第9話 カレー
昼前に山荘に戻ると、カレーのいい匂いが漂っていた。
「立花さん、おかえりなさい」
息を弾ませている私に、綾子さんが笑顔を向ける。
あさひ山荘は、山上さん夫婦――亮介さんと綾子さん――が、二人で切り盛りしているとのことだった。
亮介さんが、厨房のカウンターから顔を出した。
「お昼を召し上がる場合は、スタッフも一緒にまかない一択です」
「嬉しいです。ぜひいただきます」
私は急いで部屋にコートを置いてくると、夫妻と同じテーブルについた。
大根や人参、白菜にカリフラワー……冬野菜たっぷりのカレーは、ほんのり甘くて優しい味がした。
「すごく美味しいです」
「食材がいいからね。地元でとれた旬の野菜を使ってるんだ」
亮介さんが言った。
「その時ある材料で作るから、毎回味が違うの、うちのカレーは。余り物片付けメニューなの」
綾子さんが楽しそうに言う。
「食品ロス解決策だよ」
亮介さんが真面目な顔で言い換えた。
「褒めてるのよ。亮介さんのカレーは材料が違ってもいつも美味しい、って」
綾子さんがくすくす笑って言った。そんな綾子さんを見て、亮介さんはふっと笑い、それ以上何も言わなかった。
あさひ山荘の談話室の窓から、午後の日差しが深く差し込んでくる。
私は窓際のベンチに座り、膝に思い出ノートを広げたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
積もった雪が、陽の光を反射して、眩しく輝いている。
私は、さっき林道を歩いた時の、白い森を思い出していた。冷たく澄んだ大気。しんと深い静けさ。土と水と風の匂い。足元の重い雪の感触――
全てが、東京とはまったく違っていた。
ここに来てから、私の身体を形作っているものが、少しずつ入れ替わっている気がする。
食事をしてはじめて、自分が空腹だったことに気づくみたいに。
優しさに触れて初めて、自分が孤独だったことに気づくみたいに。
私はここに来て、ようやく呼吸の仕方を思い出したようだった。
その時、玄関の扉の開く音がした。
続いて、低く、よく通る声。
「こんにちは、トクヤマ電気です。給湯の件で来ました」




