Session 1-3
翌日、陽入の終に支度を終えて出発し、道中は蛮族の襲撃も取り立てては起こらずに、陽中の後の半ばにユメノとコハルは、広大な平原――ウァステ大平原を目にしていた。地平線の彼方にまで広がる光景に、コハルは木の柵から身を乗り出して目を輝かせる。
「わぁー! 噂どおりの広さだねっ、ユメちゃん!」
「……コハルは初めて?」
西端はラスヴェール地方随一の軍事国家――『ラルヴァ帝国』辺境域にまで及ぶ大平原である。東端の入りを有するエト・スピレングス地方に住む者であれば、知らぬ者はモグリと呼ばれるほどの名所中の名所。ピンガで暮らしていた弟が噂でしか知らないのか、とユメノがコハルをじっと見つめていると、
「うーん、わたしはピンガから出たことなかったから……。あっ、別に監禁されてたとかそんな悪い意味じゃないからね? 買い物は全部、パパとママが済ませてくれたから、わたしも含めて土筆野の子どもはみーんな、村の外に出たことがなかっただけの話だよ」
舌足らずな言葉は、コハルにはきちんと伝わっていた。なるほど、そうであれば噂程度にしか聞き及んでいないのも道理だろう。見つめられて軽く頬を紅潮させながら弁明するように話すコハルに、ユメノは薄らと笑みを浮かべてうなずく。
ピンガはその規模に反して、食糧などの物資は存外に豊潤であった。ハイネスからは食料や日用雑貨品、アステからは新鮮な畜産物、北の隣国イルトラッド共和国からは異国の交易品、南西の隣国『オルトレイス王国』からは上質の材木が、潤沢に流れてきているのだ。このためにピンガの住民は、ゴブリンやそれよりも少しだけ強いオークが徘徊する可能性が些少でもある往来を無理して通り、わざわざハイネスまで買い出しに行く必要性が少ない。さすがに嗜好品や先端――といってもヤーペング国の流行より数年遅れではあるが――のファッションを身に着けたければ都市まで出向く必要があるが、そうでもなければ村の食料雑貨店だけでまかなえてしまえるのだった。
「……風が、気持ち良いわ」
わいわいと楽しくはしゃぐコハルから目を外し、柔らかな風に水色の髪を押さえたユメノも大平原に視線を戻す。大地の霊気を多分に吸い、尽きることなく成長する草を、野生の馬や山羊がのんびりと食んでいる。南方で起こっている小競り合いなど、ここでは全くの無縁。ありのままの平和が、空色の瞳が映し出す光景の中にあった。
――と、そんな視界の先に新たな動きが加わる。それはゆらりと奥から姿を見せ、動物に混じって長い首を伸ばして同じように草を食み始めた。ユメノはこともなしに、やっぱりいた、と思っていたが、名物の光景を見たことのないコハルは、人差し指をカタカタと震わせながら姉に訊くのだった。
「ゆ、ユメちゃん……あ、あれなぁに……っ!?」
ユメノは、コハルを落ち着かせるように手のひらを頭の上に置せて答える。
「……これも噂でしか聞いたことがないか。あれが、ウァステ大平原の守神よ」
「え? あ、あれがそうなんだぁ……。こんなに大きかったなんて知らなかったよー……」
正体が分かったからか、コハルは「はえー」と間抜けな声を出しながらしきりに感嘆していた。
草原に映える、エメラルド色の肌。全長は50メートル走の舞台よりも長く、自在に曲がる12本の長い首と、同じ数の強靭な脚を持つ――エンシェント・ハイドラ“オド・ウァステルーレ・フィルキアーナ”。ウァステ大平原東端の名物であるとともに、アルメイーデ王国を含む西南方諸国からは偉大なる守神として崇められている。伝承によればオド・フィルキア創世と同時に誕生したレジェンド・モンスターの1体といわれているが、その時代の文献が残っているはずもなく、真偽は定かではない。
そんななか、コハルは――
(いいなぁ……あの広い背中に乗ってみたいなぁー。気持ちよさそうー♪)
と、不遜にもほどがあることを考えていたのだった。いや、この場合は不遜には当たらぬのかもしれないが。とまれ、コハルの赤茶色の瞳にきらめく星を見たユメノは深いため息をつきながら、
「……守神は人族には極めて友好的。依頼を終わらせた帰りにでも乗せてもらう?」
「えっ? うんうんっ、乗せてもらうー♪」
守神を怖れてか、この周辺には蛮族も危険な魔物も出現しない。ゆえに、好奇心旺盛な子どもたちを尻尾から背に乗せて悠然と歩き回る姿がたびたび目撃されている。降りたいときは尻尾を軽くたたけば、先端を身体に巻き付けて安全に降ろしてくれる(間違っても武器で強くたたいてはいけない)。時折顔がほころんでいるところを見ると、子どもが好きなのだろう。
ユメノとコハルは大平原に別れを告げ、イルトラッド共和国 首都『エレイア』まで続く往来の途中を右に曲がる。他愛もない話をしながらやや道幅の狭くなった道を、ふたりは順調に進んでいくのだった。
陽後の終に差し掛かったばかりの刻――ふたりは、コハルが毒キノコを発見した以外は特に何もなく無事にアステへと到着した。村の周囲はぐるりと柵で囲まれており、立ち並ぶ建物を遠目から見ても、人口は300人にも満たないだろう。まさに辺境の集落といえる場所であった。
牛や羊が鳴く牧歌的な情景に対し、村そのものが醸し出す雰囲気は非常に剣呑としていた。ユメノとコハルが普段どおりに通り過ぎようとすると、門番らしき村の男性に声高に呼び止められる。
「おい、お前ら! どこから来た?」
度重なる蛮族の襲撃でピリピリしているのがよく分かる。しかし――
「ど、どうしよう……ユメちゃん」
――うろたえるコハルとは違い、ユメノは冷静だった。一言、挨拶した後に冒険者許可証を見せると、門番の男性は表情を柔和にし、
「ああ、お嬢ちゃんたちが例の冒険者なのか。大声出して悪かったな。村長の家はこのまま真っ直ぐに行けば見えてくるから、早く行ってやってくれ」
「あ、ありがとうございます……」
その門番にコハルは軽く礼を言い、ふたりは村の奥へと進んでいく。途中で村民から投げかけられる視線は、決して好意的なものばかりではなかった。なかには、「ケッ! ガキふたりに何ができるってんだ……」と言わんばかりの露骨なも視線すらあった。が、その程度で竦むようなユメノではない。おろおろするコハルを安心させながら歩き、村で最も大きい建物である村長宅の前に立った。
年代を感じさせる造りにコハルがしみじみとつぶやく。
「ユメちゃんのお家ほどじゃないけど、立派なお家だねー」
「……」
それには答えず、ユメノはドアに据え付けられた古風な呼び鈴を鳴らした。バタバタという音の後にすぐさまドアが開かれる。中から顔を覗かせたのは白髪混じりの、見るからに品の良さそうな女性だった。
「はい、うちに何か御用でしょうか?」
「失礼いたします。私たちは依頼を受けてハイネスからやってきた、『憩いの酒場スレッジ』の冒険者です。村長に取り次いでいただけませんか?」
仕事モードに切り替え、ユメノは丁寧に用件を告げる。すると、女性は顔をほころばせ――
「まあまあ、貴女たちがそうなの? ささ、遠慮せずに上がって左の客間で待っていてくださいな。今、主人を呼んできますので」
女性は村長夫人だったようだ。手案内でユメノとコハルは客間の椅子に腰掛け、旅の疲れもあったのだろう、揃って息をついた。その部屋はこじんまりとしていて、最低限の必要なもの以外は置かれていなかった。おそらく、村長夫妻は無駄を嫌う性格なのだろう。そう思いながらユメノが視線を戻すと、コハルが涎を垂らさん勢いで、今にも木の菓子受けの中のクッキーに手を伸ばそうとしているところだった。
「……ダメよ、コハル。我慢なさい」
「ちぇー。ぶーぶー」
小さい子どものようにコハルは、ユメノを恨めしそうに見ながら顔を膨らませる。人様の菓子を許可もなく食べるなど言語道断。しかし、時刻的にも間食の時間であり、空腹なコハルはどうしても食べたいようだ。そんなやり取りをしていると反対側のドアが開き、夫人に輪を掛けて温厚そうな老人が姿を見せる。既に70は過ぎているであろう白髪頭の老人は正面の椅子に腰掛けると軽く頭を下げて、まるで孫を見つめるような視線をふたりに向けたのだった。
「――大分、待たせてしまったね。私が村長のカシム・アッザールです」
☆ ウァステ大平原の守神様 ☆
エンシェント・ハイドラ“オド・ウァステルーレ・フィルキアーナ”
Lv.99 ネームド レジェンド BOSS 極めて温厚 極めて友好
エンシェント・ハイドラ種のレジェンド・モンスター。BOSS属性。
全長60メートル超の巨体と計12本の長い首、強靭な脚を持つ。
伝承ではオド・フィルキア誕生と同時に生まれたと云われており、『ウァステ大平原』の守神として主に西南方諸国から崇められている。
人族に対しては極めて温厚かつ友好的で、明確な敵対行動を取らなければ襲ってくることはない。好奇心旺盛な子供達を尻尾から背中に乗せて悠然と草を食んでいる姿がよく見かけられる。
オド・フィルキア語を習得していれば会話はできるが、その内容は極めて神学的であり、理解は困難を極めるだろう。
意図的な戦闘は可能だが、先攻後攻関係なしにレベル50以下の者は最初の一撃で即死するので要注意(いわゆる仕分け)




