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歴史とDNA

天皇家は秦系

作者: とびうお君

 邪馬台国=天皇家って考えが常識になってる。私も天皇家と邪馬台国は仲が良かったのは間違いないと思う。だがそれを持って同一だとは思わない。邪馬台国は連合国家なのだ。元々は全く別の国になる。天皇家は邪馬台国の政治中枢には全く関わってない田舎物だ。敵対的関係じゃなかったその程度しか無いと思う。


 仲が良かったのは神武天皇の渡航ルートを見れば邪馬台国と敵対的ではありえないと見ている。邪馬台国と密接な連合関係にあった伊都国と神武天皇は密接な関係があって九州の渡航ルートの最後に立ち寄っている。糸島の安曇氏がその人物だと見ている。


 紀記に書いて無いから何かしらの陰謀があるとの話が多いが、私は基本知らない国の過去の内情なんてしるわけがない。そこだと思う。神武天皇は思ったより過去の人かもしれない。ただし、天皇の在位は怪しいとは思う。次に生存年も疑って良い。あれは、やはり通説になってる年が2度あった説が正しいだろう。


 それと言うのも今は失われた原本の魏の本に倭人の奇妙な年の数え方というのが書いてあるからになる。ただし、今はその原本が失われて、怪しいコピーしかないため信憑性に欠けるって点で通説として弱いってだけで。魏志倭人伝ではない。


 神武天皇が邪馬台国に近い=卑弥呼と同族だった。これは飛躍だ。近いから同属ってのは無い。邪馬台国は一時的な寄せ集めの連合国家で、全く文化の異なる国同士の結びつきに過ぎない。かなり密接だったのは、伊都国以外は記述として良く分からない。伊都国は軍事のにらみをきかせた一大卒と言う邪馬台国の代理の軍隊のような組織があったので、密接なのが分かる。


 さて日田のカガミだ。まずこれは豊の国だった点。台与である可能性と、台与と卑弥呼は違う国の出身だった可能性がある。邪馬台国は連合国家で、軍事機構など別の国が担っている。それを考えると政治と宗教の中枢があれば良い。特に重要なのは宗教的権威になる。卑弥呼と台与は別の国だった可能性がある。


 日田が必ずしも邪馬台国の卑弥呼が居た場所とは限らない。名前から別の国の台与であった可能性もある。


 次の問題として、日田は元々は日高に田を当てて換わった説がある。それゆえに卑弥呼も天皇家と同じように高木神集団の鷹信仰だったとの説がある。さてこれだが、そういった伝承は過去を振り返って残ってるものが多く、考古学的に証明されたものじゃない。景行天皇が実在の人物として怪しいとしても、天皇家による九州平定があったのは事実だと見ている。


 その時に出てくる女酋長が台与の末裔である可能性がある。巫女のため直接的子孫じゃなくても、同族関係にあった巫女の可能性がある。だがこの女酋長数代後に天皇家を裏切って反乱する。それもまた実在が疑問視される神巧皇后と関わるので怪しいのだが。この時に当然殺されているだろう。


 天皇家お好みの集団にこの時点で入れ替わった可能性がある。日田の日高説はその辺りのゴタゴタで全く別の信仰だった地域に鷹信仰が根付いた可能性はある。


 まず鳥トーテムは九州の部族でかなり広くあっただろう信仰で太陽はほぼ皆同じ。敢えて言うなら邪馬台国と外れた地域で鯰信仰があった。これはおそらく地震。鯰と地震はかなり古くからの伝承なのだろう。明らかに熊襲といわれる集団だと思われる。鳥トーテムのグループとは別だと考えて良い。


 だが鷹に限定するとなると、邪馬台国がそうであったと言う証拠がどこにもない。日田がそうだったのじゃないか?って話しか無い。だから卑弥呼系の人たちが消えたからついた地名ではないか?と見ている。そもそも日高であったか?も確定では無い。


 私は卑弥呼は筑後川水系の人間で、同じ邪馬台国であった可能性は高いが、その中枢から外れる遠賀川水系出身の天皇家とは別集団で、後に連合国家になった時に参加した程度だと見ている。別の中立集団であった可能性もある。南の範囲は熊襲との関係で詳しく書かれてるが、東の範囲は良く分かってない。


 そして時代が下り、後の筑後川の東に秦王国があったとの記述が隋の使いから残っている。秦氏は後の時代である。これが大きな勘違いを起こしている。


 名字としての秦氏は後の時代の帰化人だが、紀元前200年、BC2~3世紀はとても重要な時代で、秦というルーツはここから始まる。秦氏を単純に帰化人としてみてはいけない。秦は一度統一された中国の国家だったのだ。後の漢人=秦人なんだという事。これが秘密になる。秦氏という名字じゃなくても、秦人はかなり前から居て日本の国家形成にものすごく深く関わっている。


 天孫族の思想基盤は秦の時代の中国人だと私は見ている。人種的起源はそんな単純だと思ってない。実際は万里の長城建設の労働者の流民である燕人だろう。


 日本にとって秦という国家がとても重要なのは、秦のルーツにある。秦王族のルーツは遼河から南下して混血した山東人だからになる。ほぼ日本人と同じだ。山東省と遼河流域からの移民が多い日本では、秦の王族と祖先神をベースにした宗教的基盤が似てくる。かつ、山東省には秦の祖先とルーツを同じくする親戚すらいるだろうと予想している。


 日本人の秦氏から始皇帝のハプロを決定したわけじゃない。えいと言うかなり特殊な名字の人が中国には残っているからになる。名字分析はかなりの確率で外れる。詐称が多いからになる。ただ始皇帝の名字は無茶苦茶特殊だと言う点。後始皇帝の祖先の王族なら確かな家がまだまだ残っている。始皇帝の直接の子孫はかなり胡散臭くても。


 確定ではないが、豊国に秦王国があった可能性は高い。そして、その基盤は秦氏が作ったわけじゃない。その前の高木神信仰と鷹信仰が絡んだ3韓時代以前の小国家が乱立した秦人によるベースがあるからだと見ている。秦王国の由来はもっと遡れると見ている。そこから天皇家は秦系だとすぐに分かる。天皇家だけじゃない、日本の国家で東征で畿内に向かった支配者の多くは秦系だろう。おそらくニギハヤヒもそうだ。


 秦王族が鷹を信仰してたか?は知らない。だが秦氏が信仰していたのは確かだ。それは遡って高木神を信仰する集団も鷹を信仰していた可能性はとても高い。ただ八幡神社の幡は秦氏からってのは適当すぎると思う。韓国で良く分からないが旗信仰というのがあって、八=多いってのがあって、多い旗=八幡だと見ている。


 秦氏が多いとされる徳島のハプロはその上の系統になり、実は多くない。これはどうなのか?と見ている。だが始皇帝と同じハプロの秦氏も居る。そこから考えられるのは、後から秦氏に変えたグループが居て、それを中央も認めたグループがあったと見ている。特にややこしい徳島だ。


 私は秦氏は3つ重要なキーがあると見ている。王族とは何の因果も無い燕地方から流れてきた秦時代の労働者流民。これ漢楚の争いを避けた難民も加えて良い。後は徐福のように山東省から直接ルートで流れてきた人たち。これは当然徐福も入る。徐福伝説が嘘だとしても、当時あの地域から船で来た人たちがいたのは事実なんだろうと見てる。


 そして歴史時代になって帰化した秦氏のグループになる。秦河勝の子孫が徳島に行ったのは事実なんだろう。だがその前から住んでいる秦人、京都時代に混ざった秦人、徐福系。これらが秦氏を秦河勝と同じ秦氏を名乗った可能性がある。


 私は元々非始皇帝系の秦氏が徳島には住んでいたと見ている。あそこはそういった天皇家=秦系である秘密が多分ある。別に秘密にしては無いと思うし、天皇家自体直系はおそらく縄文系だ。ニギハヤヒもかなり高い確率で真実である可能性がある。ハプロを調査した名字が問題なんだ。


 小原氏と大内氏、この2つは怪しいとされる物部系の子孫になる。両者とも皇族と詐称してるから怪しいんだ。小原氏は源氏、大内氏は考元天皇。だがその実体は物部=ニギハヤヒではないか?と見られている。その両者のハプロがD1B1で一致した。これは偶然か?これはとても重要になる。九州北部のD系海人がいち早く稲作の価値に気がついて、弥生人と混血して首長的存在になったと見ている。


 遺伝的には薄いがハプロだけ過剰に日本で縄文系が出る理由がコレだと見ている。当然、後から秦系と結びついた事になる。それは何か?で金属加工だ。その点扶余もかなり関わっていてややこしい。燕人と言う狭いカテゴリーだととけないが、東の満州地域を含めた(万里の長城の範囲より燕はそもそももっと広い)遼河人全体で見ると、扶余も似たようなものだと思う。


 金属加工で別グループなのだが、鉄ルートに違いがあるのでこのあたりややこしい。遊牧民の方がそこは早く発達している。金属加工と日本の古代宗教は密接にむすびついているらしい。


 だが扶余なら多分筑紫も関わっている。だから日と鏡信仰が北九州全土統一性があると見ている。だが、鷹という特定の鳥トーテムと中国人としての秦系に絞るなら限られてくる。ただここで役に立つのがじゃ何故天皇家は中国語じゃないのか?で初期の縄文混血の稲作集団である可能性があるからだ。


 もともとの縄文時代の海人の高木信仰が融合した話はしたと思う。これは調べてみないと分からないが、縄文系の異色の高木信仰が地方にはまだ残ってる可能性もある。調べてないが。


 しかも熊襲もおそらく日信仰である。これは、阿蘇山や桜島などの火山=火や灯台の火も関わってくる。ほあかりなどは灯台の火なんじゃないか?と私は見ている。日じゃなくて火。やはりニギハヤヒとホアカリは別である可能性も考えている。


 この両者が密接なのは、ニギハヤヒがホアカリの東移住ルートと被るのは、おそらくホアカリはニギハヤヒと行動を共にした可能性がある。以前話した火山による移住だ。これによって同族関係にはなったが、同一の祖先神であるか?は確定じゃない。神として火と日で習合した可能性は高い。


 天皇家の人種的ベースと言うより、宗教的ルーツは、偽秦氏というべき、扶余燕人などの遼河の金属加工集団の物であると見ている。特にその中で中国語を話せるグループが重要になったのではないか?と見ている。


 このあたりはとてもややこしい話しになる。中国語は音としては統一性は無かったと聞いている。表意文字なので通じてしまう。今日本人がそんなだろう。それを統一したのが始皇帝だが、そんなすぐ可能だと思うか?となる。燕人が遼河から離れた始皇帝が統一した中国語を話していたのか?は疑わしい。


 ただ中国の使者が確かに3韓前の秦人は中国語だったとは残している。この辺り実にややこしい。ある程度遼河語と中国語を両方話せるバイリンガルがかなり居たのじゃないか?とも見ている。生粋の扶余人とは無理だと思うが。シンプルな中国系の天思想じゃない。その辺りぐちゃぐちゃに混ざったもので、そこに南方系のぐちゃぐちゃさも邪馬台国だと関わってくる。


 後は刺青になる。天皇家はもう海人じゃないからになる。縄文からあったのか?なら分からない。刺青はかなり難しい。そもそも呉越の刺青とはなんなのか?となる。明らかな刺青集団は隼人になる。マレー系海人とチャーニーズ系って多分区別つかない可能性がある。


 呉越は北上したマレー系と中国系の混血である可能性が高い。呉越=マレー系じゃない。そもそも越はマレー系のルーツで先祖みたいなものだ。ただ後から北上したマレー系と融合した可能性はある。これが山東省まで来ると別文化なんじゃないか?と見ている。


 すべての海人は刺青をしていたのか?と言うと、マレー系に近いほど残っただけで、やめてしまったグループも居たんじゃないか?と見ている。特に天皇家が辞めた理由は全く違う。完全に山の民族になったからになる。天皇家は海の歴史を忘れてしまった可能性が高い。後から内陸の縄文酋長と混血した可能性もあるが、おそらくあのハプロは天皇家とは無関係な沖縄にも多いため海人だと見ている。


 海人以外に沖縄に残る理由が無いからだ。天皇家が邪馬台国と全く別集団だったのは、これが大きい。海とか山だけじゃない。ベースとなる集団がそもそも騎馬民族(金属加工)系や中国文明系だからだ。


 すべての九州集団で、日と鏡は一致しても、この部分でこれは異質だと私は強く感じている。秦の文化は、鯨布で有名だけど、あれは秦の罪人が漢楚時代にのし上がった将軍になる。ただ鯨布は南方出身なので元からって可能性もあるのが否定できないけど。秦の価値観では刺青には当時からこれだけ価値観が違う。


 天皇家が倭人達の文化とまるで違うのはここですっきり出来ると思う。あれは単純には邪馬台国のメンバーじゃない。連合がどこまでの範囲なのか?分からないが、敵対じゃなくても連合の一員ですらなかった可能性がある。天皇家自身が古事記を書いたときどこから来たのか?多分分かってない。


 日向と残るが、それがどこの日向なのか?は多分私達程度の知識もない。九州の日向だという事しか分からない。一時期私も北九州説だったが、今は宮崎説になりつつある。それは天皇家が邪馬台国を筑後川水系だとすると遠賀川水系で全く別系統の集団だと見たからだ。そこから宮崎なら南下の移住ルートが英彦山さえ繋がればすぐ分かる。


 問題の英彦山だが、これは神社としての扱いが低いのは、古事記のせいになる。古事記以降ニニギに責任放棄して山に篭った父親をあまり良い印象にならなかったからとなる。英彦山は有名なのに神社の格が低かったのは天皇家自身の伝記のせい。本当はあそこ多分すごい場所なんだと思う。


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