ディファレンス・エンジン/ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング/書物紹介文 +おまけ:誤読紹介文
想像してみて欲しい。
十九世紀のロンドン、ヴィクトリア朝。蒸気機関の時代であり、いまや外観しか残っていないかつての大英帝国のその姿。日本は開国したばかりで、福沢諭吉らが使節団をアメリカとヨーロッパに派遣した頃だから、まだ明治政府が生まれたばかり。「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」なんて言葉が流行った時代だ。そこに、わたしやあなたが今利用しているようなインターネットやコンピュータなどの電子機器の姿は当然、見受けられない。
だがそこに、蒸気で動く計算機関の姿がある。
何枚もの歯車を規則正しく並べられ、蒸気を吹き出しながら人の手によって与えられた様々な問題を解決するための計算を走らせている姿を想像して欲しい。
この計算機は我々の目の前にある機器と同じ働きをする。単純だ、情報を処理し、仕事を効率化する。十九世紀のロンドン、産業革命の時代に、このような働きをするものがいくつ作られただろう。わたしたちは知っている。蒸気機関が世界を変えたことを、教科書で当たり前のごとく学んでいる。
だが、教科書には書いていない。あなたが想像している蒸気計算機関を実際に設計し、一号機は完成させ、現代のコンピュータの先駆とも呼ばれる二号機の完成を夢見た男が実在したことを。
その男の名前はチャールズ・バベッジ。
そしてその計算機の名前を、差異機関と呼ぶ。
* *
この物語は一言で言うなれば、現代に蘇った夢の話だ。
八十年代に彗星のごとく表れSF史に一つの歴史を、そしてフィクションの世界に大きな波紋を残したサイバーパンク・ブームの絶頂にこの物語は出版され、タイトルにもなったディファレンス・エンジンは――とはいえ本文中の差異機関と「二号機=解析機関」は全くの別物であるのだが――現代に再現された。1991年、ロンドンのサイエンス・ミュージアムがバベッジの「二号機」を完成させたのである。
その瞬間に、フィクションの世界に確固とした質量が与えられた。「二号機」が作動し、勿論効率はコンピュータより悪いとはいえ正確に計算を行った瞬間、ディファレンス・エンジンの世界はあり得たかもしれないものとしての地位を得た。
本編ではこんな過去(!)が幻視される。アメリカは南北戦争で幾つもの少国家に分裂し、日本は1855年には開国が英国艦隊による黒船来航によって完了している。詩人ジョージ・バイロンは首相となり、その娘のエイダ・バイロンは「機関の女王」として、差異機関の製作者チャールズ・バベッジはそのよき師として君臨している。蒸気画像、蒸気映像技士、機関術、蒸気ガーニー……不可知の世界がそこに広がっている。
想像して欲しい。別の世界の見聞録がそこにある。ページを捲ると、わたしたちの先祖がわたしたちと同様様々な仕事に追われて蒸気で動くコンピュータを用いて仕事をしている。屋内は蒸し暑く、街は煙たい。わたしたちの馴染み深い日本を見てみると、坂本龍馬とか西郷隆盛とか、そんな名のしれた武士は全然活躍していない。それでも、福沢諭吉の名前は当然のごとく登場するのだから不思議だ。
その別世界では、とあるパンチ・カード(穴あきカードのこと。大雑把に説明すると昔のプログラム……らしい)を巡ってロンドン中を巻き込む陰謀が企てられている。第一章「第一の反復」では、娼婦シビルがミック=ラドリーに「パリで新たな生活を送らないか」という誘いに乗るが、いざこざ(これを語るとネタバレになってしまう……ううん)に巻き込まれてしまう。第一章を読んだだけでは物語はそこで一旦完結しているように見えるのだが、実はこの行動が全てのきっかけになって、果ては舞台はイギリスなのにフランスの宮廷警察――いわゆる秘密警察だ――まで巻き込んだ事態に発展していく。
だが、物語の楽しみ所というのはそこではない。存在しなかった歴史がそこにあり、そこでは見たことのない生活を、わたしたちの知っている人々が送っている。それも、わたしたちの世界では1991年にやっと日の目を見ることになった「ディファレンス・エンジン」を使って。
今まで色々な人が言及しているように、「ディファレンス・エンジンが存在している」歴史を恐ろしいほど精緻に――専門家たちの利用から民間レベルの技術の普及に至るまで――描いている。それも、ディファレンス・エンジンの特徴=現代のコンピュータのパイオニアを意識すればすぐそれと気づくように、現代に対する批評性も兼ね備えているし、折々に出てくる幻視はニューロマンサーを彷彿とさせるし、その虚像は物語をただの歴史モノから立派なSFにまで昇華させている。
「1855年に分岐した歴史が」接近し、離れていった、その交点。それこそ、1991年であり、それが復刊された2008年であり、「ディファレンス・エンジン」を読み開いた瞬間であるのだ。
けれども、わたしたちの生きている世界の隣、あるいは遠くにある別世界がある。
多くを語るよりも、実際に読んでもらったほうが早い。
百聞は一見にしかず、だ。もしもあなたが少しでもこの作品に興味を抱いているならば、迷わず購入して欲しい。これを読んで初めてその存在を知ったというあなたには、是非アマゾンの購入ページかお近くの書店に行ってこの傑作を求めて欲しい。
* *
以下、誤読紹介文。
最近、なろうで「ラグナ録。」などを投稿されているきゃのんたむさんとツイッターでスチームパンクについてやりとりをした。
きゃのんたむさんは新作「蒸気の巨像と救いの聖火」の続章を投稿するにあたって、「スチームパンク」タグを付けるか否か悩んでいるそうだ。
曰く、
『「スチームパンク?なんじゃそら?」ってバックしてしまうかたがおられたら悔しい』
のだそうだ。
(余談だけれどもきゃのんたむさんの作品「蒸気の~」はまだ読み始めてすぐだが、とっても面白いので是非皆様読んでみてください。面白さは、わたしで良ければ保証します(笑))
実際、スチームパンクってマイナーな言葉だと思う。大友克洋の「スチームボーイ」が2000年代に公開されたけど、当時のわたしは見に行かなかったし、今も見ていない。今も見ていないのは「AKIRA」より面白そうには感じられないからだが、当時は、サッパリ興味が沸かなかったのだ。
そもそもスチームパンクには少々非現実的な趣がある。調べてみたけれども、スチームパンクはSF的なテクノロジーへの言及よりも、かつての世界に郷愁を抱いているような文章が多いのだとか、ストーリーも含めて。
どうやらスチームパンクはファンタジーの一分野として成立しており、"サイバーパンク"と言葉づらは似ているけれど中身は全くの別物で、メカ好きにはたまらないだろうけれど、大衆向けのジャンルかと聞かれたら、首を傾げてしまう。そんなジャンルに分類されているらしい。
じゃあディファレンス・エンジンはファンタジー好きだったり、蒸気機関のロマンというノスタルジイに浸りたい人向けの作品で、大衆向けではないしSF好き向けでもないかといったら、そうではない。
故伊藤計劃氏はブログでこう言ってる。
「ディファレンス・エンジン」はスチームパンクじゃありません。
(伊藤計劃 第弐位相 「スチームパンク/サイバーパンク」より)
誤解を招く前に断言しておくが、わたしはスチームパンクというジャンルに接したのは「蒸気の~」が初めてだし、偏見も持っていない(と信じている)。故伊藤計劃氏のブログに書かれた文言(氏が批評ではないと言っているのであくまで文言とする)を読んだことはある程度。だから、下に続ける文章は自分が「スチームパンクは皆興味のないジャンルだから、好きな小説をそれに分類したくない」なんて願望に基づいたものではない。僕はきゃのんたむさんの「蒸気の~」を読んでいてワクワクドキドキしているし、スチームパンクのノスタルジイに早くもやられてしまいそうになっているのだから。
次の言葉も、先ほど挙げた故伊藤計劃氏の「伊藤計劃記録 第弐位相」からの引用である。
「ディファレンス・エンジン」はサイバーパンクです。
(伊藤計劃 第弐位相 「スチームパンク/サイバーパンク」より)
正直、わたしははじめこの作品を読んでいて、スチームパンクを読んでいるという気分だった。「へえ~、サイバーパンク党の筆頭二人の書いた小説だし、スゴイ世界観だなあ! 重厚だあ!」とワクワクウキウキハイテンションで、開始二日で上下巻を読了した。
最後の章、「モーダス 提示されたイメージ」の終局にあたる十数行で、頭をガツンと殴られた気分になった。第四章の終わりの辺りとか、各章の冒頭部分とかから、なんか変な感じはしてたんだ。写真の解析を行っているこの第三者はいったい誰だ? 未来世界のどこのどいつなんだ? それともまさか、物語自体が進行形で語られているのか?
だから、最後の十数行、わけが分からなかった。なにせいきなり電脳空間の描写のような文章がずらずらずらっ! と並ぶのだ。わけがわからない。こいつはスチームパンク活劇じゃなかったのか?
この文章だけで、この物語自体がサイバーパンク的な物語だと直感する、「ニューロマンサー」の存在を知っていれば、あるいは、現代の我々のようにインターネットが当たり前に登場する世界観に生きていれば。だがわたしは呆然としたまま「差分辞典」という柱脚集を読み飛ばし、巽孝之氏の解説と伊藤計劃&円城塔両氏による「解説」に助けを求めた。そしてそこで全ての答えを得た。
その時の感動と言ったら、言葉が出ないわ呼吸は止まるわ最後の十数行だけを十数回読みなおして頭のなかに文章のイメージが厖大な質量を伴って浮かんでくるわ、もう筆舌に尽くしがたい。
伊藤計劃氏のように、系統だてた説明も抜きにわかった。こいつは「ニューロマンサー」で描かれたテクノロジーに関する描写であって、この物語がそのはじめから誰によって語られていたのか、全てを納得した。自分の誤読をはっきりと自覚し、「ディファレンス・エンジン」の頭からつま先までどんな物語だったのかを再認識したのだった。
要するにだ。
「ディファレンス・エンジン」を読もうと思っているそこのあなた。スチームパンクという言葉に踊らされちゃあいけません。これは生憎スチームパンクなんて代物じゃあございません。サイバーパンクの傑作であり歴史改変モノの傑作でもある、二つとない名作であります。是非、臆することなく読んでください。