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僕は人々が嗅覚を奪われた世界で、アロマセラピストをしています。  作者: 梅屋さくら
Perfume3. 悲痛な決断と伯剌西爾での三日間。
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39. ひとりの人間だ。

 苦しそうな嗚咽が、ふう、ふう、と不自然な呼吸に変わってきた。

 深呼吸して、というヒカルにならって、同じように吸って吐いてを繰り返す。

 ヒカルは何度も肩と背中を往復させていた手を自分の膝上に戻して、力が抜けたように背もたれに寄り掛かる。そして、


「マコトは悪くないよとか陳腐な言葉しか浮かばないけどそんな慰め必要ないと思うから俺の今の気持ちをただ話すね」


 と沈黙を破った。


「ハルエさんのことはセラピストと患者っていうよりも、人と人の関係性が問題だったと思う。だからマコトにもフミヒコさんにも同じだけ彼女を救ってあげられるチャンスがあった。これは事実だ」


 彼にしては綺麗事でなく厳しい事実を突きつける語り口に、マコトは他の誰に言われるよりも大きな衝撃を受ける。

この場合、“救ってあげられた”という事実は何よりも鋭い凶器だ。

 ここで一旦言葉を区切り、彼の声色が優しくなってまた言葉が続けられる。


「俺が少し悲しいなと思うのは、マコトがハルエさんを救えなかったことから始まってセラピストは不幸だって結論に達したこと。君はね、自分がセラピストであることに縛られすぎだと思うよ。君はセラピストである以前に、ひとりの人間だ。よく考えて」


 そう言っておもむろに腰を上げると、勝手にキッチンに入って冷蔵庫を漁り始めた。

 そこそこ自炊をするマコトの冷蔵庫にはそれ相応の食材が入っている。中を見つつ、あるもので簡単に作れる料理を脳内に入っているレシピから探す。


「これ、使うね」


 シーチキン缶にマヨネーズと粉チーズを加えてすり潰すように混ぜ合わせ、マコトが薬味として切っておいてある青ネギを入れてふんわりと混ぜる。そしてそれを厚揚げに乗せてオーブントースターできつね色になるまで焼く。

 オーブントースターから取り出したそれは、良い香りの湯気を立ててヒカルの食欲をそそった。


「今日夕飯食べてないしね、食欲ないかもしれないけどこれくらいは食べよう」

「ちょうど小腹空いてきた。ありがとう」


 2人はコーヒーカップを片付けて今度はガラスのコップに緑茶を並々注いだ。


「いただきます」


 手を合わせて同時に料理を口に運ぶ。

 未だマコトは涙をぽろぽろと零していたものの、「美味しいな」と笑顔で言った。彼が涙を隠さずに見せてくれたことがヒカルは嬉しかった。


 ある日、マコトが駐車場とは逆方向へ歩いてクリニックから帰っていった。

 そのタバコを咥えた水色髪の男にヒカルは「柄悪いな」と笑いかけたら、彼もまた笑って何も言わずにタバコの箱を差し出す。


「吸いたいけどやめておくよ。これから何か用事?」


 箱をポケットに押し込み、咥えていたタバコを指で挟む。

 んー、と間を置いてから、


「これから花屋さんの家にお邪魔して、久しぶりに顔見せてくるんだ」


 と言った。


「そっか、きっと喜ぶね」

「だといいけどな」


 彼はヒカルに背を向けて、手をひらひらと振って真っ直ぐに歩いていった。

 その腕を下げたときヒカルは後ろから大声で叫んだ。


「マコト! 俺が、セラピストは幸せって思わせてやるからな!」


 マコトはもう1度腕を上げてブイサインを見せ、後ろ向きでも聞き取れるくらい「ははっ」と大胆に笑う。


「なあに青春してるのよ」


 背中が雑踏に消えていくのを見送っているとクリニックから出てきたイノウエにそう声を掛けられる。


「アヤノちゃん、明日から戻るって」

「……彼女は今どういう状態ですか?」

「『こういうことも乗り越えなきゃ』って思ってるみたい。あの子本当に強くて、尚更助けてあげたくなっちゃうわあ」

「頼もしいですね、ショックがとても大きかったと思うので心配してました」


 しばらくクリニックを休んでいたアヤノの様子をイノウエが定期的に見に行っていた。彼女は彼女なりにあのショックを乗り越えようとしていると知って、アヤノの強さを改めて思い知る。


「どうしてマコト君はハルエさんのこと“花屋さん”なんて職業で呼ぶのかしらね」

「俺もそれ不思議で、前に聞いたことがあるんです。そうしたら『そんなに距離を詰めたら別れがあまりにも辛くなるから』だって」

「どうせ職業で呼んでも別れは辛いでしょうに。そういうよくわからない理論、彼らしいわ」


 2人は妙に納得して、この日の仕事を終えた。

 ハルエの一件以来クリニック中になんだか重苦しい空気が漂っていたのだが、ヒカルはこの日を境に全員の雰囲気が一変したように思えた。皆がそれぞれの着地点を見つけた、そんな風に。

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