Session 0-1
唐突に新連載です。
こちらはシリアス<コメディに書いていきたいと思います。
緑が萌える大地に草木は存分に葉を広げ、陽がそれらを助長し、燦々と惜しみない光を大地に浴びせる。生命の大母たる太陽の恵みを存分に浴びた草花は養分に富み、虫や蝶たちにとっても極上の食料となり、肥えた虫を鳥たちが食べる――由緒正しき自然の姿。
ここ、常春地帯と呼ばれるエト・スピレングス地方においてもそれは変わらず、いや他の地域よりも陽の光が優しい分、自然にとってすこぶる良い環境といえた。
太陽が浴びせる光は恵みだけを与えるのではない。過剰な光線は草花だけではなく、妨げとなる雑草の成長を促進させ、水を腐敗させてしまう。故にこの地方に住む人々は自然の恩恵を常に受け、神への感謝を忘れずに平和に過ごすことが出来ているのだ。
しかしこのような、争いとは無縁に見える地方でも日々平穏無事とは行かないようで、この一帯を治めるアルメイーデ王国の辺境域に位置する村――ピンガから1時間ほど南へ歩いた林道で、一人の少女が魔物に絡まれていた――。
「やー! あっちいってよぉー!!」
少女にじりじりと近寄っているのは、魔物は魔物でも放っておいても害のない只の粘着生物――ノウン・スライムだった。じゃれるだけじゃれたら満足して去っていくだけの無害な魔物なのだが、よほど嫌なのか、それとも冒険慣れしていないのか、涙目の少女はやたらめっぽうに左手で木の杖を振り回している。儀式で清められた聖職者の法衣を着込み、首からは信仰の証である十字架を提げている。どこから如何見ても神官の標準装備であった。
「あっちいってってばぁー!!」
三体のノウン・スライムは、杖で叩かれるのもお構い無しに少女へと這いずり寄っていく。一般的にスライムという生物は物理攻撃に耐性を持っており、杖如きで打擲されたところで痛痒すら感じない。そうこうしている内に、とうとう一体のノウン・スライムが少女の足から身体へと這い登り始めた。
「ひぅ! やだやだぁ……」
アメーバーのような滑る感触に少女の、杖を振るう手は止まり、赤茶色の瞳に涙が滲む。知能ある者であればその気持ちが幾分かは読めただろう。しかし、単細胞生物である彼らは、己の欲を満たすことしか知らない。少女が抵抗を止めたのを良いことに、二体目も触手を伸ばして足元から登り始める。
(いやぁ……誰か、誰か助けて――っ)
心の中で叫んだところで誰かが気づいてくれることはない。だが、声に出したとしてもここは人道から外れた林に隠された道である。運良く誰かが通りかかる可能性は限りなく低い。
果たして――突如、少女の懇願が聞こえたかのように、あるいは魔物を威嚇するように、地面から鋭い氷柱が生えた。
「えっ――?」
不自然の氷柱の出現に、ノウン・スライムたちの動きが止まる。
「ひゃあっ!?」
身震いによる刺激に艶やかな声を上げた少女を余所に、恐怖を本能で察知した三体のスライムは、一目散に林の中へと去っていった。少女は横目に黒い影を捉え、怯えながらも潤んだ目を向ける。視線の先に、膝上丈の黒いワンピースに身を包み、首にチョーカーを着けた、水色の髪が印象的な少女が無表情に佇んでいた。
「女の子? よ、良かったぁー……」
新たな敵ではなかった安心からか、少女はその場になよなよとへたりこんでしまった。特徴のあるイヤリングで装飾したその耳に、暗めではあるが無難に聞き取れる言葉が聞こえてくる。
「……林まで足を伸ばしてみたら女の子が襲われていた。びっくり」
「立てる?」と、近づいてきた少女が差し伸べた手を、亜麻色の髪の少女は恐る恐る掴む。手ごとすぐさま引っ張られ、立ち上がった亜麻色の髪の少女は埃をはらうと礼を言い、同時に情けない声を上げた。
「あ、ありがとね……。うえー……べとべとぉ……」
酸化するようなことはないが、少女の法衣は粘っこい液体で汚されていた。
「……ノウン・スライムは無害な魔物。放っておけばそのうち去るし、倒しても問題ない。どうして倒さなかった……?」
空色の瞳が、少女の胸中を射抜く。少女は愛想笑いを浮かべながら、
「あはは……魔物と戦うなんて初めてだったから、動揺しちゃって……」
「……そう。その程度の経験で何が出るかも分からない林道を通ろうとするなんて、無茶を通り越して無謀。因みに往来はあちら」
「うっ……そんなに言わなくてもぉ……」
「さっきの魔物がノウン・スライムだったから良かったものの、仮にアシッド・スライムだったら今ごろは天国でお芋掘り……」
水色の髪の少女にとっての天国は、芋畑が存在するらしい。
「がーん……。しくしく……どうせわたしはダメ神官だもん……」
胸を容赦なく抉る言葉に、両手でピアノの鍵盤を叩き付けたような音のようなリアクションを取った少女は、その場にしゃがみこんで地面にのの字を描き始めた。あたかも背後の黒い、縦の三本線が見えるかのようだ。
「……」
何をするでもなく、ただ静かにその様子を見下ろす、水色の髪の少女。その目は、亜麻色の髪の少女の胸元に注がれていた。
(……十字架。花環の中央に、女性の横顔のレリーフ。聖光神アルストロメリスの神官、か)
「……言い過ぎたかも。町に行くなら、連れて行ってあげるけれど?」
神官であれば単に、道に迷っただけ――と、水色の髪の少女は再び手を差し伸べる。すると、鳴いた鴉はどこへやら。にぱぁと笑って、少女はその手を取った。
「ありがとー! これもきっと日頃の行いが良いわたしに対しての、アルストロメリス様の思し召しだねっ」
それは違うだろう――と、水色の髪の少女は言いかけたが、気分を損なわせることもないと思い、口を紡ぐ。ああ、と思い出したように亜麻色の髪の少女は両手をパンと合わせ、
「そういえば、自己紹介がまだだったね。わたしは土筆野コハル。見ての通り、慈愛と平等の女神、アルストロメリス様に仕える神官だよー」
(え……)
その名前に、水色の髪の少女は聞き覚えがあった。5歳の時に家の事情で別たれた――双子の弟の名前と同一だったのだ。
「……コハル、なの?」
「ん? そうだけど……あ、あなたのお名前はー?」
「……」
水色の髪の少女の表情が僅かながら歪む。
名前は良い、だがもし目の前の少女が同姓同名の他人であった場合、苗字を知られると面白くない事態になりかねない。かといって、向こうな苗字まで名乗っているのに、こちらが名前だけでは礼を失することになる。
(……亜麻色の髪、赤茶色の瞳。十年前の記憶と一致している。私は……私の記憶を信じる――)
水色の髪の少女――ユメノは、真正面からコハルを見据える。
「私はユメノ。氷花ユメノ。最近登録したばかりの、冒険者よ……」
「……えっ!?」
今度はコハルが固まる番だった。丸くした目で、つま先から頭まで何度も見つめ返す。コハルの記憶にもその姿が克明に残されていたのか、
「うん、覚えてる。水色の髪に空色のおめめ……、本当にユメちゃんなの……?」
十年振りに聞いた愛称に、ユメノは頷き返す。コハルの瞳に大粒の涙が浮かんだ。些少乱れた亜麻色の髪を、ユメノはあやすように優しく撫でてやる。
ユメノとコハル――氷花家のしきたりで無理矢理離された双子の姉弟の、偶然の再会であった――。