3 異世界への扉を開くことができる人物が居るのさ。
姫騎士エヴァンジェリン率いるグランシール残党の立て籠もるドーラ砦へと、降伏勧告に訪れたアステ帝国軍の使者。
それはかつて、ほんの短い間ではあるが、一応仲間と呼べなくもない関係だった事もあるような気がする冒険者の騎士、直結厨ジークフリードであった。
「や、やあミルクチャンさん、それにピチピチタイツの君とエルフの君も久しぶりだね。 ラレンティアに行っているはずだったけど、もう戻って来てたのかい?」
いい加減な男だとは思っていたが、案の定記憶力も怪しいらしく、あっちも俺たちの名前を忘れているようだ。
「ミルクチャンはやめるニャ。 リリカでいいニャ」
「リリカさんとクラリスさんの知り合いですか…? ていうか、あの人私の事知ってるんですか…? 気持ち悪い……」
ネトゲ上なら兎も角、口に出されると恥ずかしいだろうキャラクターネームで呼ばれてリリカが訂正する。
そしてナツミの方は完全に直結厨の存在を記憶から抹消していたらしい。
同行していたリックが済まなそうに口を開いた。
「……すまねえ、さっき言おうとしたのはこれよ。 グランシールに居たプレイヤーが全員こっちに付いたワケじゃねえんだ。 俺がギルドをまとめきれなかったばっかりにこんな事になっちまった」
マサト亡き後のグランシールの冒険者ギルドを人望で纏めていたとは言え、リックは低レベルプレイヤーである。
国家の侵略なんてイレギュラーな事態になれば従わないプレイヤーが出るのも仕方の無い事であろう。
「……いや、リックさんが謝る事じゃないですよ。 プレイヤーはこの世界の国家に属してた訳じゃないですし、元々統制なんかとは縁の無い人種ですから」
俺は悔しそうに自分を責めるリックをフォローして、敵軍の手先となった直結厨に向き合った。
「それにしても……何で一番元の世界に帰るって息巻いてたお前が帝国の兵隊になってるんだよ。 お前が言ってた魔王を倒せば元の世界に戻れるって、デタラメもいいとこだったぞ」
『魔王を倒せば元の世界に帰れる』
俺たちにその話を持って来たのは他ならぬこの直結厨ジークフリードである。
しかし、実際にはその魔王は存在すらしていなかった。
代わりに大魔王とかいうのを何とか倒したものの、元の世界に帰れる気配すら無い。
「え、あんな与太話信じてたの? クララちゃん意外と可愛とこあるね」
誰がクララちゃんだ。
「こいつ撃ち殺してえ……」
「ま、まあクラリスにゃん落ち着くニャ。 それはそうと、ジーク! 何で帝国の兵隊になんかなってるのニャ! 元の世界に帰る方法を探すって言ってたはずニャ!」
リリカに問い詰められ、直結厨は待ってましたとばかりに自信ありげに顔をニヤつかせた。
「それさ。 僕が帝国に付いたのは元の世界に帰るためなんだ」
「ど、どういう事ニャ……?」
「帝国には異世界への扉を開くことができる人物が居るのさ。 帝国がこの大陸を征服した暁にはその人物が元の世界との扉を開いて僕たちを帰してくれる。 そのために僕や、他にも何人ものプレイヤーが帝国に協力しているんだ」
これまた突拍子も無い話だ。
俺もリリカもナツミも、この場にいた全員が唖然としてしまった。
「い、異世界の扉を開く……?」
「そんな話聞いたことないニャ……」
「ど、どうせハッタリでしょう……もう相手にするの止めませんか?」
俺たちが驚いたのに満足したように直結厨はさらに続ける。
「つまり、僕の行動は当初の目的から変わってないんだ。 君たちも元の世界に戻りたいなら僕と一緒に帝国に協力するのがあるべき道だと思わないかな? 帝国に協力したプレイヤーなら優先的に要望を聞いてもらえる話になっているんだ。悪い条件じゃないだろう?」
俺にとっても元の世界に戻るのは最優先事項だが、この直結厨には前科もあるのでとても素直には信じられない。
後ろに居たリック、ドム、ディアス、そしてベアトリクスの方を振り返ってみたが、全員「そんな話は聞いたことがない」という顔で直結厨の話を信用していないようだ。
そして話を聞いていた痴女のような姫騎士、エヴァンジェリンが不安そうな顔で帝国への協力を提案された俺たちを見ていた。
俺が目配せをし、リリカが頷いてジークフリードに答えた。
「いやまあ、異世界の扉云々は信じられニャいけど、帝国の手先になってる理由は、まあ、解ったニャ……でもニャあ、いきなり侵略者に協力ってのはニャあ、もうちょっとこう、義理とか、人情とか、そういうの、あるんじゃないかニャあ……」
「つまり、帝国には協力できないのかい?」
「そうなるニャ」
答えを聞いたジークフリードは珍しく真剣な面持ちになる。
「僕だって好き好んでみんなと敵対したわけじゃないんだ。 帝国はゲームだった時の帝国とは違う。 プレイヤーが戦っても勝ち目は無いよ」
「……どういう事ニャ?」
「この世界はSBOだけの世界じゃなかったんだ。 他の、もっと強大な別の世界の力が存在している。 帝国はそのとんでもない力を手に入れてるんだ。 多少抵抗しても止められない。 なら、スムーズに事が運ぶように協力して早く元の世界に帰れるようにした方が良いだろう?」
別の世界の強大な力。
さっきの異世界の扉といい、俺やショウゴのような別のゲームの能力を持っているプレイヤーが他にも居て、帝国に協力しているという事だろうか?
「その強大な力ってのは……」
俺がジークフリードに問い質そうとした、その時。
ズドン!
何かが、降って来た。
「うわっ!?」
「何にゃあ!?」
勢いよく地面に激突したそれは巻き上げた白い、もやのような白い煙の中でのっそりと立ち上がる。
「遅い! たかが最後通告にいつまでかかっている!」
白い巨体。
全身を白銀に輝く体毛と同じ色の重装甲の鎧で覆い、見上げる程の背丈よりなお長い斧槍を両手にそれぞれ携えた狼頭の巨人。
巨人の吐いた気勢と共に凍てつくような冷気が吹き付けられる。
着地した地面が凍りついて砕けている。
巻き上がった白い煙は土煙ではなく、強烈な冷気だ。
「エリカ! 何なんだこいつ! どっから降って来た!?」
『識別不能。 データバンクに無い生物ですが、後方の集団の中から跳躍して来ました。推測される運動能力は自然発生した生物の範疇ではありません」
とっさに確認させたエリカの報告を聞いている端で、ジークフリードが巨人に駆け寄って膝をついた。
「しょ、将軍! もう少しだけ待っていてください! 彼らは僕が戦わずに済むように説得しますから!」
「黙れ! 貴様に命じたのは最後通告だ! 一度も矛を交えぬままの勝利など無価値! 下がっていろ腰抜けめ!」
「ひいっ!」
巨人に射竦められたジークフリードは情けなく他の使者達と同じ位置まで下がって行き、何度かこちらをチラチラと見た後、諦めたように本陣の方へと去って行った。
残ったのは降って来た狼頭の巨人だけだ。
「で…でっかい狼男…ワーウルフにゃあ……?」
「こんなモンスター居ましたっけ……?」
驚いているリリカとナツミの声に反応して巨人はさらに吼えた。
「この世界の下等生物などと同じと思うな! 我はネクロザイル七天魔将が一人、氷獄のバルバス!」
吼えて全身からオーラのような冷気を立ち上らせる。
「こりゃまた、いろんな意味で寒いのが出て来たな……」
「やる気満々みたいニャ……戦うのは避けられそうに無いニャね」
「でも、将軍が出て来てくれたのなら一匹倒すだけでカタが付きそうですね。 後ろにいる軍隊を全部相手にするよりはマシじゃないですか?」
それを聞いた巨人は狼の鼻を鳴らして笑った。
「我が下等な人間どもの軍勢よりも劣ると思ったか? その愚かさ、命で償うが良い」
両手の斧槍を構え直してこちらを挑発する。
どうやら本当にこのまま戦うつもりらしい。
巨人に呼応して身構えた俺たちに、後方で待機していたベアトリクスが前に出て来て列に加わりながら警告する。
「気をつけてください! このワーウルフ、SBOのモンスターじゃありません! 最低限の種別もステータスも持ってない! 多分あの時の大魔王と同じです!」
あの時の大魔王と同じ。
通常の攻撃だけでなく、銃器さえも効果の無かった難敵。
それを聞いて俺はエヴァンジェリンと砦から出てきていた兵士達に警告する。
「敵がどんな能力を持っているか判りません! お姫様と他の兵士は砦の中に避難してください! ディアス! リックさん! そっちを頼みます!」
「ま、待て! 戦うなら私も騎士として……!」
「大将がやられちゃったらこの砦の人たちが困るでしょう! あと騎士として戦うならせめて最低限の防具は着てください!」
「クラリスのいう通りだ、姫さま、俺たちが居ても足を引っ張るだけだ。 ここは任せよう」
「俺たちゃ砦の上から援護する! ここは頼んだぞみんな!」
エヴァンジェリン達が砦の中に戻って行ったのを確認して、まずはナツミが動いた。
「こういう氷系のモンスターは炎系魔法に弱いのがセオリーですよっ!」
ナツミの放った炎の矢はバルバスに向かって飛んで行ったが、その体に触れる前に掻き消えてしまった。
「我が冷気の前にこの程度の炎など無意味! 下等生物と同じに思うなと言ったはずだ!」
「これならどうだ!」
続いて俺が腰から抜きはなったハンドガンで狼男の頭に照準を合わせて発砲する。
ガキィン!
しかし、銃弾はあろうことか、片手で軽々と振り回した巨大な斧槍によって鈍い金属音を残して弾かれてしまった。
「あ……あんなので銃弾が防げるのかよ……」
「ほう、面白い武器を持っているな……そうか、お前がアレの主か……」
大魔王と似たような存在、と聞いて油断していた訳ではないが、まずは効果を確かめるつもりもあって撃った銃弾がアニメのように弾かれてしまい、流石に絶句した俺にバルバスは余裕の笑みを零した。
「リ、リリカ接近戦しか出来ないニャけど……アレと殴り合わなきゃダメニャ……?」
魔法も銃弾も通じない相手を見てリリカが引きつった顔で俺を見た。
「いや……さすがに止めといた方が良いだろうな……」
「どうした? もう終わりか? ならもう終わりにするぞ。 つまらん勝利だが貴様らの命を持ってこの世界での最初の勝利とし、『あのお方』へ捧げよう」
一歩踏み出したバルバスに、俺たちは思わず気圧されて一歩下がる。
これは出し惜しみをしている場合じゃないかも知れない。
その時、ベアトリクスの魔法を発動する声が響いた。
「メイルシュトローム!」
両手を掲げたベアトリクスの頭上で大量の渦巻く水が発生し、激流となってバルバスに降り注ぐ。
「愚かな! 全てを凍らせる氷獄の主たる我にこんな水な…ど……!?」
激流はバルバスに降り注ぐ端から凍りつき、数秒もしない間にバルバスは巨大な氷の塊に閉じ込められてしまった。
「さすがに冷気を操れても周りで凍った水はどうにか出来ないでしょう? それにこの大きさですから、中から砕いて出てくるのも簡単じゃないはずです」
「ベアチャンすごいニャ! 完封ニャ!」
「足止めくらいになればいいと思ったんですけど、予想以上に上手くいきました♪」
ベアトリクスは感激して飛びついたリリカに答えながら照れ臭そうに微笑んだ。
改めて、凄く有能で優しく、物腰の柔らかい美少女だ。
思わず中の人の事を忘れて見惚れてしまう。
「でも、どうしましょうかこれ。 ほっといたらそのうち出て来ちゃいそうですよね?」
「うん……どうにかこの氷ごと牽引して、また宇宙に放り出すか……」
「あとは帝国の兵士たちニャ。 将軍がこの有様なのを見れば大人しく引き下がるかニャあ?」
「それは困りますねェ。 あなた達の王国に滅んで頂くのは決定事項なのですよ」
巨大な氷に埋まったバルバスの前でこれからの事を話していた俺たちに何者かの横槍が入った。
氷の横で、複雑な文様の入った光る円形、いわゆる魔法陣というやつだろう。が浮かび上がる。
そして、そこからまたも奇妙な人物が現れた。
黒い法衣のようなヒラヒラした服を纏い、体は普通の成人男性のようだがその頭部は山羊のそれだ。
「おやおやバルバスさん、七天魔将の一角ともあろう者がなんと情けない。 一人でこの王国を制圧して見せると『あのお方』の前で大見得を切っておきながらこの様は何ですか。我ら栄光あるネクロザイルの名に泥を塗るおつもりですか? あー、聞こえてませんか? 聞こえてないでしょうねェ、この氷の中ではねェ」
「何なのニャ!? 次から次へとワケの解らないヘンなのが出てくるニャ!?」
山羊頭の人物はリリカの声に向き直って、うやうやしく一礼してから口を開いた。
「訳の分からないとは失礼な下等生物ですネェ。 でも良いでしょう、許してあげますとも。 貴方がた下等生物が我ら崇高なるネクロザイルの使徒を知らないのも当然でしょうから。 私は慈悲深いのですよ」
山羊頭の高慢な物言いにリリカが反抗する。
「何なのニャそのネクロナントカって!」
「崇高なる『あのお方』によって生み出された、我ら選ばれし存在。 そして私は『あのお方』に直属でお仕えするネクロザイル七天魔将が一人、虚獄のパウエルと申します。 貴方がたの命が潰えるまでの短い間でしょうが、お見知り置きを……」
大仰に演技がかった自己紹介を済ませた山羊頭は大袈裟に法衣を翻した。
「つまるところ、こいつも敵って事か」
俺が銃を構えるのに合わせて、リリカとナツミとベアトリクスも身構える。
「いやですネェ。 私は結果のわかっているつまらない戦いをするような趣味は無いのですよ。 貴方がた下等生物の相手は、同じこの世界の下等生物で十分でしょう。 バルバスさんは返して貰いますけどねェ」
再び、空中に光る魔法陣が現れ、バルバスの埋まった氷とパウエルがフワリと浮かび上がる。
「では、ご健闘を期待しますよ下等生物の皆さん、 私は下等生物同士が殺し合うのが大好きなので……」
バンッ
空中で魔法陣の中に消えつつあったパウエルが突然の破裂音に言葉を遮られ自分の胸を見下ろす。
山羊の顔なので良く解らないが、おそらくは茫然とした様子でそこから噴き出した赤い血を眺め……
「は?」
と、一言だけ漏らしてべちゃりと地面に落ちて倒れた。
同時に魔法陣も消えて、バルバスを覆う氷の塊もドシンと音を立てて地面に落ちた。
「やっぱ当たればちゃんと死ぬじゃん、銃が通用しなくなったら俺の存在価値がヤバい事になると思って焦ったよ」
自分の存在意義に等しいチート能力が未だ有効である事を確認してホッとした俺にリリカが詰め寄る。
「う、撃っちゃって良かったのニャ!?」
「いやだって、あからさまに人間じゃない悪者っぽかったし、なんか物騒な事言ってたからつい……」
「こいつら見たことも聞いたことも無いモンスターニャ。ニャんか意味深な事ばっかり言ってたし、つい、で撃ち殺してちゃ何も解らないニャあ……」
「大丈夫じゃないですかねえ、この手のはそれっぽい事だけ含みを持たせて言って、結局は大したことないってパターンですよ」
ナツミの雑なフォローでとりあえずコレはコレで良かったことにしとこうかと考えていると、城壁の上に上がっていたディアスの声が響いた。
「四人とも中に戻れ! 敵の本陣が動き出した!」
◇
狼男入りの氷の塊と山羊頭の怪人の死体をとりあえずその場に放置して、俺たちは砦の中に戻って合流した。
後ろでエヴァンジェリンが指揮を執る砦の兵士達と並び、ドーラ砦の城壁の上から迫り来るアステ帝国の軍を見下ろす。
数は数百人規模だろうか。
それほど圧倒的な数には見えないのが救いだ。
「やれやれ、なんか色々あったけど結局こうなるのか」
「やれやれじゃないニャ、クラリスにゃんが敵の偉そうなの撃ち殺しちゃったから怒ったんじゃないのニャ?」
「そうは言ってもあんなヘンなの、そのまま逃がすのも良くないだろ」
「まあやっちゃったものは仕方ないニャ。 こうなったら戦うしか無いのニャ。 城壁の上で防戦の方がこっちに分があるはずニャ」
「でも今度は間の兵士が相手だぞ?」
「NPCの兵士くらい、ちょっと痛い目に合わせて諦めさせられるニャ」
「リリカさん、さすがにそれはちょっと考えが甘いんじゃないですかぁ……」
リリカの楽観的な考えにナツミも呆れたようだ。
俺もそう上手くは行かないだろうと、どうやったら被害を最小限に戦闘を終わらせられるか考えていると、エリカから通信が入った。
『マスター、先ほどの不明生物が出現した時の発光する幾何学模様に伴う現象ですが、粒子の振動が観測されませんでした。 今までにこの世界で観測されてきた、いわゆる魔法と呼ばれる現象とは異なる物だと推測されます』
この世界に来てから、魔法陣の出る魔法なんか見た事は無かったが、やはりそうか。
「そうか…やっぱりあいつらも、俺やショウゴとは別口のチートかバグの一種って事だろうな……あと、敵の軍隊の様子はどうだ? 出来るだけ被害を抑えたいんだけど、何か方法は無いか?」
『数はおよそ500、城砦の手前約200フィートで停止しました。私から見ればおよそ軍と呼べるような組織ではありませんが、被害を抑えたいのであれば駆逐艦を降下させての催涙ガスの散布が効果的と判断します』
「裏に訳の分からないのが居る手前、あんまり手の内を出したく無いけどそのくらいは仕方ないか……」
「……! 待ってくださいマスター! 訂正します! 衛星軌道からの画像解析の結果……」
「何をゴチャゴチャやってるニャ! もうすぐ敵が来るニャよ!」
エリカの報告を聞いていた俺を、リリカが急かすように身を乗り出してきた。
こんな時までこのアホ猫耳は!
「みんな危険だ! 頭を下げて伏せろ!」
なんて間の悪い!
「ニャ?」
リリカが間抜けな顔で間抜けな鳴き声を口から漏らしたのとほぼ同時に、
ばつんっ!
その頭が音を立てて揺れた。
『敵軍の構成人員は、小銃を携行しています!』




