第一話『水の妖精』‐②
「はっ!」
わたしは目覚めた。
なにかおかしい。これまでとは違い、身体に重さを感じる。それに苦しい。
「どうして」
考えている余裕はない。わたしはたまらず、水面から顔を出す。
「ぷわぁ!」
気がつくと、外の空気を思いっきり吸いこんでいた。
(わたし、どうしちゃったんだろう)
暗い夜の湖。それでも、空に浮かぶ月と星が灯りになってくれている。
あたりを見まわした。なんだか変。湖が小さく思える。水面に目を向けてみた。ゆらゆらと、異様なものが自分の真下に映っている。それがなんなのか、時間が経つにつれておぼろげではあるけど、想像できるまでになる。
「まさか」
わたしは最初、自分の姿だとは思わなかった。だけど、ここには自分しかいない。水面から上の身体を目でなめまわす。想像は確信へと変わる。しかも、見覚えすらある。
「これは……人間の姿だ。わたしが人間になっている。しかも女の子に」
(どうしたらいいの?)
考えがまとまらない。ただ『寒い』という感覚。それを今、わたしは感じている。湖から岸へとあがった。
夜風がすずしい。加えて裸の身体はびっしょりとぬれている。水の中より寒い。一体、どうすれば。
わたしは水辺を歩くことにする。身体を覆うものがほしい。
「なにか……。あ、あそこは!」
ここらあたりをとおりかかった人が、『ごみ置き場』と呼んでいる場所が見えてきた。わたしはその中にあるごみ箱のいくつかをあさってみる。
「これは……」
わたしはその一つから見覚えがあるものを取りだした。
(湖のほとりに来る『人』はみんな、これを身につけている。確か、『服』とか『作務衣』って呼んでいたっけ)
それは薄紅色のやわらかな色彩を帯びている。なんとなくわたし好み。
「よぉし、これを着てみようっと」
作務衣とやらに袖をとおしてみる。わたしの身体より少し大きい。だけど、この程度であれば、十分着こなせる。
(少しにおうな)
「洗った方がいいかもね」
都合のよいことに、湖のすく近くには川も流れている。ほんのちょっと歩いただけでたどりついた。川の中へ入って、じゃぶじゃぶと作務衣を洗う。だいぶ、においが取れた。これなら、と着こもうとして気がつく。
「あっ。ぬれている」
あたりまえね。川で洗ったのだから。わたしは川沿いに生えている木の枝にかける。
「昼間ならすぐにかわくんだろうけど」
ふと水面に映る自分の姿が目に入った。
(いやだ。わたしって裸じゃない)
改めてそのことに気がついたとたん、顔全体が熱を帯びてくる。わたしは今、女の子。しかも全裸。一糸まとわぬその姿に、『恥ずかしい』という感情がこみあげてきた。
「くしゅん!」
くしゃみというものをしたのは、この時が初めて。裸のまま立っているせいかもしれない。
(なにか身体を温めるものは)
わたしは再びごみ置き場に戻り、箱の中をのぞく。すると、作務衣よりも分厚くて大きいものが入っていた。……それを『毛布』だと知るのは、まだまだ先の話。
わたしはそれで身体を覆ってみる。
(うわぁ、あったかぁい!)
やっぱり、こっちもにおいがする。だけど、洗うわけにはいかない。がまんすることにした。
大きな岩の上に腰をおろす。天上を見あげると、星がきらめいている。
「相変わらず、きれいね」
湖の水面で浮かんでいた時も、ずっと見つめていた。暗い夜空にまたたく星々が、わたしには宝物のように思えたのだ。光は見えるものの、手に取ることはできない。それはこの身体になった今も同じ。跳びはねても、決して届かない。誰にも触れることができない。それでいて、その輝きは見る者の心を魅了する。その気高さにわたしはただ恐れいるしかない。
「わたしを取りこんだあの星も、ほんの少し前まではあの輝きの一つだったに違いない」
時間はたっぷりある。ゆっくりと記憶をたどりながら、どうしてこんな姿になったのかを考えてみることにした。
「あの時、わたしは彼から願いごとを聞かれたような気がする。そして、それに答えたようにも。ひょっとしたら……、わたしは『人間になりたい』といったのかもしれない。それがかなえられた。だから、今、この姿になっているのじゃないかな」
仮にそうだとしても疑問は残る。
「何故、わたしは人間になることを望んだのだろう?」
自分が求めた願いであるなら、答えはきっと記憶の中に。そう思って探してみる。だけど、どこにも見あたらない。またたく夜空の星もなにもいわない。時間が経つにつれ、くるまっている毛布の暖かさに心と身体が落ちついてきた。やがて眠気にさそわれる。答えを見つけられぬまま、わたしはいつの間にか眠ってしまった。
ちちち。ちちち。
小鳥のさえずりで、わたしは眼を覚ます。
「しまったぁ! 朝になったんだ」
この格好を人に見られてしまう。ためらいも感じたけど、このままじゃ、どうしようもない。わたしは洗った作務衣がかけてある木の方へと走った。
「ふぅ。よかった。誰もいない」
遠くに人影がある。だけど、こちらに気をとめてはいないみたい。わたしは安心して作務衣を手に取ることができた。
「多少しめっぽいけど、これなら大丈夫。においもずいぶんと消えているし」
わたしは作務衣を着こむと、ほっと胸をなでおろす。これで少なくともはた目には、普通の人間とほとんど変わることはない。そう思ったからだ。
「さぁ、これからどうしようかな」
わたしは川をせにして、眼の前に拡がる村の家々を見まわしていた。
「さて、どこへ行こう?」
あたりまえの話だけど、水の妖精であるわたしに、人間の身よりなんて一人もいない。だから、行く先などあろうはずもない。とはいえ、このまま、ぼさっ、とつっ立ってばかりもいられない。
「とりあえず、歩こう」
わたしは村の方へと足を進める。時々、人とすれ違う。みんなわたしの方を見て、なんだか怪訝な顔をしている。中には口に手をあて、くすっ、と笑う仕草をする人もいる。
(そんなぁ。わたしが人間じゃないって、もうばれたのかな)
そう思いながらしばらく歩いた。
「歩きにくいな」
そう思ったとたん、わたしは転んでしまう。
「うっ!」
わたしは足の裏に強い刺激を感じる。足の裏を見た。なにかとがったものが刺さっている。このままじゃ、歩くこともできない。無理矢理、引きぬく。
「うっ!」
まただ。これまでわたしが感じたことがないような刺激。それが全身を駆けぬける。
(みんなもこんな思いをしているかな)
周りを見まわす。でも、わたしのように立ちどまっている人は誰もいない。ふと気がついて、すれ違う人たちの足元に目を向けてみた。
「これは……」
わたしはそれまで、少なくても外見上は人間の身なりになっていると思っていた。でも、それは間違いだと知らされる。
(確か、あれは『靴』っていうものじゃなかったっけ。わたしは今、はいていない。だから、地面に落ちているものが刺さったりして、足の裏に強い刺激を与えてしまうんだ)
わたしはごみ置き場に引きかえそうかと考えた。でも、作務衣を見つけた時には、靴はなかったような気がする。もしあれば、すぐに拾ったはずだ。
(どうしよう。歩くこともままならないなんて)
とがっているものが落ちていないのを確認するため、さりげなく下を向きながら歩く。
「あっ!」
目には見えないけど、なにかが落ちていたらしい。先ほどより刺激は少ない。でも、歩きづらいことに変わりはなかった。
(人はいろいろなものを身につけることによって、初めて行動できる生きものなんだ)
そんな風に思った。
わたしは刺激に耐えながらもなんとか歩いている。でも、とうとうたまらなくなってきた。足の裏を見ればいくつか割れ目ができていて、そこから赤いものが流れでている。
(歩くのをやめたい。どこかちょうどいいところは)
ふと横を見る。広場が見えてきた。子供たちが楽しそうに遊んでいる。中には靴をぬいでいるものもいる。
(ここで一休みしよう)
そう思ってその中へ入ろうとしたら、
「ねぇ、この『公園』で遊んでいこうよ」
手をつないでいる女の人に、そう話しかけている子供がいた。
(ええと。これは、『親子』って呼ぶんだっけ? それにここは『公園』っていう名前なのね)
いろいろな言葉がこれからもわたしの耳に入ってくることだろう。
(わたしはついていけるのかな)
心配になってきた。
わたしは遊んでいる子供たちの会話に耳をかたむけてみる。次第に、その公園にある遊び場の名前が判ってきた。
ぶらんこ、すべり台、鉄棒、砂場……などなど。さまざまな名前がわたしの頭に飛びこんでくる。
「ふぅぅっ」
わたしはため息をついて、『ベンチ』と呼ばれていた幅の長い腰かけに座りこむ。
(急にたくさんの名前を覚えようとしても、なかなかうまくいかないみたい。少しずつ学べばいいや)
ぶらんこに人がいなくなる。わたしが一番気になっていた遊び場だ。その一つに腰をおろしてみる。
「ええと。確か、両方の手と足を使って漕いでいた気が」
やってみる。足で蹴ったあと、両手を使う。ぶらんこのふり幅がだんだん大きくなる。
「うわぁい!」
わたしは楽しくなる。漕げば漕ぐほど、空に大きく近づいたり、遠ざかったり。視界に見える景色が変わっていく。風も強くぶつかってくる。
(これって、なかなかいい)
そう思って楽しんでいたら、いつの間にか子供や親子連れが集まってきた。ここにあるぶらんこは三台。もう埋まっている。その内、二台は子供が乗っている。
(もうそろそろやめた方がいいかな)
わたしはそう思い、未練はあったけど、この遊び場から出ていくことにした。
次に向かったのはすべり台。どうやら、わたしは勢いがつく遊び場が好きみたい。高いところまであがったあと、ぴゅぅっ、と下まですべっていく。この風を切る壮快感がたまらない。あまりにも楽しいので何度もくり返した。気がついてみれば、すべり台近くに集まっているほとんどの人が奇異なものを見るような目つきで、わたしを見つめていた。
(わたしの身体は周りにいる子供たちよりも大きい。だからなのかな)
それでも、離れるまでに十回以上はすべりつづけた。
「でもにゃ。流れ星サタンにゃんも、むごいことをするにゃあ。ミーにゃんはどう思う?」
「そうよねぇ。いくら願いをかなえたっていってもねぇ。夜中に女の子を裸のまま、湖の中へおっぽり出すなんてねぇ」
「ミアンさん、ミーナさん。やむをえなかった、とも考えられますよ」
「へぇ。どうしてなの? ネイルさん」
「ウチも聴きたいものにゃん」
「ミアンさん。フローラは、『今の姿になったのは、自分が「人間になりたい」って願ったからだ』、と考えていますよね」
「みたいにゃ。話の内容からすると」
「流れ星サタンが、天空の村に住む『人間』の姿を知っていたとはとても思えません。となると、どうやってあの姿を造りだしたか、ということになるわけですが」
「ふむふむ。確かにそうだわん」
「考えられるのは、フローラの思考の中にある人間像です。サタンはそれを読みとったに違いないと思うのです」
「にゃあるほど。フローラにゃんは湖に遊びにくる人間たちの姿を見るのを日課としていたような感じだしにゃ」
「ええ。ですが湖に来る人のほとんどは、遊びが目的じゃないですか。格好はさまざまですよ。裸で泳ぐ人もいれば、作務衣を着たまま湖のほとりで休んでいる人だっています。作務衣を着ているからってみんな同じじゃありません、色やデザインの好みは人それぞれです」
「それはそうだわん」
「そもそも、『人間になりたい』という願い自体が漠然としています。サタンから願いをかなえるといわれてもあまりに急な話で、フローラは自分がなりたい人間像を具体的な形まで思い浮かべることはできなかったんじゃないでしょうか。そこでサタンは、フローラの思考にある人間像から、できるだけ共通な部分を取りだし、かつ、女性型の霊体である彼女に相応しいものを提供した。そう考えるのが妥当ではないかと」
「なぁるほろ。その結果が裸の女の子になっちゃったってわけね」
「とにゃると、必ずしも手抜きとはいえないにゃ」
「いや。むしろ、よくあそこまで造りあげたと思いますよ。実際にこの目で見ていますからね たいしたものです」
「つまりところ、願いごとの情報不足が招いた悲劇、なのかな」
「あの状況じゃ無理もにゃいと思うのにゃけれども。ネイルにゃんのいうとおりにゃら、サタンにゃんを非難するわけにはいかなくなったにゃあ。前言の非難を撤回するにゃん」
「うん。アタシも」
「にゃあ、ミーにゃん。ミーにゃんにゃったら、どんな願いことをするのにゃん?」
「えっ。アタシ? うぅん、そうねぇ……。やっぱり、夜の闇に打ち勝つ力。これがほしいわん」
「でもミーにゃんは、銀霊にゃんから、いくらか強くしてもらったのにゃろ?」
「そうなんだけどね。完全っていうわけじゃないのよ」
「ミーにゃんは花の妖精だものにゃあ。限界はあると思うのにゃよ。
にしても、にゃんでそんな力がほしいのにゃん?」
「夜の天空の村を散歩したいのよ。昼間とは別な世界があるかもしれないからね。それに時々だけど、人間たちって、野外コンサートと称して音楽の祭典をやっているみたいなの。それもじっくりと聴いてみたいわん」
「夜は危険がいっぱいなのにゃけれども、逆に、夜だからこその、魅力あふれるなにかがあるのかもにゃ。
うんにゃ。ミーにゃんのいうことはウチにも判るような気がするのにゃよ」
「ねぇ、ミアン。ミアンだったら、どんなことを願うの?」
「ウチ? そうにゃあ、ウチにゃったら……、
やっぱり、料理が熱いうちに食べられるのが夢にゃんよ。にゃから是非」
「ミアンったらぁ。お願いまで食べものネタなのね」
「それに、世界の終末的料理も味わってみたいものにゃん」
「世界の終末的料理? なんなの? それって?」
「ずばり! 『春巻き丼』にゃん! ごはんに乗せる春巻きは五個以上であることは譲れないにゃ。それに、にゃ。ごはんと一体化させるため、たれも加えるのを忘れてはいけないのにゃん」
「ええと。……ネイルさん。よく判らないんだけどぉ。なんで、ミアンは『春巻き丼』が世界の終末的料理だと思っているの?」
「多分、『ハルマゲドン』……。ミーナさん。ミアンさんに代わって僕がおわびします。
すみません。判る人にしか判らないネタで」