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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

星間ゲート少年姫シリーズ

ランとアラシで神隠し~20歳の奇跡~

作者: 迦陵びんが

正月早々、ボクは警察に連行されている。


ボクを乗せた警察車両は、自宅から井の頭通りに出て高井戸インターを目指しひた走る。

首都高4号線に上がるとカラッとした冬の空気の所為か、新宿の高層ビル群がくっきり見えて来た。甲州街道の上空12メートルを疾走するハイウェイからの車窓風景はいつ見ても素晴らしい。


二棟聳え立っているツインピークは都庁タワー、虚空の棚田にも見える三段屋根は新宿パークタワー、アールデコ様式のエンパイヤステートビルディングみたいに尖っているのはドコモタワーだ。きっと後ろを振り向けば富士山が白く輝いて見えているに違いない。連行される身にそんな自由はないのだけれど・・・。


ボクは3月生まれのまだ未成年。きっとニュースで報道されるときは“19歳の少年”とか“少年A”とか呼ばれるのだろうな。いや、ボクの場合は“少女A”か・・・。


赤坂トンネルから三宅坂の地下区間を通って霞ヶ関インターで地上に出た車は、国会議事堂の正門前の坂を下る。そして皇居桜田門の傍に聳える三角形のビルに到着した。厳戒態勢で警察官が立哨する警備エリアを通って地下ゲートへと入って行く。


もうすぐ成人式だというのにこれから警察で取り調べか・・・髪をアップにしたり振袖を着なきゃならないのは億劫だけど、サヤカたちと一緒に20歳を祝う式典には出たかったなあ。


そんな物思いに耽っているとドアが開いて、警察官から降りるように促された。いよいよ警察に出頭だ。


≪パシャッ≫

≪パシャッ パシャッ≫

≪パシャッ パシャッ パシャッ パシャッ≫


ボクが現れると一斉にストロボが焚かれた。テレビのライトが煌々と室内を照らし出す。


「“お待たせしました! キリュウアラシさんで~す!”」


正月気分も抜けないうちに警視庁に行くことになったボクは“警察に連行される犯人”という設定で、道すがら妄想を愉しんでいたのだが、司会に名前を呼ばれ我に返った。


「“男子女子両方のプロゴルフトーナメントでご活躍中のキリュウさん。これからの1年間は110番の顔としても活躍していただきます!”」


ボクは今、金モールで煌びやかに飾られた婦人警察官の制服に『一日通信指令本部長』と書かれたタスキを付けているのだった。小さく深呼吸すると、女性化プロジェクト仕込みの完璧な営業用スマイルを浮かべながら白手袋でキッチリ敬礼してみせた。


≪おお~っ!≫


場内から歓声が上がる。


「“いやあ~婦警さんの制服姿が素敵ですねえ! 敬礼もお見事! 板についてますよ! こんな可愛くって綺麗な本部長さんが上司だったら、職員が大張り切りで職務にまい進すること間違いなしです!”」


司会の婦人警察官も興奮しているのか、少し声が上ずっている。


今日は1月10日。この日は毎年「110番の日」として全国の警察で広報イベントが行われる。警視庁の場合、通信指令センターに10代女性アイドルを呼んで110番通報の広報イベントを行うのが通例となっている。


ボクは女性アイドルではないのだけれど、「アラシ君がティーンエイジャーのうちに是非ともお願いしたい」「19歳は最後のチャンス」ということで警視庁の偉いオジさんから直々のご指名があったのだ。


ちなみに10代は飲酒できない立場だし、女性は暴力事件を起こす可能性は低いし、アイドルはファンの為に身を慎むから安心なのだとか。ボクの場合は、さらに女性でもないから性犯罪に遭遇したり不倫や妊娠の危険もない“安全パイ”ということなのかもしれない。


惑星ハテロマから地球へ帰還したとき、マスコミや野次馬に取り囲まれて自宅軟禁状態になったことがあった。その時、警視庁の偉い人が特別にSPを手配してくれたのでずい分助かった。そういう経緯だからボクも、警視庁の依頼を無碍には断れない。


ボクをマネージメントする為に津嶋さんが組んでくれた“チームアラシ”のメンバーも「社会貢献は大切」「警察イメージは安全対策上プラス」と、テレビCM、ポスター、チラシ、警察のホームページにネット動画と、ボクの婦警さん姿が一年間載ることを了解したのだ。

もちろん母さんたちも「アラシの婦警さん姿が見られるんだわ!」って大乗り気。


「言うまでもないことですが、これから1年間は決して悪いことをしないでくださいね」


警視庁の広報担当者から、しっかり釘をさされ一筆とられたのは言うまでもない。






そして数日後、素晴らしい冬晴れの下でボクは無事“逮捕勾留”されることもなく成人の日を迎えた。早生まれのボクはまだ19歳で未成年なのだが、成人式は学齢単位で行わるのだ。武蔵野市民文化会館で行われる式典に、ボクは高校時代の仲間たちと出席することになった。


「ランちゃん。その振袖、とっても素敵よ~ぉ!」

「色合いがとっても綺麗~ぇ!」

「花柄も似合ってる~ぅ!」


家まで迎えに来てくれたサヤカたち3人娘から歓声が上がる。彼女たちだって振袖姿で目いっぱい着飾っている。馬子にも衣装、いつになく綺麗で女らしいのだ。こういう時は女の子同士称え合うのがお定まりらしい。


「ユカリの桜地に菖蒲、サヤカのピンク地に花扇、クルミの鶺鴒に花車だって素敵じゃない! 女の子って振袖着ると見違えるくらい綺麗になるよね!」

「うふふふっ」

「えへへへっ」

「そうそう、ランちゃんのって以前着ていた振袖と違うんじゃない?」

「わ、わかるんだ? やっぱり女の目は鋭い・・・」


ボクは地味な格好で行きたかったのだが、母さん姉さんに井上沙智江さん、津嶋オーナーにボクのエージェントたちと、ボクを除く全ての人たちから猛反対にあってしまったのだ。

ボクの衣装ダンスにはカッちゃんとの正月デートの際に作った振袖があったのだが、


「アラシはスターなのよ? テレビや週刊誌に写真が出てしまった晴れ着を着せる訳にはいきません! 『あら? またあの着物着てるわよ』って言われるのは母さんなんだから!」


と、これまた猛反対にあってしまった。


という訳でボクは今、新たに誂えてもらった振袖を着せられている。まだプロ宣言をしていないアマチュアゴルファーだから、当然ボクには収入はない。今回もまた父さんが小遣いを減らされることになったのは無論だ。可哀想な父さん・・・。


≪パシャッ≫

≪パシャッ パシャッ≫

≪パシャッ パシャッ パシャッ パシャッ≫


ボクたちの車が市民文化会館に到着すると、案の定マスコミが詰めかけていてボクが現れるのを待ち構えていた。家から歩いて行ける場所だったけれど、安全を考えて母さんが車で送ってくれたのだ。


「“アラシ君! いよいよ成人式ね! 大人になる感想はどう?”」

「“そのお振袖を見立てたのはアラシ君? とっても素敵よ”」

「“これで性適合手術するのに保護者の了解がいらなくなったわね!”」

「“その素敵な髪飾りは牡丹に藤の花かな?”」

「“式が終わったらお友達と女子会?”」


記者やリポーターから矢継ぎ早に質問を浴びたけれど、ボクは無言の笑顔でかわしながらサヤカとユカリに両脇をしっかりガードされて会場内へと入る。


そうそう、サヤカたちも無事にボクと同じ麗慶大学に進学しているのだ。


残念ながら理工学部に進んだのはボクだけだったけど、サヤカは法学部、ユカリは経済学部、クルミはどうにか文学部に入学することができていた。まあ、同じキャンパスで学ぶ元同級生ということもあって、学食でいっしょにお昼を食べたり、今日みたいな女の子を強要されるシチュエーションのときにはボクに付き添ってくれている。


「“・・・というわけで本日晴れて皆さんは大人の仲間入りを果たしました。これからは歴史ある武蔵野市民として私たちと共に豊かな地域社会をめざしてまいりましょう”」


「“・・・選挙は民主主義の根幹をなす制度です。先人たちの血の滲む努力の結果獲得した大切な権利なのです。皆さん、選挙に行って存分に市民としての権利を行使してください!”」


「“・・・市議会は選挙を通じて皆さんから選ばれた代表として、武蔵野市がより良い街となるよう市政をただし予算を審議していく役割を担っているのです。あと5年すれば皆さんも立候補できる立場ともなるのです”」


市長、選挙管理委員長、市議会議長、市在住の著名人ほか来賓の挨拶が終わると、第2部のイベントが始まった。武蔵野市は先輩世代が毎年代わる代わるボランティアでやってくれているから年ごとに演出が違う。今年はそこそこ著名なバンドのライブだった。


「ねえねえ、ランちゃん! これが終わったらパ~ッとやらない?」


ユカリが、ステージ上の大型スピーカーから溢れ出る大音響のサウンドに負けない声で叫んだ。


「20歳のお祝いだもん、今日は飲むぞ~っ! ほい!」


クルミが振袖を腕まくりしてハイタッチした。


「ボク、お酒は遠慮しておく」

「え~~~っ? どうして?」


クルミが目をまん丸く見開いて言った。


「だって、まだ未成年だもの」

「そっか! ランちゃんは警察のマスコットだから、法律を犯すわけにはいかないのよね! 偉いわ! まわりの勢いに流されず我慢できるなんて! 10カ月も年上のクルミなんかよりず~っとランちゃんの方が大人よね」


納得した表情で頷くと、サヤカはボクの頭をいい子いい子と愛おしそうに撫でる。


「今日は予定ないし、ソフトドリンクでよかったら付き合うよ」

「よし! 決まりね。街に繰り出すわよ!」

「イエ~~ィ!」

「誰か男の子にエスコートさせた方がいいかも」

「そうねえ。こんな着飾った美女軍団だけで行動すると、ちょっかい出されちゃうか」

「ボク、男だけど・・・」

「誰かいないかなあ」

「ロビーで探せば高校でいっしょだった男子とか見つかるんじゃない?」

「ボク、ここにいるけど・・・」

「そうだね! 体育会系の男の子だったらいいかも!」

「ボク、体育会ゴルフ部出身なんだけど・・・」

「あ~あ早く終わらないかなぁ」


3人娘に完全にシカトされた。


式典が終わってロビーに出て行くと、すごい人だかりだった。


「キリュウ!」


呼びかけられた方を見ると、元サッカー部のエースストライカー沢村だった。あ、隣は左サイドバック中野。ふたりも成人式に出席していたんだ。ボクは人混みを掻き分けて傍まで行く。途中、ボクだと気付いた人たちからバチバチ写メを撮られる。


「ふたりとも久しぶりだね!」

「キリュウもすっかり有名人だな」

「佐久間がサンフランシスコに転校しちまったからキリュウとは接点がなかったもんな」


ふたりは、真っ白なフェザーショールにくるまれたボクを眩しそうに見つめながら言った。

沢村も中野もそれぞれ強豪サッカー部のある大学に進んだから、こういう機会じゃなければ会えないのだ。ふたりはバリバリの体育会らしく、スーツにネクタイではなく所属大学の学ランをキッチリまとっている。その精悍な姿に、振袖で着飾った女子たちもしきりとこちらを見ている。その群れを掻き分けて3人娘が足早に近づいて来た。


「あら~ランちゃんったら!」

「麗慶高校スポーツ男子人気ランキング、ナンバー1、ナンバー2をいっぺんにゲットしちゃうなんて!」

「隅に置けないわね~! この子ったら凄腕よ~!」


ユカリたちはこれ見よがしに両手を広げたり大仰なポーズで感嘆してみせた。


「ゲット?」


沢村から少しきつい視線を浴びてしまった。


「あ、いや・・・サヤカたちが街に繰り出そうっていうもんだから・・・こんな着飾っているし誰かにエスコートしてもらった方がいいかなって・・・」


ボクは、しどろもどろになりながら言い訳するしかない。そんな様子をきつい表情で見ていたが、口元をイタズラっぽく緩めると言った。


「なるほどな。中野、どうだ?」

「ああ、どうせ暇だし、キリュウと佐久間の話とかしたいしな」

「ということだ、キリュウ」

「うわ~い! 沢村君と中野君ゲ~~~ット!」


とはしゃぎながら、クルミは沢村と中野の間に割り込みふたりの太い腕にぶら下がった。


「こら! はしたないぞ、クルミ」


そんなユカリの叱責などまったく気にするクルミではなかった。


という訳でボクたちはその日、ガッシリしたスポーツマンタイプの学ラン男子にエスコートされて街へと繰り出して打ち上げを楽しんだのだった。






成人式が終わって数日後。雪がチラつきそうなどんよりした曇り空の中を、ボクは吉祥寺からほど近い例の大学病院に定期検診を受けに行った。


ちなみに自分で車を運転して行った。免許年齢になったのを機に、大学の講義の合間を利用して運転免許を取得していたからボクも立派なドライバーだ。6速マニュアルに改造された母さんのカローラは、シフトタイミングがなかなかシビアで、何度かエンストしたものの無事病院のパーキングに停めることができた。警察のマスコットをさせられているから、法令順守の絶対安全運転だったのは無論のことだ。


「キリュウ君。そろそろ決心はついたかね?」


検査が終了して、婦人科の診察室に入ると直ぐに担当医の村山から尋ねられた。


「・・・またその話ですか。ボクの身体を、完全に女の子にしたい件でしょ?」


ボクが地球に帰還したときからずっと村山は、ボクの体内に埋め込まれている人工培養の卵巣と子宮を検査してきていた。性適合手術のエリート研究者として、彼はボクの下腹部を女性外性器に作り替え子宮と直結させることで、生来の女性と同様に機能するかを観察したいのだ。


「したいって・・・まるで先生がキミを手術したいみたいじゃないか」

「違うんですか?」

「うっ・・・ま、それはいいとしてキミももう20歳。大学を卒業して社会に出る日はそう遠くないだろ? 戸籍を男のままにするか女に改めるのか、社会人としての初っぱなが肝心だとは思わないかい?」

「世間の人たちはボクがどういうことになっているかよ~く知っていますよ。戸籍なんか誰も気にしませんって」

「まあ、確かにキミは学生の身ながらプロゴルフツアーにも出場するアスリートだ。就職活動で悩むことはないだろうな。でも、人生は仕事だけじゃないだろ? 恋愛をして好きな人と結ばれて家族になる、結婚生活だって大切じゃないか?」

「先生。いまボクの結婚相手を男だと思いませんでした?」

「そ、それは、キミ自身が決めることだ。いずれにせよ今の日本の法律では、キミが男性と結婚する気ならば戸籍を改めなければならないんだよ。その為には、そこを手術しないとね」


そう言いながら村山は、今日は運転しやすいよう七分丈のスラックスを履いていたボクの股間部分を外科医の視線で見つめた。


「こんな女の格好をしていて言うのもなんですけど、要はボクが女の子を好きになればいいんですよね?」

「そ、それはそうだが・・・しかし・・・しかしそうだった! 忘れてはいないだろうね? キミには最早、男として女性を喜ばす機能がどこにも備わってはいないのだよ」

「うっ・・・そうでしたね・・・」


ボクは悲しげにひとつ鼻をすすると、目尻を人差し指で拭って見せる。


「ドキッ! そんな憂いに満ちた哀しい顔を見せないでおくれよ。綺麗な女の子にとてつもなく酷いことを言って泣かせているみたいじゃないか」

「・・・酷いこと言ったじゃないですか」


村山は慌てて弁解モードに入る。


「先生の言い方が悪かった。ごめん。だけど、言ったことは真実だからね? それと、キミにもうひとつ大切なことを言っておかなくちゃいけないんだ」

「?」

「キミの女性器官なんだが・・・通常より経年劣化が速いみたいんだ」

「経年劣化?」

「ぶっちゃけて言えば老化のことだ。キミにも毎月生理は来ているだろう? 女性はね、ある時期になると閉経と言って月経が止まるんだよ。そしてホルモンバランスが崩れて更年期障害に罹るんだ」

「更年期障害・・・」


ボクは、前に聞いた説明を思い出した。ホルモンバランスが崩れると人間はいろいろ疾患を起こす。症状は様々だが一番問題となるのは骨密度が低下し骨がもろくなることだ。アスリートを目指すボクにとっては致命的な問題になる。


「そう。前にも話したことがあったが、性適合手術をして生来の生殖器官を切除すると更年期障害と同じ状況になるんだよ。キミの場合は、男性器官を取り除いてはいるが人工培養した女性器官を移植されたので“女性として”ホルモンバランスが取れているんだ」

「それは分かりますけど、経年劣化とどういう関係が?」

「うん。平たく言えば出産年齢の老化スピードのことなんだよ。生理の目的は女性の出産機能を毎月更新することにある。生理が止まれば出産能力も無くなるという訳だ。どうやらキミの女性機能は、通常の女性より速いペースで代謝しているみたいなんだ」


ボクは、出産機能と言われてもまったく実感が湧いて来なかった。


「・・・ひとより早く、更年期が訪れる」

「そういうことになる」

「更年期になると骨密度が下がるって言ってましたよね?」

「うん? そっちの話ね。確かに骨がもろくなる。だからホルモン治療をしてそうならないようにするんだよ」

「じゃあ、更年期障害が現れても治療でどうにかなるんですね?」


ボクはホッとして胸を押えた。


「ああ。そんな心配なんかよりキミにはもっと重大なことがあるだろ?」

「?」

「そうか・・・やっぱりキミは中身が“男”なんだな。単刀直入に言おう。もし、キミが“高齢出産”のリスクを負いたくなければ早いうちに出産することを勧めたい」

「しゅ、出産!? まだ結婚どころか恋愛すらしていないのに?」


ボクは、ようやく村山がどこに話を進めようとしているのかに気がついた。


「いまの若い女の子たちもそう言って、出産適齢期を逃しているんだ」

「・・・出産適齢期」

「そう。生物学的に言うなら17~8歳が女性ホルモン、特にエストロゲンの分泌ピークで、流産リスクが最低になるんだ。最近はそういう人が増えてるけど、30代になって初産というのは生物として言えば相当にキツイものなんだよ。それがキミの場合は通常の女性に比べて早いペースで進行しているみたいなんだ。実際の年齢より5~10年ほど加速していると考えた方がいい」


言っていることは分かるが、ボクには大きな疑問があった。


「でも、ボクは自分じゃ卵子を作れないんでしたよね?」

「ああ。そして精子もだ。なにもキミに今から“子作り”に励んでもらおうという訳じゃない。体外受精した受精卵を“そこ”に埋め込むんだよ」


と、村山はボクのお腹を期待に満ちた目で見つめた。


「・・・体外受精」

「キミは、男性から女性になって出産ができる地球上でただ一人の稀有な存在だということを忘れないでくれよ?」

「・・・」






その晩夕食が終わった後、検査結果について父さんと母さんに話をした。


「アラシ、いまさら男の子には戻れないでしょ?」

「それは・・・そうなんだけど」


母さんに話をすると、いつも必ず担当医の村山の援護射撃を始めてしまう。


「いいわ。アラシが誰かを愛してその人に抱かれたいって思えるときまで、身体を女に変える手術はしなくてもいいから」

「え? いいの?」


あれ、いつもと違った。


「でもね、赤ちゃんだけは産んでちょうだい」


赤ちゃんを産め? 思いがけない母さんの一言にボクは頭がクラクラした。


「ええっ? そんなことになったらボク、未婚の母になっちゃうよ!」

「未婚の母、いいんじゃないの? ね、お父さん」

「ああ。アラシ、なにも心配することはないんだぞ。なんと言っても両親公認なんだから」


父さんまで!


「・・・ボク息子なんだよ?」

「いいの、いいの! 今じゃしっかりお父さんとお母さんの愛娘よ! 問題は、アラシの子宮に着床させる受精卵をどうするかだわね」

「うむ、そうだな」


え? 父さんも完全に同意? 男同士かばってくれると思ったボクがバカだった。


「父さんも母さんも、息子を妊娠させて平気なの?」

「だってアラシに精子はないんでしょ? かと言って卵子も自分では作れないんだから外から貰ってくるしか方法ないじゃないの!」

「外からって・・・誰かの精子と誰かの卵子をくっつけた受精卵だよ? ボクに好きでもない人の子供を産めと言うの?」

「まあ! アラシの可愛いお口からそのセリフを聞けるとは思わなかったわぁ!」


なんか一言返すたびにズルズル深みにはまって行く気がする。


「だって、妊娠なんかしたらゴルフトーナメントに出られなくなっちゃうよ」

「村山先生もおっしゃっていたでしょ? アナタの出産適齢期はひとより短いの。その時期にしか叶わない女の幸せを大切にしなくっちゃ! この機会を逃したらアラシ、一生後悔するわよ?」

「でも・・・」

「いいからいいから。アラシに赤ちゃんが産まれて、試合に復帰するようになったら母さんたち、ちゃんと赤ちゃんの面倒は見るから。そうだわ! アラシは自分のことを代理母でお腹を貸しているって割切ればいいのよ! 母さんたちに可愛いアナタの子を抱かせてちょうだい」

「ううっ・・・」


意思が弱いというか、押しに弱いというのか、一度だけでもトライすれば諦めてくれるだろうと、ついにボクは承諾してしまったのだ。


母さんの説得を毎日毎晩執拗に受け続けてある種のマインドコントロール状態になってしまった所為かもしれない。まあ、ネットで調べてみたら、そうそう簡単には人工授精でも受精卵を着床させられる訳ではないらしいし・・・。






そして2ヵ月後。

ボクは、自分の子宮の中に受精卵を受け入れる覚悟を決めて、病院を訪れた。


「それじゃあいよいよキミの子宮に受精卵を送り込むからね。まず最初にエコーで位置確認するけれど、プローブが触れるときちょっとヒヤッとするからね」


処置台に下半身裸にされて横になっているボクに、担当医の村山が言った。


この日の為に準備した受精卵は、精子バンクに登録されている中からボクと相性の良いDNAをもつ精子を選び出し姉貴の卵子に受精したものだ。

自分が提供したいって母さんは主張したのだけれど「お母さんのだと劣化しているので」と村山から拒否されてしまった。姉貴は「ほら、やっぱり。アラシちゃんの産む子は私の子供になる運命なのよ!」と大喜びで提供を申し出てくれたという訳だ。


「さてと・・・冷たくないかい? ここがキミの子宮のある位置で、ここにカテーテルを使って挿入するんだよ・・・あれ? そ、そんなバカな!」


担当医の村山が叫んだ。


「キミ、もう妊娠しているじゃないか! キリュウ君・・・これはいったい、ど・う・い・う・こ・と、なのかな?」


村山はボクをまじまじと見ながら言った。なぜか意地悪で皮肉っぽい口調だ。


「に、妊娠? ボ、ボクのお腹に赤ちゃんがいるって言うんですか?」


ボクは目の前が真っ暗になりながらも、何とか事態を認識しようと必死で尋ねる。


「そうだ。まあ、キミには子宮も卵巣もあるわけだし、恋愛するのは個人の自由なのだから咎めたりはできない。キミが誰と愛し合おうと構いやしない。でも、どうやったのかな? お尻の穴を使ったのかな? キミの子宮に精液を送り込めるとしたらそれしか方法はないよな」


と、またまた意地悪い目つきでボクの顔と下腹部を交互に見た。


「ち、違います! そんな、そんな破廉恥なことしてません!」

「本当かな? じゃあキミはどうやって受精したと言うんだい? 先生に詳しく教えてくれるかな? 医学的立場で本当のことが知りたいだけなんだ。別に恥かしがることはないだろ?」

「ボクだって分かりません! 男なのに妊娠なんかして・・・パニックになっているのはボクの方なんですから!!」


とボクは泣きそうになりながら必死で訴えた。


「ん・・・なにかい? すると一切キミは性交渉をしていないとでも言うのかい?」

「だから、そうだって言ってるでしょ? 第一、ボクの生理は無排卵月経だって説明してくれていたのは先生でしょ? 排卵もしないでどうやって受精できるんですか!」

「・・・そ、そうか。そうだったね。あまりの衝撃でそのことを忘れていた。うーむ・・・いずれにせよキミが妊娠していることは間違いないんだが・・・」


最近なんとなくムカムカして吐き気がしたり熱っぽかったりしていたのは、風邪じゃなかったのか・・・。


「その・・・いつボクが妊娠したのかって、時期は分かるんですか?」

「うん? ああ、分かるよ。キミはいま妊娠8週目だ。ということは2ヵ月くらい前だな。しかし、性行為もなく排卵も不可能・・・これは謎だ! その頃、本当に何か・・・“して”いないのかい?」

「だ・か・ら! “して”ませんってば」


そう言いながらボクは、2ヵ月前にあった不思議な夢を思い出していた。




母さんから連日、子供を産め~子供を産め~と言われ続けて、ついに根負けして承諾した夜のことだったっ。寝ていると変な夢を見たのだ・・・。


「キリュウ君。覚悟はいいわね? これからキミのお腹に子宮と卵巣を移植するわよ♪」

「・・・・・・」

「ま、尋ねたって答えはないのだけれど♪」


そこは惑星ハテロマのアビリタ王立スポーツ研究所の手術室だった。

メスを手にしたヴェーラ博士が鼻歌まじりで、裸にされて眠るボクの下腹部に切れ目を入れようとしていた。どういうわけか、ボクはそれを斜め上から俯瞰で見下ろしている。


「それにしても何て綺麗な身体しているのかしら、この子♪ 水着になっても大丈夫なように隠れてしまう位置にメスを入れるから、安心していいわよ♪」


「さてと、ここの開腹部から遠隔触手を入れてっと・・・よっと、成功したわ♪」


複雑な作業をこなしながらヴェーラ博士は独り言を言う。


「この機会におチンチン取っちゃって膣を作っちゃおうかな♪ でもキリュウ君、絶対怒るわよね。口きいてくれなくなっちゃうかも♪」


「残念だけど仕方ないわね。だったら直腸の奥にバイパスの管をつけるか♪」


「これでよし、子宮と卵巣の設置完了っと♪ われながら実に見事な手際ね♪」


「さてと。これからすることはキリュウ君には絶対秘密。私からキミへの贈り物よ」


そう言うとヴェーラ博士は、遠隔触手を使って仁丹か胡麻粒ほどの大きさのカプセルをボクの卵巣の奥に埋め込む作業をはじめた。


「キミにはホント可哀そうなことをしたわ・・・」


「地球に帰るためとはいえ男性機能を完全に失って、こうして女性器官まで移植されてしまったんだもの・・・」


「見た目は素敵な女の子にはなっているけど、心の中までは変えられないわよね・・・キミは男の子よ・・・」


「地球に帰ったら男に戻れるかって尋ねてたことがあったわね・・・可哀そうだけど睾丸だってフェイクでしか再現できない身体になってしまっているのよ」


「だから・・・これはせめてものお詫びの印。これタイムカプセルなの・・・卵巣の中に埋め込んでおくからね」


「え? 中身は何かって? うふふ♪ 眠っていて聞こえていないから種明かししちゃうけど、睾丸摘出のときにキミから精子を採取して冷凍保存してあったのよ。それを使って人工授精させた受精卵なの♪」


「え? 誰の卵子かって? うふふ♪ 先生だってどうしようかずい分考えたわよ。この惑星でキミが一番好きだった女の子のよ♪ 裏から手をまわして健康診断の機会を利用してこっそり卵子を頂いちゃったってわけ♪ え? もちろん彼女はキミとの間に子供の“種”ができてしまっているなんて知らないわよ!」


「このカプセルは特殊なアミノ酸構造で作られているの。活性化するには2つの条件が必要になるわ。1つはキミの子宮が妊娠適齢期のピークを迎えていること。2つ目はキミ自身が妊娠しようって強く決意していることよ。普段は絶対排卵しない卵巣がその時だけ受精卵を排卵するのよ・・・」


そこでボクは目が覚めた。

ボクはまだ自分のDNAを残せるんだ・・・それがその時最初に思ったこと。

惑星ハテロマでボクが一番好きな女の子って誰だろう・・・それが次に思ったことだった。

自分のお腹の中に、自分の精子を受精した好きな女の子の卵子を宿している・・・とても不思議な・・・だけど幸せな気分だった。




「で、何かきっかけとなる出来事を思い出したかい?」


物思いに耽っていたボクに、担当医の村山が尋ねた。


「あの、先生。ボクの卵巣に受精卵を格納したタイムカプセルを埋め込んでいた・・・そんなことってあり得るのでしょうか?」

「医学的に普通は考えられない。しかしキミは別だ。何せ神隠しにあって女の子になって戻って来てそこにいるんだから。キミの場合、なんでもありだろ?」


ボクは、村山に夢で見たことを話した。


「おめでとう。それは間違いなくキミの遺伝子を受け継いだ赤ちゃんだ。きっと素晴らしい美形に違いない」

「そんなことはいいですけど、どうしてカプセルが起動したんでしょうか・・・」

「それは当然、二つの条件が揃ったからだろう?」

「でもボクは、妊娠したいなんて思っていませんよ?」

「それはどうかな? 誰かは知らないが、キミの好きな女の子の卵子に自分の精子が突き刺さった瞬間を想像したのだろ? キミはその子とのセックスを疑似体験したんだよ! それこそが、妊娠したい、妊娠させたい、という生物なら当然の願望なんだよ。たとえ無意識であったとしても脳内物質が爆発的に分泌することがあっても不思議じゃないんだ」


ボクはあの日、精液を迸らせるのと、その精液を体内に受け止めるのとを同時に感じていたことを思い出した・・・。


「ともかく初産だし、特にキミの場合は骨盤が男だから、流産しないように十分気を付けなければいけないよ」

「りゅ、流産・・・」

「そう。女性の骨盤と比べるとどうしてもキミのは形状が胎児をしっかり守れる構造にはなっていないんだよ」


ボクは思わず自分のお腹を見つめた。


「先生としては直ぐにでもその赤ちゃんからDNAを採取して調べたいところなんだが、なにしろ“奇跡の子”だから何かあっては元も子もない。生まれてきてから調べることにしよう。ともかく絶対に流産だけはしれくれるなよ?」


それから村山はボクに、妊娠初期に気を付けなければいけない注意事項を念入りに説明した。妊婦としてしっかりボクが自覚するよう、直ぐに武蔵野市役所に妊娠届を出して母子手帳をもらうようにとも言った。


「まさかこんなに簡単に妊娠しちゃうなんて、ネットで書いてあったのと話が違うじゃないか・・・」


帰りがけ浮かない顔で病院を後にしながらボクは独りごちた。


家に帰って大騒ぎになったことは言うまでもない。人工授精しに行ったら妊娠2ヵ月の身重で帰って来たのだから・・・。父さんも母さんも、それからフブキ姉ちゃんに弟のハヤテも家族が増える、それも飛びっきりの美形の子に間違いないと大はしゃぎだ。


ひと通り家の騒ぎが収まるとボクは、取り急ぎ津嶋オーナーに電話で報告することにした。


「もしもし、アラシです。あ、津嶋さん。実はお話ししなくてはならないことが起きたんです・・・」


ボクが今日のことを話すと、津嶋オーナーは不思議そうな声で尋ねた。


「“いまひとつ信じられない・・・キミは本当に妊娠しているのかい?”」

「はい。妊娠8週目だそうです」

「“それで相手は?”」

「・・・何て説明したらいいのか・・・津嶋さんはボクの言うことを信じてくれますか?」

「“・・・どういうことかな?”」

「ボク、絶対に誰とも性交渉していません」


電話口の向こう側で、しばらく沈黙があった。


「“・・・だったら、どうして妊娠するんだね?”」

「理屈に合わないことは分かってます。でも真実なんです。ボクの子宮と卵巣は人工的に培養して作られたもので、実は排卵機能がないんです」


またしても沈黙。


「“・・・排卵しないのに受精した・・・キリュウ君はそう言いたいのかい?”」

「ええ。担当医もボクも皆目見当がつかないんです。ただ・・・あり得るとしたら精子ではなく受精卵がボクの子宮に入り込んだ、という可能性しか考えられません」


やはり理解しがたいことなのだろう、しばらく沈黙が続いた。


「“受精卵か・・・どうやってキミの子宮に入ったのだろう?”」

「それが可能性しか分からないんです。ボクにも夢で見たことしか心当たりがないんです」


ボクは津嶋オーナーに夢に見たことをすべて話した。電話の向こう側では、状況を整理している様子だった。


「“なるほどね・・・だいたい事情は呑み込めた。分かっている事実は、キミが妊娠8週目で、物理的に受胎する理由に心当たりはない、ということだ。ふうむ・・・これでキリュウ君はしばらくの間、ゴルフトーナメントはお預けになるね?”」


津嶋オーナーは、ボクの気を引き立てるように明るい声で言ってくれた。


「・・・ボク、こんなこと初めてなんでどうしていいのか、不安で不安で・・・」


ボクは津嶋オーナーに話したことで、改めて自分の身に起きていることが普通ではありえない、とんでもないことであると実感してきた。


「“ほらほら、そういう精神状態はお腹の子によくないぞ。キミは、そう、母親になるのだから。出産までの日を明るく平和な気持ちで過ごすことが肝心なんだよ。日本プロゴルファー機関と日本女子プロゴルフ連盟には私から説明しておこう。いずれにせよキリュウ君、キミのことは私が全面的にサポートするから何も心配しなさんな。こちらで段取るとおりに動いてくれれば全て上手く行くようにするからね?”」


ボクは津嶋オーナーに話してよかったと思った。ほっとして気持ちが明るくなり、安心したので目にはうっすら涙が浮かんで来た。






≪パシャッ≫

≪パシャッ パシャッ≫

≪パシャッ パシャッ パシャッ パシャッ≫


室内に激しくフラッシュやストロボが点滅する。


「“父親は誰なんですか?”」

「“結婚のご予定は?”」

「“20歳で身籠ったのは避妊に失敗したからでは?”」

「“突然の妊娠発表をするなんて、ゴルフ界のホープとして自覚が足りないんじゃ?”」


津嶋オーナーが用意してくれた共同記者会見には、一般紙にテレビ、スポーツ紙に週刊誌と100社近いマスコミが集まってもの凄い熱気だった。


「“ボクから質問にお答えするより、まずは専門家から現在の状況を説明していただいた方がいいかもしれません。先生お願いします”」

「“キリュウさんの担当医をしている村山です。これからお話しすることはキリュウさんにとって極めてプライベートなことです。しかしこれを理解していただかないことには誰も納得できそうもない話なのです。キリュウさんからご了解を得ていますので、私から説明させていただきましょう。まず、キリュウさんの体内にある女性器官についてですが、卵巣機能は完全ではなく無排卵・・・”」


村山が話して行くうちに、騒然としていた会見場は水を打ったように静まり返って行った。


「“つ、つまり性交渉どころか人工授精すらしていないのに妊娠したということですか?”」

「“ええ。そういうことになります。そもそもキリュウさんは性交渉で妊娠できる人体構造になっていないわけですが”」


一瞬の沈黙の後、何が起こっているのか理解した記者たちが一斉に騒ぎ出した。


「“大変だ!”」

「“処女懐胎だ!”」

「“奇跡が起きたんだ!”」

「“じゃあいったい誰の子なんだ?”」


会見場は大騒ぎになってしまった。これ以上の会見は“母体”に負担がかかるからという村山の説明で、ボクは無事お役御免となって会見場を後にした。






「警視庁から問合せがあったわよ」


家に帰ると母さんが言った。


「え・・・警視庁?」

「そう。アラシは今年の警視庁のマスコットガールでしょ? 1年間はその立場なのに“未婚の母”になったわけだからね。会見を見て相当焦ったって言っていたわよ」


ボクはすぐに、津嶋オーナーから警視庁の偉い人に話をしてもらった。

その結果、契約違反問題とはならず大事には至らなかったのだが、警視庁としては前代未聞の“未婚の母マスコット”“マスコットママ”の誕生となってしまった。警視庁の広報担当の話では、


「シングルマザーになっても明るく頑張っているキリュウさんの健気なイメージが、皆さんの共感を呼んでいるんですよ! それにアナタの場合、性欲肉欲と隔絶した清純なイメージのままお母さんになっているでしょ? そこが好印象の源なんですよ。結婚なんか面倒くさい男なんかいらないって思っている若い女性に、ひとりでも多く子供を産んでほしいという少子化時代の願いも込められていますしね。来年無事ご出産されたら、ぜひベビーと母子でキャンペーンを引き受けてくださいよ」


と早くも“ママドル”として唾をつけられてしまった。






そしてボクは、マタニティウェアを着て大学に通うようになった。


「ランちゃん、しんどそうだけど大丈夫?」

「うん。担当の先生からも適度な運動は必要だからって言われてるし、講義を受けに行くくらいは歩かないとね」


と言いながらボクはお腹を撫でる。こうする自分に全く違和感はなく、すっかり癖になってしまった。自分のお腹の中に生命が宿っている状況は、男には絶対考え及ばぬ体験だったのだ。今日は、裾の広がっていないカットソーにマタニティサッシュを締めて七分丈のストレッチジーンズをはいている。今では靴も踵の無い平底のものしか履いていない。そんな様子を見ていたサヤカが急に言い出した。


「あれ? またお腹が膨れてきてない?」

「そうかな。きっと、今日からマタニティベルトを巻いた所為だよ。ボクの骨盤は男のものだから道具を使って赤ちゃんを保護しないといけないんだって」

「いろいろ大変なんだね」


ボクが妊娠したというニュースが世界中に流れてから、女性たち、特に若い女性たちのボクに対する接し方が明らかに変わってきていた。


「“キリュウ君。お子さんは順調? そろそろパパの名前を明かしてくれないかな?”」


大学からの帰り道を歩いていると、マイクを突き付けられた。どこかのワイドショーのクルーみたいだ。


「取材はお断りしてますので」


ボクは、マイクを避けるようにして通り過ぎる。


「“そんなこと言わないでさあ。皆知りたがってるんだよ? 処女懐胎だって言うけど実際のとこどうなのよ? あっと!”」


ボクをかばう様に知らない女子学生が割って入った。


「嫌がっているじゃないですか!」

「“なんだ? キリュウ君の知合いかい?”」

「いいえ。でもそんなこと関係ないわ! 突然妊娠しちゃったのにキリュウ君はママになろうとして頑張っているんだから。静かに見守ってあげることくらいできないの?」


同じ様に通りを歩いていた女性たちが段々周囲で立ち止まり出す。皆、厳しい目で番組クルーを睨んでいる。


「“一人で歩いているところをやっと捉まえたのに、これじゃあ街中に護衛されているみたいだな。ダメだこりゃ”」


と諦めて離れて行った。


「大丈夫だった?」

「ええ平気です。ありがとう」

「アナタのことが、なんだか自分のことの様に思えてね」

「?」

「ともかく赤ちゃん大切に育ててね」


そう言うと拍手がわいた。


≪パチ パチ パチ パチ パチ≫


彼女は少し顔を赤らめながらその場を去って行った。よくは分からないけど、若い女性たちにとって妊娠は男が考えているよりずっと真剣で神聖で、生命を産みだすものとして死とも向き合わなければならない畏怖するものだったのだ。男性でありながら不器用にそれに立ち向かっている、彼女たちにとってボクはそういう存在に見えているのだろう。


でも、不器用なのは仕方がない。なにしろ女の身体になって日が浅いんだもの。

ボクは、日に日に自己主張が強くなってくるお腹の中の生命に


「ボクも頑張るから、キミもしっかり育とうね」


と話しかけた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 何回も何回も読める、私な中では名作です。
[一言] おかあさんになったランちゃんいいねw
[一言] 久々に読み返しました、いいですね~ランちゃんの子供を早く見たいですねw
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