Session 0-3
蛮族や魔物だからといって、全てが人族に仇を為している訳ではない。蛮族社会に背き、あるいは人族社会に興味を抱いて人里に降りてくる魔物も少なからずいる。強き者にひたすら従順なコボルト、獣人族のライカンスロープ、獰猛だが高い知能を持つリザードマン、人族と極めて友好的なアルラ・ウネ等である。
人里に突如として魔物が現れたならば、そこに居住している人族は当然、驚き惑う。驚異を感じれば、問答無用に襲い掛かるかもしれない。しかし、魔物側に人族に害を為す意思が無いと解れば、大抵の人族は彼、彼女らを受け入れる。近代フィルキア文明の柱であるイースレスト地方の諸名士は、「野蛮で醜悪な魔物共を受け入れるなど、たとえ天変地異が起こったとしても有り得ないことだ」と極々忌避しているが、エト・スピレングス地方の以西以南は、魔物が普通に根を下ろしている都市や町、村が多数、見受けられる。魔物や悪魔族の支配地域である、大陸南方のディマ・ヴァルファー地方なら尚更のことだ。
こうして人族社会に溶け込んだ魔物たちはそれぞれの長所を生かし、最もリスキーだが稼ぎやすい冒険者として、あるいは安定して食糧を供給するための狩猟者として、はたまた人の住む場所で汗を流す労働者として。今日も活発に活動しているのである――。
――コハルが起こした騒ぎの渦中にあった『憩いの酒場スレッジ』は、今は普段通りの喧騒を取り戻していた。アルメダ・エール(地ビールの一種。淡麗だが喉越しが良く、出かける前に一杯引っ掛ける酒として特に人気が高い)やヴォスカ(ウィスキーの一種。非常に濃いので一気飲みは厳禁。アルコール度数45°)を呷りながら、会話にカードに勤しむ冒険者たち。このような騒ぎも慣れっこなのか、動揺している様子は微塵も見当たらない。
とはいえ、カウンターの周囲では未だ剣呑な雰囲気が漂っているようで、何時もどおりに無表情なユメノ、今にも噛み付かんばかりに八重歯を剥き出しにしているコハル、ポーズを取りながら「Oops...」と呟くマスター。それらの前で一匹のリザードマンが、困惑の表情で頬を掻いていた。
「なぁ、神官の嬢ちゃんよお……。いい加減、俺っちの話を聞いてくれねぇか……?」
と、硬革の鎧を身に着けたリザードマンがため息を吐きながら言うも、
「がるるるるっ! きしゃーっ!」
どちらが魔物なのか分からない威嚇で、コハルは取り付く島もない。リザードマンの顔に狙いを定めた樫の杖の先端からは、今にも攻撃用の魔術が飛び出さん勢いだ。
「コハル。少し落ち着いて」
「落ち着いてられないよ、ユメちゃん! どうして、こんな街中に魔物がいるのっ!? はっ? もしかして、ここは街ぐるみで邪教を崇拝してるとか……? なんて恐ろしいっ!! ああ、アルストロメリス様にダーダネルス神! この者たちの罪をお赦しくだ――あべしっ!?」
軽くトランス状態になりかけていたコハルは、奇妙な声を上げて崩れ落ちた。見るに見かねたユメノが、後頭部に裏拳を入れたのである。周りの皆が呆然とするなか、ユメノはしれっと、
「ごめんなさい。この子、田舎から出てきたばかりで興奮しているの……」
まるで、辺境から出てきたばかりの母親を揶揄して紹介するように言った。酷い言われようだが、拳闘士でもあるユメノの拳を受けたコハルはうずくまったまま――何も返せなかった。
「いや、それは良いんだが……いきなりどついて良かったのか?」
「俺っちは助かったけどよぉ……。しかしまぁ、拍子に口走ってしまった感じとはいえ、聖光神の神官が暗黒神の名を出すのはマズいんじゃねぇか?」
言葉の調子は異なるとはいえ、両人共にコハルへの気遣いが汲み取れる発言に、ユメノは心中で微笑を浮かべる。
暗黒神ダーダネルスは主として悪魔族が崇拝する神であり、聖光神の信徒からすれば邪教の神以外の何者でもない。仮に神殿でその名を口にしたならば、コハルは侮蔑の目を向けられるか、最悪は袋叩き、後に追放除名の憂き目に遭っていただろう。だが、ここは冒険者の酒場。幸いにして同神を信仰している神官の姿は無く、コハルの発言を咎める者は誰もいなかった。
――微妙な空気が流れるなか、更なる爆弾をユメノは投下する。
「……この子は私の弟。だから問題なし」
『お、弟だあぁぁーっ!?』
見事という他にないハモリ具合を見せる、マスターとリザードマンだった。ハッと思い出したように顔を上げたマスターは、カウンターに置かれている紙をひったくるようして見つめる。性別の欄は、確かに『男』と記されていた。
「はー、こんなに可愛い子が男ねぇ……。にわかには信じられねぇが、フィルキア冒険者協会に提出する登録用紙に嘘は書けねぇしな」
「全くだぜ。まぁ、こんだけ可愛いなら俺っちは男でも気にしないけどよぉ……」
一歩間違えれば、少年愛玩癖(正太郎コンプレックス)の持ち主とも取られるような発言である。そのまま他愛のない話に花を咲かせていると、「いたた……」と後頭部をさすりながら、衝撃から復活したコハルがヨロヨロと立ち上がった。
「……少しは落ち着いた?」
「う、うん……落ち着いた。ごめんねぇー……」
と、コハルは素直に姉に謝る。しかし、剥き出しの敵意は失したとはいえ、未だ赤茶色の瞳はリザードマンを睥睨している。このままでは何時まで経っても千日手、と思ったリザードマンは冒険者許可証を見せ、
「とりあえず、自己紹介しとくわ。俺っちはサブロウ・トカゲーノ。種族は見ての通り、リザードマンだな。ちゃーんと協会から認められてる冒険者だぜ」
コハルは受け取った許可証を食い入るように見つめる。カード大の表面の下方に、『上記の者は、人族に仇為す存在ではない事をフィルキア冒険者協会が保証する』と、フィルキア冒険者協会の実印と共に認められていた。
「まぁ、気軽にサブちゃん、とも呼んでくれて良いぜ」
「うん、分かった! よろしくね、サブちゃん♪」
先ほどとはうってかわって満面の笑顔で、許可証をサブロウに返すコハル。
「変わり身早ぇな、オイッ!?」
律儀にもマスターの突っ込みが入る。奇術師も吃驚の変わり身である。
「ま、何はともあれ、これで誤解も解けたし。俺っちは、ちびちびと酒でも飲ってるわ。マスター、アルメダ・エールを特大ジョッキでくれや!」
「あいよー! んじゃ、ユメノちゃんとコハルちゃんはそこに座ってくんな。ステータスの読取と照合は少し時間が掛かっから、先に依頼の紙を渡すわ。コハルちゃんが初なのを考慮してと……。おっ、これが良さそうだな」
なみなみとアルメダ・エールが注がれた、一般的な特大ジョッキの二倍はあろうジョッキをサブロウの前に置き、ユメノとコハルがちょこんと椅子に腰掛けたのを見計らってから、マスターはA4大の用紙を二人の前に置いた。
「どれどれ〜?」
コハルは興味津々と、ユメノは水の入ったコップに口を付けながら用紙を覗き込む。ざらついた表面に赤字で書かれていたのは――
依頼名:ヴォスヴィーヤ火山帯で活動する魔物群の調査
依頼主:ミュンヒハウゼン地方ソノヘンノ王国 王都ナイスジョーク
依頼内容:
先月からヴォスヴィーヤ火山帯南西部において、20メートルをゆうに越える赤色の巨人を主体とする魔物の一団が活動を始めた。
赤色の巨人の指揮の下、火を吐くヘルカイトや巨大なワーム、燃え盛る翼を持った悪魔が鉱物を採っているようだが、その目的が全く分からない。
今の所は王国や村への被害は皆無だが、噂を聞いた民が怯え切ってしまい、夜も眠れない者も続出している。
是非とも魔物たちの目的を探り出し、それが我々に害を為すようなら退治して欲しい。
報酬:5,000,000イェル+α
『……え?』
――凍み付いた頭の中でユメノとコハルは、極東の仏具である、鈴の音を聞いたような気がした。
1イェル=10円