第二話 Dカップブラ盗難事件
「きゃ──────!」
女子更衣室に甲高い悲鳴が響きわたった。
「ど、どうしたの? 秋巴」
「ブラがない……」
クラスメイトの問いに呆然と秋巴さんが答える。
すわ泥棒かと、一気に色めき立つ女子更衣室。
一方、みるみる顔面蒼白になっていく秋巴さん。
あ──やばい。
わたしがあわててかけよったのと、秋巴さんの膝が崩れ落ちたのが同時だった。
気を失ってしまった秋巴さんは、更衣室のベンチに横たえられた。
本当だったら保健室に連れていきたいのだけど──力の抜けてしまった人間ってとっても重いのだ。いくら華奢な女の子でも、高校一年生にもなれば四〇キロはある。こっちだって女の子。まさか引きずっていくわけにもいかない。
それに別の問題もある。秋巴さん、上半身はだかのまま気絶しちゃったのだ。
──Dカップかなあ。
女の子の私でもちょっと目のやり場に困ったり。
とりあえず制服をかけてあげる。
何人かのクラスメイトが保健の先生を呼びに更衣室を飛び出していった。
「小雨、どう思う?」
親友の麻子がわたしに声をかけてきた。
「下着を盗まれたことがショックだったのかも」
氏家秋巴さんはおっとりとしたひとだ。図書館で本を読んでいるのがとてもよく似合いそうな──いや、これは私の妄想だけど──いまどきの高校生としてはちょっとおしとやかすぎる女の子だ。普段あまり男子と話をしているのを見かけない。男性恐怖症──とまではいかないけど、ちょっと男の子は苦手そうだ。下着を盗まれたなんてどれだけ──
「そうじゃないわよ。犯人よ、は・ん・に・ん」
「犯人?」
「体育の授業中に更衣室に忍び込んで、しかも秋巴のブラを盗んでいった輩がいるわけでしょ? 許せないじゃない! なんとしても捕まえなきゃ」
「もちろんだね。先生にいって……」
「ヌルい!」
「はひ?」
麻子は拳を振りあげた。
「そんな悠長なこといってたら逃げられちゃうじゃない。いますぐわたしたちがなんとかしなきゃ! あんた生徒会関係者なんだから権限あるでしょ?」
権限て──なにするつもり? 麻子。
秋巴さんのことを他のクラスメイトに任せると、麻子は更衣室からとびだした。
なぜか──わたしの手を強引に引っ張っていく。
「な、なにを考えているのよ? 麻子」
麻子は思いこんだら一直線なおひとだ。わたしを引きずったまま渡り廊下をつっきって特別教室棟へ入ると、職員室に飛び込んだ。
「借ります」
わたしを通行手形のように職員室の中へと押し込んだ麻子は、隅に設置されている放送用のマイクに取り付いた。
権限て──そういうこと?
わたしが生徒会に入り浸っていて半分役員待遇だから(実は役員でもなんでもない)、生徒会の用事って体裁を繕ったつもりか──
ザッ、と校内放送用のスピーカーからノイズが走る。
「あー、あ──、全校生徒のみなさま。ちょっと前に女子更衣室で窃盗を行った不届きものがいます。周囲に不審者がいないか確認してください。繰り返し……」
呆気にとられていた先生方が我に返って麻子を止めるまでに、麻子は言いたいことをすべて放送してしまっていた。なにより、その内容に先生方が色めき立った。
「どういうこと? 小雨」
体育教師で生徒会副顧問でわたしの実の姉、五月お姉ちゃんがわたしに詰め寄る。
「実は……」
秋巴さんは、こんな大騒ぎにはされたくなかっただろうなあ──
結局不審者は見つからなかった。
先生たちは生徒たちの持ち物検査をやるべきかどうか悩んでいるようだった。
男子生徒に下着泥棒の疑いをかけることに抵抗があるのだろう。わたしだってそれはいやだ。
でも──
本当に秋巴さんの下着を盗んだひとがいるならそれもいやだ。
麻子は強行に持ち物検査を主張していたけど、結局先生方になだめられて引き下がった。
麻子──もしかして下着ドロにあった経験あるのかな?
教室へもどる道すがら訊くと、あると答えた。ベランダから盗られたとか。しかもお気に入りのやつ。
うん。気持ちはわかる──
わたしだって、自分の下着を誰ともしれないひとに勝手にもっていかれたりしたら気持ち悪い。
それに、かわいい下着は意外と高いしね。
麻子をなだめなだめ歩いているうちに、わたしたちは自分たちのクラスについた。
ちょうど三時間目終了のチャイムが鳴って、教室から出てきた数学の先生と鉢合わせる。
先生の怪訝そうな顔。
でも、さっきの麻子の放送とわたしたちがすぐに結びつかないらしい。
それならそれでスルーさせて貰います。はい。
一年E組の教室にはいると、女子に囲まれた。
ん──、秋巴さんはいない。保健室かな。
「ねえ、どうなったの?」
誰からともなく発せられた問いが小声なのは、男子には聞かせたくないからだ。
わたしと麻子は顔を見合わせると、ゆっくりと手を横に振った。ダメだったというジェスチャー。
気まずい沈黙が降りた。
なんとなく空気に耐えられず、思わず男子の方を見てみたり。
「なあ、すごかったな。ぼいーんてよ」
おっぱいのポーズ。なにやってんだよ男子!
呆れてため息をついたとき、ふと「氏家」という名前が聞こえた。秋巴さんの名字。男子達が話題にしている。
「ちょっと、あんた達!」
やっぱり聞きとがめたらしい麻子が男子の輪に突進した。
「お、なんだ守前、財布見つかったか?」
「財布?」
「だって、さっきの放送おまえだろ? 財布でもなくなったんじゃないのか?」
「あれは秋……、じゃなくて……まあ、うん。それより、いま秋巴のこと話してなかった?」
男子連中がそろってにやけた。
ちょっといやな感じがする。
「ちょっと」
麻子は手近な男子の胸ぐらをつかんだ。
「まさかあんた達がやったんじゃないでしょうね?」
そのあまりの剣幕に男子達の血の気が引くのが目に見えた。
「おい、何の話だよ?」
「だから……体育のときの秋巴の……」
「ば、ばか。しょうがねえだろ。あれだけ目立ってりゃ。つい目もいくさ」
──目がいく?
「何の話よ?」
「だから……氏家のノーブラが凄かったって……」
「はあ?」
麻子は手を離した。
あまりのばかばかしさに体中の力が抜けたようだった。
まったく、男子ってやつは──
「……」
あれ?
なんか──ちょっと──
そこでチャイムが鳴った。麻子と男子のごたごたも空中分解。先生が来て授業が始まる──
でも、わたしは上の空だった。
そうだ──
そもそも、なんだって秋巴さんは体育の授業中にブラをはずしていたのだろうか。
あれだけ胸が大きかったら、ブラをはずしてたら動きにくいだろうに。
体育のためにスポーツ用ブラを用意していた様子もない。
考えてみれば、朝のホームルームに秋巴さんはいなかった。
二時間目の体育も十分ぐらい遅れてきていたっけ──
ん?
あれあれ?
更衣室で──秋巴さんはなんて言ってたっけ?
(ブラがない……)
「あ──、そうか! わかった」
わたしは思わず声を上げて立ち上がった。
「なんですか? 山城さん」
教科書を読み上げていた国語の先生の視線がわたしを射る。
「な、なんでもありません」
わたしは真っ赤になって椅子に腰をおろした。
前の席の麻子がこっそりわたしを振り返る。
「小雨、何がわかったの?」
「事件の真相だよ」
お昼休み、保健室で目を覚ました秋巴さんは、麻子からことの経緯を聞いて目を丸くした。
みるみる顔が真っ赤になる。
あ──やば。
わたしはまた秋巴さんが気絶しないように、あわてて麻子の言葉を遮った。
「大丈夫だよ秋巴さん。麻子が放送したのは〈窃盗があった〉ってことだけだから。女子更衣室は全部で三つあるわけだし……」
とはいえ、ひとの口に戸は立てられないけれど。
「ちょっとふたりとも、わたしにはさっぱりなんだけど」麻子が口を尖らせる。
秋巴さんはベッドの上に座って小さくなっている。
わたしは辺りに人影がないことを確認して、そしていった。
「秋巴さん、今日はブラ忘れてきたんだよね?」
「なっ……」
麻子が立ち上がって絶句している。
そう、それだけのことなのだ。
「わたし今日寝坊してしまって、朝は大慌てで出てきたの」
秋巴さんが恥ずかしそうに口をひらいた。
「体育の授業には間に合いそうだったから、制服の下に体操着を着てきたんだけど……ブラを忘れたことに体育が終わるまで気づかなくて……」
「ちょっと待って」麻子が言う。「まあ、あわててブラを忘れたところまでは良しとして……なんで気絶?」
秋巴さんはもじもじしている。
制服のブレザーの前をがっちりと押さえて。
「麻子。さっき男子が騒いでたじゃない?」
「あ──、そっか。男子にみられたことか」
麻子が脱力した。
ノーブラで真っ白な体操服一枚──男の子がちょっと苦手な秋巴さんには、たまらなく恥ずかしかったのだろう。
わたしはなんとなく自分の胸に目を落とした。
まったく──
神様は不公平だと思う。
≪Dカップブラ盗難事件 了≫




