双貌の帰還者
【臨空市の夜】
AIの管理が行き届いた街、臨空市。
クリスタルガラスのような建物がそびえ立つ夜のベイエリアで、夕菜は腕にはめた通信機で任務完了の報告をしていた。
「エリアクリア報告。A地区のワンダラーは完全に消滅」
夕菜の声は冷静だったが、その顔は汗で滲んでいた。
今日の獲物は巨大な甲殻類型のワンダラー。市民の平穏を守るため、彼女は命を懸けて街を巡回していた。
ハンターの仕事は、時空の裂け目から現れる「ワンダラー」を駆除すること。その功績で得られる高額な報酬だけが、夕菜をこの危険な任務に駆り立てる理由だった。
ーー
ハンター協会に戻ると、見慣れない電子通知が届いていた。それは戸籍上では他人の生存確認レポート。
「マヒル。遠空艦隊所属。爆発事故にて死亡とされていたが、生存を確認のため戸籍情報を修正。抹消解除」
その名前を見た瞬間、夕菜の全身から血の気が引いた。
「マヒル……嘘でしょ……」
マヒルは血は繋がっていないが、幼少期からずっと夕菜と兄妹として育った『家族』だった。
数ヵ月前、祖母の暮らす家に帰った際、爆発事故に巻き込まれ、公式に「死亡」とされていた。
マヒルと共に祖母も亡くなり、夕菜は天涯孤独になったのだ。
そして祖母や彼の死を受け入れられず、仕事に没頭し、ハンターとして強くなることを選んだのだった。
* * *
【再会と監視】
翌日、前日の報告書をまとめ終え、ハンター協会からの帰路で、夕菜は届いた電子通知のことを考えていた。
臨空市の警戒体制は、最近多発するワンダラー出現もあり、解除されていない。
そんな中、厳重なセキュリティを突破し、夕菜の住むマンション前に立っていたのは、見慣れた、しかしどこか冷たい表情のマヒルだった。
「夕菜、おかえり」
「マヒル!……本当に生きてたんだね!」
泣きながら抱きつく夕菜を、マヒルは優しく、だがしっかりと彼女の体を拘束するように抱き返した。
彼の瞳は、以前の兄としての優しい瞳ではなく、どこか遠い宇宙の冷徹な闇を宿しているように見えた。
再会を喜ぶ夕菜に対し、マヒルは淡々と言い放った。
「ハンターの仕事は危険すぎる。こんな街でワンダラーを狩るなんて、正気の沙汰じゃない。今すぐ辞めて、俺のところへ来い」
マヒルは執艦官としての有能さを示すかのように、夕菜のハンターとしての全ての活動記録、負傷履歴、接触したワンダラーのデータまで把握していた。
「何を勝手なことを言ってるの?これは私の仕事だよ! マヒルも応援してくれてたじゃない!」
「お前がどれだけ無茶をしたか俺は知っている。そんなお前を誰かが守らないと、いつか死ぬことになる。そして、お前を守れるのは俺だけだ」
その日から、マヒルは夕菜の生活に深く入り込んだ。彼の優しさは食事を含む健康管理にまで及び、夕菜を気遣うものだった。
しかし、その裏側には常に独占欲と束縛があった。
彼は夕菜の行動の全てを把握しようとし、彼女が他のハンターと話すだけで電話越しに冷酷な声で牽制を入れた。
「君の戦闘記録を見た。あの時、君は彼女の右側に退避すべきだった。そんな判断で仲間を守ることができるのか? 彼女とペアを組む実力はないんじゃないか?」
マヒルは遠空艦隊の高度な技術と情報ネットワークを使い、さらに自らの立場をも利用し、夕菜の安全を確保するという名目で、彼女を完璧に監視し始めたのだ。
* * *
【兄と恋人】
夕菜はマヒルを愛していた。それは兄へ対する愛ではなく、ずっと抑え込んできた、一人の男性への恋心だった。
だが、目の前のマヒルは、昔の優しさの中に、宇宙の孤独と冷徹な闇を身につけて帰ってきた。
ある夜、マヒルは静かに夕菜の手を取り、二人が戸籍上他人であることを確認するように尋ねた。
「夕菜、俺たちはもう、兄妹じゃない。お前もそう思ってるんだろう?」
「俺はお前を愛している。そして、俺の愛は非常に排他的だ。お前は俺以外の誰の助けも、愛情も必要ない」
マヒルの独占欲は、やがて夕菜のハンターの仕事にまで介入し始めた。
マヒルは『遠空艦隊の任務』として、臨空市に出現するワンダラーを事前に分析し、夕菜が危険度の低い獲物しか追えないように、情報を操作し始めたのだ。
元来、負けず嫌いの夕菜は、そんなマヒルの束縛に激しく反発した。
「私を籠の中に閉じ込めるつもり?私はあなたの付属品じゃない!」
「もちろん付属品だなんて考えちゃあいない。だけど、お前は俺の光であり命だ。だから守る」
激しい口論の末、夕菜はマヒルを突き放すように言った。
「私はハンターだよ。聞き分けのいいあなたの妹じゃないし、あなたの恋人でもない!」
その瞬間、マヒルの顔から優しさが消え、冷徹な表情だけが残った。
* * *
【決断と衝突】
衝突は、市の中心部近く、かつて最先端のAI研究施設があったベイタワー跡地に出現した『SSS級ワンダラー』によってもたらされた。
通常のハンターでは手が出せない、都市のAIですら予測できないレベルの脅威。
その巨体はタワーの残骸をまとい、紫色の瘴気を発しながら中心部へと迫っていた。
「ミナミさん、聞こえますか? 私は単独でタワー跡地に向かいます」
「待ちなさい! ハンター協会は、いかなる理由があろうと、単独での出撃を許可していないわ。応援が来るまで待機よ」
ミナミの指摘は夕菜も承知していることではあった。しかし、ワンダラーの脅威はもう目の前、市民に危険が迫っている。
夕菜はマヒルに知られる前に、単独で出撃した。
彼女は知っていた。この危険な任務をマヒルが知れば、彼は自分の命を危険に晒してでも、夕菜を止めに来るだろうと。
目標を視界に捉えると、ハンター拳銃を構えワンダラーに向けて放った。
ワンダラーはダメージを受けながらも残骸を振り上げ、夕菜に向かって叩きつける。
戦闘中、夕菜は通信機のディスプレイに、マヒルからの緊急通信を見た。
「聞こえるか、夕菜! すぐに退避しろ! あのワンダラーのコアは、遠空艦隊の未開発技術と共鳴している。危険すぎる!」
「だからこそ私が行くんだよ! この街を守るために! 共鳴できるのは私しかいないんだから」
夕菜がワンダラーのコアバリアを破壊し、共鳴をしかけた瞬間、上空から一機の遠空艦隊の小型艦が急降下してきた。操縦席にはマヒル。
「突っ走るな! 勝手な行動は許さない。これは俺の命令だ」
彼は小型艦を危険な低空域にさらに降下させた。そして夕菜の周囲を囲むように艦載ビーム砲を撃ち込んで爆発を起こし、Evolを使って障壁を作り上げた。
夕菜を戦闘から遠ざけるため、彼女が身動きできない状況を作り出したのだ。
「そこまでして私を止めたいの!?」
夕菜は怒鳴った。
「そうだ。俺のルールに従え。お前は俺の命だ。誰にも渡さない」
マヒルの冷徹な声が通信を支配する。
彼の行動は夕菜を戦闘から守る「優しさと」、彼女の自由を奪う「冷徹さ」の極致だった。
そして夕菜は決断した。この束縛を打ち破るには、彼が本当に恐れているもの、彼の冷徹さを生み出した宇宙の孤独と向き合わせるしかない。
夕菜は障壁を崩すふりをして何発か放ち、マヒルの小型艦に向けて、遠空艦隊の緊急脱出プロトコルに設定された短距離信号を送信した。
信号を受信した瞬間、小型艦は強制的にオートパイロットに切り替わり、最も安全な宙域へと上昇し始めた。
通信越しに、マヒルの焦りと怒りが混じった声が響く。
「夕菜! お前、何を……馬鹿な真似はやめろ! 命令だ、戻れ!」
「ごめん、マヒル。これは私の独占欲だよ。」
夕菜は涙を浮かべながら笑った。
「私はあなたが兄ではなく、わたしのものになるまで、誰にも束縛されずに戦い続ける。勝手に私の前から消えた罰だよ」
夕菜はマヒルの目を欺くようにフェイントをかけ、ワンダラーのコアバリアを破壊し、渾身の一撃を放った。
都市に響き渡る爆発音。ワンダラーは塵となり消えた。
安全宙域に強制退避させられた小型艦の艦内。彼は窓越しに、爆煙の中に立つ夕菜の姿を見つめていた。その表情は、彼女の安全が確認できたことへの安堵と、自分の束縛を打ち破られたことへの苛立ちが入り混じっていた。
「勝手なやつだな……」
マヒルは口元を歪めたが、すぐに深い息をついた。
「だが、それが夕菜だ。そして、俺は彼女を愛している」
小型艦が再び臨空市に向けて降下を始める。彼は、これからは彼女を力で抑え込むのではなく、彼女の強さと独占欲そのものを受け入れ、自分たちだけの愛の形を築くしかないと悟った。
そしてその愛は、世界で最も危険なハンターと、宇宙を統べる孤独な執艦官の、決して公にはできない、排他的で甘美な秘密となるだろう。
完




