19 全裸土下座だけで許してやるニャ。
深夜、家々に灯っていた灯りも消え、元の世界で見たそれよりも少し大きく青い下弦の半月に薄っすらと照らし出された街の中を神殿に向かい歩く。
月はあまり現実と変わらないのに夜空に瞬く星々はわざとらしい程に多く、イラストみたいだな、と何となく思った。
『マスター、ドラグーン配置完了しました。現在ステルスモードにて高度約5000フィートで目標の建築物上空で待機中です。指示通り武装コンテナ及び、改良型グングニルmk4陸戦アーマー着脱用コンテナ、AWCS12bクルセイダーⅣ改を2台搭載しています。ご指示があればいつでも投下できます』
「ありがとうエリカ、使わなくて済むように祈っててくれ」
『私はAIですので祈りません。ですがマスターの無事を願っています。くれぐれも無茶はしないで下さい』
「わかったよ、気をつける。いざとなったらクルセイダーで仲間を運んで逃げるさ」
少し過剰かもしれないが、ナツミの言う通り罠であったら何が待っているか解らない。
だが戦力が他のプレイヤーに露見しないためにも、街中であまり強力な火器を使うのも避けたい。
その辺はリリカとナツミも賛同してくれたので、危なくなったらすぐに逃げる手筈だ。
ナツミはいつも通りの少々露出が多いぴっちり体に張り付く白いワンピース姿だが、リリカはピンク色でやはりパンツが見えるほど裾の短いチャイナドレスのような服を着て手足には猫の足のような肉球の付いたブーツと手袋を着けている。
裾が短い上に尻から尻尾が出ているので後ろから見ればパンツ丸出しである。
コイツふざけてるのか。
だがリリカが言うにはこれが戦闘スタイルらしい。
暗闇に包まれた街の中で一箇所だけ多くの松明が焚かれ、明るく照らされる神殿の前までやって来た。
深夜にもかかわらず多くの兵士たちが神殿の入り口を塞ぐように警備している。
既にリックとドムの兄弟、ジークフリードとマリーも来ており、兵士達の前でマサトに従って俺たちを待っていたようだ。
「やあ、これで全員揃ったかな? 周りに他のプレイヤーが見ている様子も無いようだし今のうちに中に入ろう」
マサトが兵士に何かを伝えると入り口を塞いでいた兵士が道を開けて俺たちは無人となった神殿の中に通された。
マサトを先頭に、俺たちはそのマントに包まれた背中を注意深く見守りながら、名前の変更の時に来たカウンターの並んだ礼拝堂のようなヘンテコなホールを抜け、奥の大きな扉から幅の広い階段を降りる。
「エリカ、地下に入る。ドラグーンをステルスでカバーできる限界まで降下だ」
『了解』
俺は不用意に背中を晒して先導するマサトに注意しながら小声でエリカに支持するとスーツからの骨伝導でエリカの返答が聞こえた。
階段を下りた先は、それほど下っていないはずだが天井の高い空間でかなりの広さがあり、大理石らしい磨かれた床は壁面に沿って浅い水路が敷かれているホールだった。
周囲の壁には魔法の物らしい青白い光が灯り、中央に鎮座している人が通れるほどの大きさの、円を立てた形の環状のモニュメントとその周りの石柱を照らしている。
「なあマサト、ゲートが起動してねえし神官も居ねえみてえだが、まだ来てねえのか?」
問いかけたリックにマサトは背を向けたまま答えた。
「すまないリック、神官は来ないよ」
「ど、どういう事だマサト! 俺たちゃディアスを探しに行かなきゃならねえんだ!」
「そうだよマサトクン! それに魔王を倒しに行かなきゃみんな何時迄もこの世界から帰れないままだ!」
リックとジークフリードがマサトに抗議するがなおもマサトは背を向けたままだ。
「そんな与太話は信じてないと言ったが、せっかくこんな剣と魔法の世界に来れたのに、少しでもあんな現実に戻る可能性があるなら、そんな事をされたら困るんだよ」
「お、俺たち兄弟はそんな事考えてねえ!」
「済まないリックにドム、君達はついでで、強いて言えば気持ち悪いから居なくなって欲しいだけだ」
やはり罠だったか。
少しだけマサトが約束を守って何事もなくリック達を送り出すんじゃないかと期待していたが、そうは行かなかった。
俺は背を向けたままのマサトに腰からハンドガンを抜いて構えようとした時、背後で何かが動いた。
「ぎゃっ!?」
背中の大剣を抜いたマリーが無言で目の前にいたドムの巨体を袈裟斬りにして上体の半分を切り飛ばし、そのままの勢いでジークフリードを背中から串刺しにした。
「マ、マリーさん…!? どうし…」
ジークフリードはマリーの方を振り返ろうとして疑問の言葉を言い切らないうちに光の粒子となって消えた。
しまった! ジークフリードが一緒に居たのでつい注意をマサトに集中してしまった!
マリーが元々マサトの仲間だったことを忘れてた訳じゃ無いが、マサトが何か合図を出した様子も無い。
よほど綿密に計画したのか、息が合っているのか。
それにしても、まさか問答無用で襲ってくるとは。
即座にリリカがマリーに蹴りを放ったがマリーはマサトの近くまで飛び退いてそれを躱し、続いてナツミが放った氷の刃を大剣を盾代わりにして器用に弾き、その全てを防いだ。
「まずは雑魚を一人と盾役になられたら厄介なのを片付けさせてもらったが…君達は気付いていたのか、思ったより頭が回るね。もっと分かり易い馬鹿だと思ってたよ」
漸くこちらを向いたマサトが俺たちを挑発するように言った。
「ドォォォーム!!」
リックが光の粒子となって消えたドムの居た場所で叫んで膝から崩れ落ちた。
「リック、街の中でもちゃんとパーティー登録はしておくべきだったね。もっとも、あんな状態でも逃げ切ったら立ち上がるのかな?今度試してみたいね」
マサトが嘲るように、へたり込んだリックの背中に言葉で追い討ちをかける。
「……しかし、やっぱり神官が居ないと光になって消えても復活しないらしい。今頃どうなっているのやら。まあ全滅したら一番近い神殿で復活するんだから、ここで復活してないならラレンティアやアステ帝国で復活してるなんて事は無いだろうね」
俺はマサトとマリーの二人からリックを庇えそうな位置まで移動しながらナツミに声をかける。
「わざと煽ってるんだ。キレるなよ? 冷静にな」
「安心して下さい。今日は最初からキレてますよ」
直後にマサトの足下から炎が吹き上がる。
リリカが一瞬怯んだマリーの懐に飛び込んで炎に包まれたマサト目掛けて蹴り飛ばした。
激突した二人は炎を撒き散らしながら数メートル吹き飛んだがすぐに体勢を立て直して立ち上がる。
「効いてないニャ?」
「ギルマスなんかやってると結構いい装備が回って来るんでね」
マサトは羽織っていたマントをわざとらしく靡かせて見せた。
「それにしても凄いな、もうそんなに魔法を使いこなせるのか。エルフ君はよほど周りの事が見えなくなるのか、妄想癖があるのか、現実なんかよりこっちの世界に来れて良かったね。僕だって魔法を使うにはまだこうやって時間稼ぎをしなきゃならないのに」
マサトが言い切る前に俺たちの足元の床から緑に光る半透明の茨のツタが伸びて手足に絡み付いた。
「ソーンバインド! 拘束魔法ニャ!」
素早く飛び退いてツタの拘束から逃れたリリカが警告したが、俺とナツミ、そしてリックは魔法のツタに絡め取られ身動きが取れなくなってしまう。
不味い、これではスーツの電磁シールドも展開しない。
マリーが剣を構えて身動きの取れなくなったナツミに突っ込んで来たが、リリカが間に飛び込み体勢を低くしてマリーに足払いを見舞った。
既の所でマリーは飛び退いてそれを躱すが追い縋ったリリカの蹴りの連撃でなお後退させられる。
「ニャあっ!」
「…!?」
遂には踊る様に身を翻したリリカの後ろ回し蹴りが、マリーの身に着けている軽装鎧の隙間を縫って腹に突き刺さり、その膝をつかせた。
膝をつきながらもマリーは苦し紛れに大剣を横に払ったがリリカはひらりと真上に飛び上がってそれを躱し空中からマリーの無表情な顔を蹴り飛ばして転倒させた。
なるほど、あのパンモロチャイナドレスは動きやすい様だし、当たっても痛くなさそうに見える肉球ブーツも実用性はあるらしい。
「どういう事だ? レベル200のマリーがレベル120程度のアホそうな猫耳に押されるとは」
マサトが驚いた様に言った。
「ニャフフ、アホじゃないリリカは気付いちゃったのニャ。元のゲームでも戦闘はアクションっぽくてレベルが上がっても大きく伸びるのはHPと筋力ニャ。敏捷性なんかはレベル差があっても大して変わらないニャ。その上戦士系の攻撃力は武器の依存度が高いニャ。リリカはケットシーの魔法拳士で種族もジョブも素早さが売りニャ。しかも限られたモーションしか無かったゲームの時とは動きの自由度が違うニャよ。そんな大振りの大剣に当たってあげるつもりは無いニャ」
「そうか、油断する気はなかったが、まだ君たちを舐めていたようだ。揃いも揃って頭の悪そうな見た目に騙されたよ」
マサトがマントの下から短い杖を出して構え、マリーの体が淡く発光した。
何かのバフをかけたらしい。
「今更防御力なんか上げたって無駄ニャ。観念するのニャ。大人しくジークとガチムチ弟を復活させれば、街の広場で全裸土下座だけで許してやるニャ。でなきゃ痛くて動けなくなるまでボコボコに蹴りまくるニャよ!」
「調子に乗るなよオッサン趣味のネカマ野郎が!」
「どうしてどいつもこいつもリリカがオッサンだって思うのニャあ!」
誰が見たってピンク色のパンチラ猫耳ツインテールはオッサン趣味だ。
だがマサトとマリーが連携を取り始めたらリリカ一人では危ない。
俺はなんとかツタの拘束から逃れようともがくが、茨の棘がスーツの高分子ケブラー積層の上からでも食い込んで上手くいかない。
魔法のバフはかからないのにこういうのはかかるのかよ。
半分実体化したツタによる物理的な拘束という範疇によるものなのかも知れないが納得は行かない。
魔法抵抗力というモノなのか、ナツミが俺よりも先にツタの拘束から脱出した。
「ナツミ!」
「はい!」
俺の呼びかけに、ナツミは躊躇なく氷の刃を俺に向けて放った。
氷刃が俺の体に命中し、衝撃でスーツの電磁シールドが展開され手足に絡み付いていたツタが千切れ飛んだ。
上手く行ったから良かったが、先の尖ったツララのような氷の塊が自分に向かって飛んで来るのはとても怖い。次からはもっと殺傷力の無さそうな魔法でやって欲しい。黒いスーツのお陰で思わずちょっと出てしまった体内の水分が目立たないのが幸いだ。
ナツミは俺の拘束を解くとすぐに、今度はマリーに向かって炎の矢を放つ。
マリーはそれを再び剣で弾いて防いだ。
「よそ見禁物ニャあ!」
ナツミの方を向いた背後からリリカが延髄斬りのように飛び蹴りを見舞う。
しかしマリーは振り向きもせず左腕を上げてそれを防いだ。
なんて勘のいいヤツだ。
「クラリスにゃん! ゲートを壊しちゃダメニャよ!」
距離を取って着地したリリカが拘束から逃れた俺に忠告する。
「わかってる! アレを使う!」
俺は腰からスタングレネードを外し、未だツタに拘束されているリックを庇いながらマリーの足元に投げつける。
地下空間に閃光と破裂音が炸裂した。
とっさに耳を塞いで目を閉じたリリカとナツミを見て、マサトは反射的にマントで身を隠したが、マリーは両手で大剣を握ったまま間近でそれを浴びてよろめいた。
よろめくだけなのかよ。まるでどこかの漫画のタフガイだ。
それでも漫画のキャラだってそうだった様に、目と耳はしばらく使い物にならないはずだ。
「まだ立ってるならもうちょっと痛い目を見てもらいましょねっ!」
ナツミの放った複数の氷刃がマリーに襲いかかったが、信じられない事に目が見えていないはずの女戦士がまたもその全てを剣で弾き落とした。
「しぶといニャ!」
リリカもマリーに蹴りかかったがそれも飛び退いて躱し、再びマサトの近くに後退した。
どういう事だ。勘が良いなんてもんじゃない。スタングレネードが効かなかったのか。
「なんだか見た事の無いアイテムを持ってるようだが、閃光の魔法の応用かな?君達で作ったのかな? お陰でマリーは何も見えないよ」
マリーの代わりにマサトが言う。
こいつは後方に居てマントで身を隠したのでスタングレネードの効果を受けずに済んだらしい。
こいつがマリーに何らかの指示を与えているのだろうか?
それにしたって何かやり取りをした様子も無く即座に反応している。
まさかこいつらも何かチート能力を持っているのか?
そう考えた直後に俺はある可能性に気付いてはっとした。
違うゲームをやっていた俺がこの世界に巻き込まれたより、ずっとあり得そうな話だ。
「……複垢か」
「へえ、良く気付いたね」
マサトではなくマリーが、前に聞いた口調とは違う喋り方で言った。
「そういうことだよ」
「僕はマサトであり」
「マリーでもある」
「自分が二人居るなんて最初は変な気分だったけど」
「これはこれで」
「とても便利なんだ」
「それじゃあタネが割れた所でもう演技する必要も無いし」
「本気で君達を殺させて貰うよ」
「第二ラウンド開始だ」
マサトとマリーが、全く同じ表情に顔を歪めて笑った。
バンッ
地下空間に乾いた発砲音が響いた。
ムカつく笑みを浮かべていたマサトが額に空いた穴から血を流して倒れる。
俺は銃口から煙の上がるハンドガンをマリーに向けて構えたまま言った。
「そういう事なら片方殺しても大丈夫だろ。取り敢えずツラがムカつく方を撃たせてもらったけど、第二ラウンド終了かな?」
「な、な…?」
さっきまで笑みを浮かべていたマリーだかマサトだかが驚愕して慄く。
「何をした!? なんだその武器は!? なぜ銃なんか持ってるんだ!?」
「複垢作るほど同じゲームをやり込むのも良いけど、たまには違うのもやった方が良いよな」
「さあもう勝ち目は無いニャ。大人しく諦めてジークとガチムチの弟を復活させて広場で全裸土下座するニャよ」
「自分がチートしてると思ったらもっと凄いチートでやられた気分はどうですかあ?今どんな気持ち?ねえどんな気持ちですかあ?」
俺たち3人に囲まれて剣を落としたマリーだったが、ヤケクソになったのか、ナツミを突き飛ばして出口に向かって走った。
「痛ったあ!ああもう、逃げちゃいますよ! 撃ち殺してください!」
「いやでも、さすがに背中を向けて逃げるヤツを撃つのはなあ……」
「はぁー、ホントにお人好しなんですから。ベトナム戦争の米兵だって動きの遅い女子供から撃てって言ってましたよ」
「それ映画だろ……まあ、今更逃げられやしないさ」
階段を上って逃げたマリーの背中が見えなくなって、俺はエリカに通信を入れた。
「エリカ、今神殿から逃げ出したヤツの生体情報を……」
『マスター! 現在地上空に巨大な生物と思われる物体が突如出現しました!危険です!直ちにそこから退避してください!』
俺が要件を言う前にスピーカーから聞こえたエリカの報告に、俺たちは顔を見合わせた。