03.セオドア視点
後悔したって遅い、そんなことは分かっている。それでも、この苦しみを脱する術がない。君のいない世界で、私は生きていけない。
死ぬことを願った。君の後を追うつもりだった。どんなに苦しかっただろうかと、怖かっただろうかと思う度に、片時も離れず傍にいればよかったと後悔した。
死を願う私の前に、君は現れた。いや……”アレ”は君じゃない。あんな冷笑を浮かべたりしない。君はいつだって、日差しの様な眩しい笑顔だった。
報告書類に追われていると、執務室の前が騒がしくなる。たったそれだけで、誰が来たのかすぐに分かってしまう。腹立たしくて、憎くて、何度心の中で殺したか知れない。
性懲りもなく私の前に何度も現れる厚顔無恥さが不快だった。
部下が引き留めるのも聞かず勝手に入ってきたのは、この王宮に保護を目的として匿われているアディントン男爵の一人娘のブリジットと、帝国の皇太子であるアルバート皇太子殿下と、殿下の護衛騎士のクロムウェル卿。
彼のことをダンフォースと呼んでいたことが昔のことのように感じる。今は、アディントン男爵令嬢の次に恨めしい顔だ。
アルバート皇太子殿下のことは……恨むべきではないと、分かっている。頭では分かっていても、トリクシーを護れなかったことが恨めしくて堪らない。彼は誰よりも、トリクシーを護れる立場にいたというのに。
「テッド! どうして会いに来てくれないの!? 私は王宮から離れられないって知っているでしょ!?」
金切り声が室内に響き渡る。私を愛称で呼ぶなと、腹立たしさから拳が震える。
ここ数日よく眠れなかった身にとって、頭痛を誘発するだけのその声に殺意を抱く。いや、眠れないのは今に始まったことではない。トリクシーを失ってから、眠れなくなったのだから。
時より、気付けば眠っている、ということがある。そうなる時は決まって、あの悪魔に会った後だ。いつもあの悪魔は、私の額に口付けをする。そうされると心が軽くなり、その日はぐっすり眠れてしまう。
今回は私の心を揺さぶってくれたおかげで、眠りはしたものの熟睡はできなかったが。
悪魔の魔法が効かない。それは、神への信仰心の篤い王族や、その血筋にのみに与えられる特権の様なもの。その事実を知るのは極僅か。実際、あの悪魔に教えられなければ、私も知らなかった。
恐らく、王族はそのことを知っている。だからこそ、アディントン男爵令嬢を王宮に住まわせているのだろう。彼女が、人の心を陥落させる誘惑の魔法を使っていることを知って……
魔法の効かないところへ追いやることが、帝国内に吹き荒れた悪夢を止める唯一の方法だった。それは傍から見れば、トリクシーを死に追いやった女を庇っているように見えてしまう。私の最愛の婚約者を殺した女を庇っているかの如く。
トリクシーを失い絶望した私は、後を追おうと深酒し、川辺に立っていた。そんな私の前に現れたのは、自称悪魔の不審なフード女だった。
あの女が使っている魔法は悪魔が付与したもので、男達はそれに陥落したのだと彼女は言う。私はてっきり、死神が迎えに来てくれたのだと期待をしたのだが、どうやら頭のおかしい浮浪者だったようだ。
関わるべきではないと無視する私に、心当たりがないとは言わせないと、尚も話を続ける自称悪魔。話に耳を傾けるのも馬鹿らしいと思いながらも、しばし考える。
確かに、自分は神に愛されているだの、神から祝福を貰っただのと普段から戯言を言っていた。だが、その実不審なほどに男達を虜にして社交界に悲劇を呼んだことは記憶に新しい。
口にはしないまでも思い当っていたら、察したように彼女は言った。恐らくそれは神を騙った悪魔だったのだろうと、王族には魔法が効かない、とも。
その言葉をどこまで信じればいいのか分からなかった私に、その証拠にお前には王族の血が流れているから私の魔法が効きにくいと言われ、不審に思う。
確かに、私の母は先帝の娘だったが、それがどう関係してくると言うのか。世迷言だと切り捨てようとしたが、目深に被ったフードを外した自称悪魔に目を見開く。そこにいたのは、最愛の女性だったから。
どうして、何故、と疑問に思う中、思わず私は抱きしめていた。会いたかった。ずっと……
苦しくて、辛くて、死にたくて堪らなくて、命を絶てば会えるのではないかと、今生への別れも決意して。来世では必ず、君を護ってみせると誓いまで経てて死を決意したのに、どうしてここにいるのか。
最後に会いに来てくれたのか、と胸が締め付けられる想いで彼女を抱きしめた。夢を見ているのかもしれないと、ふと思う。
それでもいい、こうして会えたのだから。
強く抱きしめ過ぎないようにしながら震える手で彼女を抱きしめ、確かめる。しばらく経った頃、そんな私の耳に彼女の声なのに低く妖艶な声が届いた。
『この体は確かにベアトリスだけど、その人格は消え去ったわ。危うく男達に犯されそうになったことで、ベアトリスは死を選んでしまった』
息が出来なかった。何を言っている? まさか…いやもしかしたら……
以前、トリクシーが話してくれた。頭痛と共に、声が聞こえるのだと。妖艶な女性が、早く幸せになって私を解放して、と囁くのだと。
彼女はその声を怖いとも、恐ろしいとも言わなかった。自分の幸せを願ってくれる、女神さまの声なのだと信じていたからだ。私に言わせれば、解放してと願うことに不審を抱くのだが、彼女は純粋だったため好意的に受け止めていた。
もしもそれが女神様などではなかったら?
私は、トリクシーから離れた。いや、”コレ”は本当にトリクシーなのか? 姿は確かにトリクシーそのものだったが、何かが違う。これはなんだ? 紛い物か?
冷笑を浮かべた彼女は言った。
『私と契約しない? この悪魔公アリア様をこの娘の体に縛り付けた愚か者を殺すために』
悪魔と契約すれば、契約している悪魔の魔法が使えるようになる、とその悪魔は言った。死ぬのはいつでもできるが、復讐は生きている内にしかできないとも。
確かにそうだ。確かにそうなのだが、そのために悪魔と契約をする気にもなれなかった。それを見透かしたように、更に畳みかけられたのだ。協力者にならなくても私はやる、このような羞恥に耐え忍ぶぐらいなら刺し違えてでも殺す、と。
彼女の顔で、彼女の声で、聞いたこともないような憎悪を吐き出す。その内、これは私の心が見せた鏡なのではないかと思うようになった。吐き出しても吐き出しても治まらない怒りと悲しみが見せた、私自身だったのではないかと。
私自身の悲願であり、深層の象徴。私の決意は、そこで決まった。
そこからはあらゆる作戦を立て、それを実行した。消え去ったトリクシーを取り戻す方法があるかもしれないという、嘘か誠か分からない妄言にも耳を傾けた。
何でもいい。トリクシーのために復讐を果たす。トリクシーを取り戻す。どんなことにでも手を染め、何もかも壊してくれる。
私をこんな風に変えてしまったのは、お前達だ。