表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無題  作者: ケケロ脱走兵
22/45

(22)

 美咲が置いていったキルケゴールの本のおかげで通勤電車で退屈


しなくてすんだ。とはいっても、ポテトチップスをサクサク食うよ


うなわけにいかず、スルメイカをいつまでも噛みしめているようで、


わかったつもりで先へ進むと咀嚼されずに飲み込んだイカは嚥下


されずに再び口元へ吐き出されて、飲み込めない箇所に後戻りして


何度も読み直さなければならかった。例えば、「罪とは、神の前で


絶望して自己自身であろうと欲しないこと、あるいは、神の前で絶


望して自己自身であろうとすること、である」と書かれているが、


それじゃあ、いったいどうすればいいのかさっぱりわからなかった。


ところが、何回も同じところを咀嚼するうちに、「自分自身であろ


うと欲しないこと」というのは、自分との対話の中で、自分自身と


の関わりを放棄することであり、「自分自身であろうとすること」


とはそれとは反対に独我論に陥ることではないか。そこから「罪」


とは罪の意識から逃れることであり、或いは、罪の意識そのものを


認めようとしないこと、なのではないか。例えば、人を殺しておい


て自分は知らないと虚偽することであったり、或いは、あんな人間


を殺してなぜ悪いと自分を正当化することである。ところが、「神


の前で」が意識されなくなった時、相対化した世界の中で絶対への


意志からもたらされる絶望がなくなり、絶対は存在しないのだから、


虚偽や詭弁を用いることの疚しさを感じなくなる。恐らく、キルケ


ゴールは神への信仰が失われた時、つまり現代だが、絶望(精神)か


ら逃れた我々は、彼は冒頭で「精神とは自己である」と言っている


ので、自己を失い同時に絶望が消え失せ、しかし絶望とは自己にと


ってのある一つの基準なのだ、その基準を失った世界は矮小化し虚


偽と詭弁がたしなめられず、そして、遂には虚偽と詭弁を根拠に精


神を失くした自己を正当化するようになり、やがて人間は堕落する


に違いないと思ったのではないだろうか。ほら、自己(精神)を失っ


て嘘と詭弁を繰り返す原子力村の人々ように。


 おお、何時の間にか電車はもう降車駅に着いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ