6話ジル
フランソワから自分の説について話の矛先を向けられて、私はなんだか気恥ずかしくなった。
私の説も、フランソワに負けず劣らずのファンタジーだったから。
私もゴールデン・ドーンの関係者を疑っていた。
が、私は、主要メンバーではなく、外国から儀式に参加する若い人物に焦点をあてた。
切り裂き魔の犯行は、確かに、今までの物取りや怨恨とは違う臭いがした。
私は、そこにリニューアルされた太古の残虐な神々を見たのだ。
そして、被害者に与えたダメージのわりに、行き当たりばったりな犯行に、外国からの人物を思い浮かべた。
ロンドンに住む人間だったら、内蔵を引きずり出すなんて面倒な事を発見されやすい通りでなんてしないと考えたのだ。
9月30日の二度の犯行が私に勇気を与えてくれた。
当時、これだけ注目を浴びた殺人を、しくじったにも関わらず、一日に二度も繰り返すなんて、地元の人間なら思い付かないだろう。(この殺人事態が異常ではあるが)
いつの時代も娼婦には、腕っぷしの強い情夫がついているもので、
金回りの良い彼女たちから、ボディーガードと称して金を巻き上げる良いチャンスでもあったからだ。
それに、町を総括するギャングも目を光らせていただろう。
ロンドンに住んでいたら、その緊迫した状況がわかるから、もう少し考えて行動するのでは無いだろうか?
ロンドンに居ないから、大胆な行動に出たとしたら?
いや、むしろ、この日にどうしても内臓を調達したかったのかもしれない。
実際、この日を境に切り裂き魔はしばらく姿を消したのだ。
大衆紙のゴシップ欄を飾るような、血に飢えた怪物なら、
一日に二度も殺害を繰り返すような、中毒者なら、二ヶ月近くなりを潜めるのは不自然な気がした。
直感的に、犯人が何らかの目的をここで果たしたのだと思った。
当時、性別や身分も関係なく参加できたゴールデン・ドーン。儀式に参加し、このおかしな思想を本気にした人物が犯人像として頭に浮かんだ。
神秘術に傾倒する子供を心配する親のつてで、私は、秘密結社の集会に参加することが出来たのだ。
まあ、秘密結社と名前はあるが、アメリカ辺りではその地位は金で買えるほど気楽な団体で、そんな地位の高いアメリカ人の連れと言うことで自然に潜入できた。
その時知り合ったのがジルだった。
彼は、メイザースの翻訳した書籍や思想、主に悪魔召喚について興味を持っていた。
彼にとって、魔術書とは古代人の心理療法だ、と言う仮説をたてていた。
当時、古代の儀式やまじないで、塞がれた人の心が戻るのでは、と、仮説をたてていた。
ジルは、パリから帰国を果たし、「男性のヒステリーについて」と言うフロイトの論文を絶賛し、
彼の留学先の病院に来るカルロ神父とよく議論していた。
そこで彼との記憶が途切れている。
11月9日にメアリー・ジェーン・ケリーが殺害され、沢山の憶測や陰謀論と共にセンセーショナルに取り上げられた。
世紀末の歴史的な事件に振り回されながら、それでもロンドンは通常通りめくり、そして、他の犯罪者も切り裂き魔の為に仕事を休むことなどしないから、この時期私は、仕事に忙殺され、時おり島状に記憶が抜け落ちていた。
このホテルのソファーに座り、忘れていた記憶が少しづつ鮮明に思いだす。
そうだ…一度、過労で倒れた事があった。
妻は病院のベッドで泣きながら、私にあの事件を忘れるように懇願していた。
妻が亡くなり、戦争が終わった。
その安心感からなのか、まるで氷が溶けるように、私の記憶が華やかに匂いを放つ。
「あの…、アンドレさん?」
ふいに肩に柔らかい女性の手の感触を感じて、私は、深く潜り込んだ意識の世界から、ゆっくりと浮上するように紅茶を用意してくれたジョセフィーヌを見た。