Session 0-5
――『憩いの酒場スレッジ』を後にしたユメノとコハルは、角を左に曲がって三軒隣にある、『ハイネス武具服飾店』を訪れていた。服飾店といってもその名前のとおりに武具店と一体になっており、これはアルメイーデ王国のみならず、他の地域でも同じような経営の仕方をしているのだ。
店内は清楚に整えられ、シックな調子の壁紙が店の雰囲気にマッチしている。どちらかといえば粗雑なハイネスの街風景にはそぐわない店だ。
(そういえばー、あの酒場にいる冒険者さんたちもユメノちゃんと同じように、私服が多かったよねぇ……?)
コハルが抱いたそんな疑問を、この店は解決してくれる。フィルキア冒険者協会が広めた――ひとつのシステムによって。
既に顔馴染みなのだろう、ユメノが店員らしき女性と話をしている間、コハルは手持ち無沙汰だった。が、始めて入った店に興味を覚えぬ筈も無く、忙しなく視線を右往左往させる。
(うわぁー! 可愛いお洋服がいっぱいあるー♪ あっ、あっちには防具や武器もあるねっ!)
とかく好奇心旺盛なコハルは長時間、一箇所に留まっていられるような性質ではない。ユメノが話し中なのを良いことに、武器と防具が並んでいるコーナーに足を運ぶ。『防具』とフィルキア公用語で書かれた看板の先には、魔術師のローブや革の鎧、鎖帷子。奥には戦士が身に着ける鋳鉄製の鎧や、より信頼度が高い鋼鉄製の鎧が展示されている。防具のコーナーの逆方向に、『武器』と書かれた看板の先には鉄剣、槍、斥候向けの短刀、革の鞭等が、今か今かと出番を待ちわびていた。
(わ、この黒い鞭。……これをユメちゃんに持ってもらってわたしを……って、そうじゃなくてっ! ユメちゃんが持ってたら普通にかっこいいだろうなぁー、えへへ)
「コハル、ちょっとこっちに来て……」
「あ、うんー。今行くねー!」
邪な妄想を隅に追いやったコハルは、足早に戻って姉の腕に抱きついた。そんな二人を、飾り気のない純白のブラウスの上から黒のジャンパースカートを着た、ブロンドのロングヘアの女性が微笑を浮かべながら眺めている。ストラップに繋がれたケースに入った顔写真入りのカードから、店員ではなく店長だということが分かる。
「あら、可愛らしい子ですね。妹さんですか?」
「……この子は弟よ。コハル、挨拶を」
「はぁーい! 土筆野コハルです。よろしくね、お姉さん♪」
コハルが元気よく挨拶すると、店長は手の先を口に当てて上品に笑った。
「ふふっ、元気な妹さんですね。それで、ユメノさん。私はこの子に、『装備転写アバターシステム』について詳しく話せば良いのでしたっけ?」
「そうびてんしゃあばたーしすてむー?」
聞き覚えのない単語を、コハルは奇妙な発音で反芻する。
「そう。終わるまで私は武器でも眺めているから。それじゃコハル、あまり無理は言わないようにね……」
滅多に見せない喜色を表に出しながら、ユメノは武器のコーナーへと向かっていった。あんな表情の彼女は実の弟であるコハルでさえ、両手の指でお釣りが来る程しか見たことがない。
コハルが不思議な顔でユメノの背中を見つめていると、
「ユメノさん、ナイフがお好きなのですよね。この間なんか、クリス・ナイフ(刃の部分が湾曲した短刀)を眺めながらうっとりしていましたし……」
と、困ったように店長。
(あのユメちゃんがナイフを眺めてうっとり……。本当に変わったね)
コハルは十年前の記憶を、自らの海から引っ張り出す。十年前のユメノは、花と家族が何よりも好きな少女だった。――自分が土筆野の家に送られた後、氷花の本家で何があったのだろう。そう姉のことを想うと、コハルの胸は急に切なく苦しくなる。
(……うん、夜にでも聞いてみよう。わたしのことも聞かれるだろうけど、ユメちゃんには知ってて欲しいから問題ないねっ!)
切なさを決意で上書きしたコハルは、笑いながら話題を切り替えた。
「そういえばお姉さんは、わたしが男の子だって知っても驚かなかったねー?」
「え? ああ……私はアイサ出身なので、男の娘は特に珍しいとも思いませんね」
「……あー、アイサから来た人なんだー」
その地名は、コハルの心をにわかにさざめき立たせた。五歳までその国で暮らしていたコハルだ。アイサの名を知らぬ筈もない。
イースレスト地方ヤーペング国 首都アイサ――この世界で最も機械化が進んでいる都市である。区別用のチョーカーを除いては人間に瓜二つなアンドロイドが、工場にて二十四時間不眠不休で働き、一般家庭においても各々の役割を担当するロボットが主婦の仕事を代行しているという。
アイサは文化面でも流行の最先端であり、今は男女問わず、可愛く綺麗に見せるのが流行っている。街中を歩いていて可愛い女性とぶつかったと思ったらその実、男性だったという衝撃的なことが多々あるのだ。
また、フィルキア冒険者協会の本部もアイサに存在し、各国の武具・服飾店はこの組織の管轄下にある。開拓が進んでいない西方にも、『装備転写アバターシステム』に必要な機械類が差し支え無く供給されているのはこのためであった。
「まぁ、それは置いておいて、『装備転写アバターシステム』の説明をする前に……コハルちゃん、何か欲しい服や防具はありましたか?」
「んー……あれ! あのワンピースが欲しい!」
するとコハルは迷わず、カウンターから近い場所に展示されている一着のワンピースを指差した。店に入ったときから目に留まっていた、胸元を飾る黒のリボン以外は取り立てて飾り気のない、チェック柄の萌黄色のワンピースだった。
店長は二つ返事で、木で出来た人形からワンピースを脱がせてカウンターに広げた。
「こちらですね? では、『装備転写アバターシステム』の説明をしましょう。このシステムは簡単に言えば、ここのタグに防具のデータを読み込ませて、通常の服をその防具であるかのように扱うものです。この、防具化する前の服のことを『アバター』と呼びます」
裏地には確かに白いタグが付けられていた。細微な文字が転写されているようだが、コハルには何も分からなかった。
「うーん、ということは……それをすれば可愛いお洋服を着たまま冒険に出れるってこと?」
「その通りです。これで地味な魔術師のローブやダサい法衣をいちいち着なくても良い、と冒険者の方々から喜びの声を戴いています」
そのダサい法衣を着ている者の前で堂々と言い切る。中々に豪胆な女性だが、コハルは気にせずに喜びながら、
「わぁー! それじゃ、わたしはこの予備の法衣のデータをこれに転写してもらうねっ♪」
と、布製の肩掛けバッグの中からおろしたての法衣を取り出したが、店長の表情が渋いことに気付く。
「あれー? お姉さんどうしたのー?」
「聖職者の法衣ですか……。少し、拝見させていただいても?」
「うん。どうぞ~♪」
「ありがとうございます。それでは……」
略式で祈りを捧げ、店長は法衣を手に取って広げた。アルストロメリスの色である水色と白を基調にした、ワンピース状の法衣。法衣だけあって派手な点は一箇所も無いデザインになっている。男であるコハルが着ても良いものなのかと疑問が浮かぶが、時折王都から来る神殿の者は何も言わなかったので許容されているのだろう。
「確かに……。今、コハルちゃんが着ているのと同じアルストロメリス神殿の神官衣ですね。実は……各神殿の法衣はそれぞれの神殿の司祭が管理しているのです。よって私達の一存で転写することは出来ません。どうしてもと言われるのであれば、神殿の登録番号をお聞きすることになりますが……」
おそらくは、盗まれた場合の悪用を阻止するための措置だろう。法衣を悪用されては、その神殿の品位を下げることに繋がりかねない。
「あ、なんだ、そんなことかー。うん、別に聞かれて困ることでもないし、良いよー。登録番号は△△‐○○○○○ねー」
とはいえ、そんなことはコハルにとって何の障害にもならない。嬉々として自分に与えられた番号を告げる。
「分かりました。少々お待ちください……」
大抵の店は顧客の意思を尊重する。コハルにひとつ頷くと店長は、魔動長距離通話機のダイアルを回し始めた。表に出せなくともヒューマノイドなら誰でも持っている魔力を極少量用いて、離れた相手と会話する魔動機械である。電線が張り巡らされた都市群では既に骨董品だが、未開拓地域や発展途上地域では重宝している代物だった。
「あ、恐れ入ります。私、『ハイネス武具服飾店』の高村と申します。お世話になっております――」
相手は王都アルメダにある、アルストロメリス神殿 エト・スピレングス支部の司祭のようだ。至極丁寧な応対で躓くこともなく、話は進んでいく。
やがて、会話を終えて受話器を置いた店長――高村サツキは笑顔でコハルを振り返った。