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無題  作者: ケケロ脱走兵
14/45

(14)


 車道の山側に道祖神が祀られそこから一本の岐道が山の奥へと向


かっていた。私の足は迷わず車道を外れた。


 そして、山路を登りながら、こう考えた。


 山々の谷間を流れて田畑を潤す恵みの雨も、或いはビルの谷間に


落ちて人々を憂れさせる怨みの雨も、いずれは河川を流れ下って共


に大海へと還っていくように、誰もがいずれは死へと還る。生きる


ことが如何に不平等であっても死の下では誰もが平等である。死は


等しく訪れる。たとえ他人よりも荒れ果てた道を歩んだとしても、或い


は思わぬ近道に出くわして安楽に歩き終えても、結局人生のゴール


は同じ死ではないか。死に至ることが生きることの結果であるとすれ


ば、果たして安楽に生きて何も為さず死ぬことなど望むだろうか。全


ての生き物は生まれながらにしてすでに生きる目的を叶えているのだ。


つまり、生きることが生きるものの目的なのだ。だとすれば、何を好き


好んで先人の後を追わなくてはならないのか。まず自分の意志で自分


の道を歩むことがより生きたことになるではないか。


 ビッグバーンを始原として宇宙は無限へと膨張し続け、すべての


存在は宇宙の膨張とともに変化することから逃れられない。大分省


略するが、やがて地球が形作られそこに生命体が現れた。私とは、


変化によって生まれやがて変化によって消えていくひとつの現象で


ある。誕生も死も宇宙の変化によってもたらされた現象の変化である。


それは私という現象に所与された前提なのだ。


 生まれ出でた子がこの世界で生きるために自己を形成しようとす


るように、自らの死期を悟りこの世界から去ろうとする者は、成長


とは反対に自己へと回帰する。やがて関心を失くした社会は徐々に


遠ざかっていき、これまで拡散していた意識は収束して主体として


の自分だけが残る。間もなく自分は存在しなくなる。その絶対性は


揺るがない。その絶対的な孤独の死点から逆に自分自身を見詰め直


そうと思った。それは、子どもたちが世界に可能性を探る視線とは


逆である。死点からの視線を私は死線と呼ぶ。死線によって見た自


分は果たして自分自身を生きてきただろうか?成功だとか失敗だと


か社会的な結果はどうだっていい。そんなものに拘るのは社会に魂


を売り渡した阿諛者が思い煩うことだ。売上が前月比0.何%増えた


かなど消え去る者にとって何の意味があるだろう。それは、あたか


もマラソンランナーが競争すら忘れて自分自身と向き合いひたすら


ゴールだけを目指すように、もはや自分が何位だとか周りのことな


どどうだってよくなってしまうのだ。そもそも社会などいうのは私


の死とともに消え去るのだ。否、社会だけでなく一切が消滅するの


だ。残された人生をどう生きるかは私自身に託された個人的な問題


でしかない。


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