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無題  作者: ケケロ脱走兵
18/45

(18)

 道は正面の山の斜面に突き当たって左右に分れていた。T字路に


佇んでどっちへ行こうか思案していると傍らの畑に設えられたビニ


ールハウスの中から、


「おや、またお会いしましたね」


と、例のチョイ悪親父風が現れた。私は最前の経緯には一切触れず


に、


「このハウス、お宅のですか?」


ビニールハウスは入口のある半円の断面を通り過ぎた道に向けて三


棟並んでいた。


「ええ、ここは貸りてるんですがね」


「へぇ、で、いったい何を作ってらっしゃるんですか?」


「ちょっと、待ってください」


そう言って、彼はビニールハウスの中に入って行った。そして戻っ


てくると、真っ赤に熟れた大きなトマトを差し出した。


「えっ!これもしかして福寿ですか?」


「へえ、よく知ってますね。そうです」


「何でまたこんな品種を?」


「近頃の甘いだけのトマトは嫌いでね、まあ、食べてみて下さい」


私はそのトマトのお尻にかぶりついた。すると酸味と独特の匂いが


口いっぱいに拡がった。


「どうです?」


「トマトの味がします、いやあ、懐かしい味です」


「酸っぱいでしょ」


「ええ」


歩き疲れていたこともあったが、もともと私は胃を痛めていたので、


そのほどよい酸味がただれた胃壁を労わり、そして胃袋に冷たい


果肉がどっしりと落ちたがそれでもスーと軽くなり體の疲労物質が


消えていくのがわかった。食い終わると口の中に仄かな甘さと青


臭さが残った。


「これは美味い!」


それは、スーパーで売っている味もそっけもないトマトとは全く違


っていた。一言で言えばクセのある野生的な味だった。


「確かに、桃太郎にはない味ですね」


するとチョイ悪親父風は、


「何でそんなによく知っているのですか?」


「あっ、実は私、スーパーで働いてまして」


「ヘエ、そうですか」


「で、どこへ出してるんですか?」


生産者がいくら想いを込めて作っても、それを引き受けてくれると


ころがなければ消費者の口には届かない。たとえば、いくら優れた


小説を書いても、決して私のことを言っているつもりはないが、活


字になって本屋の店頭に並べられないと人口に膾炙されず、それを


扱う出版社などの仲介者の英断がなければ新しい文学は埋もれたま


まで終わってしまうように、集荷と出荷も担う組合はただ扱い勝手


がいいという理由で指定した単一品種以外は扱わないというのであ


れば、味気ない金太郎飴のような桃太郎トマトばかりが出回ること


になる。すると彼は、


「主に直売所ですね、あとはネット販売もやってますが残れば加工


用ですね」


「もったいないですね」


「そんなに作れないから仕方ないですよ」


今や流通業界も寡占化が進み大量仕入れ大量販売によって低価格競


争に曝されていて、現状は良いものであっても価格が大きなネック


になっている。いくら生産者が自信を持って作ったものでも流通か


ら外れたり、たとえ店頭に並んだとしても廉価なものに駆逐されて


しまう。私の勤めるスーパーでも特売日には客が溢れ返っても、次


の日にはその反動に頭を悩まさなければならない。価格破壊は時代


の流れで仕方ないにしても、特定の品種ばかりが店頭に並び、多様


性が失われて昔からある地元の作物が消えていくのは流通に携わる


者としては忍びない。そもそも、農作物というのはそれぞれの地域


環境に適った作物や品種があり、縦長の日本列島で同じ作物同じ品


種が画一的に作られていることこそが愚かしい。かつて「コシヒカ


リ」が売れるとなると北海道から九州まで一斉に「縦」並びになび


く様は滑稽でさえあった。しかも今ではアメリカまでも。恐らく、


その頃からそれぞれの地域環境を無視した無理な農業が始まった。


ビニールハウスの中では、まるで工業製品を扱うように、作業者は


ノギスを糖度計に持ち替えて頻りに製品の糖度ばかり測ってる。そ


もそも農業とは「Agri - culture 」 だが、それも農


業「Agri」かもしれないが、耕すこと( culture )がな


いので文化( culture ) が生まれない。従って、農耕文化や


食文化が育たない。先日テレビを観ていたら、水耕栽培で作ったレ


タスを甘いと言って感心していたが、私は甘いレタスなど気持ち悪


くて食いたくもない。野菜の旨さは決して甘さじゃない、菓子じゃ


ないんだから。野菜の旨さとは野菜独特の苦みや酸味、言ってみれ


ば不味さにこそ本来の味があるのだ。水耕栽培は無農薬を謳うがそ


の養分とは化学薬品ではないか。そこで甘みを増すために他の薬品


を継ぎ足すことに何の躊躇いがあるだろうか。我々の味覚は、まる


で甘味を知らない原始人のように、何でも噛んでもおいしいことと


は甘いことだと飼い馴らされて退化したのかもしれない。そして、


マクドナルド化された野菜工場では野菜独特の個性が失われ何を食


べても同じ味のするドッグフードのようなマクドナルドのハンバー


ガーを、私はそれを「ドッグバーガー」と呼んでいるが、甘さに騙


されてよろこんで食べているのだ。つまり、我々は画一的な味覚に


慣らされて家畜化してしまったのではないだろうか。今更ながらで


あるが、そもそも食べることとは自らの命を守るための、従って命


を賭けた行為であることさえも忘れられてしまった。


 因みに、「うまい」を辞書で検索すればすでに「甘い」があった


のには驚いた。


「もしよかったら、ウチの店に出しませんか?」


そう言って、私は自分の名刺を差し出した。大手のスーパーではな


いが、最近では、ま、あまり有難くないことでニュースにも出たり


して、関東近郊では以前から少しは名前は知られていた。


「はあ・・・」


彼は、しばらくその名刺に眼を落して考え込んでいた。私は、


「実は、・・・」


 実は、私は身体を壊す前から、亡くなった創業者の先代社長の許


可を得て、大手スーパーの間隙を狙って毎週月曜日の週一回だけだ


が店頭で食材ばかりの「百均市」を催していた。その名の通り何も


かも単価を百円に均一して、その替わり量であったり全体の損益の


バランスを図って調整しなが、本当のことを言えば週末の売れ残り


を処分する為でもあったが、それでも客離れを食い止める為の採算


を度外視した特売セールだった。そうは言っても、毎回同じものを


並べていてはすぐに飽かれてしまうので、目玉商品を探すのに苦労


していた。自分から提案して余計な仕事を増やしたことが身体を壊


す一因にもなってしまったが、それでも諦められなかった。すでに


スーパー業界は棲み分けを終えてしまって、だんだん小さくなって


いくパイの奪い合いは、たとえ大手と言っても売上を確保するため


には他社とシェアを競い合う他なく、勢い価格競争がし烈を極め、


中小はその煽りを真面に受けて生死を分ける水面がすでに鼻孔の際


まで達していた。そんな限界状況の中で、経営を任されたバカ息子


らが産地偽装に手を染めたのも止むに止まれぬ事情からだった。弁


解に聞こえるかもしれないが、実際の作業の中で故意ではなくとも


結果的に表示ミスは頻繁に起こった。定められた善と悪の境界に立


ってやがて混交に迷い、遂には一線を画する原則を私情によって歪


めてしまった。実は、暴露すればそのような偽装は商いに携わる者


ならば多かれ少なかれ無縁であるはずはなかった。何故なら、そも


そも商売の原則とは安く仕入れて高く売ることであり、更にそれを


如何に上手く偽るかが求められる生業だからである。


 自由競争が淘汰を繰り返して生まれた独占資本に支配された市場


では全てのモノに値札が付いてすでに社会主義社会の配給施設と変


わらないほどに画一的で退屈な店になってしまった。便利なだけの


コンビニや何でもあるが欲しいモノが何もないマクドナルドやユニ


クロのように、客はただ空腹を満たすため服を着るために仕方なく


訪れる。それらの配給所には何一つ新しいものは売られていない。


少なくとも市場の楽しさはない。我々は独占資本主義の下で急速に


競争原理が失われ社会が画一化して社会主義化している事実にまだ


気付いていない。つまり、資本主義とは「命懸けの暗闇への跳躍」


によって破綻を繰り返すものであるが、ところが、グローバル経済


の下で世界には暗闇そのものがなくなり、跳躍しない社会制度を資


本主義とは呼ばないのだ。かつて、跳躍に失敗した金融界を国家の


手で救ったことによって日本の資本主義は終わった。また、同じ理


由によって、リーマンショックから甦ったアメリカも、そして、今


まさに金融危機を立て直そうとするEUも自由を失い急速に社会主


義化するに違いない。価値を失ったものは淘汰される、その原則を


覆して資本主義は成り立たない。つまり、経済のグローバル化と共


に資本主義経済は終焉を迎えようとしている。そんな閉塞的な状況


を唯一破壊してくれそうなのが産地で営まれている直売所ではない


かと思った。そこにはまだいい加減な値札が付けられた怪しいモノが


堂々と並べられていた。外国の市場を訪れた他所者のように、ワク


ワクする好奇心が呼び覚まされた。少なくとも市場の如何わしさが


まだ残されていた。


「いいですよ、月曜だけなら」


彼によると、直売所はちょうど月曜日が定休日なので出荷先を探し


ていたところだったので新しい販路は願ってもない、と二つ返事だ


った。後は買値だったが、当然、一つ百円を越えるわけにはいかな


かったがほぼそれに近い金額を伝えると、「ほんとずら」と驚いた。


私はあくまでも採算を度外視した特売用の目玉商品であることを明


かして、つい最近まで私の片腕だった仕入れの担当者にデンワを繋


いで彼に代わった。


「買値はしかっり彼に伝えておいたので、後の送料だとか細かいこ


とはあの男が段取りしてくれるでしょう」


そう言うと、彼は頭を下げて、


「ありがとうございます」


と言ってから、美術館まで送っていく言うので、


「いや、もう美術館はいいですから、出来たらその産直所へ連れて


行ってもらえないですか」


「あっ、それなら今からそこへトマトを持って行くところですよ。


軽トラでもよかったら送りますよ」


もう充分歩いた私は、「実は、」と出勤途中に起きたことや帰りの


電車で寝過ごしたことなどを打ち明けて、


「いやあ、こんなところで商売がまとまるとは思わなかった」


そう言いながら彼が運転する軽トラの助手席に乗り込みながら、さ


っきまで会社を辞めようと決意したことなどすっかり忘れていた。

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