06.アルバート視点
燃え盛るアマリリス宮を前に、私は絶望した。彼女は私の友人であり、初めて心を寄せた人。友人のセオドアと相思相愛で、二人は幸せになるものと信じて疑わなかった。
そう、なるはずだった。
またアディントン男爵令嬢は私の執務室にやってきた。王宮内をある程度歩き回れるよう許可されているとはいえ、皇太子宮を勝手に行き来していいというわけではない。
恐らく、アディントン男爵令嬢に心酔して自我を失ったダンフォースの仕業だろう。あの男は愚かにも、皇太子の護衛騎士でありながら彼女の言葉に従って動いている。
あの者は一体、誰の護衛騎士なのか。全く役に立たない護衛だ。
腕は確かだからこそ、余計に困る。彼が彼女の言葉だけを聞くようになったら、私を護る護衛達は奴の反逆を止められるだろうか。
第1387代騎士団剣技大会にて優秀な成績を収めた、稀代の騎士ダンフォース・ボールドウィン・クロムウェル侯爵。若手の騎士の中では、一番の剣の腕を持つ。
口を開けば許嫁自慢しかしないと有名だった彼が私の護衛騎士となり、それから数か月も経たずに人が変わってしまった。社交界で巻き起こる事件の渦中に、彼も巻き込まれたのだ。
あらゆる手段を講じたとしても、彼を魔の手から救う手立てはなかった。ドロレスには、本当に申し訳ないことをしたと思っている。
他の貴族からアディントン男爵令嬢を引き離すことはできても、彼の配属を変えることは難しかった。昨今、隣国との良好な関係が築かれている我が帝国では、彼ほどの実力の持ち主を国境に配属させるわけにも行かず、ならばと適当な役職を与えて王宮から追い出すにはあまりにも腕が立ち過ぎた。
彼の他にも王宮内で犠牲となっている者達はいたが、現状ではこれ以上の有効的な手段は見つからず、このまま現状維持するかない。
その元凶とも言うべきアディントン男爵令嬢は、王宮に住めるのは未来の王妃になれるからだと信じて疑わなかった。まさか、そんなわけがないだろう。彼女は、我々王族の恨みの対象なのだから。
アインツ公爵一家を死に追いやっておいて、まさかここまで厚顔無恥でいられるとは、信じられない思いだ。
不快なほどに媚を売るアディントン男爵令嬢に、適当に接する。適当とは言っても、紳士たる者の宿命か、冷たく当たれない自分が恨めしい。
今朝も、強引に連れて行かれたかと思えば寄りにも寄ってセオドアのところだった。彼が、どれほどベアトリスを愛していたか知らないわけもないだろうに、まるでベアトリスさえいなくなれば己を見てくれると思っていたかのようだ。
彼ほど、アディントン男爵令嬢を殺してやりたいと思っている者もいないというのに。
ベアトリスは、セオドアにとってすべてだった。二人の仲は、世紀の大恋愛だと囁かれるほど帝国中の注目を集めていた。
幼い頃から二人と仲良くしていた私にとって、初めこそベアトリスの愛情を一身に受けるセオドアを恨めしくも思ったが、それ以上に、ベアトリスの幸せが私の幸せだったのだ。
二人が結ばれれば、幸せであってくれるならば、私はそれで構わないと思うようになった。
それがどうだ? ベアトリスの死を期にアインツ家は途絶え、フィッシャー伯爵令嬢のドロレスは、ダンフォースとの婚約を一方的に破棄され逃げるように王都を去って行った。
何なのだ、この目も当てられない惨状は。皇帝陛下が少しの間王宮を開けただけで、この帝国に激震が走るとは。全権を委ねられていながら、一人の女性すら守れない。それも王宮内で。
こんな男が、一国の皇太子だと? 何ともお粗末ではないか。
燃え盛るアマリリス宮を前に、私は何もできなかった。初めこそ火を消すよう指示を出したものの、一向に治まらない炎にただ唖然と見守るばかりで、声すら出なかった。
セオドアが現れ炎の中へと飛び入ろうとしている時も、他の騎士が彼を必死に羽交い絞めにして止めている姿を見ていた時も、彼女の名前を喉が枯れるほど叫び続けていた姿を見ても、私の心は絶望から空っぽになり、ただ目の前の惨状を見上げていた。
騎士達を弾き飛ばして、アマリリス宮に向かうセオドアを第三騎士団の隊長であるオークウッド卿が気絶させる。そんな出来事でさえ、私にはどうでもよかった。
これは現実ではない。現実であってはならない。この炎の中にいるわけはないと、そこにはいないのだと言ってくれ。
そう願い続けたが、結局それは叶わなかった。
次々に上げられる報告書に、胸が締め付けられる。ベアトリスの寝室に複数の男達の遺体。溶けて黒焦げになったベアトリスの婚約指輪。命からがら逃げた侍女からの報告。
耳を疑いたくなるような内容だった。ベアトリスがどんな恐怖を味わったのか、どんなに苦しく辛かったことか。彼女の心情を思うだけで、呼吸も忘れた。
涙が枯れるほど泣いても、彼女は戻っては来ない。それどころか、彼女の死を聞いたアインツ夫人は倒れ、そのまま亡くなった。アインツ卿も、事情をすべて聞いた後、書斎で息絶えた姿で発見された。
アインツ公爵家は、一月も経たずに家紋が途絶えたのだ。
アディントン男爵令嬢の存在がすべてを破壊した元凶であると、皇帝陛下は分かっていた。そして、彼女の能力が王族に効かないということも。
そこからの皇帝陛下の決断は早かった。王族に効かないのならば、王族の血を引いている公爵家にも効かないということ。後は彼女を社交界から切り離し、被害を最小限に止める。
悪魔の力で人々を苦しめ、命まで奪わせた所業を決して許しはしないと、信仰する神への使命感から決断された。一体誰と繋がっていて、どんな悪魔と契約しているのか。それを探らない限り前へは進めない。ならばと、その役目を自ら志願した。
こんなことぐらいでは許されないことは分かっている。現に、セオドアの怒りに震える拳を見れば、アディントン男爵令嬢だけではなく私のことも疎ましく恨めしかろうことは想像に難くない。
今私にできることは、アディントン男爵令嬢を油断させ、首謀者である証拠を探ること。事件の協力者を探り、粛正する算段を付けること。そして、その能力を一体どうやって手に入れたのかを聞き出すことだ。
所詮人である我々では、悪魔に対抗できない。それでも、決して方法がないわけではなかった。
かつて、ある悪魔をその神力で以て倒した王女がいた。その後悪魔の報復に遭い、大地は火の海になり、水は濁って、空は煤け地獄と化した。人類は悲惨な死を与えられ、償うその時まで人類を存続させてやると、これからの行い次第で許してやらないこともないと言われた。
悪魔の言葉がどれ程信用できるものはか分からないが、人類は滅ぶことを免れたのだ。
生き残った者達は、悪魔を屠った王族を罰するべきだと、屠った際はあれほど英雄視していたというのに言い始めたが、結局、王族の力無くして人類の発展は為し得ない事を悟って口を噤んだ。
悪魔と敵対する道を選ぶことも許されない中で、王族は神への信仰心を強くする。どう悪魔に償いながら生きて行くべきなのかを模索しながら、我々は信仰心との狭間で藻掻きながら生きてきた。
大昔のことだと切り捨てて忘れてしまうことは簡単だろう。しかしこれは、我々王族に課された使命だ。もしもこれが、悪魔が我々に与えた試練だとしたら?
それを見極める上でも、アディントン男爵令嬢を簡単に断罪することはできない。何故ならこれが、償いの機会なのかもしれないからだ。
例えそうであったとしても、ベアトリスを我々から奪うことが償いだとは思いたくない。誰からも愛された彼女を死地に追いやることが償いなのだとしたら、私はきっとその悪魔を殺すだろう。
私にとってもアディントン男爵令嬢は、憎くて堪らない存在なのだ。