第一話『水の妖精』‐①
第一話『水の妖精』
湖のゆるやかな流れに乗って水の妖精がただよっている。それがわたしだ。人の形をした水といってもいい。どこから来たのか覚えていない。気がついたらここにいたというだけ。
この湖『佐那』をたたえる水は、雨神フーレがこの地に降らせた恵みの雨。湖に直接降りそそいだものもあれば、山にしみこんだ水が湧きでてたまったものもある。だから、どこから流れついたのかなど誰にも判りはしない。ただ、これだけはいえる。フーレが降りそそぐ雨には霊力がある。その雫とこの大地が触れあうことにより、わたしは生まれた。それだけ判ればそれでいい。
「ふっ。柄にもない瞑想にふけっちゃった」
(さて。周りのみんながどんな話をしているか、聞いてみようかな、っと)
霊覚交信。霊力による『念』の伝達と、『霊覚』という霊体特有の感覚を用いることで、お互いの意志をかよいあわせる伝達手段。わたしの周りで盛んに泳ぎまわる水の妖精たちもこれを使っている。わたしも閉じていた霊覚を開放する。とたんに、さっきまでの静けさは露と消え、さわがしさが支配する。
「ちょっと、あなた。迷惑よ。こんなところでまどろむなんて」
「失礼。すぐそばをとおらせて頂きますよ」
「じゃまじゃま。早くそこをどきなさい」
「今日、なにを食べようか?」
「あぁら。私たちは水の妖精よ。食べられるものなんてないし、食べる必要さえないじゃない」
「あるよ」
「へぇぇ。なに?」
「退屈と惰眠」
「まぁ、詩的なお方。うっとりしちゃう」
「ねぇ、あっちで遊ばない?」
「それよりこっちへ来てみな。ここに頭のおかしな水の妖精がいるよ。なにもしないで、ぽけぇっ、としているだけ。一体どうしちゃったんだろう?」
「妄想狂じゃない? あるいは変態かもしれなくてよ。いいからこっちへ来なさい。じゃないと、あなたもそんな風になっちゃうわよ」
「残念。もうなっているよ。はははは」
周りに群がる水の妖精たちはわたしを指さし、なにやらひそひそ話をしている。もれてきた会話の内容から察するに、どうやら、変態あつかいされてしまっているみたい。
わたしの透明な水の身体。それが次第にほてっていく。
「う、うるさぁい!」
わたしは声を張りあげた。
「うわぁ、変態が怒ったぁ!」
ひどいことをいわれる。そんな中、周りにいた水の妖精たちが一斉にわたしのところから離れた。でも、それもつかの間。ざわざわと近づいてきて、また思い思いのおしゃべりを楽しみながら泳いでいる。
「本当に。どいつもこいつも」
水の妖精って大変。多いし、さわがしいし。ところせまし、と泳ぎまわり、とどまることを知らないかのよう。とはいっても、中にはわたしや友だちみたいなのんびり屋さんもいることはいる。だから、全部がそうとはかぎらない。夜など静かになる時もある。それでも総じていえば、にぎやかすぎる。
(もう、やってらんない。早く誰か来ないかな)
そんな風に思っていると、どこからか声が聞こえてくる。
「はぁい、フローラ。お元気?」
女性の声だ。ふり返ると、妖精の間をかき分けてやってくる友の姿が。
「こんにちは、ナーニャ。やっと会えたね。よかったぁ」
「こんにちは、フローラ。今日は一段と混雑しているわね」
水の妖精は小さい。それに多い。友と決めた者でもなかなか会うのが難しい。向かいあったとしても、ほんのわずかなすきまに別の妖精が割りこんでくる。しかも、たくさん。たちまち友を見うしなう。そんなことは日常茶飯事。とはいっても、わたしたちも動きまわっているから、すぐに会えたりする。会っては離され、離されては会い。そんなくり返しの中、わたしは友とともに生きている。
こう考えると、にぎやかこの上ない世界のようにも思える。だけど、冷酷な一面ものぞかせる。この世界では一つの命が終わったとしても、ほんの少し離れているだけでそれが判らない。しばらく顔をあわさなければ、間違いなくそれは死。そう考えていい。
わたしたちの寿命。なにもなければ数百年ぐらいは生きるとか。ただ、ちょっとした環境の変化でその運命は変わってしまう。木が倒れてきた。石が投げこまれた。なんらかの原因で水面にわずかな波紋が生じた。ただそれだけで運の悪い者は命を絶たれる。地震などが起きれば、たくさんの妖精が『死』という一つのきずなに結ばれる。
死ねばたちまち姿を消し、あいた部分に、どこからか流れこんできた別の妖精が新たに加わる。ただそれだけのこと。命の尊さなど、ここではなんの意味もない。
それでも、生き延びるものは多くいる。これだけ集まれば、ぐうぜん、他の妖精たちが盾となり、被害をまぬがれることもある。生きとし生けるものの末路。それは生まれた時、既に決められているのかも。そんな風にさえ思えてしまう。
でも、それを論じるのはむだなような気がする。大事なのは、今、わたしが生きているということ。それだけ判ればそれでいい。
「ねぇ、フローラ。それにしてもここらへん、水の妖精が多すぎじゃない?
一旦はぐれたら、探すのも容易じゃないわよ」
「ナーニャ。場所を変えようか?」
「じゃあ、あっちへ行かない? ここよりはずっとましよ」
「うん、行こう!」
底深い湖の中。わたしたちは碧い水の流れに沿って、水草、お魚さん、そして妖精の間をくぐりぬける。ナーニャがいっていたとおり、視界がぐんと開けてきた。
「よかったぁ。ここなら友だちが来ても間違えずにすみそう」
「ねっ。こっちの方が絶対にいいでしょ。
友だちを間違えるのはあたしも同じ。いや、むしろ、その方が自然な気さえするわ」
「どうして?」
「あたしたちってほら、身体が湖の水と同じじゃない。だから、本来であれば、『湖の水や他の妖精たちと身体が一つになる』、あるいは、『自分たちの姿が見えない』となってもおかしくはないわ。区別がつかなくてもあたりまえ、のはずなのよ。それなのに」
「違うのよね」
「そう。実際はそうじゃない。ちゃんと自分や相手を見わけることができる。それは何故かといえば」
「『霊体シールド(防御壁)』が身体の表面を覆っているから、だよね? そのおかげでわたしたちは、それぞれが一つの意志を持つ個体として存在している。身体の輪郭が浮かびあがるから、『誰がどこにいるのか』とか『今、どんな仕草をしているのか』っていうのも判るってわけ。
ねっ、ナーニャ。そういいたいんでしょ?」
「ひ、ひどい! フローラったら、あたしの見せ場を全部台なしにしたぁ。
……もう、こうなったら泣いちゃおう。……うわぁん!」
(本当に目から涙が……。しょうがない。それじゃあ、わたしも)
「うわぁん!」
「ぐすん。ちょっとちょっと。なんでフローラまで泣きだすのよ」
「いや、なんか手に負えないな、と思って。それにほら、わたしってつきあいがいいし」
「あのね。……まぁ、いいわ」
ナーニャが泣くのをやめたので、わたしもそれにつづいた。
「だけど、ナーニャ。そんなこと、水の妖精なら誰でも知っているよ」
「フローラ。お願いだから話をしているさなかに、茶々入れるの、やめてくれない?」
「ごめんね、ナーニャ。つい、学があるもんで」
「あっ、そう。とはいっても、もうあなたがほとんどしゃべっちゃったから、これ以上話すことなんかあまりないわね。
まぁ、そんな理由で見わけはつくんだけど。それでも、さっきみたいに大勢だとね。身体の輪郭だけじゃ、どうしたって間違えることが増えちゃうわ」
「そうよねぇ」
わたしもあいづちを打つ。
「もっと色がいろいろあるといいんだけど」
「……それ、洒落のつもり?」
「ふふふ。かもね」
(なんか……ぐっと疲れた)
わたしは周りの雰囲気がおかしいことに気がつく。
「……変だな」
「フローラ、どうしたの? 頭でもおかしくなった?」
「……けんか売ってんの? 受けてたつよ」
「あら、いやだ。心配しているだけよ」
「心配って……」
(やめよう。つっかかるのは。今はそれどころじゃないし)
「ほら。ナーニャ、見て。『水の妖精』が誰もいないよ」
「……本当。少ないのはいいとして全然、ってのは……おかしいわね」
ナーニャはきょろきょろとあたりを見まわしたあと、湖面を見あげた。
「フローラ。ひょっとすると、外でなにかが起きているのかも。ねぇ、行ってみようよ」
「えっ。ちょ、ちょっと待ってよぉ」
ナーニャは湖面へと浮上する。わたしも急いであとを追う。
ざぶん! ざぶん!
わたしたちは湖面から顔を出す。
「あれっ?」
奇妙な気がした。
今は夜。だけど、真っ暗じゃない。月明かりや星々の輝き。これらが湖面に投じられ、明るいことこの上ない。こんな夜はたいてい、湖の周りにも多くの動物が集まる。一種のにぎやかさをかもしだすのは、ごくあたりまえ。なのに、今は誰もいない。
(みんな、どこへ行っているのかな)
おかしなことはまだある。わたしの周りだけ、これらの光を享受できない。
「何故なの?」
わたしは誰にいうともなしに問いかける。と、その答えとは別な言葉が返ってきた。
「フローラ、逃げて! なにか大きいものが墜ちてくるわ!」
「えっ!」
わたしはナーニャの言葉に驚く。そのさなか、物体は湖に衝突したらしい。『らしい』というのは……、わたしはそれ以後、気を失ってしまったからだ。
わたしは気がつく。
「ここは……どこなの?」
まばゆいばかりの光。その中にわたしはいた。
(ここは湖の中じゃない)
それだけは判る。
「すまんな、お嬢ちゃん」
光の中、声が聞こえる。
「誰?」
「わしは流れ星『サタン』。お嬢ちゃんのいた湖に堕ちた」
「それで、わたしは?」
「どうやら、堕ちた衝撃でわしの身体の中に取りこまれてしまったようじゃのう。じゃが……それより、わしはおぬしにわびねばならぬことがある。わしのせいで、おぬしの仲間が多く命をなくしたようなのじゃ。……申しわけないことをした」
「そんなぁ……」
(ナーニャ。ナーニャも死んだのかな)
「わしの力をもってしても、亡くなった者の命を元に戻すことはかなわぬ。せめてもの罪ほろぼしじゃ。おぬしにわしの力を授けたい。受けとってはもらえぬか?」
「力……。一体、それって」
「おぬし、なにか願いは」
わたしが覚えていたのはここまで。あとの記憶は……なくなっていた。
ずずっ。ずずっ。もぐもぐ。もぐもぐ。
「ミーナさん、ミアンさん。ここまでの話はどうでしたか?」
ずずっ。ずずっ。
「ミーにゃん、この飲みものは美味いにゃあ」
「そうね」
もぐもぐ。もぐもぐ。
「ミアン。それに、このお菓子だって、なかなかのものだわん」
「美味しいにゃあ」「美味しいわん」
ずずっ。ずずっ。もぐもぐ。もぐもぐ。
「あのぉ」
「ネイルにゃん、聞こえているのにゃよ。にゃけれども」
もぐもぐ。もぐもぐ。
「今の話は説明ばかりであまり面白くなかったのにゃん」
「そうね。聞いているうちに、あくびが出てきてしまったわん。お茶とお菓子がなかったら、今頃は……ふわぁぁい」
「すみません。退屈なのが判っていたので早めに話したのですが……、
どうやら失敗だったみたいですね」
「ねぇ、ネイルさん。これからの話もこんな感じなの?」
「いいえ。次からは、無謀なまでに説明のないお話が始まります」
「それはそれでにゃ」
「問題があると思うわん」
「まぁ、そこのところはこのお茶とお菓子で」
「うんにゃ。手を打つとするにゃん」
「そうね。よし、とするわん」