7話 いじめの理由
授業が全て終わった放課後。
教室から荷物を持った生徒が次々と出ていき、これからの予定に声を弾ませる。その中には神宮寺も含まれていた。
どうやらこれから予定があるらしい。
あっという間に教室内は静寂に取り込まれて、心地よい空気が体に纏わりつく。
やるべきことが終わった後の教室内はどうしてこんなにも居心地が良いのだろうか。今の時間が一生流れていてほしいとさえ思う。
びっくりするほど呑気な自分は、びっくりするほど呑気に一人の女子生徒を眺めていた。
不自然でおぼつかない手で帰り支度を済ませた高坂さんは、ある三人の女子にどこかへ連れていかれる。
それを見て、ハッと我に返った俺は、急いでその後を追う。
まさか、今日中に二度目の呼び出しがあるとは思わなかった。
それだけ女子グループは昼の出来事が頭に来ていたのだろう。
またしても人気の少ない所へ四人で行き、女子グループのリーダーが早速、高坂さんのことを殺意に満ちた視線で睨む。
高坂さんの目線は右下に逃げて、何とかリーダー格の視線から目を逸らす。
高坂さんの体は微かに震えていた。それでも耐え切ってやるという強い意思は感じられた。
「今度は何ですか」
物怖じしない姿勢で高坂さんから話を切り出す。
「あのさ――」
一番前にいた女子は、高坂さんに距離を詰めてからドス黒い声で、
「お前、ウザイから消えてくんね?」
それは彼女の存在を否定する言葉だった。
女子間の嫉妬は闇が深い。
「どうして……どうしてこんなことするんですか……」
蚊の鳴くような声が女子の顔を歪ませる。
「さっきも言っただろ? ウ・ザ・イ・の! お前」
手が出る寸前のリーダーは、強い口調で詰め寄る。
否。手が出る寸前ではなかった。既に手は出ていた。
女子の手は高坂さんの手を乱暴に握っている。
「もう一度言うけど消えてくんない?」
昼休みの時が可愛らしく思えるほどの異様な空気が校舎裏で漂っていた。
こんな本当に肝心な時に限って、主人公様は不在。
こういう時は、先生を呼ぶのが妥当だろう。大事になる前に先生にこのことを伝えないと。
情けない自分にうんざりしながら、職員室へ行こうとすると、
「もう、やめてください。迷惑です」
高坂さんの震えた声が、俺の足を止めた。
校舎裏の方へ振り返ると、そこには、女子の手を振り払って、微かに足を震わせる高坂さんの姿があった。
恐怖感に駆られながらも立ち向かうその雄姿は、誰がどう見ても、前世の彼女とは別人のようだった。
彼女はこの短期間で成長したのだ。
神宮寺から助けられないことにより、自分で対処し、その結果、前世とは見違えるほどの成長を遂げた。
前世では、神宮寺が高坂さんの成長の機会を奪っていたのだ。
余計な過保護が人の成長を途絶えさせる。
そんな成長を遂げた高坂さんの目の前には、拳を思いっきり振り上げる女子生徒。
現実は残酷だ。
こういう時、ラブコメの主人公ならカッコよく拳を止めて、女の子を守るのだろう。
だが、俺にはそれができない。
何せ俺は、主人公ではなく一人の人間だからだ。
だから俺はこんなやり方しかできない。
――カシャッ――カシャシャシャシャシャシャシャシャシャシャ。
カメラのシャッターのような音が静かだった校舎裏に音色をつける。
その音に当然ながら反応した女子は高坂さんの目前で握っていた拳を止める。
「誰だ!」
その呼びかけに、俺は咄嗟に思いついた嘘で誤魔化す。
「ごめんなさい。人いたんですね。ここなら人来ないと思って、縦動画撮ってました」
苦しい言い訳だった。
「は? 縦動画で連射なんてしないだろ。変な言い訳してないで早く消せよ」
「ってか、よく見たら君、泥棒くんじゃない?」
「あれ? マジじゃん。ねぇ、泥棒くん。さっき撮った写真消してくんない? 私たちが泥棒くんに協力して、その『泥棒』のあだ名塗り替えてあげるからさ」
「いや。消すも何も、本当に何も撮ってないですから」
当然だけど嘘だ。
この決定的な証拠をそう易々と手放すわけがない。だが、今はこうでも言わないと何をされるか分からない。
そんな俺の考えも虚しく、いとも簡単に見破られてしまった。
「ふざけんな! そんなわけねぇーだろ! 早く消せ! この泥棒が!」
その言葉に続いて、二人の取り巻きたちも俺のことを『泥棒! 泥棒!』と何度も貶める。
『泥棒』と呼ばれることに文句はないが、それを高坂さんの目の前で言われるのは、どこかむず痒い感覚になる。
何せ、彼女視点、俺はただの泥棒で、濡れ衣を着せようとしてきた犯人なのだから。
何度も何度も女子たちから『泥棒』と貶される自分のことを惨めに思っていると、前触れもなく――
「違うっ!!」
高坂さんが、大声を上げた。
その言葉の意味を俺は理解できなかった。
「はぁ!? 何が違うんだよ。言ってみろよ」
「それは…………」
なぜだか高坂さんはこちらに視線を向ける。その視線には『自分の口から言って』という意味が含まれている気がした。
そもそもの話、どうしてこの女子グループはそこまでして高坂さんに執着するのか。
確かに高坂さんは男子たちからモテる。それに嫉妬して虐めている、という可能性が一番有効的だが、なぜだか俺の脳がそれを否定した。
もしかして――
「君、神宮寺のことが好きなの?」
確信はなかった。
でも、それだと神宮寺と仲良くしている高坂さんに嫉妬して、彼女に嫌がらせをした。そういうふうに解釈できる。
そんな俺の考えは的中していたのか、理解した瞬間、女子グループのリーダーの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「は、はぁ!? なんでそうなんのよ! あんな奴のどこを好きになるって言うのよ!」
「え? 杏奈。そういうことだったの?」
どうやらリーダーの名前は杏奈というらしい。杏奈さんの顔が更に赤く染まる。
「ずっと高坂結月が男子からモテてたからいじめてるって思ってたんだけど」
「ち…………」
顔を俯かせていた杏奈さんは、しばらくすると、
「違うからっ!!!」
そう大声を上げてから、恥ずかしさのあまり逃亡した。
二人の取り巻きは、焦りながらその後を追っていった。
そして俺と高坂さんは二人校舎裏に取り残される。
まさか神宮寺が他の女子もたぶらかしていたとは思ってもみなかった。
どこまでも罪な男だ。二つの意味でだが。
「あの……」
それよりも今は、真正面にいる声をかけてきた彼女をどうにかせねばならない。
とは言っても今取るべき行動は一つしかなかった。
「あっ。そういえば俺、この後バイトあるんだった。早く行かないと」
「ちょっと待っ!」
「さよならっ」
俺は急いで高坂結月から逃げるようにその場から離れた。
バイトがあるというのは嘘だ。何せ、俺は既にバイトを辞めたからだ。
もうお金が必要なくなったので、バイトを続ける意味もない。今はそれより、どうやって『ハーレム計画』を阻止するか考える時間が必要だった。
というのはただの建前で、本音を言うと、高坂さんと二人っきりになるのが気まずかったからである。
当たり前だ。
濡れ衣を着せようとした俺と二人っきりなんて、不穏な空気にならない方がおかしい。
言うならば、ただの逃避に過ぎなかった。
そんな自分のことをまた情けなく思いながら、俺は帰りに職員室へ寄って、学校を後にした。




