第一話 メイドさん告白事件
「ずっと好きでした!」
えっ? と生徒会室中の視線が入り口に集中した。
メイドさんが立っていた。
声が裏返ってる。
「つ、付き合ってください! 最終日に大桜の下でおまちしています!」
部屋中が呆然とするなかメイドさんはきびすを返した。
え? あれ?
何かが足りないよ?
あなたは誰で? 告白の相手は──
「小雨!」
突然わたしの名前が呼ばれた。
「はひっ、なんでしょう? 生徒会長!」
「おっかけろ!」
「はいい!」
わたしは生徒会室から転げるように廊下へ飛び出した。
廊下の人混みの中を、くだんのメイドさんがスカートをひるがえしながらかけていく。
「ぜったいつかまえろ!」
生徒会室からの声援に送られて、わたしは廊下をかけだした。
放課後の廊下はひとと荷物であふれていた。
わが蒼波高校は、現在文化祭の準備の真っ最中である。
「小雨ちゃん、どうしたの?」
あちこちから声がかかるが、今は返事をしている場合ではない。
逃げるメイドさんは下り階段に飛び込んだ。遅れてわたしも階段をかけ下りる。
一階まで来て──
「……」
見失った。
ここは特別教室棟の一階だ。並んでいるのは職員室に校長室、応接室、保健室、事務室。あの メイドさんは生徒だろうから、そのどこかに飛び込んだとは思えない。渡り廊下を渡って一般教室棟へ向かったのなら、たぶん見失うことはなかったと思う。
とすると──
わたしは、唯一の可能性である女子トイレへと踏み込んだ。
「あれ?」
三つある個室は全部空いていた。洗面台を使っている生徒がふたり。
「あ、小雨ちゃんだ」
「ここにメイドさんが来ませんでしたか?」
三年生らしき女生徒ふたりに訊いてみる。
「メイドさん? どんなの?」
「紺のミニのワンピースに黒のニーソ。白いカチューシャにふりふりのエプロン」
「典型的ね。来なかったわ」
しまった。一般教室棟へ逃げ込まれたか──
わたしがメイドさんを探している理由を、ふたりの三年生が興味津々で訊ねてくる。
「生徒会室に、用件の足りない伝言を言い捨てて走り去ったメイドさんがいて……」
「それって、女の子とは限らないんじゃない?」
「は?」
「今年の文化祭、メイド喫茶をやるのって何クラスぐらいあるの?」
「……」
メイドさんはかつらをかぶっていた。化粧もしていた。声も裏返っていた。実は男子でした……というオチは十分あり得る。
わたしは女子トイレから出ると、となりの男子トイレの前に立った。
こっちに入ったか。
……、ええと。
入ってもいいですか? ここ。
「こらこらこら」
男子トイレに踏み込もうとしているわたしを、さっきの三年生ふたりとは別の声が止めた。
振り返ると、長身のジャージ姿が立っていた。
「五月お姉ちゃん」
「なにやってんの? あんた」
わたしの実のお姉ちゃんで、この学校の体育教師で、しかも生徒会の副顧問。名前は山城五月だ。
「生徒会のマスコットが男子トイレなんかになんの用?」
首をかしげる五月お姉ちゃんに、わたしはメイドさんのことを説明した。
「じゃ、私が見てくるから。小雨はまってな」
お姉ちゃんはすぐに戻ってきた。
その手には、──白いレースのついたカチューシャが握られていた。
「結局、逃げられたのか」
「はい……」
生徒会長の言葉にわたしはうなだれた。
「そんなに小雨ちゃんを責めたらかわいそうです」と言ってくれたのは書記のあずささん。「会長だって、メイドさんが男だなんて思いもしなかったんでしょ?」
「これで自分への告白だった可能性が消えたからがっかりしてるのよ」と切り捨てたのは副会長の湯由子先輩だ。
「それが落ちてたってことは、男子トイレで着替えたってことですかね?」
もうひとりの副会長、片熊先輩が指さした先には、さっき五月お姉ちゃんが拾ってきたカチューシャがあった。
「これはトイレの窓際に落ちていたわ。乗り越えるときに窓枠に引っかけたんでしょう。小雨が一階できょろきょろしていたときには、きっとまだ男子トイレの窓の外辺りにいたんじゃない?」
わたしと一緒に生徒会室に戻ってきた五月お姉ちゃんが答える。副顧問だから、お姉ちゃんもここを根城にしているのだ。
「何かの罰ゲームだろ。女装して生徒会室へ。本気にするほうがどうかしてる。それより仕事がたまっている」
書記の宮根先輩が冷静に指摘する。それで、生徒会室はお仕事モードへ一気にもどった。半端でない量の仕事が残っているのは本当。だって、文化祭はあさってとしあさってなのだ。
仕事が再開されてしばらくして、作業をしていたわたしに湯由子先輩がこっそりと耳打ちをした。
「小雨ちゃん、お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「さっきのメイドさん、誰だか調べてくれない?」
「はひ?」
「だって、男子だったってことは、当然相手は女子ってことよね?」
まあ、一般的には。
「なら、私かあずさのどっちかってことでしょう? 女装して違和感がなかったんだから、すっぴんもきっとかわいい子だと思うのよね」
先輩、よだれよだれ。
「学校の人気者の小雨ちゃんなら調べ物は得意よね。よろしく」
言いたいことだけ言うと、湯由子先輩は仕事に戻っていった。
えっと……ひとつお忘れのようですが、わたしも女の子なんですけど。
私立蒼波高等学校の生徒会役員は全部で六人。
生徒会長 忠海浩也 三年生 男
副会長 鈴木湯由子 三年生 女
副会長 片熊亮介 二年生 男
書記 宮根和希 三年生 男
書記 鳴海あずさ 二年生 女
会計 小越功一 三年生 男
ちなみにわたしは山城小雨、一年生、女。なにものかというと──単なるお手伝い。
五月お姉ちゃんが副顧問をしているので、ついつい生徒会室に入り浸るようになってしまったのだ。
校内ではわたしも生徒会の一員として認識されているらしい。「生徒会のマスコット」なんてお姉ちゃんは言うけど、つまりはお飾りってことだ。どうせなら「アイドル」とか言ってくれればいいのに──
それはともかく、メイドさんだ。
状況をかんがみるに正体は男子生徒でまちがいなさそう。
告白が本気だったと仮定して、相手は女子ということになる。
──まあ、ボーイズラブの可能性は消しきれないけれど、ややこしくなるので却下ということで。
で、ここからは推理。
まず、なんで男子がメイド服を着ていたのかだけど──
男子がメイド役の喫茶店をやるクラスの子、というのがひとつ。そうじゃないけどクラスメイトから勢いで着せられちゃったというのがひとつ。女装趣味って可能性もあるかな。
わたし的には、着せられちゃった説を支持したい。
なんだかわからないけど違う自分になった──
いまなら告白できるかも!
そんな勢いが生まれたんじゃないのかな。うーん……、男の子の気持ちはちょっと謎だけど。
名乗らなかったのは、すごく舞い上がっていた証拠だと思う。衝動的な行動ならありえるよね?
で、恥ずかしくなってゆでだこになってとりあえず落ち着こうとしてトイレに飛び込んだ──、そんなところかな。わたしが追っかけていたことにはたぶん気づいてない。
窓から出たのは──メイドさんが男子トイレから出てきたらびっくりされるだろうと思ったからだろうと思う。場所は特別教室棟のトイレ。校長室とか近いのだ。
問題は誰への告白だったのか──
放課後、生徒会室に常時いるのは生徒会役員の六人とわたし。だから、そのうちの誰かに向けられたものだったということで間違いないと思う。文化祭の準備期間のいまなら、まちがいなくほとんどの生徒会役員がそこにいるんだし。(実際には小越先輩はいなかったけど)
で、まずは男子を除外。
わたし──も除外していいと思う。(いや、わたしだったら嬉しいけど)
だって、相手が悪すぎる。
湯由子先輩は、背が高くてスタイル抜群。大和撫子を絵に描いたような腰までのストレートヘアがトレードマーク。ちょっとオタク趣味ではあるけれど、それでも校内で三本の指に入る美人さんだ。
いっぽうのあずささんは、生徒会役員なんかやっているけど、実は陸上部のエースでもある。春の高校総体、百メートル走県内三位の実力者だ。引き締まったからだと、肩口までのさわやかなショートカット。蒼波高校のアイドルなのだ。
で、わたし──は省く。
高校生活の甘酸っぱい思い出──みたいなノリで告白するには、ちょっと高嶺の花すぎるふたりだから、それこそメイド服を着た勢いで清水の舞台から飛び降りちゃうしかなかったのかもしれない。合掌。
でも、調べろっていわれてもなあ──
「ほら、いつまで入ってるのよ、小雨」
突然お風呂場のガラス扉が横に引かれて、そこに五月お姉ちゃんが立っていた。
「私も入りたいんだから、早く出な」
「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてた」
わたしは湯船から上がった。それを見たお姉ちゃんが服を脱ぎ始める。
「なに? 今日のメイドの件?」
「うん。湯由子先輩に調べてくれっていわれたんだけど」
「鈴木は……そういうの好きだなあ」
「どうしたら調べられるかな?」
「そんなの簡単だよ」
五月お姉ちゃんはお風呂場のガラス扉を閉めながら言った。
「当日みんなでその場に行ってみればいいだけ」
メイドさんの告白の翌日。
文化祭の前日だから授業はなく、まるまる準備にあてられる日だ。お祭りの前で、なんだか学校中の空気がふわふわと浮ついている。
「一年A組の羽生明良って子らしいわ」
普段だったら五時間目が始まる頃合いに、あずささんが目を輝かせて生徒会室に飛び込んできた。
「昨日のメイドさん? どんな子どんな子?」
湯由子先輩が真っ先に反応する。男子役員は──ほとんど無反応だ。
「小雨ちゃん名簿とって」
「はい」
わたしは書類棚から今年の一年生の写真付き名簿をひっぱりだす。奪い取るようにそれを受け取った湯由子先輩は、一年A組の頁を開いた。
「ちょっと……かわいいじゃない!」
先輩、鼻息荒すぎ。
「一年A組はメイド喫茶をやるのよね」とあずささん。「メイド服は基本的に女子が着るんだけど、その顔をみたら着せたくなっちゃいますよね?」
うんうん、と湯由子先輩が頷いている。
わたしも名簿をのぞき込んでみた。
写真が小さいせいもあるかも知れないけど──確かに綺麗な顔だ。むう、わたしよりかわいいかも。
「でも、なんでこの子だってわかったんですか?」とあずささんに訊いてみる。
「陸上部の後輩が一年A組にいるのよ。で、おもしろがってその羽生くんにメイド服を着せたら、走ってどこかに行っちゃったと」
「ああ、それをあずささんが聞いて……」
「違うのよ。うちの部の先輩で、メイドさんが生徒会室に何かを言い捨てて逃げたことを知っているひとがいたのよ」
「あ!」
昨日一階の女子トイレで会った三年生ふたりだ。
「さらにさらに、昨日の放課後は、生徒会室の前にも結構ひとがいたでしょ? あれだけ大声で叫ばれたら、そりゃあ聞こえるわよね?」
そりゃそうだ。
「色々な情報が統合されるのに約半日、いまや羽生くんのやったことは、ほぼ全校生徒が知っているわよ」
「で、誰への告白だったんですか?」
「……」
「まさか……」
「そう、それだけが謎のままなのよ」
一瞬の沈黙。
そして──あれ、ちょっと、空気がぴりぴりしているのは気のせいですか?
湯由子先輩とあずささんの間に、見えない火花のようなものが散った──ようにわたしには見えた。
「お、おふたりとも、今からその羽生くんのところに行くんですか?」
「「まさか!」」
え? あれ? なんで?
「小雨ちゃんにはまだわかんないか」と湯由子先輩。
「せっかく追っかけてきてるんだから、こっちから行く必要はないのよ」とあずささん。
「……」
「あずさ。文化祭最終日までは抜け駆けなしよ」
「もちろんです。負けませんよ、先輩」
えっと──羽生くんはもうどちらかに決めてるんじゃないかと思いますが、それは無視ですか?
それ以上に、ふたりともさっきまで羽生くんの「は」の字も知らなかったのに──
命短し 恋せよ乙女
あれはなんて歌だったかなあ。
そんなこんなで文化祭最終日。
メイドさんこと羽生明良くんが指定した「大桜」っていうのは、校舎の裏庭にある桜の木のことだ。樹齢八十年を越えるソメイヨシノで春には毎年満開の花を咲かせる。非常にありきたりだけど、告白のメッカだ。
羽生くんは時間の指定をしなかった。ただ、文化祭が終了する午後五時半頃だろうという憶測が校内をとびかっていた。それを本人が聞いていないことはないだろうから、現れるならきっとその時間だ。
九月も終わりのこの時期、五時を過ぎると辺りは随分と薄暗くなる。
「先輩……ちょっとやりすぎじゃあ……」
「いいのよ」
湯由子先輩はなんと投光器を用意していた。満開の花ならともかく枝だけのライトアップ。大桜もきっとあきれているね。
「来た」
どこかから声が上がった。
裏庭はいまや黒山の人だかりだ。裏庭に入りきれないひとたちは、各階の窓から鈴なりになって見下ろしている。
羽生くん。そんななかによくぞ現れた──
で、なんでメイド服なの?
かつらはかぶっていなくて、今回はしっかり顔の判別はつくけれど。
大桜をぐるっとかこむ人垣が割れる。
クラスメイトらしき男子ふたりに両脇を固められて、メイド姿の羽生くんは大桜の幹の前に立った。
正面には生徒会の面々が勢揃いしている。ことの成り行きを見守ろうと、副顧問の五月お姉ちゃんもいる。
羽生くんは、クラスメイトからしきりに促されているが、まだちょっと及び腰だ。
きっと、一年A組のメイド喫茶は大繁盛だったと思う。だって、ここ数日の話題独占だったんだから。クラスメイトが羽生くんを引っ張ってきたのは、宣伝のためのパフォーマンスだったって批判を封じ込めるためだろうか。
──友情のためって発想がすぐ出てこない辺り、わたしもだいぶ生徒会に毒されてきたか。
「あ、あの」
ついに羽生くんが口をひらいた。
待ってましたとばかり、湯由子先輩とあずささんが前に進み出る。
「生徒会の皆様、大変ご迷惑をおかけしました」
羽生くんは内気そうな口調で言った。メイド服は勇気を出すためのおまじないかな?
「こんな大ごとになってしまって。でも、自分の気持ちをちゃんと伝えようと思います」
やんややんやと歓声が沸く。
「さすが男の子ね」
五月お姉ちゃんが私の後ろで頷いている。
本来なら羽生くんの告白は終わっているので、この場では相手が返事をするだけのはずだったのだ。
でも、ねえ?
これからもう一回、羽生くんが湯由子先輩かあずささんに告白する。
で、コクられたほうが返事をする──
あれ、なんだかわたしもドキドキしてきた。
先輩ふたりも、オーディションの結果発表を待つみたいな顔をしている。
「この前は僕の名前も、あなたの名前も抜けてしまいました」
羽生くんはぐっと拳を握りしめると、ゆっくりと大桜の下からこちらに向かって歩き始めた。
湯由子先輩とあずささんに対峙して──
ふたりの間を抜ける。
あれ?
まさか──
ちょ、ちょっと待って。
心の準備が──
羽生くんは私の正面で立ち止まった。
そして顔を上げて──
言った。
「一年A組羽生明良です。僕と付き合ってください。五月先生」
結果から言えば、羽生くんは五月お姉ちゃんにふられた。
あの状況でうろたえることなく、私にはお付き合いしている人がいるから、と羽生くんに答えたお姉ちゃんは、やっぱりオトナだった。
まるっきりの勘違いだった湯由子先輩とあずささんは、がっかりはしたようだったけど、それ以上落ち込んだりはしていない。
なんていうか、強いね。
むしろ、一瞬でも自分かと思っちゃったわたしの方がダメージが大きかった。
しばらく、夜な夜な夢にみてもだえ起きることとなった。
いやはや──
わたしも、もちろん湯由子先輩とあずささんも忘れていたのだが、五月お姉ちゃんも生徒会室の住人のひとりだったのだ。
もちろん職員室や体育科準備室に席はあるけれど、暇なときはほとんど生徒会室にいる。生徒会正顧問の渡辺先生は忙しくてなかなか手が回らず、お姉ちゃんがほとんど一人でみているような状況なのだ。
だから、羽生くんは生徒会室に飛び込んできた。
五月お姉ちゃんがいると思って。
でも、緊張で訳がわからなくなっていた羽生くんは、お姉ちゃんがいないことに気がつかなかったのだ。
メイド服については──やっぱり、いつもと違う自分になれた気がしたそうだ。似合う似合うとまわりから囃されたのが効いたんじゃないかとわたしは思っている。
さて──
その後の羽生くんについて、ちょっとした噂を耳にした。どうやら彼、次回の生徒会役員選挙に立候補するつもりらしいのだ。
公衆の面前であれだけきれいにふられたというのに、まだ五月お姉ちゃんのことをあきらめきれていないようだ。むしろ、変な度胸がついちゃったのかも。
なんというか──
メイド姿で選挙に出てこないことを祈るばかりである。
《メイドさん告白事件 了》