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前世の記憶が戻ったわ

 黒い陰を纏った兎型の魔物が、ザンッ、と音を立てて薙ぎ払われる。魔物は鮮血を撒き散らしながら倒れ込み、今まさに殺されかけていた親子は歓声を上げた。


 彼らを助けた兵士は、返り血を拭う手間さえ惜しんで浮かれる親子に早く逃げるよう声を掛ける。

 それに父親はハッとして、子供の腕を引きながら避難場所まで駆けていく。結界魔法が張られているあそこなら、もう怪我の心配もないだろう。


 口の中が切れたのか、血の味が舌の上に広がった。地面に吐き出すと、予想より多い紅が地面を彩る。

 兵士はそれはそうだろうと思った。何せ先程の兎は上位のAランク。ただの一介の兵士であある自分五体満足でいられるだけ幸運なのだ。



 その時、兵士の背後で絶叫が響いた。

 振り返ると大型な熊の魔物が、闇を纏ったその爪先で知り合いの兵士の胸元を引き裂いていた。


 兵士はそのことに絶望を感じながら、必死に冷静さを保って知り合いの元へ走っていく。倒れた彼を抱き起こし、肩に担いで治療テントまで駆けようとして――――体に掛かった大きな影に顔を上げる。


 見ると魔物の鋭い爪が、己の喉を切り裂こうと振り上げられていた。

 避けられないな、と頭の片隅で理解する。自分はきっとここで死ぬのだろうと悟った。


 視界の片隅では、同じ釜の飯を食べた仲間たちが紅に染まっていた。兵士からは見えていないが、きっと背後でも同じ光景が広がっているのだろう。

 つい昨日までは暖かな日差しが差す市民街の広場は、今は血生臭さが染み付いていた。



 戦況は最悪の一言だった。かつてないほどの大規模な魔物侵攻、その予兆に気づけただけでも僥倖だった程の。


 国の中核を担う貴族の最低限の避難を済ませ、あとできるのは時間を稼ぐだけ。

 それでも多くの騎士や兵士が前線に躍り出ては殺されている。


 散った命を考えるとやり場のない怒りや嘆きが生まれるが、そんなものに意識を割いている時間はなかった。もし一瞬でも集中力を切らせば、その瞬間死を迎えるような殺気に満ちていた。



 まだ戦況も悪くなかった時、大型の魔物の群れが王都に攻めてきた。その異常事態に対応するよりも先に、騎士団の指揮官がやられた。

 それをキッカケに状況は目まぐるしく変わり、現在の最悪の惨劇が起こってしまったのだ。



「(…………リズ………………)」



 光のない目で死を迎え入れようとしていた兵士の頭にふと、未来を誓い合った恋人の姿が浮かんだ。


 学生時代、初めて経験した恋に右往左往しながらもアタックして、しどろもどろな告白に頷いてもらえた時の喜び。デートの度に膨れ上がった好きの気持ち。時折喧嘩しながらも互いを想い合った甘酸っぱい日々。

 先日は遂にプロポーズをして、少し時間がほしいと返答を保留された。真っ赤になった顔が可愛らしく、寄越される答えに期待を抱いてしまった時の、気持ち。


 兵士の目に光が戻った。そうだ、自分はまだ死ねない。愛する人の答えを聞くまで、死ぬわけにはいかないのだ。

 兵士は瀕死の知り合いを手放し、剣を抜いた。鋭い目つきで魔物を見据える。

 習った通りの型を構え、振り下ろされた爪を紙一重で躱す。

 そして躱した勢いのまま、魔物の右肩を貫いた。



「グ、グガアアァァァ‼︎」



 魔物の絶叫を背後に、兵士は知り合いを担いで駆け出した。向かう先は治療テントだ。急いで治療しなければ、すぐにでも死んでしまう。



(急がなければ………!)



 だが。

 シャアァァァという静かな、しかし確かな咆哮が聞こえて、兵士は足を止めた。

 それは大蛇だった。黒い鱗に身を包んだ大蛇が、その二股の舌を覗かせながら人間を咀嚼していた。


 明らかにレベルの違う魔物――Sランクに匹敵する、災害級の魔物だ。


 口から溢れる服の切れ端をよく見ると、騎士団のエースが身につける銀の装飾が付いていた。

 兵士より鍛えられた騎士団の、それもエースがやられたのだ。


 絶望するなという方が無理だった。芽生えた勇気と希望はとうに消え失せ、ただただ絶望した。

 他の騎士や兵士も同じだった。もはや戦闘音すら聞こえず、武器を投げ捨てる者さえいた。

 もう無理だと、誰かが呟いた。これ以上戦えないと。耐えられないと。


 希望なんてないと、そう諦めた時だった。



「――あら、これはSランク級じゃない。やっぱり戻って良かったわ」



 場にそぐわない、穏やかな声がころりと響いた。

 その声に顔を上げると、漆黒の制服に身を包んだ集団がいた。

 表情には一切の怯えも見当たらず、自信に満ちていた。自分たちが負けるなど、絶対に有り得ないという確信を持った顔つき。


 それは、絶望の闇に差す最後の光だった。

 皆口にはしなかったが、ずっと彼らの帰還を望んでいた。もし彼らがいれば、こうはならなかっただろう、と。

 生き残ったある兵士が後に語る。

 あの瞬間、自分たちの敗北は消え失せたのだと。



 先頭に立っている女性が、柔らかく微笑みながらしなやかな指を振った。

 身に纏う制服に施された金の装飾は、最高指揮官の証。



「一班は怪我人の救助、二班は一班に付いて警護、三班と四班は魔物を殲滅に徹しなさい。大蛇は私がやるわ」



 迷いなく下された指示に、彼らはすぐさま行動を開始する。

 ある者は瀕死の者を担ぎ上げ、ある者はそれを狙う魔物を斬り捨てる。行動に迷いや躊躇いは一切なく、女性に全幅の信頼を置いていることが見て取れる。


 そしてその女性は、コツコツとピンヒールを鳴らしながら平然と歩いている。その顔に微笑みさえ浮かべながら、散歩でもするかのような足取りで大蛇の前に立った。

 二股の舌が舌舐めずりするようにチロチロと覗く様を見ても、怖気付いた様子はない。

 むしろどこか嬉しそうにさえ見える。あらあらと上品に口元を押さえて、悪戯する困った子供を窘めるような声を出した。



「まぁ、騎士の子を食べちゃったの? いけない子ね」

「シイィィ、シャアアァァ――――」

「あら、反省はなし? ちゃんとごめんなさいしなきゃダメよ」



 本当に子供を相手にしているかのような物言いに、この人は何をしているんだと視線が集まった。だが漆黒の集団の人間たちにとってはさして珍しいことではないらしく、スルーを決め込んでいる。

 すると大蛇が、一際大きな咆哮をを上げた。耳をつんざくような声に、女性はぱちりと目を瞬いた。



「あら、あなた……自爆しようとしているの?」



 女性は、大蛇の腹に魔力が凝縮されていくのが分かった。このままではその魔力が爆発し、王都が丸々消滅する可能性も。



「(もしかして、怒らせてしまったかしら)」



 もしそうなら大蛇に申し訳ないと思った。だが間違ったことを言ったつもりはないので、謝罪する気はない、と堂々と発育のいい胸を張る。

 ふいに大蛇の白目が禍々しい鮮血色に変色した。本格的に自爆する予兆だった。


 これは言い聞かせている場合ではないなと、女性は指を広げた。そして助走もなしに高く跳ぶ。

 ヒールを履いているとは思えない跳躍は、大蛇の上をいった。軽々と己を越えていく女性を、大蛇は縦に裂けた瞳孔で追う。

 トンってという軽い音と共に着地して振り返った女性は見たのは、今まさに自爆を始めた魔物だった。



「あら、もう」



 もう死ぬのかと、そう言って撫子色ベビーピンクの瞳をすがめる女性に、今から王都が消滅するという焦りや恐怖はなかった。それどころかゆったりとした仕草で、膨大な魔力に煽られた艶やかな黒髪を押さえる。


 女性は今ここで王都が消滅するような自爆をされようと生き残れる自信があった。なので別にここで自爆されても何の問題もない。

 だが彼女は、ある事情からそれを許してはいけなかった。ゆえに彼女は()を張った。



 悠然とした仕草で両手を持ち上げ、指先に力を込める。すると唐突に大蛇の動きが止まった。否、止まらせたのだ。

 よく目を凝らせば、大蛇の体に無色透明なワイヤーが絡み付いているのが見える。しなやかで細いそれは、しかし決して切れない優れもの。


 女性が「えいっ」という軽い声と共に両手を握ると、大蛇はバラバラに切り刻まれた。



 爆発し損ねた魔力が結晶化してキラキラと舞い散り、薄く硬い鱗は硬質な音を立てて地面とぶつかる。断ち切られた肉は粘着質な音を響かせながら落下し、骨を包んだまま潰れる。

 雨のように降り注ぐ紅い血は、魔物のものであってもとても美しい。一瞬にして紅に染め上げられた市民街は、きっと掃除に苦労するだろう。



「あら……終わってしまったわ。あのまま爆発してくれたら、面白かったのに」



 魔法で結界を頭上に張って血を被らないようにした女性は、そう残念そうに呟く。

 その被害を最小限に抑えるよう一瞬の内に行動を起こさなければいけないというのは、きっとすごく楽しかっただろう。己が持つ膨大な魔力を駆使して防御結界を構成し、それをその場にいる全員に張って守る。常人なら考えるだけでも頭の痛い話だ。


 だが女性は、それすらも面白いと言えるほどの実力を有していた。つまらない幼児の癇癪よりも、それによって引き起こされる事故の方が何倍も魅力的だと。

 ふぅと息を吐いた女性は、床に落ちていた小さな結晶の欠片を拾い上げる。まるで宝石のような煌めきを閉じ込めたそれは、凝縮された魔力を宿している。これ一つを売るだけで、どれだけの金貨を得られることか。



「残念だわ。これならもう少し遅く戻って来ればよかったわね」



 パキンっと指先で砕かれた魔力の結晶。

 幸か不幸か、その呟きは誰の耳にも届かず、慌ただしく残りの魔物の殲滅に奮闘する物音でかき消された。









 残った魔物の殲滅も終わり、後始末も終わりが見えてきた頃。

 暇を持て余した女性は、騎士団の団長と被害状況を話していた。



「二十年以上騎士をやっているが、これほどの大侵攻は見たことがない。危うく国が沈むところだったよ」

「ふふふ。嫌な予感がして帰国を早めたのだけれど、結果的に正解だったわね。でももう少し早かったら、犠牲者はゼロで終われたかしら?」

「そうだな、君たちの実力であれば、きっとそうなれただろう。だが助けてもらった以上、誰も文句は言わないさ。寧ろ礼を言うよ、キャロライン殿」

「ならよかったわ。どうしてもっと早くきてくれなかったの、だなんて言われたら、どうしようかと思っていたの」



 ころころと笑って冗談を言う女性――キャロラインに、騎士団長も快活に笑い声を響かせる。



「まさか。言うはずがないさ。今回の事態は、我々の実力不足によって起きたものだ。もっと俺たちに力があり、侵攻を早く察知できていれば、君たちなしでも被害は最小限に抑えられていた。それができなかったということは、俺たちが弱かったということだ」

「この状況で下手な言い訳もせず、自分の落ち度を認めるなんて、中々できるものではないわ。そういう所、私好きよ」

「それはそれは、光栄だな」



 手当てを受けている騎士や兵士以外は、現在後始末に奮闘中だ。ある者は魔物の死骸を処理し、ある者は半壊した出店を撤去し、またある者は魔力の結晶体をセッセと拾っている。

 特に魔力の結晶体を拾う作業には力が入っている。何せSランクやAランクの魔物の魔力がそのまま詰まった結晶たちだ。一部は国庫、残りは魔法研究所にでも回されるのだろう。国の未来は明るい。


 やっぱり来てよかったとキャロラインはころころ笑った。その姿はどんな姫君でも裸足で逃げ出すほどに美しい。

 ちなみに実際に逃げ出した王女もいるそうだ。裸足ではなかったらしいが。



 キャロラインは騎士ではないし、ましてや兵士でもない。『いばらつるぎ』という組織に所属している戦士だ。

『茨の剣』は、王家直属の対魔物殲滅組織である。簡単に言うと、魔物から自国民を守る、魔物との戦いに特化した組織だ。

 組織には七つの部隊があり、そのうちの一つが第0部隊。組織の中でも特に人数が少なく、しかし一番実力のある最強部隊だ。


 そしてキャロラインは、今代最強と名高い第0部隊の女隊長である。

 なんでも就任の切っ掛けになったのは、現在の同盟国との国境で暴れ回っていた竜を討伐したことらしい。以来はSSランク級の存在を倒した女として名を馳せている。

 隊内には彼女に憧れを抱く隊員も少なくはなく、街で隊服を着て歩けば、歓声と「ファンです!」の声の嵐だとか。


 さて、それほどに有名で、今回自分たちの危機を救ってくれた女性(しかもとびきりの美人)に対して、救ってもらった男共が興味を向けないなんてことは有り得るのか。

 否、有り得ないことである。



「あれが竜殺しのキャロライン隊長か……。すげぇ美人だな」

「マジ好みすぎるんだけども。めちゃくちゃ声かけたいんだけども。まあ勇気出ないんだけども」

「つかあのSランクを一撃ってヤバすぎる。あの人が敵に回ったら、人類なんて一瞬で滅ぶんじゃねぇか? 他の第0部隊にも、Aランク五体を倒してるやつがいたぞ」



 秘めるようにヒソヒソ囁かれるが丸聞こえだ。

 後半は不服なところがあるが、前半は素直に嬉しい。容姿を褒められて嬉しくない女などいないのだ。

 しかしそれはそれとして、あまりにも多い視線が少々気まずい。何かする度に一挙一動を観察されている気がして動きづらい。


 その時キャロラインは、背後に慣れ親しんだ気配を感じて目元を緩めた。静かだがほんのりと暖かい熱を纏っているような気配。

 すぐさま振り返ってその気配の主を探すが、姿が見当たらずあれっと首を傾げる。



「キャロライン殿、どうした? ……おっ」

「団長? どうかしたの?」



 何か驚くような騎士団長の声に、キャロラインは不思議に思って再び騎士団長の方を向く。

 すると片頬をふにっと優しく押されて、驚きを示すように目を瞬かせた。

 騎士団長の横には、いつの間にか見知った人影があった。先程感じた気配の主に、眉を下げて柔らかく笑いかける。



「ティス、もう来ていたのね」

「うん。姉様に会いたくて早く終わらせたんだ」



 キャロラインは悪戯っぽく口角を上げる彼の、先程頬に突き刺さった人差し指をやわく握って「まぁ」と嬉しそうに破顔した。

 目尻の垂れた翡翠の瞳は、最愛の人に会えた歓喜にとろけている。キャロラインと同じ艶やかな黒髪は、以前お気に入りだと話していた。胸元でチャラリと軽い音を鳴らしているシルバーネックレスは、以前キャロラインが贈ったものだ。


 甘く整った顔立ちを蕩けるような喜びに染めた青年は、キャロラインに甘えるように抱きついた。ハイヒールを履いている彼女よりも上背があるが、わざわざその背を丸めて抱きついている。



「姉様、Sランクを倒したんだってね。さすが姉様。大好き」

「ふふふ、ありがとう。あなただってAランクを五体も討伐したそうじゃない。姉として誇らしいわ」

「えへへ、ありがとうっ」



 頭を優しく撫でられて嬉しそうにする青年の名は、ティスリオン。第0部隊の副隊長を務める、キャロラインの弟だ。

 ふわふわ花を飛ばして喜んでいる弟に慈しむような微笑みを浮かべて、所在なさげにしている彼の補佐に顔を向けた。



「Bグループはどうだったのかしら」

「はっ。Bグループは目的地点でAランク七体、Bランク十二体と遭遇、その後討伐しました。その内Aランク五体、Bランク十体の討伐は副隊長の働きによるものであり、Bグループの犠牲者はゼロです!」

「分かったわ。いつも分かりやすい報告をありがとうね、助かるわ」

「い、いえ……」



 憧れの人から賛辞を贈られた補佐は嬉しそうに顔を緩ませたが、直後に表情を引き締めて背筋を伸ばした。

 なぜならティスリオンが抱きついた体勢のまま姉にバレないように闇のオーラを発しているから。人を殺せそうな視線を向けてきているから。

 黙ってやり過ごそうにも、無垢な表情で返答を待つキャロラインの存在がそれを許さない。何も言わない補佐に訝しげに、形の良い眉が寄せられる。

 そしてそれを目撃したティスリオンが、「何か言え。でないと殺す」と言わんばかりに睨みつけてきて、補佐の優秀な頭脳は一瞬で最適解を導き出した。



「いえっ、自分などまだまだでありますッ! これは全て、隊長と副隊長の素晴らしきご指導のお陰でありますれば‼︎」

「まぁ! 素晴らしき、ですってティス。嬉しいわねぇ」

「姉様が嬉しいなら俺も嬉しいよ」



 補佐の返答に両手を合わせて喜ぶキャロラインと、それに無駄に良い笑顔でシスコン発言をするティスリオンと、やり切った感満載にない汗を拭う補佐。そしてそんな補佐を見て感心したように頷く騎士団長。

 補佐はさすが二年近く補佐をしている隊士だった。的確にティスリオンの逆鱗を回避した上で、彼の姉との会話の切っ掛けを作った。文句なしの百点満点、パーフェクトな回避技だった。


 出会ったばかりの騎士団長の中で彼の株がぐんっと上がった。仮にもし彼が『茨の剣』を脱隊することになったとしても、就職先には困らないだろう。

 騎士団長が補佐にアイコンタクトすると、誇らしげな笑みと共に頷きを返された。彼とは気が合いそうだ、と夕食に誘う算段を練る。



「姉様、姉様。俺、頑張ったご褒美が欲しい」

「ふふっ。ティスはいつまで経っても甘えん坊ねぇ。良いわよ、カップケーキでも焼きましょ」

「やった。姉様大好き!」

「私も大好きよ、可愛いティス」



 それはそうとして、目の前の恋人のような甘ったるい触れ合いはどうにかならないのか。これから愚痴ぐち友になる二人は、そう内心で思うのだった。





 ☆★☆★☆★☆





 その日の夜のこと。


 風呂から上がったキャロラインは、ふわふわのタオルで髪を拭きながらリビングに向かった。早く乾かさなければ風邪をひいてしまう。


『茨の剣』の隊員は、部隊ごとの寮の部屋を与えられる。

 ここは第0部隊の隊員が住み込んでいる寮だ。一人一人に与えられる部屋は広々としていて、浴室からキッチンまで充実した設備が揃っている。

 寮生間での交流も自由とされており、休暇をもぎ取った各々が好きなように羽を伸ばしている。



「姉様、髪乾かそっか。ここ座って?」



 無論、ティスリオンも例外ではない。むしろ筆頭である。

 毎日のように愛しい姉の部屋を訪れている彼は、今日も当たり前のようにソファで寛いでいる。


 彼がにっこり笑ってここ、と言いながら示したのは自身の膝の上だ。

 いつものことながら、キャロラインは苦笑する。

 キャロラインは現在十八歳で、ティスリオンは十六歳。この歳で膝の上に乗るのは、少々距離が近すぎるだろう。



「ティス、私たちはもう小さな子供じゃないのだから、流石に膝の上は――」

「いいから姉様、こっち」

「わ」



 やや強引に腕を引かれてバランスを崩し、ティスリオンの膝上にぽすんと着地する。

 すぐにぎゅっと後ろから抱きつかれ、逃げ道を塞がれた。



「もう……ティスはいつまで経っても甘えん坊ね」

「姉様と一緒にいられるなら、甘えん坊でいいもん」



 ティスリオンは風魔法と火魔法を使って暖かい風を発生させ、植物魔法で器用に生成した櫛で姉の髪を丁寧にく。ご機嫌そうに鼻歌まで歌っている。

 何気に高等技術なのよねと思いながら、キャロラインはポケットから手のひらサイズの小さな箱を取り出した。


 パステルクリームのそれを開くと、現れたのは一粒の大きめの飴玉。半透明な飴の中で、紫を帯びた純白が揺蕩たゆたっている。

 そっとそれを摘んで口に含むと、次の瞬間強烈な辛味が舌の上で弾けた。音にするとバチリと稲妻が走るような感じだ。

 常人なら悶絶するような辛さだが、生まれつき味覚の薄いキャロラインはむしろ美味しそうに目を細める。



「姉様、()()今日の?」

「そうよ。中々強烈だわ」



 カラコロ、と飴玉が歯にぶつかって軽やかな音を奏でる。飴玉は大粒にもかかわらず、二分ほどで完全に溶けた。未だにひりひりと痛む舌で唇をぺろりと舐める。

 髪を乾かし終えたティスリオンが、それを見てそっとキャロラインの唇に手を伸ばす。

 ふに、と優しく唇を押され、少しカサついた感触が伝わってくる。



「ちょっと乾燥してるね」

「口紅変えたせいかしらね? 買い替えたほうがいいかしら……」



 軽く首を傾げてそう呟くキャロラインに、ティスリオンが「どんな色でも姉様は最高に美人だよ」と少しズレたコメントをする。

 確かにキャロラインはかなりの美人だ。サラサラと繊細な濡羽色の髪に、穏やかな光を湛えた撫子色ベビーピンクの瞳。華やかさと静謐さを併せ持ったその容姿は、身内贔屓なしに見ても美しい。

 その肉感的な唇は、初々しい桃色でも妖艶な真紅でも、さぞかし似合うことだろう。



「……あれ、姉様香水変えた?」

「分かるかしら。任務先の国で見つけて、思わず買っちゃったのよね」



 これよ、と繊細な彫刻が彫られた香水を見せる。ティスリオンは零れた黒髪を手に取り、スンと匂いを嗅いだ。



「良いね。スッキリした甘さでくどくない感じが姉様らしい。俺はこれ好きだなぁ」

「ふふふ、ありがとう」



 無邪気な笑顔で褒めてくれる弟に、意外と甘い姉はにっこり笑った。

 もしここに第三者がいれば、「姉弟きょうだいの距離感じゃない‼︎」と叫んでいたことだろう。

 キャロラインもそのことは重々承知である。だがティスリオンがあまりにも楽しそうなので、いつも「まぁいいか」と許してしまう。



「(それに、あの顔で笑われてしまうと、どうしてか責められなくなっちゃうのよね……)」



 まぁ仕方ないわ、と思いながら箱を仕舞い、くるりと体の向きを九十度回転させる。

 横座りになったキャロラインは、不思議そうに見下ろしてくるみどりの双眼をじっと見つめる。

 その眼差しは澄み切っていて、穢れを知らない無垢な色をしている。纏う空気はいっそ清廉で、美しくも芯を感じさせた。



「(……本当に美少年は何もしていなくても絵になるわね。ティスが弟で本当に良かった。この子の姉になれたことが、私の人生で最大の幸運だわ。あぁ、神様愛してる)」



 キャロラインは面食いだった。


 幼い頃から生粋のイケメン好きな彼女は、最推しであるティスリオンの顔をこれでもかと凝視する。

 唯々《ただただ》じーーーっと弟の奇跡の顔面を堪能しているだけなのだが、どうしてか外からは“何かを憂いて弟に縋ろうとしているか弱い女性”という感じに見える。

 実際は何も憂いてないし全くか弱くもない、なんならそこらの騎士だって勝てないほどだが。美人は得だ。



「姉様……?」



 姉の真意を読み取れずきょとんとしている弟に、キャロラインは邪な内心を一切感じさせない澄んだ笑みを浮かべる。



「ごめんなさいティス。今日はもう遅いし、カップケーキは明日でもいいかしら? その代わりとびっきり美味しくするから、ね?」

「姉様があーんしてくれるなら」

「喜んでするわ」



 合法的にイケメンとあーんができるという案件に即答で返したキャロラインに「じゃあいいよ」と言って、ティスリオンは彼女を一度強く抱きしめる。満足するまでくっついて、名残惜しそうだがようやく離れた。

 キャロラインも残念に思いながら「お休みなさい」と額に唇を落とす。



「うん、お休み」



 大好きな姉からのスキンシップに、ぱっと上機嫌になってティスリオンは部屋を後にした。


 キャロラインはそれを見送って、そろそろ就寝だと寝室へ向かう。

 部屋の灯りをつけてすぐに手を伸ばしたのは、布団ではなくベッドの脇に置かれた大きな本棚。

 一見普通の本棚だが、ある手順を踏むと特殊な仕掛けが発動する、この世に二つとない特別性だ。


 キャロラインの指が一冊の本の背を押すと、カチャッと音がして本棚が左右に開く。

 現れたのは、また本棚。しかしそこに差し込まれているのは、本ではなく分厚いファイルだ。それも二十数個以上。背表紙には共通して【Good Looking Guy】の文字。

 その中で背表紙に刻まれた数字が最も多い【No.25】のファイルを抜き取ってページを開く。


 パラパラと捲られる各ページに入れられているのは、目鼻立ちの整った美男美少年の写真だ。

 しかもクールな美青年から爽やかな美青年、渋めの美男に色っぽいホスト風美青年、果ては可愛い系ショタまでオール完備。場面は食事中や誰かと話している最中、着替え中のものまで様々だ。

 その上視線が合っているものが一枚もない―――全て盗撮写真だった。


 ファイルの新しいページを開くと、キャロラインはベッドの横の立方体の箱を持ち上げる。

 鉄の塊のような見た目の割に軽いそれをファイルの上に上げると、箱がぼんやりと淡い光を放ち始める。連動するように箱から僅かな魔力が滲み出すそれは、見る者が見れば魔道具だとすぐに分かるだろう。

 この箱はキャロラインが国一番の魔道具職人に、特別に作らせたものだった。



「―――― Flash Back(写真印刷)



 艶やかな唇の動きと共に光が溢れ、瞬きすると同時に収まる。

 ぱさり、とファイルの上に落ちた十数枚の写真に写っているのは、先程までこの寮室にいたティスリオン。


 だがおかしなことに、キャロラインの入浴中に姉の服に頬擦りするティスリオン、キャロラインに後ろから抱きついて頬を緩めているティスリオンなど、どう考えてもキャロラインでは撮れない角度や場面の写真ばかりだ。

 キャロラインはその内の一枚―――夕食後の食器洗いの時、姉の箸にこっそり口付けするティスリオンの写真を摘み上げ、ほぅと恍惚とした息を吐いた。



「本当に最高だわ、ティス……。こんなにカッコいいのに可愛くって、もう私をどうしたいの」



 重度の面食いは行き過ぎると狂気、盗撮もストーキングも躊躇わないものだ。


 キャロラインは新しいコレクションをファイルに挿れていく。鼻歌交じりの上機嫌な笑顔だった。

 全て挿れ終わった後、ファイルを初めから読み直す。


 様々なタイプの美男たちがこれでもかと終結しているコレクションファイルだが、圧倒的に多いのはティスタリオンだ。

 最推しはやはり特別だ、他のイケメンでさえも霞んでしまう魅力に富んでいる。

 ついつい無意識に言葉が零れる。




「流石は美貌のラスボス。最っ高のビジュアルね……。イラストレーターさん様々だ、わ…………、………………?」




 ふと自分の言葉に疑問を覚えて動きを止める。疑問符が頭の中を埋め尽くす。


 ラスボス、とは。イラストレーター、とは、なんだ。


 聞いたこともない単語、だがどうしても頭から離れない。

 同時にいくつもの単語が頭の中を駆け巡る。発熱したかのように脳が熱くなる。


 ラスボス、イラストレーター、小説、にほん、すまーとふぉん、―――――『愛を捧げ心を捧げ』。



「――――――あ」



 ふっと頭の熱が急激に冷めた。


 溢れていた情報を口に含み、咀嚼し、入念に味わってから呑み干す。

 そうすると不思議なことに、一瞬で全てを理解できた。


 先程まで困惑していたのが嘘のように、キャロラインはあっさり口にする。




「私、転生してるわね」




 それも、前世で愛読していた小説のラスボスの姉に。

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