3話容疑者
当時の上司の叱責も、仕方が無いと思う。
私が容疑者としてあげたのは悪魔なのだから。
1880年代は、神秘主義と科学の入り交じった不思議な活気が溢れていた。
上流階級の人間たちは、盛んにサロンで交霊会を行い、
一方で、シャーロック・ホームズシリーズなど、近代的な科学捜査に人々は憧れていた。
一見、水と油の様に見えるこの二つは、実はドレッシングのように良く混ざりあい、雑誌と言う媒体の力を借りて民衆に絡み付いた。
魔術と言う荒唐無稽なものに、催眠術やら、新手の奇術を使った新しい詐欺が出没し始めたのだ。
表立って事件にならない事柄を、貴族や資本家から私が相談を受け始めた時期でもあった。
切り裂き魔の事件に隠れてしまったが、この時期、ある団体が誕生した。
黄金の夜明け団。ゴールデン・ドーンと言うべきか。
悪魔を召喚し、願いを叶えてもらう、などと言葉巧みに騙し、純朴な資産家の青年から金を巻き上げる、私にはそんな団体に思えた。
案の定、去年、彼らの暴露本とも言える小説が、かの団体に所属していた男、クローリーによって出版された。
私は読んではないが、月の子供…
進化した超人類を魔術で作り出す話らしい。
30年も昔の事とは思えないほど鮮明に思い出せる、子宮を奪われた被害者達をその本の話は思い起こさせた。
勿論、人の子宮を摘出して、それで子供を作れる道理はない。
ただ、近年、我々世代には到底理解できないような不条理をすんなりと受け入れる若者が増えてきたのは確かな事だった。
思えば、私がまだ小さかった頃は、空は鳥と神様だけが住まえる場所で、
戦闘機が、空から町を攻撃するなんて恐ろしいことを考えたことも無かった。
これから何を標に生きたら良いのだろう?
漠然とした不安が胸の辺りから沸いてきて、私は、急いで切り裂き魔の事件に集中した。
先の事なんて分からない。
しかし、あの陰惨な事件の犯人を白日のもとにさらし、罪を償わせる事が出来るならば、その時、全ては明るく変わるような気がしてきた。
しかし、本当にそんな事出来るかは懐疑的でもある。
私は、人を魔物に変える本物の悪魔を探している。
私は、犯人はフランスにいて、催眠術か、何かの方法で儀式の生け贄を捕まえさせたのだと考えているからだ。
当時、マスコミや市民、犯人に奔走させられていた警察は、私の奇想天外な意見まで聞き入れる余裕なんて無かったからだ。
深い思考から我にかえり、音が耳に戻ってきた。
新聞売りの少年の激しく鳴らす号外の呼び鈴と共に、シャンゼリゼ通りは大きな歓声の波に飲み込まれていた。
次の瞬間、号外を持つフランソワに抱きつかれ、頬にいやと言うほどキスをされた。
怒ることは、出来なかった。
その前に、フランソワの言葉を聞いたからだ。
「ダンナ、やりやしたぜ。連合国軍がドイツ帝国を負かしたんです。
戦争がおわったんですよっ!!」
1918年11月11日。この日、男に抱きつかれて見上げた月は、歓喜と喜びに溢れていた。
私の中で、運が開けて行くような、そんな気持ちが広がった。