番外編 五月先生の事件簿 カメラ小娘
「なんでダメなんですか?」
「職員会議で決まったことだからね」
わたしの大声に、五月先生が困ったような顔をする。
「部活動を作るには最低でも五人の生徒と、顧問の先生が必要なのよ」
「知ってます。だから、同好会でかまいません。顧問は畑中先生がやってくれるって」
「あのね、羽田。部活動も一応学校活動の一環なの。だから職員会議の決定には従ってほしいわけ」
「でも先生、生徒の自主性を育てるのも……」
「賛成ですね」と、脇からわたしの主張を後押しする声がする。しかし、こいつはわたしの味方なんかじゃない。
「おい、空地。お前がそんな態度だから羽田がこんなことを言い出したんだろ?」
「まさか。そもそも、我々の行っている活動と、彼女たちのお遊びを一緒にされては困ります」
ぷつんと、わたしの中でなにかが切れる。
「あっそう。あんた達のオタク趣味と、わたしたちの芸術は確かに違うわね」
「……なんて感情的な」
「うるわいわねっ!」
「やめんかっ、ふたりとも。ここは職員室だ」五月先生が呆れ顔でわたしたちを睨みつけた。「今日はここまで。明日の放課後までに、どうするかふたりで話し合っておきなさい」
「ええーー?」
「返事は?」
「……はい」
五月先生の行った行ったというおざなりな左手に送られて、わたしたちは渋々職員室を後にした。
わたしの名前は羽田哉美。よく間違えられるけど「たくみ」ではなく「かなみ」だ。私立蒼波高校の二年生だ。
最近、わたしはハマっていることがある。それは、カメラだ。
カメラといっても、ゴツくて重い一眼なんとかではない。わたしの言うカメラというのは、世間では通称トイカメラと呼ばれているものだ。
二月ほど前に近所のショッピングモールの中にある雑貨店で手に入れた。デジタル系は携帯電話くらいした扱えないわたしだけど、このカメラはフィルムを入れれば撮れる。今時フィルム? って言う友達もいるけど、現像ができあがってくるまでのドキドキ感は、いままで感じたことのないものだ。
親友の舞子も巻き込んで、放課後はカメラ片手に町を散策するのが日課になっている。
で、あるときふと思いついた。これってほとんど部活状態じゃん。なら部活にしちゃったら面白いんじゃない?
って。
思い立ったが吉日。わたしは担任の山城五月先生に相談した。ところがーー返ってきたのはとんでもない答えだった。
「写真部もうあるじゃん。そこに入ったら?」
蒼波高校の写真部には、まず女子がいない。部長の空地裕一は隣のクラスのやつで、名前しか知らない。
行動派の五月先生はおたおたするわたしの手を強引に引っ張ると、写真部部室までに一直線につっきった。ノックもせずにドアを開いて、室内にわたしを放り込む。
「ほら、入部希望者だぞ」
「ちょ、せんせ!」
「……」
部室の中で男子が数人こちらを見て固まっていた。五月先生の言動についていけてないに違いない。
世界が静止している間に、わたしはちょっと部室の中を見渡した。壁のスチールラックに積みあがった黒い固まり(カメラ?)。机の上にはパソコンとプリンターが数台。部屋の隅にある段ボールの山は何? 加えて、天井から壁まで、空いているところにはすべて写真。
「入部希望って、羽田さんカメラわかるの?」
最初に口を開いたのは空地。彼もわたしの顔と名前だけは一致していたらしい。考えてみれば一年の時は同じクラスだったっけ。
「わかるわよ」
「何のカメラ使ってるの?」
「……これ」
わたしはポケットから愛用のカメラを取り出した。
「ホルガか。最近はやりだね、女子の間で」
このとき、部屋にいた他の男子が失笑したのをわたしは聴きのがさなかった。わたしと写真部の対決は、ここにはじまったと言ってもいい。
「どんなカメラだっていいでしょう。重要なのはなにを撮るかよ」
「たしかに。で、羽田さんは何を撮るの?」
「そりゃ、町でみかけたかわいいものとか……」
またも失笑。
「あ、あんたたちはどうなのよ」
わたしは部室を見回して、一枚の写真をゆびさす。レースクイーンのような格好をしたモデルが微笑んでいる。
「鼻の下のばしてあんな写真ばっかり撮ってるんでしょう?」
「は? ポートレイトは写真の基本だ。あの写真はピントも睫に綺麗に入ってるし、背景のボケ味だって絶妙。そういう……」
「言ってる意味が分からないわ。カメラ小僧、きもっ」
ぶちっ、と空地のなかで何かが切れたように見えた。言い過ぎたか? でももう遅い。
「山城先生。羽田さんの入部はお断りします」
「わたしだってお断り。先生、女子写真部作ります!」
五月先生は、職員会議にかけるから正式書類を書くようにわたしに言った。明らかにその顔は面倒くさそうだった。
職員室で大声を出した翌日、わたしと空地はふたたび五月先生の前にならんで立っていた。
「で、ふたりの話し合いはどうなった?」
「もの別れです」と空地。
「そうか。残念だな」と五月先生。
わたしは無言だった。部活をあきらめなくちゃならないのかと思うと、ちょっと泣きたい気分だったのだ。
「ところで空地、文化祭が近いが、写真部は何かやるのか?」
「はい。作品展をやります」
「準備はすすんでるか?」
「まあ、ひとによりけりですけど」
「そうか」
五月先生はちょっとわたしの顔をみつめてから、いかにもすっとぼた口調で続けた。
「ああ、今思いついたんだけどなあ、お前たち、文化祭で写真対決してみたらどうだ?」
「「はい?」」不本意なことに空地とハモってしまう。
「ふたりでそれぞれ作品を撮って、それを一般生徒に投票してもらうんだよ。それでだ、空地が勝ったら羽田は写真部あきらめる。羽田が勝ったら、空知は写真部室を羽田に明け渡す。どうだ?」
「いいですよ。負けるはずありませんから」
空地の即答に、わたしの負けず嫌いの血が騒ぐ。
「こちらこそ受けて立つわ。部室をゲットできるってことは、部としても承認してもらえるってことですよね?」
五月先生は小さくうなずく。そしてーー
「ただし、勝負はお互いをモデルにした写真でおこなうこと。以上」
ーーやられた。
これは完全に五月先生の罠だ。
わたしと空地はいまさらやめるわけにもいかず、にやにやする五月先生を呆然とみつめた。
「舞子のバカ。なんでドタキャンなんかすんのよ」
次の日曜日。わたしは原宿の駅前に立っていた。不本意なことに空地と待ち合わせだ。
部室をかけることになってしまったわたしと空地は、とりあえず写真の勝負だけはガチンコすることにした。まずはわたしが空地を撮るということで、場所は原宿を指定した。空地には、くれぐれもオタクっぽい格好をしてくるなと厳命してある。
「お、お待たせ」
「遅い」
「……悪い。あれ、川奈は?」
「舞子はドタキャン。そっちは部員をつれてこなかたの?」
「モデルなんて恥ずかしいとこ、連中に見せられるか」
「……」
空地は、ジーンズにTシャツ、その上にパーカーを羽織っていた。可もなく不可もなしって感じだ。
「じゃあ、いこうか」
「で、どこで撮影するんだ?」
「どこって?」
「いや、こんなひとの多いところでポーズつけるのはちょっと恥ずかしいな」
「はぁ? ばっかじゃないの? わたしのコンセプトはあくまで自然体よ。空地は原宿の店を何気なく散策すればいいの。わたしがそれを写真に撮るから」
「スナップってことか」
「スナップって言うの?」
空地は明らかに呆れ顔をしている。
わたしは足でかるく空地を小突いて、「さっさと行くわよ」と歩きだした。
空地が何かぼやいていがが、人混みの中ではほとんど聞こえなかった。
次の日曜日。今度はわたしがモデルで空地がカメラマンの番だった。
場所は学校の放送室。
「ねえ、なんで放送室なの?」
「ここが一番照明をやりやすいんだ。南向きで窓から光りも入ってくるしね」
「へえ」
わたしの格好は制服だ。
放送室の放送部屋(って言うの?)の一角にはおおきな模造紙が貼られていて、その正面にはテレビとかで見るような大きなランプが二つおかれている。
「これ、学校の備品?」
「ひとつはね。もうひとつは部員の私物。借りたんだ」
ランプに明かりが灯ると、室内の温度は急上昇した。
「暑っつ!」
「ごめん。我慢して」
「……」
そういえば、今日も舞子は来ていない。他の写真部員もだ。ーー五月先生、何か手まわしてたりしなよねえ。
「よし、じゃあポーズとってみて?」
「ぽーず?」
「そうだよ。ポートレートなんだから」
「ええと……雑誌の表紙とかでアイドルがやっているのような?」
「そう」
「ムリムリムリムリ、あんなんムリ」
「……どんなの想像しているの?」
わたしはちょっと赤くなった。なんというか、セクシーポーズを想像してしまった。
「じゃあ、俺の言うとおりにしていくれる?」
「変なポーズはいやよ」
「大丈夫だよ。じゃ、ちょっと斜に構えて」
空地の指定してくるポーズは、概ね大人しいものだった。これ、いったいどれだけおしとやかに映っているんだろう。
無駄に大きいレンズが、妙に印象的だった。
さて。
勝負の結果をここに記す必要はあるだろうか?
あえていうなら今回の勝者は五月先生ということになるのだから。
わたしは、一眼レフ(覚えた)カメラで撮った自分の写真をみて眼を疑った。だれ、これ?
こちらを涼しげな顔で見つめている清楚な女子高生。わずかに視線をそらして物思いに耽る女子高生。細かな睫と、艶やかな唇と、わずかににじむ髪の毛。
カメラって、わたしでもこんなに綺麗に写るものなの?
それはもう衝撃といっていいできばえで、わたしは完敗の白旗をあげざるを得なかった。
「この写真ちょうだい」とまで口走ったほどだ。
一方で、空地は空地で自分が自分に見えないと言っていた。わたしが原宿で撮影した写真は、なんともポップでおしゃれで楽しげにできあがった。
空地いわく、こんな写真は写真の教本には載ってない。でも、なんだか自分だと思うとこそばゆいな、だそうだ。
お互いがお互いに白旗をあげた。
それは、間違いなく五月先生のねらい通りだったろう。
現在、わたしたちはお互いをモデルに写真をとることにハマりつつある。わたしは一眼レフを借りて勉強中だし、空地はホルガを一台買った。
そんなわたしを見て、あるとき舞子がぼそりと言った。
「哉美もすっかりカメラ小僧だね」
「小僧とはなによ小僧とは」
「じゃあ、カメラ小娘!」
間違っていないのだろうけどーー
わたしはカメラを構えると、舞子を一枚撮ってやった。
《カメラ小娘 了》