Session 1-2
未習得者がいる場合の言語の表記
「未習得者に聞こえる部分(実際に話している内容)」
※未習得者に聞こえる部分の表記は出鱈目です
殺気をみなぎらせ、今にも飛びかからんと機会を伺うゴブリンだが、対するユメノは「なんだ、ただのゴブリンか……」と何処吹く風の体。対して――本格的な戦闘はこれが初なのだろう、醜悪な蛮族の容姿に身を震わせているコハルを振り返り、ユメノは軽く注意をうながす。
「コハル、こいつは雑魚中の雑魚。だから余計な力を抜いて、とにかく自分の身を守ることだけを考えて……」
「う、うん! それじゃあ、『フィジカル・プロテクション』を使うね。ユメちゃんにもかければ良いー?」
「こいつ程度の攻撃では、当たったとしても痛痒も感じないと思うから要らないわ……」
「分かった! 魔力よ――」
コハルはライト・スタッフを構え、精神集中を始める。魔力プールから全身に行き渡る魔力で、身体が薄明に輝く。もはやそこにゴブリンに怯えていた矮小な者の姿はない。ライト・スタッフを空に掲げ、高らかに神官魔術の名を宣言する――
「――フィジカル・プロテクぇっ……っ!?」
――が、その魔術は行使されなかった。未だ残っていた緊張感の影響からか、宣言の途中で舌を噛んでしまったのだ。中断されたフィジカル・プロテクションは当然のごとく発動せず、不発に終わる。全身を覆っていた魔力は霧散し、魔力プールの残量を必要分、減らされる。骨折り損のくたびれ儲け、とはまさにこのことである。
「いったぁーい……。間違って舌噛んじゃったよ〜……」
「コハル……大丈夫?」
空いている手で口を押さえている涙目のコハルに、ユメノは近寄ろうとするが、
「わたしは大丈夫だから、ユメちゃんは敵に集中してっ!」
と、コハルはライト・スタッフを構え直し、戦意がまだ十分にあることをアピールした。薄く微笑みを返したユメノはあらためてゴブリンと向き合うが、ゴブリンは両手をあげて不思議な踊りを踊っている。魔術の行使に失敗したコハルを莫迦にしているようだ。
「バカジャネーノ(ヒャヒャヒャ! あのガキ噛んでやんの!)」
ピンガに住んでいる元司祭から第四種バルバロイ語を習得済のコハルは、ゴブリンが何を言っているのかを理解できる。やられっぱなしでいられないコハルは同じ言葉で、しかもより挑発するように言った。
「(はっ! お前なんか魔術すら使えないじゃないか。悔しかったら火のひとつでも出してみろー!)」
ふたりの応酬は、ユメノにはさっぱりと分からない。仮に習得していたとしても、子どもの喧嘩、と呆れ果てるに違いない。だが、果たしてコハルの挑発は知能が極めて低いゴブリンには効果的であった。
「フザケロー(な、なんだと! 生意気なガキがっ! まずお前からブッ殺してやる……っ!!)」
激昂――赤い顔がさらに赤く、朱塗りの面のように染まる。勢いに身をまかせてコハルに吶喊しようとしたゴブリンだが、ヒットマン・スタイルを取るユメノが障壁として立ちはだかった。
「ナンダコノアマー(どけ! テメェの相手は後だ!)」
「何を言っているのかは分からないけれど、お前がコハルを狙っていることは明白。はっ――」
ユメノは一動作で拳を繰り出し、攻撃起点の逆である左の肩口を狙う。予告なしの攻撃に虚を突かれ、ゴブリンはバックステップ――間合いギリギリだったためにクリーン・ヒットにはならず、致命傷には至らない。しかし、全くの無傷ともいかなかったようで、外から見てもそれとすぐ分かるようにゴブリンは顔をしかめた。
「クソー(このアマ……なんて重いパンチしてやがる……!?)」
眼前でユメノが、挙動のひとつも見逃さんと空色の瞳をぎらりと光らせている。卑小なゴブリン程度の頭脳ではコハルに攻撃を届かせる手段を見い出せず、手に持ったナイフでユメノに攻撃を仕掛けるより他になかった。
「イドマジンー(おれ、この戦いに勝ったらアイツらに自慢するんだ……)」
大振りな斬撃はあくびが出るほど緩慢で、左にステップしただけでユメノは易々と回避する。それ。もちろん、ナイフはかすりもしない。
「……どこを狙っている。これで終わりだ――氷花流華闘術『氷砕』」
ナイフを振り終えたのを見計らい、ユメノは中指に填めた『青銀の指輪』から魔力を放出させる。魔力の風でワンピースの裾が翻ったが、ユメノは構わずにゴブリンの右脇腹を目がけて拳を振り抜いた。生理的嫌悪感を覚える音が周囲に響き渡る。
「グアァァァ――!?」
ゴブリンのつんざく絶叫が、夕暮れの空を切り裂いた。
脇腹は人体急所のひとつであり、かなしいかな――いかな魔物であろうとも人型である以上は急所も相似する。
だが――この哀れなゴブリンは、それだけでは済まなかった。脇腹が陥没するほどの衝撃は生命維持に必要な器官に重大な損傷を与え、赤銅色の肌をした蛮族は吐血で自らの身体を朱で上塗りしながら地面に倒れた。二度とその眼に光が宿ることはなかった。
「わ、死んじゃった……」
そう軽くコハルはつぶやき、スタッフの先でツンツンと死体をつついた。白目を剥いたまま舌をダラリと垂れ下げているゴブリンであったものは当然、微動だにしない。姉は十年もの間にここまで強くなっていたのか――と、コハルは夕風とともにたたずむユメノを見た。
――華道で名を馳せる氷花の栄華の裏には、血で血を洗う格闘家としての暗い歴史が隠されていた。その者たちが駆使していた術こそが『氷花流華闘術』。己の身体に魔力を載せ、氷を華に見立てて魔術のごとき威力を弾き出す魔性の格闘術である。
あの事件以来、ユメノは和装を捨てた。花にも触れるのをやめ、父親の持つ秘伝の書を盗み読んでは夜な夜な修行を重ね、血を吐く思いでついには奥義までも習得した。そして、未だ寒さが残る春のある日――財布に入っていたなけなしの金銭を持って、ユメノは氷花の本家から姿を消したのだった。
ユメノは穴を掘って近くの林に死体を埋葬する。放置しておくと、闇の魔力を受けてアンデッド化してしまう可能性があるからだ。万が一にそうなっても、あらかじめ頭を粉々に破壊しておけば活動はできないが、今回はコハルの手前もあって生前の姿のまま埋葬するにとどめた。
その後、コハルが道と林の境目に食用のキノコを4個ほど発見した。市販の図鑑にも載っているくらい有名なキノコで、火を通せば問題なく食べられるだろう。思わぬ収穫を得たふたりはその場を後にする。
間もなく野営にちょうど良い広さの場所を林と森の間に発見し、ユメノは寝床となるテントをそこに設営した。下級だが、一定以下の魔物を寄せ付けなくする『魔除けの香』も忘れずに、ふたを外してテントの外に置く。
夕食はコハルの担当。干し肉と先ほどのキノコを細かく切って塩と胡椒で炒めた――特製干し肉とキノコの炒め物を手早く作り上げる。デザート代わりに干し果物をかじったふたりは、テントに入って姉弟らしい会話を交わした後、明日に備えて早々と眠りについたのだった――。