第八話 目安箱事件
「目安箱? つまりは、あの目安箱ですか?」
わたしはちょっと手を休めて忠海会長の顔を見た。
「そうだ。あばれんぼう将軍が設置したっていうあれだよ。生徒会への意見を集めるわけだ」
会長は段ボール箱に口を切っただけの投票箱──もとい、目安箱を得意げに掲げてみせた。
「でも……」わたしは自分の手元に視線を落とす。「生徒会についての全校生徒アンケートをやったばっかりなのにですか?」
──そう、今まさに、昨日やったばっかりの生徒会活動についてのアンケートを集計しているところなのだ。生徒会室の会議テーブルの上には、全校生徒約六五〇人分のアンケートの山ができている。
「これが表なら」と忠海会長はアンケートの山を一瞥して、「これは裏だ」と目安箱を軽く叩いた。
「裏?」
「全校で一斉にホームルームにやる正規アンケートには書きづらいこともあるだろう?」
ああ、なるほど。
ホームルームでアンケートを書きながら思ったこと、ふと辺りを見渡して書くのをやめたこと、それをすぐさま目安箱で拾い上げようってことらしい。
「目安箱……賭けようか? あずさ」
湯由子先輩が、集計作業の手を休めてあずささんに言った。
「お、やりますか? 受けて立ちますよ?」とあずささん。
そこに片熊先輩が口をはさんだ。
「それなら、もうひとり入れなきゃだめだろう」
「?」
部屋中の視線がわたしに集中する。
「あの──なんですか?」
湯由子先輩が肩をすくめてちいさく息を吐く。
「そんな大穴はないんじゃない?」
「正規の生徒会役員でもないしね」とあずささん。
「そうは言ってもさ」と小越先輩が顔を上げた。「あの小さい子はだれ? ってのがアンケートの中にいくつかあったよ」
え?
なに? なんですか?
「「それでもねえ──」」と、お姉さまふたりがハモる。
わたしは助けを求めるように宮根先輩の顔を見たが──あう。興味なしですか。
そこで忠海会長が口を開いた。
「目安箱にはさ、結構な枚数のラブレターやファンレターが舞い込んでくるんだよ。鈴木と鳴海は、どちらが多くもらうかを賭けようってのさ」
──はい?
「半年前は鈴木が僅差で勝ったんだったか? で、今回の大穴は……」
ビシッっと会長がわたしを指さす。
えーっと、
いったい何のための目安箱なんですか?
「せめてお遣いぐらいちゃんとこなせよ、小雨」
「はあ」
私は忠海会長の背中をみながら廊下を歩いていた。
「あんな大きな箱がみつからないなんてことあるか?」
「でも、ないんですよ? 会長変なところに置いたんじゃないですか?」
放課後、生徒会室に顔出した私に忠海会長が命じたお遣い、それが目安箱から投書を回収してくることだった。箱は昨日の放課後、会長が生徒昇降口近くに設置したという──
設置場所があいまいなのは、言われた場所に箱がなかったからだ。わたしはしばらくうろうろ探して──結局手ぶらで生徒会室へ戻った。
で、お小言もらいながら再度やってきたわけで──
「あれ?」
忠海会長が素っ頓狂な声を上げる。挙動も不審だ。
「ね? ありませんよね?」
「ありませんよね、じゃないよ。おかしいな。あ、先生、先生!」
「どうしました?」
通りかかったのは数学の磐田先生だった。知的な眼鏡をかけたちょっとかっこいい男の先生だ。たしか、最近結婚したとか聞いたな。
「ここにあった目安箱知りませんか? ありましたよね?」
「目安箱? ああ、生徒会用のアンケート回収箱ですか? 朝はみましたけど。ないんですか?」
先生の言葉に忠海会長が腕を組んで唸る。どうやら──もってかれちゃった?
わたしたちの様子に、磐田先生も状況を察したようだった。
「ひどいことする生徒がいるもんですね」
「小雨、戻って新しい目安箱を作るぞ」
「え? あ、はい」
わたしは先生に小さく会釈をすると、ずんずん歩く会長の背中を追っかけた。
ふたつめの目安箱は、倉庫から持ち出した机にがっちがちにガムテープで固定した。それが金曜日の放課後。
で、月曜日に登校してきたわたしたちは、生徒昇降口の惨状に言葉を失った。
「これは、生徒会に対する挑戦だ」と忠海会長がつぶやく。
目安箱はなくなってはいなかった。
でも、ぐちゃぐちゃに潰されて、しかも水浸しになっていた。
恐る恐る箱の中を覗くと、もう読みようのない投書が数枚入っている。
「ひどい……」
不覚にも涙が出て、湯由子先輩にやさしくハンカチを差し出されたりなんかして──
「これは、なんか生徒会に知られたくないことがあるってことだよな」と片熊先輩。
「木とか金属でつくれば壊せないけど……そんな材料も時間もないし」と今度は小越先輩。
「今回盗まなかったのは見せしめってこと?」あずささんが苦る。
「ねえ、生徒会室の前で放課後だけ受け付けるとかじゃだめなの?」
湯由子先輩の言葉の先で、宮根先輩が黙々と後片付けをしている。
「それじゃあたぶん犯人の思うつぼだ」と会長。「でもしょうがない。夜は片付けることにしよう。授業中は良いとして、あとはできるだけ誰かがそばで見張っているってことでどうだ? 長々とやってもしょうがないし、今週一週間だ」
「わたし見張りやります!」
最初に回収に来たときに目安箱がなくなっていたのが、なんだか無性に悔しかった。
だからわたしは真っ先に手を挙げた。
生徒会役員の脇で目安箱に投書はしづらいかもしれない。
でも、わたしなら大丈夫。みそっかすだし。
忠海会長はがしがしとわたしの頭を撫でると、「じゃあ新しい箱をつくらなくちゃな」と言った。
もう、ラブレター合戦どころじゃなくなっていた。
「なに、なに? なにかの募金?」
「え? いや、そうじゃなくて……生徒会の目安箱です……」
「あなた名前は?」
「山城小雨ですけど……」
「ああ、山城先生の妹さんね? きゃ──かわいい!」
──あう。
なんだこれ。
お昼休み。忠海会長が一時間目の授業をサボって作った目安箱三世を抱えて、わたしは生徒昇降口前に立っていた。箱を抱えちゃったのは、なんとなく持ってないと手持ちぶさただったからなんだけど──なんだか凄く注目の的になっちゃってる。
上級生のお姉さま方は、さっきみたいな勢いで次々声をかけてくるし、挙動不審な男子生徒もいたりして──たった二十分でちょっと挫けかけている。
いやいや、でも今週だけだし。三世はわたしが守らなきゃ。
「お弁当は食べたの? 小雨」
「え? まだ……あ、お姉ちゃん」
生徒会副顧問の五月お姉ちゃんが呆れ顔でわたしを見ていた。
「忠海たちに事情は聞いたよ。ちょっと替わってやるから、お弁当食べてきなさい。そのちっちゃい体でご飯抜いたら午後持たないでしょ?」
お弁当のことは実は考えてなかった。
でも、自分から言い出したことだから我慢しようと思っていたのだ。
「でも……」
「なに? 小雨は私が犯人だとでもいうの?」
「まさか」
そうだ。曲がりなりにも五月お姉ちゃんは先生――ごめん――だもんね。
「じゃ、ちょっとお願いする」
「はいよ。見張ってればいいんだろ? 用ができたら他の先生にお願いするようにするから」
「うん」
ちょっと後ろ髪を引かれた。
でも、
「お名前は?」攻撃から抜けられたことだけは正直ほっとした。
当然と言っていいのか、それから三日、目安箱は無事だった。
三日目ともなると、わいわいと騒がれるのにもだいぶ慣れてきたような気がする。
「噂の小雨ちゃんね?」
「はいっ。生徒会への投書があったらお願いします」
「何を書いても良いの?」
「もちろん。ラブレターでも良いですよ」
「あら。そうしたら小雨ちゃんが責任もって取り持ってくれるの?」
「それは自己責任でお願いします」
投書の枚数を数える余裕も出てきた。
今日はここまで二十八枚の投書があった。過去二日の実績では、三分の二がラブレターや遊び半分の投書。残り三分の一のさらに半分は個人的な悩み相談のような内容で、あとが生徒会への意見や不満、ひいては学校への不満などだった。
六百人以上の生徒数から考えたら決して多い数字じゃないけど、きっと0じゃないってことが重要なんだと思う。
ふふ、わたしもちょっと生徒会っぽい考えができるようになったかな?
「これ、お願いするわね」
「はい。承りました」
「ふふふ」
二十九枚目の投書を箱に受ける。三年生の女子。ちょっと垂れ気味の目が優しいその先輩は、ふわりとわたしにほほ笑むときびすを返す。
そろそろ昼休みが終わろうとしていた。あと数分。生徒もまばらになってきた。
で──ちょっと、お手洗いに行きたい。
さすがにこの箱をもってトイレには入れない。どうするか ──
「あ、先生、磐田先生!」
「はい?」
「いいところに。一分だけこれ持ってて下さい」
「あ、ちょ……」
微妙に押しの弱い磐田先生に箱を押しつけると、わたしは近くのトイレに飛び込んだ。こんな時に限ってお姉ちゃんは顔を出しくれないんだよなあ。
「二十八枚? うそ?」
「嘘ってことはないだろう?」
忠海会長が怪訝な顔でわたしを見ている。
放課後の生徒会室だ。
「だって、お昼休みには間違いなく二十九人のひとが投書したんですよ」
「数え間違えたんだよ」
「そんなこと……」
「ないと言えるか? 絶対に?」
「……いえ、もしかしたら……でも……う──」
なんだろう。
なんだろうこの変な感じ。
ひとつ目の目安箱を盗んで、ふたつ目は壊した犯人、そいつはまだあきらめて──ない?
いや、ずっとわたしがついていたんだから犯人が何かする暇なんてなかったんだけど。
何だか釈然としなくて、とっても気持ちが悪い──
「あら、小雨ちゃん」
「あ、昨日の」
廊下ですれ違ったのは、昨日お昼休みに最後に投書した先輩だった。
「また見張り番?」
「今お姉ちゃ、……山城先生に替わってもらっているんです。お弁当食べてきました。ええと……」
「瑠璃子よ。綿屋瑠璃子」
瑠璃子先輩は昨日と同じようにわたしにほほ笑むと、小さく手を挙げた。
「がんばってね」
「はい」
わたしは急いで生徒昇降口へと走った。そして、そこで信じられないモノを見た。
「小雨、ごめん」
「お姉ちゃん……これ、どういうこと?」
「ほんの一瞬だったんだ。渡辺先生と連絡事項をやりとりしていた一瞬でこうなっていた」
「……」
目安箱は口の部分がばりばりに破かれていた。
中の投書を無理に引っ張り出そうとした後が見て取れる。
「どうしました? あれ、またですか?」
そんな声を上げて近寄ってきたのは磐田先生だ。
──でも、この破き方は尋常じゃない。
「お姉ちゃん。一瞬てどのくらい?」
「二言三言だよ。今日の職員会議の時間が四時半からに変更になりました。あ、そうなんですか? それだけだった」
──無理だ。
たったそれだけの時間で段ボールの箱を、お姉ちゃんに気付かれずに破くなんてできるわけがない。
「周りに誰もいなかったの?」
「ああ、生徒はいなかった。だから油断した……」
目安箱は、コピー紙の束が入っていた箱が材料になっている。コピー紙五百枚の束が五束で一箱。事務室にお願いするといくらでももらえる箱だ。中身が重いからかなり頑丈な段ボールでできている。
「……」
あれ?
──ちょっと待って。
今、なにかが頭に引っかかった。
わたしはばりばりの目安箱を手に取った。その周囲を丹念に調べる。
やっぱり間違いない。
とすると──
「お姉ちゃん」
「ん?」
「ちょっと……確認なんだけど……」
わたしは五月お姉ちゃんの耳元に口を寄せた。
「ああ……そういわれれば、いたかもしれない」
「そう。……えっとね、これは半分は想像なんだけど……」
わたしたち姉妹のひそひそ話を、磐田先生が首をかしげて見つめていた。
翌日からお昼の目安箱番はやめにした。
それでも目安箱が悪戯されることはなく、残り二日は立派にその役目を果たした。
ちなみに、最後までがんばったのは、ばりばりにされた筈の目安箱三世だった。
そうして、翌週の中頃、数学の磐田先生が系列の別の高校に突然異動になった。時期を同じくして三年生の女子がひとり休学したとの噂もささやかれ始めた。その三年生は──綿屋という名前だという。
なんでも、磐田先生と綿屋先輩がいけない関係だったとか ──
そして、生徒会の目安箱事件にはこのふたりが関係していたとかいないとか──
お姉ちゃんから口止めされている、という理由でわたしも沈黙を守っていたんだけど──
「どういうことか、きっちり説明して頂戴。小雨ちゃん」
湯由子先輩が恐い。
なんか、わたしが悪いことしたみたいな感じだ。
「お姉ちゃん……」
「いいよ、どうせ噂になってるんだ。話してやんな」
生徒会室には、五月お姉ちゃん以下、生徒会役員が全員勢揃いしていた。
わたしは観念すると口を開いた。
「最初におかしいと思ったのは水曜日でした。二十九枚あったはずの投書が、忠海会長が数えたら二十八枚しかなかった……」
そう。あの二十九人というカウントには自信があった。なにしろ、目安箱の隅っこに正の字を書いて数えていたのだから。
そして、翌日の〈目安箱三世ばりばり事件〉。
お姉ちゃんの話では時間は殆どなかった。
そして、破かれた箱に、前日書いたはずの正の字もなかった。
ということは──
「実際に破かれていたのは最初に盗まれた目安箱で、お姉ちゃんが目を離したスキにすり替えられたんです」
では、誰がすり替えたのか?
あのとき、周囲に生徒は誰もいなかった。
「生徒は?」と忠海会長。
「そうです。会長は覚えていますか? 最初に目安箱がなくなったとき、磐田先生が言いましたよね? 『ひどいことをする生徒がいる』と。でも、生徒じゃなかった……」
ばりばり事件の時に何食わぬ顔をして現場に現れた磐田先生。その直前、渡辺先生と話をするお姉ちゃんの目を盗んで、箱をすり替えたんじゃないか──
わたしがあの時お姉ちゃんに訊いたのは、直前に磐田先生が通りかからなかったか、だった。
案の定、重そうにコピー紙の箱を運んでいたという。
それが、実は既に口の部分が破かれた空の目安箱とだったとは、もちろんお姉ちゃんは想像もしなかったと思う。──わたしだって、その場にいたら気にも留めなかったに違いない。本物のコピー紙の箱と二箱同時に持ってでもいれば完璧だ。
「二十九枚が二十八枚になったときもそうです。わたしがトイレに行くからと預けたほんのわずかの間に、一枚抜き出したんです」
「でも、三十枚近い中から一枚だけ?」と湯由子先輩が訊く。
「ずっと見張っていたんです。きっと。あの日、二十九人目に投書をしたひと……綿屋瑠璃子先輩を。で、箱の中から一番上の一枚を抜き去った」
わたしがトイレに行かなかったら、きっと別の理由をつけて替わろうとしたに違いない。
「磐田先生はね」と五月お姉ちゃんが口を開いた。「彼女に脅迫されていたのよ」
お姉ちゃんたち先生方の追及に、磐田先生はあっさりと事実を認めた。
瑠璃子先輩は一年ぐらい前に磐田先生に告白したらしい。磐田先生は押しに弱いタイプだったらしく、結婚を前提に付き合っている彼女がいたにも関わらず、瑠璃子先輩をすっぱり断り切れなかった。でも、先生曰く、なにもやましいことはなかったとか。
磐田先生の結婚で瑠璃子先輩がショックを受けたことは想像に難くない。裏切られたと思って、自分と先生の関係を学校にばらされたくなければ奥さんと別れろと迫った。そして、生徒会の目安箱にふたりの関係の証拠を入れると脅した──
何もやましいことがなかったのなら、磐田先生は静観していれば良かったはずだけど、それができなかった。その結果が今回の事件だ。
現実がどうだったにしろ、先生は異動することになってしまった。瑠璃子先輩のことというより、生徒会の目安箱を隠したり壊したりしたことの方が大きく影響したようだ。
すり替えられた目安箱は、昇降口近くのコピー室で見つかった。コピー紙の箱の上に無造作に置かれていたのだけど、それと知らなければ気付かなかっただろうと思う。
聞けば、その直前には、やっぱり瑠璃子先輩が投書していったという。
わたしがすれ違ったのは、投書した直後だったということだ。
ふと思う。
瑠璃子先輩の投書にはどんなことが書いてあったのだろう。
お姉ちゃんは見たようだったけど、わたしは教えてもらえなかった。
もしかしたら──
ううん、内容がなんであったとしても、結果として瑠璃子先輩の思惑どおりに事が運んだのじゃないだろうか。
わたしにかけてくれた、あの優しいほほ笑みの裏に、一体何が隠れていたんだろう──
「あーあ、今回は小雨ちゃんのひとり舞台だったね」
あずささんが悔しそうに言った。
「本当ね。蒼波高校生徒会に山城小雨ありって学校中にアピールした形になったものね」と湯由子先輩。
「あの、そんなつもりはなかったですし、別におおっぴらに謎解きをしたわけでもないんですから……」
「ばかね、あれだけ毎日笑顔を振りまいていたじゃない。ほとんど選挙活動よ」
選挙? 湯由子先輩なにを言って──
「とりあえず、なんか肩書きを用意しようか」と小越先輩。
「会計補佐とか、書記補佐とか?」今度は片熊先輩だ。
「冗談はやめておけ」と宮根先輩が言ってくれたが、最後に忠海会長がやってくれた。
「じゃあ、マスコットってことで良いんじゃないか?」
「……」
五月お姉ちゃんが大笑いをしている。
こうして、結果的にわたしを生徒会の一員だと大アピールしてしまった目安箱事件は幕を閉じた。
窓から入るしめった風が五月の終わりを告げる。
六月生まれのわたしは、もうすぐ十六歳だ。
え?
賭けの結果がどうなったかって?
それは──
わたしの口からはちょっと言えない。
《目安箱事件 了》