表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無題  作者: ケケロ脱走兵
7/45

(7)

 ある日、社長からデンワがあって、何時もの様に仕事の話だと思っ


て聴いていると、子どもは大きくなったかだとか家族とは上手く行っ


てるかだとか、いっこうに肝心の仕事の話に入らないので、「忙しい


ので切りますよ」と言うと、「実は、」と低い声で言い、少し間を置


いてから、娘の美咲が、かつて私と妻が出会ったあの店で万引きを繰


り返しているようだと言った。「どうも間違いないみたいだ」と、社


長は防犯カメラに何度も映る少女を確めた店長の話を打ち明けた。そ


して、もっと早く教えてやればよかったが、私の後輩の店長は随分と


躊躇ったらしい。私は早速店長にその映像を送ってもらって確かめて


から彼に謝り、すぐに弘子に連絡した。「こんなことは絶対に許せな


い」と妻に憤りをぶっつけると、彼女は「まず、私が美咲に確かめる


から」と言って、あなたが感情に任せて頭ごなしに叱ったら美咲が壊


れてしまうから「どうか私に任せてほしい」と言うのでそうした。その日


は土曜日だったが、つまり、店にはやるべき仕事が山のように積まれ


ていたが、主任に責任を預けて夕時のお客さんで賑わう店内を後にし


た。


 妻は、ダイニングテーブルにその店に罪滅ぼしのために注文したと


思われる美咲の好物のにぎり寿司が、それも特上にぎりが並べられた


円形のフードパックを真ん中に置いて夕飯の準備を終えていた。私が


シャワーを浴びてイスに腰を下ろすと、妻に促されて美咲が階段を恐


る々々降りて来て、私自身も緊張が高まってきて冷静を心掛けることが


精一杯で、たとえ目の前に特上すしがあっても食指を動かされることは


なかった。


 美咲は降りて来るなり私の横に来て、私はイスごと躰を彼女の方に


向けた。彼女はすぐに「お父さん、ごめんなさい」と言って頭を垂れ


ると、同時に両眼に溜まっていた涙が滴になって彼女の足下の床を濡


らした。私は、その落下の軌跡を辿っているうちに、もちろん一瞬の


ことだが、もう彼女を叱る気を失った。乱れた髪の間から俯いた彼女


の顔を覗くと頬が赤く腫れ指の跡だと判るほどそこだけ鬱血して白く


斑になっていた。彼女が嗚咽を繰り返していると、妻が「もうやりま


せんでしょ」と忘れたセリフを教えた。彼女はその言葉を繰り返すと


止めどなく新しい滴で床を濡らした。私は「よしっ、わかった」と言


って初めて彼女の頭を撫でた。すると彼女はもう一度「ごめんなさい」


と言ってその頭を私の胸にうずめた。「もういい、わかったから」、


そう言って私は自分の隣りのイスを引いて席に着くように促した。席


の決まりはなかったが、それは自分がほとんどテーブルを一緒に囲む


ことがなかったからだが、下の子が産まれてからは専ら妻が傍らに着


くので四つの席の占め方は自然とそうなった。「さあ、メシにしよう


!」と私が言うと鬱陶しい儀式は終わって、妻が娘に泣き腫らした顔


を洗ってくるように言い、彼女は洗面所に駆け込んだ。私は妻にごは


んの間はもうそれ以上彼女を咎めないように言って、やっと目の前の


特上すしにも食指が動いた。久々のトロを頬張りながら、例えば、子


どもたちに好きな親を選ばせて、我々は見ず知らずの異性と子ども


の前で仲睦まじい夫婦を演じることが出来るだろうか?恐らく、美咲


がそんな辛い思いをしなくてはならないのは彼女だけの所為じゃない


と思いながら、むしろ、謝らなければならないのは、子どもたちの気


持ちも考えもせずに「パパ」が突然居なくなったり、また、知らない「


おじさん」がある日から「お父さん」になったりと、私たちの感情絡み


の思惑で子どもたちが育っていく根拠を奪ってしまう身勝手な大人た


ちの方ではないかと思うと、彼女が気の毒に思えて仕方なかった。


すると、口に入れたトロのワサビが効き過ぎていたのか、急に涙が


溢れてきてきた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ