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日がな一日を無為に過ごす者にとって、家族旅行の計画を立てる
ことは会社でのどんな仕事よりも楽しかった。毎日パソコンと向き
合い人気の施設や行楽地のサイトをダウンロードして、夕飯のあと
でみんなの意見を聞いた。二泊の予定なのに一週間かけても周れな
いほどの候補の中から娘の己然の意見を優先して選んだ。
己然は、
「お姉ちゃんにも聞かなくてもいいの?」
と言うので、
「それじゃあ、自分で聞いてあげなさい」
己然は母の携帯デンワをとって姉の美咲にかけた。
「おねえちゃん、うふふふふっ」
「笑ってないで、ほら」
母に急かされて、
「おねえちゃん、今度の旅行どこいきたい?」
美咲が言ったことを己然は私たちに伝えた。
「あのね、キサのいきたいとこならどこでもでいいって」
それっきり妹と姉は旅行とは関係のない二人だけの話にひとしきり
花を咲かせてからデンワを切った。携帯デンワを受け取った母は、
「何でちゃんと訊かないの?」
「だから、どこでもいいって」
すると突然、母の手の中にある携帯デンワが鳴った。
「ああ、美咲、どうしたの?」
母は娘の話を聞くと、
「だめっ、それだけは絶対ダメッ!」
と言うと、どうも美咲の方からデンワを切ったようだった。私は、
それとなく妻に、
「美咲、何だって?」
妻は、しばらく黙っていたが、
「あの子、箱根へ行きたいって」
私は、普段から家族の者に隠しごとは止めようと訴えていたので、
彼女も仕方なく私の知らなかった過去を打ち明けてくれた。彼女に
よると、箱根は、妻の前夫、つまり美咲の実父の親戚が旅館を営ん
でいて、離婚するまではよく家族で訪れたところだったという。私
は、しばらく考えてから、
「よしっ、箱根に寄ろう」
妻はか弱い声で、
「だめよ、それだけは」
と言った。私はパソコン画面の地図を眺めながら、
「ほら、そんなにかけ離れていないさ」
何よりも私は、美咲が家族と一緒に旅行することを望んでいた。た
とえその行き先が彼女と実父の想い出の場所であったって構わない
と思った。消すことのできない想いを無理に忘れさせようとは思わ
なかった。そんなことをすれば、彼女はますます幼い頃の鮮明な記
憶へ回帰しようとするに違いなかった。過去の記憶の中に今の自分
が生きているのではないことを、脱皮した殻に再び戻ることができな
いことを、自分の目で確かめて自分の意志で決別する他なかった。
結局、前日に箱根でも一泊することになって、三泊四日の家族旅
行になった。箱根での宿は、まさか妻の前夫の親戚の旅館に泊まる
わけにもいかないので、こう見えても私は、従業員がそこそこ居る
会社のかつては部長まで務めた経歴もあるので、何も術がないわけ
ではなかった。箱根なら、今も従業員の慰安のために利用している
旅館があったので、馴染みの支配人に電話をして、もちろん辞めた
ことを隠して、会社の名と共に自分の名前を告げると無理を聴いて
くれた。ただ、「今回は家族旅行だから会社には内緒にしておいて」
と、釘を刺すことを忘れなかった。
旅行の前日には美咲が戻ってきて家に泊まった。その表情はこれ
まで見たことないほど明るかった。そして、家族で一緒に夕餉を囲
んだあと、美咲が、この旅行のために買ったというデジカメを、妹
と二人でハシャギながら家族を巻き込んで画像に残した。それから、
己然が姉を誘って一緒に風呂に入ろうと言った。私は己然に、人差
し指を口に当てて、
「おねえちゃんに言っちゃあ絶対ダメだぞ」
と、私と己然が一緒に風呂に入った時のことを秘密にするように言
った。勘違いしないで貰いたいが、私が、実の子に如何わしいことを
するはずがないではないか。実は、妹の己然はおかしな子で、何故
か、私が放屁するのをことのほか面白がった。どうも私が真面目腐
った顔をして素知らぬ振りをして、文字通りその場の空気を乱す濁っ
た破裂音を出すことが滑稽に映るようで、それからは思い出したよう
に「お父さん、オナラして」とせがんでくる。己然は、姉の美咲に倣って、
私を「お父さん」と呼び母親は「ママ」と呼ぶ。私は仕事を辞めてから、
娘と一緒に風呂に入る時間もできて、そんな娘と二人で風呂に入ると
大変である。何度も湯舟の中で放屁してくれと求めてくる。湯舟に泡立
つ放屁を見ては腹の底から笑い転げて「もう一回」とせがむ。そんなこ
とを言われてもこっちにも限度がある。今では母親にも同じように求め
ているようだ。妻は、「女の子なんだから変なこと教えないで」と私を叱
った。ただ、年頃である美咲にも同じことをせがまないか心配だった。