ね。でも、最終的には金田先生にお渡ししたわ」
「一通だけ?」
「ううん。何通かまとめて来ていたわ。だから一年の教務担当の池田先生ではなくて……小雨ちゃん?」
私は香苗さんの話を最後まで聞かずに走り出した。
めざすは職員室だ。
「お姉ちゃん!」
私が職員室に飛び込むと、先生方の視線が一斉に襲いかかってきた。
「小雨。これから職員会議なのよ」
「試験問題の束は、もしかしたら封筒に入れてあった?」
唐突な私の質問に、五月お姉ちゃんは戸惑った様子だった。お姉ちゃんの視線が職員室内を泳いで、事件の渦中の池田先生を捉える。
「あ、ああ。角2の茶封筒に入れてあった」
何かに気圧されるように池田先生が答える。角2ってのが判らなかったけど、私はある確信を得る。
「金田先生よ。金田先生の机を探して」
「え?」
職員室が水を打ったように静まりかえる。先生方はだれもが硬直したように私を見つめている。そんななかで、池田先生だけが教務主任の金田先生の机に近寄っていった。
そして――
「あった! これだ!」
池田先生の大きな声があがり、一瞬にして職員室の呪縛が解けた。
誰もが信じられないような顔をして金田先生の机に集まってくる。当の金田先生が一番当惑している。
「小雨、どういうこと。金田先生が……その……」
「ちがうよ、お姉ちゃん。別に金田先生が犯人ってわけじゃない。これはなんというか、偶然が起こしたちょっとした悪戯……かな」
私は首を回して職員室の入り口を見る。そこには、私を追っかけてきた香苗さんが、不思議そうな顔をして立っていた。
「それで、事件の真相は?」
生徒会室でお弁当をつつきながら、あずささんが私に訊いた。
わたしは購買部で買ったパンを頬張りながら答える。
「ほれはれすね……」
「口の中にモノを入れたまましゃべらないの、お行儀悪い」
湯由子先輩に怒られてしまった。わたしは一生懸命口の中を処理して、それから改めて口を開いた。
「それはですね、香苗さんのちょっとしたミスだったんです」
月曜日のお昼休み。封書の束を届けにきた香苗さんは、まず池田先生の机の上に封書の束を置いた。それは、ちょうど集まったばかりの試験問題が入った封筒の上だった。そこで、池田先生が「それは金田先生のところに持っていってくれ」と言った。香苗さんが一度置いた封書の束を再び手に取ったとき、一番下にあった試験問題が入っている封筒も一緒に持ち上げてしまった。そして、そのまま金田先生のところにそれを持っていった。金田先生は一番下にある封筒が試験問題が入ったモノだとは気づかず、全部が教育委員会からの封書だと思い込んで、そのまま受け取った。
「金田先生がすぐに封書の中身を確認すれば騒ぎにはならなかったんでしょうけど、試験前だったこともあって後回しにしたのが不運でした」
「ふーん。判ってみればつまんない話ね」湯由子先輩が呟く。
「犠牲になったのは、小雨ちゃんの今日のお昼ごはんか」とあずささん。
そうなのだ。今日はお弁当を持たずに出て来てしまったので、味気ない購買のパンが私のお昼ご飯なのだ。でも、この埋め合わせは、今日の放課後にでもお姉ちゃんにしてもらおう。
こうして、中間考査は予定通り来週の月曜日から行われることとなった。
結局、一般の生徒たちが騒ぎのことを知ることはないだろう。
そして、犯人といえばいえなくもない香苗さんは、「あら、そんなことが。ごめんなさい」と何食わぬ顔で先生たちに言って、そしてふんわりとほほ笑んだものだった。なんというか、おっとりしているようで意外とああいうタイプが一番図太いのかも知れない。
そして……
絵里さんの追求に負けた私が口を滑らせたせいで、木崎くんが、今回の騒動唯一の被害者となってしまったことは、慚愧の念に堪えないことである。
《試験問題盗難事件 了》