表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

第2話 手袋

ぐっすり眠っている彼に声をかけて起こすのも気が引けて、私は彼の手袋を持ったまま、通路を隔てた斜め向かいの席に腰を下ろした。

このまま彼の正面のシートに置いておけば、目を覚ました時に気づくだろうか――そう思い直して立ち上がった、その時。

列車がカーブに差しかかり、車体が大きく揺れた。

足元がふっとすくわれ、体が前に流れる。

よろけたはずみに、通路にはみ出していた彼の膝に、軽くぶつかってしまった。

「あ、すみません」

反射的に謝って身を起こす。

その瞬間、彼が目を開けた。

帽子の影の奥から、まっすぐに視線が合った。

「あの……えっと……手袋が落ちて……」

しどろもどろな言い訳とともに差し出した、私の手元と慌てた顔を見比べてから、彼はようやく状況を理解したように小さく息をついた。

「ああ……僕が落とした手袋を拾ってくれたんですね。ありがとうございます」

日に焼けた頬に、人懐こい明るい笑みが広がる。

いかつい印象の見た目よりも柔らかい声だった。

「いえ……たまたま見えただけなので」

そう答えながら手袋を渡すと、彼の指先が一瞬だけ触れた。

ひやり――

外の冷気を残した温度だった。



手袋を受け取った青年は、斜め向かいの窓際の席に戻った女性に目を向けた。

20代半ばくらいだろうか。

化粧っ気のない顔は寂しげで、少し虚ろな目を窓の外に向けている。

傍らには、ベージュ色のファーの着いたアイボリーのコート。

網棚にはコンパクトな紺色のキャリーケース。

「観光ですか?」

彼は気さくに彼女に話しかけた。彼女がびっくりしたような表情で振り向く。

「え……?あ、はい。旅行で」

「そうですか。この時期に珍しいと思って。泊まりはどこに?」

「……あさひ山荘という民宿です」

「ああ、知ってます。山上さんとこですね。あ、でも駅からはどうやって?」

「歩いて……ハイキングコースになってて」

「知ってますよ。でもこの時期に女性1人は危険ですよ。雪が多いし、もう暗くなるし」

「……タクシーでも」

「このへんのタクシーは夕方には営業終了ですよ」

「ええっ!」

「僕、駅前に車停めてるんで、送りましょうか?」

あまりに自然な口調だったので、彼女はすぐには返事ができなかった。

一瞬だけ迷いが表情をよぎる。

「……あの、ご親切はありがたいです。でも、大丈夫です」

そう言って小さく笑ってみせる。

知らない土地で、知らない人の車に乗る――咄嗟の警戒心のために、親切な申し出を断ってしまったことへの罪悪感を滲ませた、曖昧な笑い方だった。

彼はその様子を見て、無理に勧めることはしなかった。

「ですよね。急に言われても困りますよね」

むしろ彼は、彼女の罪悪感を引き受けて、微笑んで同意した。

「じゃあ、駅で宿に電話してみてください。あそこ、送迎やってますよ。雪の日は特に」

「……そうなんですか?」

「ええ。たぶん今の時間なら、まだバン出してくれます」

彼女の表情が、ぱっと安堵で明るくなった。

「よかった……ありがとうございます」

「いえ。山荘への林道は、夜はほんとに真っ暗になるんで」

車窓の外では、白い景色の中に、早くも夕方の色がにじみ始めていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ