43. 嫌よ嫌よも好きのうち。
「ペドロは大きい病院の跡取り息子なんだ。おい、ミスターヒロセを病院に案内したらどう?」
ヴィトールは陽気にペドロと肩を組んでそう言う。俺とペドロの祖父がスクールの同級生で彼が小さい頃から知っている、とヴィトールが言った通り、彼らは本当に親子のようだ。
ペドロは乗り気ではない様子だったものの、ヒカルの頼みもあって病院を案内してくれることになった。
ここです、と指し示した病院はヒカルが思っていたよりも大きく豪華だった。
病院というよりホテルのような外装をしている。
裏口で念入りな消毒を受けて、まずは院長であるペドロの祖父に挨拶に向かう。
「まだ昼休みだからいると思います」
という彼の言葉の通り、重厚な扉を開けた先には革張りの大きな椅子に深く座り新聞を広げる男性の姿があった。
年齢としては80を超えたくらいのはずなのに威厳があり老人とはいえない見た目をしている。
奥まった目がギラギラとヒカルを見つめていて、ヒカルは身が引き締まる。
「彼がヒロセヒカルさん、ほらあのニッポンの……」
ペドロがここまで言ったところで彼ははっとした顔をして椅子から勢い良く立ち上がった。持っていた新聞が手と机の間に挟まれてくしゃくしゃだ。
「君があの“ヒカル”か! 会いたかったよ、ようこそこの病院へ!」
新聞を床に投げ捨て、カツカツと音を立てて大股でこちらへやって来る。身長の高い彼の威圧感に思わず怯んだ。
しかし彼はただヒカルに強くハグをした。
ガルバナム、日本では楓子香とも呼ばれる自然的でスパイシーな香りがヒカルを包む。
腕の行き場がなくなって彷徨わせるだけのヒカルをよそに、院長はペドロたちにヒカルと二人きりにするよう命じる。
戸惑うペドロも何も言わず、大きな部屋に大きな院長とヒカルのみが残された。
ようやく彼の腕から解放されて言われるがまま客人用らしき椅子に腰掛けた。それでさえ深く沈み込む高級そうな椅子なので、先ほど彼が座っていたあの大きな椅子は果たしてどれほどの座り心地なのだろうと想像してしまう。
正面にどかっと腰を下ろしてにかっと白い歯を見せる。
「本当に私は君のファンなんだ! ほら、こちらでも売っている雑誌はすべて買っているんだよ」
椅子の後ろにある本棚を開けるとそこにはヒカルが以前取材を受けたセラピスト雑誌が並んでいた。
しかしヒカルはなぜ伯剌西爾でこんなに大きい病院の院長をしている彼が自分にここまで興味を持ってくれるのか分からない。
そんな様子に気付いたのか、院長は微笑んで言った。
「ペドロも特殊能力を持たないことは聞いたかい? だからだよ、彼が……その、ああいうようになったことに家族である私たちも責任を感じているんだ」
途中言い澱んだのは能力のない人を失敗作のように言おうとしたがヒカルもまた“そう”だったと気付いたからであろう。
「特殊能力は持たずとも君はニッポンでも特に優れたセラピストだと聞いている。将来この病院を継ぐペドロにも君のような素晴らしいセラピストになって欲しいと思っているんだよ。あいつにいろいろと教えてやってくれ、お願いだ」
「ペドロさんも優秀だと聞きましたし、先ほど少し会話して彼の知識の深さに圧倒されました。私のほうこそ彼に様々なことを教わるかと思います、よろしくお願い致します」
「互いに有意義な交流になると嬉しいね。では、自由にここを見て行ってくれ」
ヒカルが一礼して退室しようとしたとき、院長は思い出したように、
「ヴィトールを呼んでくれるかい? 久しぶりに会ったというのに挨拶も適当に済ませてしまって怒っているだろうから」
と言った。
再び重厚な扉を出て真っ直ぐ歩いたところでペドロたちに会う。彼らは待っている間どうやら紙コップに入ったコーヒーを買って会話していたようだ。
院長が言った通りヴィトールは怒っていて、とは言っても仲の良い者同士のじゃれ合いのようなものであるが、彼が呼んでいることを伝えると何やらぶつぶつ不平を漏らしながらそちらへ行ってしまった。
その様子を見ていたペドロは、
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってやつですかね。では僕の研究室にご案内します」
と呆れて苦笑しつつも、病院の横にある無機質な建物に繋がる廊下を歩いて行った。
もちろん日本語で書いていますが、院長の言葉はエイゴです。ヒカルすごいね。