婚約破棄のその後で
割れ鍋に綴じ蓋的な話です。
三人の男たちが酒場に集まっていた。
といっても、これは非公式な集まりだ。
全員が平民の変装をしているが、彼らはれっきとした貴族である。
去年アカデミーを卒業したばかりの、若い青年たちだ。
三者三様に彼らは憂鬱だった。
しかも不思議なことに、彼らは全くタイプが違う男たちだというのに、全く同じ類の悩みを抱えていた。
「きいてくれ。僕の婚約者は最悪なんだ」
愚痴をこぼしているのは、貧乏伯爵のヤック。
青い目に金色の長髪の優男といった風貌だ。
だがしかし、貴族にしてはやや痩せていた。
「ウルルが昨日何ていったと思う? 「まあ、ここには全く食材が無いわ。美味しいものはないの? 野草? それだけ? 哀しい場所ね」って言ったんだよ。そりゃあ、僕の領地は寂れてる! 田舎だし、何の魅力もないかもしれない! だけど僕だって頑張ってるんだ! 資源もないところから産業を作り出してさ。野草だってようやく生えるようになったんだ! 観光用にスケートリンクだって作った。今は食料も贅沢品もないかもしれないけど、これからってことじゃないか!」
友人たちは頷きながら聞いていた。
ヤックは若くして爵位を継ぎ、健闘しているのだ。
友人二人は頷きながらも、互いに何かもの言いたげだった。
「そりゃあキツイな。だが俺の方が酷い」
先に口を開いたのは、筋肉の目立つ巨漢だった。
新興の男爵の令息であり、元騎士のユールだ。
父親が武功をあげて貴族になった、つまりは三人の中で、立場的には平民に最も近い男である。
「アリアのやつが昨日やってきて、俺に何を見せたと思う? 辞書だとさ。子ども用の……! そりゃあ、俺は言葉を知らないさ。だけど、親父が大戦やら竜退治やらのまぐれラッキーで得た爵位だぜ? そうさ、成り上がりだ! お前らが一番知ってるだろ? アカデミーの科目が全部1、武芸だけが唯一10、合計点で泣く泣く卒業させてもらったんだぜ?」
そんなこともあった、と二人は懐かしく頷いた。
全く、ユールが一緒に卒業できたのは奇跡に等しかった。
「筋肉以外に何も持ってねえに決まってるだろ!? だけど、アリアは「そんなことも知らないのですね? 文字は読める? 書ける? 困ったわ、あなたと何を話せばいいのかしら」ときた! あー、テンション下がるぜ……飲まねーとやってらんねーよ。おーい、姉ちゃん! もう一杯ずつ!」
「それは可哀想に。だけど私よりましだ」
据わった目をした小柄な男が言った。
ワインレッドの色をした目と色の薄い金髪だ。
まだ爵位を継いではいないが、侯爵の長男でヨキという。
「イリーはことあるごとに私に牛乳を飲ませようとするんだ。酒樽に並々と牛乳が入ってるのを想像できるか? もう放っておいてほしいのに、逃げればお前はひよわだの、弱いだの言ってくる。体質なんだ! 背が低いのは遺伝だよ! 仕方ないだろう? プディングならまだしも、どうして海賊のように樽で牛乳を飲まなきゃいけないんだい!? 最終的に、怒り狂ったイリーに素手での戦いを挑まれて、『男の癖に私より弱いのか。話にならん』と言いながらボッコボコにされた」
さしものヤックも驚いて言った。
「もしかして彼女は本物の闘牛じゃないのか?」
ヨキは首を振った。
「牛ならまだいいさ。人間の女だから結婚話が持ち上がるんだ。うちが侯爵だから……もうやめたいよ婚約なんて」
ヤックが頷く。
「そうだな。正直、僕も婚約者とはわかり合えない。親が勝手に決めたからといって、こちらの感情までは定義できないよね」
酒を一気に飲んでいたユールが空のグラスをドンと置いた。
「テーギってのはよく分からないが、許嫁ってやつは辛い! 俺も勝手に決まってたんだ。あいつと結婚したら毎日バカ扱いされるに違いない。そりゃ俺はバカだが、バカもバカなりにプライドってのがあるんだ、バカにされてることくらい理解してる。ああ、結婚なんてぞっとするぜ」
一同はじめじめと通夜のような空気を醸しだしながら、酒場の片隅で酒を酌み交わしていた。
アカデミーの幼なじみだった三人は、こうして卒業した今でも友情を深めていた。
痛みを麻痺させるのに最も良く効く薬は、傷の舐め合いである。
「あーあ、結婚か……」
「したくねぇな……」
「やだなあ……」
と、そんなうちに、注文した酒が運ばれてきた。
ウエイトレスは、パンツよりもスカートの短い、きゃらきゃらと笑う陽気そうな平民の女だった。
スタイルは抜群だが、何も考えてなさそうに見える。
「ハァーイお待たせ! サゼラック、こっちがモヒート、これがネグローニよぉん。あら? ごめんなさい、サゼラックがお兄さんのね? で、ネグローニがお兄さん? いやぁん、ゴメンネー、入れ違っちゃった。あたし、よくうっかりしちゃうんだ! じゃ、また注文待ってるわよん」
ウエイトレスは尻をフリフリ去っていった。
「間違えたのかな? 僕たち同い年だけど、全然似てないのに」
と、ヤック。
「まあ、好みもそれぞれだし。誰がどの酒を頼んだかなんて、店員が覚えられなくても仕方ないさ」
と、ユール。
「入れ違える……か」
意味ありげにヨキが言った。
三人は顔を見合わせた。
六つの瞳には同じ種類の星がきらめいていた。
そうだ――。
おそらく全員が同じことを考えていた。
その証拠に、数秒後、彼らは声をそろえて同じ台詞を口にしていた。
「「「交換しよう!!!」」」
*
それから十日後。
国中がセンセーショナルな噂で持ちきりだった。
可哀想な婚約破棄の事件はこれまでもあった。
だが、三貴族のそれが同日に行われるなど、前代未聞だ。
一年の半分が分厚い氷に閉ざされる辺境地の若き伯爵、ヤック。
「大変申し訳ないが」
先の大戦で武帝として名を馳せたマルヤ男爵の長男、ユール。
「この婚約を」
歴史と伝統に裏打ちされた名家、サンダール侯爵の御曹司ヨキ。
「破棄していただきたい」
「「「慰謝料は言い値で払う!!!」」」
蒼白になりつつもきっぱりと訴えてきた婚約者に対して、婚約破棄を言い渡された側の令嬢たちは、揃いも揃って、生ゴミを処理する者と同質の感情の無い目をしていた。
乙女の尊厳を踏みにじられたのだから、それも当然だ。
しかし、男たち三人としても、もう後には退けなかった。
婚約破棄を同日に示し合わせたのだから、自分だけ辞めるわけにはいかない。
血判状まで作成し、彼らは決意をして婚約破棄にのぞんだのだった。
必ず計画通りに、成し遂げなければならなかった。
しかし、もちろん、決意をしたとはいっても、男たちにだって怖い物は怖かった。
公爵の遠縁の貴族令嬢ウルルは、ヤックに微笑んだ。
贅沢なドレスや豪奢なアクセサリーの似合う、ゴージャスな女性だ。
いつも優雅であれという家訓を法律のように守っている。
「構いませんわ。所詮、そちら様も私自身というよりも、家の財力だけが必要だったのでしょうし。慰謝料など要りません。あなた様のしみったれた……失礼、鄙びた土地にも、他に相応しいお相手がきっといらっしゃいますわ。だいいち、私にとってもあなた様の領地は凍てついていて、何も楽しみがありませんでしたわ。ミートパイもキッシュも、クロッカンサンドさえない。優雅さの欠片もない――野草しか生えない土地で、どうやって貴族の女性として生きていけばいいのでしょう」
ウルルの目は全く笑っておらず、その冷たさたるや氷の大地に突っ伏したほうがましだったとヤックは後に語った。
片や、別の修羅場もあった。
ユールに差し向かいで、涼しげに眼鏡をかけ、早口で言い放ったのは賢才のアリアだった。
「ええ、そちらからの婚約破棄を受け入れます。当然の帰結です。経済学の理論以前に、初歩の算数ができない方と全く会話になりませんでしたから。さ、それはそれとして、貴方との婚約を締結してから私が払った時間的損失と、経済的損失を計算した上に、ここ最近の物価高を含めてコアCPIを算出し、さらにコアコアCPIを算出した上で慰謝料の額を求めるとなるとウンヌンカンヌン」
半分以上、いや、9割9分を理解できなかったユールは、金縛りに遭ったように立ちすくむことしかできなかった。
唯一、言葉少なに終わったのはヨキのところだった。
「――ほう。いい度胸だ」
と、言うや否や、イリーは射殺さんばかりにヨキを睨むと、瞬間、壁に拳をめり込ませた。
喉仏をかすってイリーの爪が皮膚を削り、ヨキの首に薄らと血が滲んだ。
話はそれで終わった。
しかしながら可哀想にヨキは、しばらく大蛇に絞め殺される兎に転生する夢を三日三晩見続けることになった。
その夜、婚約を破棄された三人の令嬢たちの元へ、美しい書状がそれぞれ届いた。
財務大臣の父をもつ伯爵令嬢アリアの元へは、アイスブルーの封筒が届いた。
アリアの父は開いてみて、感嘆した。
定規で測ったかのように、一文字一文字が同じ大きさなのだ。しかも、文のひとつひとつに法律や経済の専門用語が使われ、注釈が添えられている。
「ふむ、アリア。今度の男は少しは話が分かるようですよ」
その頃、男爵令嬢イリーは、侯爵家の敷地に暴れ猪を投げ込む計画を思いとどまるように、家族全員に説得されていた。
蒼白になった涙目の父親が、速達で届いた封書を開けた。
ぞんざいに書き殴ったような太い字の、分厚い羊皮紙だった。しかし、読み進める内に次第に父親の頬に赤みがさしてきた。
「お、おおお! この方なら、うちのどうしようもないじゃじゃ馬を乗りこなせるかもしれん!」
同時刻、苛立ちをショッピングで発散させていた男爵令嬢のウルルは、とうてい指には収まりきらない特大のジルコンの指輪を婚約破棄の腹いせに買おうとしていたところを執事に見つかっていた。
家に連れ戻されるやいなや、今度は最高級のセーブルのコートを仕立てさせようかと考えていたウルルは、父親に手紙を渡された。
封筒は薔薇の香りがする粋なもので、流麗な字体で流行の詩句が書き付けてあった。
父親もどこか満足そうに呟いた。
「遥か彼方の鳥の歌も、厳冬の寒さも、私の心を慰めはしない――か。リュデルの詩とは渋いねぇ」
それぞれの手紙は全く雰囲気が異なっていた。
しかし、内容は総じて、『噂に聞く美しい令嬢に一度お目通しいただきたい』という許可の手紙であった。
そして、手紙の最後の語句は、まるで示し合わせたように共通だった。
「「「噂でしかご令嬢を知らないが、おそらく気に入って頂けるのではないかと思う」」」
と。
*
伯爵令嬢アリアは驚愕した。
婚約を申し込んで来たのは、ヤックという若い伯爵だった。
馬車に揺られて領地に来てみれば、そこは不毛といっていい北の辺境だった。
しかし、アリアが気になったのはヤックが、貧しいながらも領地をきちんと黒字で運営していたことだった。
微々たる加算ではあるが、このような土地で財政を黒字化させることがどれだけ難しいか、アリアにはよく分かっていた。
「半分は凍てつく氷の不毛な大地に新しい街を…!? いったいどういうマネジメントなのです。詳しく聞かせて頂戴。人民も資源のひとつもないのにあんな場所でどうやって生きるのです? 歴史上、草一本も生えないと有名な土地のに、どうして……ええっ、土壌の改良!? あの不毛な土地に農耕や栽培の可能性を!? それに観光業まで……ふむふむ……なるほど、完全なシステムができているなんて、やはり天才だわ。興味深くって仕方ありません。食事はともかく、もっとお話を聞かせて頂戴。栽培の現地を見て見たいし、経済学の文献についての議論を……ええっ? 農学の知識まで?」
その頃、男爵令嬢イリーは、鼻息を荒くして目を見開いていた。
父親に簀巻きにされ、猿ぐつわを噛まされたと思ったら、男爵家に連れて行かれた。
引き合わされたのは巨漢の男だった。
イリーよりも上背があり、筋骨隆々とした猛者だ。
「何!? あのマルヤ将校の息子なのか!? 最高じゃないか! 得意な武器は? 剣!? バトルアックス! ロマンだなロマン。おい、そんな体躯で何をもじもじしているんだ……はぁ? 学が無いのを気にするかだと? ばかばかしい! お前ほどの男が何を言ってるんだ。それでもあの鬼神、マルヤ将校の息子か。辞書なんて暖炉に放り投げておけばいい。文字なんて武人には妨げだ! 領地の運営だと? そんなもの人を雇え。金ならある。うちの家は金だけはあるんだ。そうじゃなくても、私を一刻も早く出荷するためなら宝石でも屋敷でも喜んで売るだろうさ。さあ、他のことを全てほっぽりだしていいから、すぐにでも手合わせをしてくれ!」
男爵令嬢ウルルは、嬌声に喜びを滲ませていた。
目の前には長い食卓と、美しい花々。
そして流行最先端のしゃれた菓子が、麗しい花々をかたどった食器の上にちょこんと並んでいる。
令息ヨキは甘党だった。
「まあ! まあまあッ! 新製品のガトーではなくて? それになんてたくさんお食べになるの? それでいて食べ方も美しいわ。ええっ? 太らない!? どういう身体をなさっているの!? ヨキ様は男性と思えないほどに愛らしいし……最高の体を天使様がお与えになったのね! それに一口召し上がった後に口ずさむ詩句! 本当に貴族としての教養が深くおありなのね。まあ、プディングがお好きなの? もしや、今流行のムース・タルトをご存じ? ああ、わたくし、殿方とお話をしてこんなに幸せな気持ちになったの初めてだわ」
七日後、国は再びセンセーショナルな噂話で持ちきりになった。
婚約破棄をされた貴族令嬢たち三人が、今度は同時に新たな婚約を締結したのだ。
婚約者にベタ惚れの令嬢たちは、結婚を今か今かと待ちわびているらしい。
何という巡り合わせだろう。
もしやそれぞれの思い人と、彼女たちは駆け落ちをしたのでは? と人々は噂したが、本人たちにとってみればどうだってよかった。
運命があるとするならば、それは人間の手の中なのだ。
そして事実、彼らと彼女らは、偶然から運命をつかみ取った幸運な勝者だということだった。
彼女たちは友人や家族にだけ、うっとりと本音を呟いた。
「ヤック様は最高に賢いのです。あんなに知的で謙虚な方、私にはもったいないのだけど。不毛な土地に野草を生やし、そして黒字化するだなんて。一時的な貧しさがどうというのでしょう。なんという可能性、なんという希望! 知の可能性を日々見せつけてくださるのです。刺激的な日常の中、涼しげに計算される横顔といったら。私も微力ながら一緒に、あの領地を花と金貨で埋め尽くしたい。そして歴史に名を残すのですわ!」
と、賢才の令嬢アリアは惚気ていた。
「はぁ、ユールは人類で最も格好良い男だよ。真剣勝負では絶対に勝てないが、最後には軽い峰打ちで私を降参させるんだ。風よりも速く、山のようにどっしりとしている。あの筋肉を見たことがあるか? この私が負けるなんてただものではない。そう、ユールは強いんだ。でも、口げんかでは私が勝つんだ。ふふふ……私の旦那は可愛いだろう。ユールに似た子が九人は欲しい。私設騎士団ができそうじゃないか?」
男爵令嬢のイリーは、猪を投げ込む計画はすっかり忘れて、新婚生活について思いを馳せていた。
貴族令嬢のウルルは興奮しきっていた。
遠縁の侯爵家の令嬢たちも、全員ウルルの熱烈な惚気を繰り返し聞かされた。
「ヨキ様はこの世に遣わされた天使ですわ。あのような方が存在するなんて……まるで地上に残された青い薔薇。伝統的な教養もおありなのに、流行り物にも詳しくて、何より一緒にディナーもスイーツも楽しんでくださるの。贅沢の仕方を理解しているのよ。それに愛らしくて! あの方が私の旦那様になるだなんて、どうしましょう。結婚式のドレスもタキシードも、デザイナーの渾身の作を8パターンは用意させないといけませんわ」
割れ鍋に綴じ蓋とは、まさにこのことである。
END
酒場のおねーさんは作為的かも。
読了ありがとうございました!




